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「Dear. San Francisco」

どこまでのことを話していいのだろう。

どこまでのことを話すべきだろう。

その本にはこう書かれていた。


時代遅れの呼び鈴が置いてある、

古くカビ臭い小さなホテルのラウンジにある本棚にそれはあった。

...「これは、僕の旅路を知る上でも知っておかなければならないストーリー」

  • Dear. San Francisco-

少年サンチャゴの人生には、愛した一輪の杏子の花が咲いていた。

もともと旅に出る前のサンチャゴは人生に迷いを感じていた。

これは「誰の物語」なのだろう。そう感じて見上げる都会の夜空は、ひとつの星も見えなかった。

もともと、サンチャゴの家族は「愛」とは無縁で、彼も「愛」について、ひとつの経験も、知識さえもなかった。


だだっ広く、果てしない、ありきたりな道をサンチャゴは歩き続けた。自分がどんな人間になりたいのかも、どんな理想を掲げるのかも、分からず、ただただ周囲の羊たちと一緒に、同じ道を歩き続けた。彼には「失うもの」がないから何も怖くなかった。


すると、そんな荒野に一輪の杏子の花が咲いているのに気付いた。

サンチャゴはその花に恋をしたが、自分から今まで「恋」という穴に落ちたことがなかったので、戸惑いを感じた。

杏子の花はまるで、サンチャゴに気付いていない様子で 風にくすぐられていた。

今まで全てにおいて無気力な自分を悔い改め、
自分自信を磨き始めた。幸いサンチャゴは「経験」はないものの、自分を変える力を持っていた。

サンチャゴとその花とが、恋に落ちるのには時間が掛かった。
なんせ、サンチャゴの言葉には「力」がなく、真実を伝えても、誰も信じてくれないからだ。

しかし彼は表現者であった。
口に出しても、誰も信じてくれないならと、
紙に自分の気持ちを書き綴った。

その書き綴った何十枚ものラブレターを通して、彼は

「自分が伝えたいこと」と、

「彼女が聞きたいこと」の間を考えるようになった。

そして、ついに恋は実った。

しかしサンチャゴは羊飼い。

やらねばならぬことがあり、恋が実ったものの、次に花を見たのは、約半世紀という月日が流れた後。


サンチャゴは努力を惜しまない性格で、遠い国から、時差や距離を超えて手紙を宛てた。

その時間に果てしなさと感じたが、なんとか時間という大きな壁を、サンチャゴと花は乗り越えることが出来た。

一度、壁を乗り越えた2人の絆は強く、
それから2人は手を取り合って、支え合って、2人で同じ道を歩き続けた。

その道の最中で、サンチャゴは杏子の花にたくさんのことを教えてもらった。

ボロボロだった服も、彼女のおかげでピカピカに。
花をより美しく撮るために、今まで触れたこともない遠い未来のレンズの付いた機会の使い方を学んだり、
彼女を喜ばせるためであれば、なんだって惜しみなく学び、

彼女のためでもあり、それはサンチャゴのためでもあった。

もちろん 花を喜ばせるためにサンチャゴはたくさんの手紙を送り、少しずつ少しずつ、「言葉」を取り戻していった。

サンチャゴの父は乱暴な男で、彼を見て育ったサンチャゴは「僕はひとりで歩いて行こう」と決めていたが、その考えは世界のチリになって、この世から消えていった。

今は花がそばに居てくれるからだ。
彼女ほど、サンチャゴの心を落ち着かせるものは、今までかつてなかった。

サンチャゴに「家」と呼ばれる「心の安らぎ」がなかったからだ。
彼女がサンチャゴの「心の安らぎ」であり、強がるサンチャゴの唯一の自分の場所であった。

「彼女を心から守りたい。」今まで、自分のためだけに生きてきたサンチャゴに”失っては困る存在”が出来た。

「誰かのために自己犠牲が出来る」
サンチャゴにとって、こんなに精神的に大人になれる方法はなかった。

そして、ひとりで生きていたときは、
道しるべとなるものがなかったサンチャゴであったが、

ようやく「地図」を見つけた。

サンチャゴの父曰く。
「男には地図が必要だ。
荒野を走り抜く、心の地図がな。」と。

サンチャゴの地図には「なりたい姿」が書いてあった。

それが、杏子の花を育てあげたミツバチの両親であった。

彼らには この惑星では珍しく、神様がいた。

サンチャゴはよくミツバチの両親に挨拶をし、敬い、尊敬していた。ミツバチのお父さん、お母さんとも仲が良く、杏子の花のお陰でピカピカになったサンチャゴは、良くしてもらっていた。

ミツバチのお父さんの紳士的で、アクティブで、家族思いな姿に、ずっと独り身であったサンチャゴは憧れを抱いた。自分も家族愛に溢れた男になりたい。そう思ってやまなかった。

その「家族」には、「愛」があり、
サンチャゴは初めて「家族」というものを理解した。「これが、家族で、心の、暖かみか...」と。

それから、サンチャゴは自分の「家族」を、本当の意味での「家族」と呼べなくなってしまった。

サンチャゴは、より杏子の花が好きになり、いつだってお水をあげて可愛がった。だってボロボロだった自分をこんなにピカピカにしてくれたんだもの。

そして、サンチャゴは彼女のことをより知るうちに、”彼女の行きたい方向”と”自分がいる状況”が大きく違うことに気付いた。

杏子の花は 将来、彼女が生まれた「SF」という惑星に戻りたいということを知った。そして我が子を宇宙規模で育てたい。という夢も。

しかしサンチャゴは、羊飼い。
今まで自分の持ち場を離れたことがなく、このまま周囲の羊たちと一緒に、この道を歩いていくものだとばっかり思っていた。

サンチャゴは戸惑った。しかし、恐れはなかった。サンチャゴも他の惑星にいつか行ってみたいと、幼い頃から思っていたからだ。

強いていうのなら、「恐れ」は「未来」にあった。なんせ、この先の未来が二手を別れているように感じたからだ。

そして、もうひとつ。
サンチャゴは杏子の花に、あまり時間がないことが分かった。

彼女は茎の部分が弱く、早いうちに新しい命を咲かせないと、二度と出来ないという。

それを知ったサンチャゴは考えた。
「彼女の夢」を叶えてあげたい。

「時間がない」

...今しかない。
サンチャゴは羊飼いとして、次の道しるべもあったが、羊を全て逃がすことにし、
自分自信を「羊飼い」と名乗ることもやめた。

サンチャゴは旅立つことを決めたのだ。

そして、それを杏子の花に告げた。
彼女は驚いていたが、そんなサンチャゴの姿を懸命に応援してくれた。

さて 旅をするには、”ルビーの石”が必要だ。羊飼いのサンチャゴにそんな資金はあるのだろうか。

実はサンチャゴはこっそり貯めていたのだ。
杏子の花との未来を真剣に考えていたので、旅の資金の半分は既に持っていた。

サンチャゴは”ルビーを使うこと”を少しためらったが、これを使わず、旅が出来ず終いであれば、どちらにせよこのルビーは使えないと思い思い切って結構した。

サンチャゴの「愛」は本物であった。

...ここでページが破れてるな。
気付けば、1時間以上このボロボロの本にかじりついていた。このロビーがカビ臭いのは、この茶色の絨毯が原因だな。おそらくこの絨毯はもともと赤かったのだろう。今じゃシミだらけで、新品だったころの面影もない。

でも、どこか「自然」で、あの頃みたいにピカピカじゃないから、親しみやすくて、僕は好きな絨毯だ。

安いコーヒーをすすりながら、破れたページを飛ばし、次のページにめくると物語は大きく変わっていた。


...「私、いま幸せなの。」

その言葉を最後に、杏子の花の声は聞こえなくなってしまった。

サンチャゴの心はずぶ濡れになった。ボロボロになった。ボロボロどころでなく、立ち上がれなくなった。言葉に出来ない感情が渦を巻き、彼は壊れかけた。

それは、彼が旅立つ前夜であった。

しかし、彼には塞ぎ混んでる暇はない。
やっとの思いで掴んだチケットを破くわけにはいかないからだ。そして、数少ない友人がサンチャゴの旅立ちを祝ってくれたので、サンチャゴはどうにか一歩踏み出すことに成長した。

運が不運か、同じ日、同じ場所から、
サンチャゴは西へ。杏子の花は東の果てにある生まれ故郷「SF」へ。


サンチャゴの旅路を辿ると、最後にたどり着く惑星が「SF」であった。

彼は その惑星に到着し、花との再会を夢見てやまなかった。つまり、彼は諦めなかったのだ。彼女と歩いていく”幸せ”な未来を。

今までだって、自分たちがどんな状況だって、彼女のことを想っていたサンチャゴにとってそれは当たり前の決断であった。

とにかく、サンチャゴにとって今も昔も、
「旅だった前日」が1番、
この人生で1番辛く、キツく、孤独であった。

まるで、暗闇の宇宙に取り残されてしまったかのような孤独感が彼を襲った。

羊たちは言う。
世界には他の花がいくらでもあると。
しかし彼らは分かっていない。
あの杏子の花は、世界中探したって一輪だけなんだってことを。

いくら手紙を書いても返事が来ないので、
一度 サンチャゴは悩むことも、考えることもやめた。

そして未来に託すことにした。

しかし、「愛」という火は決して消えることはなかった。だって、人生で初めての「心の安らぎ」だったからだ。

サンチャゴの旅は続いた。
その間、彼女の体の健康、心の健康を祈った。

その惑星の神様を見つけては、祈った。

会えもしない。声も聞けない。気持ちも伝えられなければ、何をしているかも分からない。
何をしようとも、どうにもならない状況に、彼は「祈る」しかなった。

その「祈る」という行為が、次のサンチャゴの心の安らぎになった。

強盗、
テロ、
事故、
人の「死」。

本当の意味での「安全」なんてない、この世で、孤独を旅する彼にとって、

その国の神様に、
「自分の身」と「彼女の身」、「自分たちの未来の道」を祈ることは心の安らぎであった。それからだ。神を信じていなかった彼が、神様を信じるようになったのは。

1つ目の惑星は、彼にとって衝撃的な国であった。
貧困が蔓延り、信仰心の強いこの国の教会は、みんなが神を信じ、膝まづき、涙を流す。

その光景にサンチャゴは、「神様の存在」を信じざるを得なかった。

今まで羊飼いだった彼は、父に
「運命は自分で切り開くもの」だと教えられてきたが、努力はもちろん大切だが、
「最終的なサイコロを振るのは神」だということを理解した。

彼は祈り続けた。
時に、杏子の花が元気に咲いていた噂を耳にすると、嬉しくて眠れない夜もあった。それは確か「ペナン」という惑星での話だ。

危ない土地にも訪れた。
そこは、大きな壁に囲まれた”まだ惑星”と呼ばれぬ土地であった。

しかし、彼は彼女を思い続けた。
そして「生きてること」は当たり前ではないと思い、彼女に手紙を宛てた。

過去の自分のだらしなさに対する謝罪、
彼女が僕をキラキラにしてくれたことの感謝、
生きてるうちに伝えなきゃいけないことは、全て伝えたが、一向に連絡は帰って来なかった。

「いま何してるんだろうな」
なんて夕日を見ながら呟く日が続いた。

特に砂漠で見た夕日を心から彼女に見せてあげたかった。それだけでもサンチャゴは幸せだった。この世に、自分の幸せを分けてあげたいと思える人間がいることに。

旅立つ前、サンチャゴと杏子の花が最後にあったのは、夕日が美しい浜辺であった。

サンチャゴはそこで「永遠の愛」を誓おうと思ったが、勇気が出ず、言葉にすることが出来なかった。

この日の後悔は、サンチャゴを苦しめた。

「時として、チャンスは一度しかこない。

男なら、このチャンスを掴むことだ。」そこから得た教訓をサンチャゴは忘れない。

旅の果てにようやく、「SF」がある銀河系へたどり着くと、サンチャゴは勇気を出して、杏子の花に手紙を送った。

これまでの旅路、この場所を目指して旅を続けてきたと言っても過言ではない。
「SFにたどり着くこと」それがサンチャゴの心の支えであり、原動力であり、希望でもあった。

杏子の花から返事が来た。



...
「いいえ。会えません。」





サンチャゴには遅すぎたのだ。

サンチャゴのポジションには既にその惑星の人間がいた。


”想いというものは、
想っているだけでは伝わらない。”

サンチャゴは「言葉」がどれだけ大切か感じた。

そして、彼は再び道を見失った。
崩れた。心臓を取り出して、箱に詰め、どこかに隠したくなるほど苦しかった。

今まで信じ続けてきた「希望」がなくなり、自分がどうしていいか分からなくなった。

自分がどこに向かっていいか分からない。

旅を続けるにも、どこに進めば良いのだろう。
サンチャゴが唯一持っていた「心のコンパス」が完全に壊れた。

彼女のためにしていたことが、今度は自分を苦しめ始めた。

自業自得はこのことだと、膝をついた。

彼は「向かう方向」も「帰る場所」も見失ってしまった。

なにも分からなくて、再びロケットから切り離された宇宙飛行士みたいに、宙を浮いている感覚に陥った。

旅が終われば尚更、現実と非現実の狭間をさまよってしまう気がしてならなかった。

「自分がどこに帰ればいいか分からない」

旅に出て、これほど不安なことはない。

旅人には帰るべき場所が必要だ。帰るべき場所がないと、それは「旅」ではなくなってしまうからだ。

サンチャゴは迷った果てに、最終目的地にしていた「SF」という惑星に向かうことを決めた。

これは、自分と向き合うためにも、杏子の花と向き合うためにも。


...
「SF」には 大きな赤い橋があり、海があった。

その浜辺にたどり着き、裸足で歩いた。

歩いていると、彼は最後の海の日のことを思い出し、大きな声で泣いた。

それは、今までのようにポロポロと溢れる涙ではなく、心の底から声が枯れるまで、子供のように泣いた。

「やはり神様などおらず、
運命は自分で切り開くものだ」とも思った。


振り返ると、浜辺に付いた自分の足跡が、波にかき消された。

振り返ると、自分がどこにいるのか分からなくなった。

幸い、サンチャゴは何度も崖に落とされたことがあり、その度に命かながら這い上がってきた。そんな経験を生かして、前を見た。

すると、浜辺は誰の足跡もなく、まるで白紙のようだった。

「過去は振り返っても、何も変わらない。

でも、未来は変えられる。未来は白紙なんだ。未来は自由に歩ける、足跡を残せる。」

そう思うのには、時間が必要だったが、
サンチャゴはそう思うよう心がけた。

そして、サンチャゴは涙を拭き、
自分が今ここにいること。それは、物理的にも、人生的にも、今の自分を構成していること。

それは彼女のお陰であった。

と、理解した。
最後に彼はSFの海に向かってひとことこう言った。

「ありがとう」と。



...気付けばあっという間に時計は20時を回っていた。さっきまで夕日が眩しかったのに、もうこんな時間か。

どこか遣る瀬無い空気が僕を包む。
ふぅとため息を尽き伸びをし、3階にある自分の泊まっている部屋を目指した。

このボロ宿にはエレベーターがないので、3階までも一苦労。この茶色く汚れた絨毯と狭い廊下を歩き部屋へ向かう。

今の僕が、主人公サンチャゴに言えること。

それは自分の「愛」不足が招いた結果以外何物でもない。

思うに、「愛」とは”乗り越える力”。
”乗り越えようとする力”。

1人の人間だって、相当なエネルギーを持ってるんだ。それを2人でお互いのために頑張って”乗り越えようとする力”つまりは「愛」が、

キミとその最愛の花とやらの間にはなかっただけのこと。

「愛」さえあれば、たとえ生活に困っても、
好みの人間じゃなくても、遠距離でも、言葉が通じなくても、「乗り越えよう」とする力が働くはずだ。

間違いなく、若きキミの”経験不足”。
もっと「愛」を注いでやらないから悪い。

女性は当然のように「安定」を好む。「損得」で動くのも女性特有の動きだ。

一方、男性が「安定」を好むと腐る。だから我々男性は飛び込み続けなければいけない。日々、男を磨かねばならない。

ではどういう女性が僕にとっての理想か。
「飛び込み続ける男性」を、不安もあるだろうが陰ながらしっかり支えてあげれる女性。

もちろん、男性側も行動しつつ、なるべく女性に不安を与えちゃいけない。だから、大きな声で「絶対に幸せにするから!!」って毎日 伝えて不安を拭ってやらなきゃいけない。

サンチャゴよ。当たり前だ。
言わないと、伝わらない。お前は彼女にテレパシーでも通じると思ったのか?

なんだって 言わないと、伝わらないんだ。

だからちゃんと”気持ち”ってのは伝えるべき。
そして、男っていつも、失ってから気付くんだよね。失ってからじゃもう手遅れ。だから失う前にちゃんと、気持ちを伝えることだな。これはこの本を通して学んだ教訓だ。

でもさ、どんな結末であれ、
「片想い」で彼女を想い続ける。なんだかロマンチックで俺は好きかもな。

ただ、これは結果論で、
恋愛って「1」か「0」のところがあるから、
フられてるサンチャゴの場合、
「ストーカー」って言われるかもしれないけど、成功してれば「宇宙1のロマンチスト」だな。

男って、本当にバカで、アホで、
不器用で、でもさ。いい奴だよな。

男の方がロマンチストだよ。
「夢」を追いかけたり、「憧れ」を抱いたり。

アホじゃなきゃ、ロマンチストじゃなきゃ、
結局 彼女を喜ばすことなんて出来ないんだから。

でも、やっぱり恋愛を閉めるなら、
「ありがとう」で終わらせられる恋愛ほど良いものはないな。うん。

お前は、きっともっと言いたいことがあるだろうに、感謝で終われるいい奴だ。

いい奴は、いっつも損すっけど、
それでいいと思うよ。自分の信じた道を進みなさい。あと、男はたくさん泣いて、追い詰められて、壁を乗り越えて、大きくなっていくもんだからさ。

この旅を通して気付いたこと。

”それは、「愛」とは、この世において最も強く、そして儚く、変えが効かず、かけがえのないものということ。”

そうメモ書きを残し、僕はドアを閉じた。

...物語は「南米」へ。

サンフランシスコでの日々〜「旅」とは「今の自分」を映す鏡〜

父と別れ、再びひとり旅に。
ニューヨークから、西海岸サンフランシスコへ。

当初、サンフランシスコは僕の最後の地であったが”とある理由”で思い切ってチケットを買った。

北米を東から西へと飛んでいるのに、2万円もしないフライトには驚きだ。
アジアを東から西へと飛んでみろ。格安航空券でもとんでもない額だ。


ちなみにアメリカのパスポートの所持率は、4パーセントだとか。まぁ国民も多いのに対し、ハワイもアラスカも自国なわけで、IDさえあれば、カナダやメキシコにもいけるのかな?

とりあえず、アメリカ人は実は国外になかなか行かない。


さて、僕にとって色んな意味が含まれているカリフォルニア州「サンフランシスコ」という場所。

サンフランシスコといえば、ドラマ「フルハウス」のロケ地。
プールに行く前によく見てたなぁ。あれくらいの大家族にも憧れる。

このゴールデンゲートブリッジは、初めて見るのにすごく懐かしかった。


あんな大家族で育ったらどんななんだろう。

父親が自由人すぎるから反面教師になってて、
「家族」は1番大切にしたいんだよなぁー。

この旅路を寝る前枕元で話してあげたいんだよね。おとぎ話なんかよりずっと、ハートフルだし、本当にあった話なんだよ。ってすごく夢がある。

特に奥さんとの出会いとか、大切にしていきたいなぁ。なーんて、いつまで経ってもロマンチストなんだから、出会いを自らなくしているようで困る。



ニューヨーク、カリビアンクルーズ、キーウェスト、マイアミにと、父と旅するアメリカでの食事は、毎食「ご褒美」みたいなもので、


ぶっちゃけ「食疲れ」してた。
なんでだろ。あんなに美味しいものが食べたかったのに、食べ続けると、どうも嫌気がさしてくる。

結局、僕ら人間っていつまで経っても「無い物ねだり」だ。

都会に住んでれば、田舎がいいと言い、
田舎に住んでれば、都会に住みたいと言う。

中高生のときは、授業とか、先生とか、制服とか、うぜーーなって思ってたのに、
大学生になっていざ、「縛り」がなくなると、
あの頃に戻りたくてしょうがない。


けど戻れないから仕方なく「制服ディズニー」なんて、現役のJKから見たら、とても滑稽なイベントに走る。


...けど、ちょっと羨ましい。笑
強いて言うなら、制服ディズニーをしたことがないこと。これくらいは、しても良かったかな。笑

とにかく大切なことは、
「いまあるもの」に感謝すること。
いつだって、人間は失ってから気付くから。

もし、隣に大切な人がいるなら、
隣にいるうちに大切にすること。大切な人を抱きしめることには1円だって掛からない。プレゼントをたくさんあげることが愛だと思ってる男は、本物の「価値」ってもんに全く気づけてない。

でもまぁ、「愛」ってのは年齢や時代によって変わるものだからね。
若い頃は、「束縛」することが「愛」だと思ってる、「固執」することが「愛」だと勘違いしがちだしね。

「愛」の形は人それぞれ、カップルそれぞれだから、よく考えたり、話したりすべきだと思う。若ければ、若いほどね。

「愛」ってなんだろうね。
って果てしない問いを語り合うのもすごくロマンチックで好きだ。



...美味しいものを食べ過ぎた僕は、
「美味しいもの」の価値を取り戻すために、
サンフランシスコでは”あえて”節約生活をした。

この宿は毎朝、パンケーキを自分でつくって勝手に食べていい。だから、そのパンケーキを朝昼と食べ、夜はヨーロッパで姉を一緒にサポートした三増コーチからもらった味噌汁(通称:みまし汁)だけという、節約を通り越して、ミジメといえばミジメ。

しかし、今はこのミジメで質素すぎる生活が気に入った。

サンフランシスコには、チャイナタウンがある。とゆーか、世界中にチャイナタウンはある。横浜のチャイナタウンは別だが、「旅の知恵」として、基本的にチャイナタウンの食べ物は安い。
ローカルなものなら尚更!

これなんて、4ドルかな?アメリカじゃ考えられないし、このうすしおの感じ!!

うますぎる!!!はぁ、東南アジアを思い出す。帰りたいなぁ、タイやら、マレーシアやら。。


ある種、お金持ちすぎると「価値」を感じることが出来ないので、本当に幸せかどうかは分からない。

だって、簡単に”良いもの”が食べれちゃうじゃない。”良いもの”が買えちゃうじゃない。

例えば、同じ「大トロ」なのに、貧富の差があると、「価値」が大きく変わるんだよ?

滅多に食べれない「大トロ」の方が僕はよっぽど価値があると思うけど、世の中どこを探したって、結局 「答えがない問い」は無限の回転をしているかのようだ。


最後に、サンフランシスコのチャイナタウンで散髪した。今まで、サイドだけ切ってもらって(これなら誰でも出来るから)たんだけど、多分、この旅 最後の散髪だろうな。そう考えると、すごく切なく感じた。

いつだって「終わり」を目指してるはずなのに、いざそれが見えてしまうと、急に終わりたくなってしまう。これも、無い物ねだりなのかもしれない。

僕が泊まっていたボロボロのゲストハウスは、
4人部屋で二段ベッドがふたつ。昨日までとは大違いの生活に再び「若者で出来る旅」を感じた。

そんな同じ部屋で、台湾人の友達が出来た。
エミリーとティンティンだ。彼女たちは、味噌汁しか口にしない僕が相当貧しい旅人だと思い、初対面でラーメンをくれた。

すっごい嬉しかった。
自らこんな生活をしてるのに、心が満たされた。たったひとつのインスタントラーメンで。

これが「価値」っていうやつだ。
毎日、ステーキ食ってみ。こんなことで感動なんてしない。

この辺りは言葉にするのが難しい。
かなり「感情」に近いし、「人間」に近い。

旅に出たら分かるよ。本当に。

彼女たちとは、レンタルサイクルで、1日サンフランシスコを探索してきた。


坂だらけのサンフランシスコは、
北海道の小樽みたい。笑

この旅で、台湾人と話したことなかったから、ここに来てすごい嬉しかったなぁ。

「〜人」とか「〜国籍」とかってゆーカテゴリーを別に気にしないけど、友達がその国にいるだけで、その国の見方が変わってくるから、ちゃんと文化とか教えてもらってる。

大学4年生まで海外のこと何も知らなかったし、去年まで英語も喋れなかったけど、本当に旅に出て良かったなぁ〜

「人生」を大きく変えた決断だった。

旅での出会いは「偶然」のように思えて「必然」で、

将来 僕がお金持ちになったり、体を壊したりして、今みたいな”バックパッカー”の旅のスタイルが出来なくなってしまったら、

出会う人から、食べるもの、感じることまで、
まるっきり違っていて、

そう考えると「旅」は、「今の自分」を写してくれる”映し鏡”のように思える。

”映し鏡”...つまり、自分自身を見つめなおせる。

だから旅は「自分探し」が出来る。

自分は何者で、なにが出来て、どこへ向かうのか。

別に「海外」にこだわる必要なんてない。

”感じれる奴”ならどこでも。

人の口から学ぶことなんかより、自分で感じたことで人は成長していく。

若いうちの「旅」って本当にいい。


サンフランシスコでの「出会い」といえば、もう1人。同じパンケーキのホステルにいた日本人のユータイさん。

世界一周じゃないけど、ひとり旅の最中で
チェックアウトの日が同じで、僕は夜遅くの飛行機、ユータイさんは今夜 アメリカを北上していこうかな〜みたいなスタイルだった。

チェックアウトが10時だとして、ロビーのソファーで8時間以上話した。

なんだか分からないけど、本当に楽しかった。

やっぱり、この旅に出て 今まで自分が出会わなかった人たちと話して、「こんな生き方もありなんだ」って思えるのは、本当に良いし、選択肢出し、これを知るのは若ければ若いほどいいと思う。


俺ら若者に足りないのは、圧倒的に「大人」と話すこと。

いつまで経っても自分の居心地の良い場所にいるから、自分が年寄りだと錯覚して、「だって、もう22だよ?」なんて年齢を言い訳を武器に、出来ない理由ばっか探してしまう。

32.42.52歳の自分から見たら、何百倍も”可能性”を持ってるのに。

そんで、周りの奴らとばっかつるんでるから、
生き方がほとんどワンパターンになってしまう。

俺はこの旅を通して、たくさんの大人と出会って、たくさんの「生き方」を見てきたよ。


「こんな生き方もアリなんだ。」って出会うたびに驚きの連続で、自分の人生が更に自由な発想になってきた。

幼稚園児の将来の夢が「警察官」「ケーキ屋さん」「サッカー選手」と数パターンしかないのは、「生き方」を知らないから。

「ITベンチャーのCEO」とは誰も言わないでしょ?笑

俺ら若者は、もっともっとたくさんの、なるだけ自分と違う人たち会う必要がある。

「生き方」を知る必要がある。「人」を知る必要がある。

それが、「生き方の選択肢のひとつ」になるからだ。

ユータイさんは、僕のラーメンに卵を落としてくれた。

こんな話をした。

”「男」って、バカでアホで、ダサくて、どうしようもない生き物なんです。

”アホ”だからこそ、ハートフルだったり、ロマンチストだったり、夢見たり、追いかけたり出来るんです。

そんな不器用だけど、まっすぐな生き物が「男」なんです。”

これは、サンフランシスコに着くまでの僕の話だ。はっきり言って、ユータイさんがいなかったら、きっと、精神的におかしくなっていただろう。今回はあまり語らないが、とにかく 一緒に笑い飛ばしてくれたユータイさんには、感謝しかない。

またどこかで会えたらいいなぁ。

基本節約生活で、良いものはあまりたべれなかったけど、それでも「かわいい」ものは食べたい女子力のある体育会系の僕。

これは、サンフランシスコの港(Fishermans Wharf付近)で食べれるクラムチャウダー

サクッサクのパンを割ると、中から熱々のクラムチャウダーが!

NYで食べた本場のマンハッタンクラムチャウダーも美味しかったけど、こっちも超美味しい!
まだまだ肌寒いこの季節にピッタリでした!

しかし、サンフランシスコ。
日中はとても暖かかった。

フルハウスで有名なゴールデンゲートブリッジの下には、ビーチがある。
僕はそのビーチに、”とある理由”で足を運んだ。

シンガポールにある植物園「ガーデンズバイザベイ」にあったカルフォルニア園の匂いとは程遠く、僕が期待していたあの甘い匂いはそこにはなかった。


Dear. San Francisco

写真の撮り方も、
ファッションセンスも、
貯金やバイトの仕方も、
人の心を動かす文章も、
海外への憧れも、
「愛」や「家族」の大切さ、
そして、「誠実さ」も。


今あるものぜんぶ。君から教えてもらった。
「人生」において、大切なものは全部。
シンプルに「どうもありがとう」。


それだけを伝えにここまで来た。
それ以上の何ものでもない。

1月のサンフランシスコに靡く風は少し肌寒く、寄せては返す波の音はいつまでも心の中でこだました。


【追記メモ:1/22更新】
もっと、あぁしとけば良かったなって
「後悔」するのは、いつだって”後”になってから。

後ろを振り返ったって「過去」は変えられない。だけど「未来」は変えられる。

未来の俺が、今の俺に後悔しないように、
「今」出来ることを全部やる。
やって 後悔するはずないさ。



【追記メモ:2/10更新】
これはサンフランシスコにいた時に学んだことなんだけど、何かにつまずいた時に、「まず人生なんて”うまくいかなくて当然”」くらいのスタンスでいていいと思う。

誰も経験したことないんだもん。
難しいことだらけなわけよ。

でもね、そんな人生を”うまくしてやろう”って一歩一歩 前へ”向かおうとする意志/進もうとする力”が大切なんだよね。


例えば「ミュージシャン」になろうとしてる若者がいて、なるのはすごく難しいかもしれない。でも、そこに向かっていこうと、進んでいこうとする”強い意志”。これが「All or Nothing」を生む。

いつだって、新しい時代を切り開くパイオニア達は「1」か「0」の瀬戸際で「1」を掴み取る。これが「All or Nothing」。

「自分で選んだ道は後悔するな」じゃなくて、自分で選んだ道なら、意地でも、なんらかの形で”成功”させなきゃいけない。答えはひとつじゃない。ゴールはひとつじゃない。

「All or Nothing」。勝ち取るために、日々 前進...。

父と息子のアメリカ縦断-ファイナル-〜マイアミで爆発予告!FBI 出動要請〜

実を言うと、僕はずっと結婚願望がなかった。

というのも、父を見てきたからだ。

我が家は、というか我が家系はいい意味でも、悪い意味でも”アーティスト揃い”で、

アスリートがいれば、作曲家もいる。
実業家もいれば、発明家、旅人もいる。

肩書きを外したとしても、
いくつになっても挑戦し続ける人間が周りにたくさんいる。


そんな「自由」と呼べる彼らの中でも、
もっとも子供で、自由で、頭のキレる人間が、
僕の父であった。

物心がつくと、我が家に父の姿はなく、
日本語で言うと「別居」という形であったが、離婚はしていなかった。

だから僕には「家」が2つある。
それは小学生の頃からずっと。
「別荘」と呼ばれるものを含めると、山と海にひとつずつ、つまり家は4つあり、そのうちのひとつはビルまるまるだ。

父はこのビルを、彼の城にし、ガレージには数台の車と、バイクがしまってあり、屋上には趣味のゴルフの打ちっ放しが出来るようにグリーンが弾いてある。

なんとも男が憧れる「男像」だ。
テレビもでかいし、これでシアタールームやビリヤードを待ったら、映画の主人公じゃないか。

なんとも「アイアンマン」の「トニースターク」を思い出させる。


つまり、僕は「愛」を知らずに育った子供であった。「夫婦」っていうのは、ドラマや映画の話だけだと信じていた。

父と母とがなぜそのような形なってしまったのか、理由は知らないけど、

今の自分から言わせると、「2人とも子供だったんじゃないかな」って思う。

結婚するのも若く、姉を授かるには、あまりにも経験値不足だったのでは?
と感じる。

子供で、経験値不足で、チャレンジャーで、
そうなるとどうなるか。

「自己中心」になるわけだ。子供ように。

夫婦やカップルというのは、2人で手を取り合って助け合うもの。
それが出来ないから、2人は離れていったのでは?と感じる。

確かに僕は、幼稚園児の頃から、
綺麗な服を着て、お塾に通っていたし、
小学校受験をし、いい私立の学校に入れてもらい、礼儀とかマナーとか、一教養なんかも分かってる。


母と父は仲が悪くとも、
両親は僕のことが好きだし、今となっては、父と親子旅も、母と2人で韓国やハワイなんかも行ったりする。

「育ち」はいいかもしれない。

けど、「家庭環境」は良いとは言い難かった。


そんな父を見ていて、思春期のとき、あれは確か中学1.2年の頃?自然と「誰かと結婚して、その人を幸せに出来ないなら、結婚なんてしなくていーや。」なんて思った。


それから大学2年生まで、結婚願望はなかった。
「手を繋ぐ程度」の付き合いを中高としてきたが、大恋愛には発展せず、3ヶ月程度で別れというおきまりのパターン。
自分の中には「愛」がなかったからだ。

そう。大学1年生のときに、出会った彼女を除いては。


....豪華客船からマイアミに戻り、僕と父はレンタカーを借り、アメリカ”最南端”のキーウェストを目指した。

ここは「セブンマイルブリッジ」と呼ばれ、両サイドは海に囲まれた1本の橋をひたすらまっすぐ向かう。

実はこのマイアミからキーウェストまでの旅。
30年以上前、生まれたばかりの姉を連れ、父と母が車で旅をした道。

幼い頃から、僕はこの話を何度も聞かされて、
ずっと”想像”でしかなかった場所だ。

説明した通り、僕の両親には「愛」はなかったが、聞くところによると、当時は大恋愛していたそうだ。

祖母の差し金で、オハイオに留学していた母に、父は手紙で文通をしていたそう。メールもなかった時代だ。返事に何週間とかかろうが、お互い遠距離を”乗り越え”ようとしていた。


なんともロマンチックだ。
思うに、「愛」とは「乗り越える力」だと思う。
2人の違う人間がひと組のカップルになるってことは、ぶち当たる壁は2倍、いやそれ以上かもしれない。
「壁」っていうのは、お互いのこともそうだし、周囲で起こることだってそう。

遠距離恋愛”や、”言語の壁”もそうだし、”我が子の教育”もそう。
”相手の嫌なところ”をひっくるめても「好き」というのも「愛の力」だし、乗り越える力だ。


神様は、何度も何度も、
「愛の力」を試してくる。そこで乗り越えれれば、「愛」は深まるし、乗り越えられなければ、2人の関係性は終わり「ゼロ」になる。
だから「恋愛」というのは、いくつになったって難しい。

僕の両親には「乗り越えられる力」がなかっただけで、昔はあったようだ。


セブンマイルブリッジで、父とたくさんのことを語った。その中で1番印象的だったのは、

「結局、男は”自分のため”だけに生きるのには限界があり、

それが良かれと思っても、最終的には”自分を必要としてくれる誰か”が必要。」


だということ。
父は長年1人で暮らしていたが、愛犬がいた。
名前は「りゅう」我が家の人気者で、僕も大好きだった。

しかしりゅうは、3年前亡くなった。
人間では80歳だった。

りゅうがいなくなってから、お父さんは少し元気がなくなった。仕事をしていても、ゴルフをしていても、涙が流れたと言っていた。

それから1人でバイクで旅に出たり、僕と沖縄に行ったりと、たくさんインプットして、ようやく気持ちを切り替えたみたいだ。


普段 元気で自由人で、バイタリティーのある人は、なかなか”弱い部分”をさらけ出せない。
しかし”さらけ出せるパートナー”を見つけれると、とことんダメな部分を出すことが出来る。

きっと、りゅうは彼にとって最高の相棒で、
父を心から必要としてくれたのだろう。

僕もそんなパートナーがいたから、父の気持ちがなんとなく分かる。

それから3年。僕が旅をしているこの年に、父は再び犬を飼った。
それもクリスマスに、誰にも相談せずに。笑

この辺が相変わらず自由人で、アメリカに来るまで名前もなかった。
JFKの空港からタイムズスクエアまでの地下鉄で名前はイタリア語で小さいを意味する「ティノ」に、愛称は「チッタ」で、みんなは「チッタ」と呼んでいるそう。


そうなのだ。帰国したら、またひとり家族が増えていて、この辺りも日本に帰る楽しみのひとつだ。

とにかく父は、
自分を必要としてくれる”誰か”が必要だった。

と 考えると、僕はそんな家族を待ちたいし、男なら大黒柱として、ドンっと構えていたい。


たしかに、ジャックスパロウのような「自由気ままに生きるがままに」なスタイルも憧れる。

自分のことだけしてればいいのなら、
結婚などせずに、入ってきた給料を全て自分のために使えばいい。


けど、面白いことに、
同い年の男を見ていても、「結婚しているか」「していないか」で全然違う。
どう考えても、結婚している男性の方が大人なのだ。

やはり「人のために自己犠牲を惜しまない」ってのは、最高に良い人間をつくるスパイスだと思うし、

自分の趣味のためにお金をつぎ込みまくる男性よりも、

子供や奥さんのために汗水垂らして仕事をする。最終的には後者の方が僕は「美学」を感じるし、必要とされ、生きる気力に繋がる。

父が言った通り、「ひとりで生きていくには限界がある」というのも理解できる。

しかし、男には「経験値」が必要で、
ときに孤独を生きねばならない。経験値を蓄えて、大人にならないと、結局 「自己中心」になって家族がバラバラになるか、男が淡々と我慢をして時間を浪費しなければならない。


いつまで経っても、明確な「ライフスタイル」なんて分からないし、

「男の人生」って大変だ。


そりゃ、女性だって大変なこともたくさんあるだろう。僕はこの父との親子旅を終え、この後 サンフランシスコに向かい「フェミニスト」を辞めるけど、やっぱり男の人生は大変だと思う。

言っちゃえば、「男の人生」はギャンブルのようなところもある。

それは、「カジノ」という意味でもなく、ギャンブル。カジノは明確にお金の上がり下がりで「勝ち」か「負け」かって話だが、

「ギャンブル」は「負け」ても、それさえ「糧」に出来る奴は出来るし、最後に笑ったやつ勝ちだ。

セブンマイルブリッジを抜け、キーウェストに着いた僕たち。

ここは有名な「ヘミングウェイ」の家。
どんな偉人だって、当たり前のように家族や地元や友達や好きな料理があると考えると、僕ら人間となんら変わらない。

人はある一定の成果をあげると、
謎のフィルターが掛かる。「あの人だからでしょ?」「この人だからね」って。

でも俺はそんなことないと、思っていて、
スティーブ・ジョブズだって、
マックザッカーバーグだって、
生まれた時はみんな裸なんだよね。

だから、やるかやらないか。
「あの人だからね」で終わらしちゃいけないわけ。


アメリカ”最南端”サウスポイント。
ここから80マイルで「キューバ」がある。
キューバはこの旅で行けなそうにないけど、いつか行ってみたいな。

キーウェストは1泊2日して、マイアミに戻った。個人的にはすごく良い雰囲気でアメリカの中では1番好き。(この後 何度もこのセリフを言う)

帰りのセブンマイルブリッジで見つけた野生のイグアナ。
フロリダはたくさんの野生の動物がいて、ドライブしてても左右は湿地帯で、野生のワニとかいるの!
南下したいくと、看板は人魚のものが多くて、この辺りは「人魚伝説」があるみたい。

というのも、野生のマナフィが生息してるから!海への下水管とかにマナフィが詰まっちゃったりするみたい。

マナフィとダイビングしたかったな。
また俺もお父さんみたいに、キーウェストまでの道を息子とドライブしたいから、そのときに取っておこう。

そういう「時空」を超えた友情に憧れるのは、バックトゥザ・フューチャーファンだからかな??


マイアミは何度も寄ったけど、観光が出来なかったからすごく良かった。

この大人っぽい雰囲気。
ピンク、イエロー、パープル、グリーンの
ネオンが似合うこの街。どこかいやらしく、
セクシーで。ビーチと、カクテルと、高級車と、フラミンゴがよく似合うこの街。

前も話したけど、旅を通して
僕は物欲がなくなったから、何も買わなかったけど、たくさんの高級ブティックが並んでた。

いま僕にあるのは、食欲!
とゆーことで、美味しい石蟹を食べに行った。
めちゃくちゃ美味かった。ドレスコードもある店でガンガン手づかみで食べる旅人。

ますます少年漫画だ。笑

マイアミ滞在中にホテルのすぐ隣の一角が黄色いテープで進入禁止になった。

FBIのどでかいバンも数台現れ、マイアミは一時 騒然に。本物のFBI初めて見たな。本当にGTAの世界...。

アメリカの報道局も訪れ、人がごった返していた。どうやら「爆発予告」があったそうだ。

実はニューヨーク滞在時、地下鉄の事故があった。

んでもって、マイアミ空港に訪れた際は、
同じ日に発砲事件があった。

そして、ここで爆発予告ときた。

ずっと間一髪で巻き込まれてこなかった。


間一髪で自分が巻き込まれていない状況を
よく読むとさ、

「やっぱり人間っていつ死ぬか分からない」んだよね。

プーケット滞在時、テロがあったことも、
コロンビアで同い年のバックパッカーが亡くなった時も、
マザーハウスで目の前でおじいちゃんが亡くなった時も、
もちろん日本で友人が亡くなってしまった時も。

だから、「今」生きてる俺らは、ちゃんと生きなきゃいけない。向き合わなきゃいけない。

大事なことは、正面から「向き合う」ということなんだよね。

自分とも。あの人とも。

マイアミを後にして、僕らはニューヨークに。
最終日は一緒にナイトミュージアム2のロケ地でもある「アメリカ自然博物館」に。


お父さんと博物館に行くなんて、6歳ぶりだな。

あっという間の10日間。父と息子の親子旅だった。
本当にこの親子旅は自分にとって意味のある旅で、

「お父さんさ 23歳に戻ったら、何したい?」なんて質問は、未来の俺が、今の自分にアドバイスしてるような気がして、本当にタメになるし、
やっぱり「行動」は周りがウンザリするほどしていいと思う。

それは、未来でパートナーが出来た時に、
「経験不足」だと、それから「行動」しようとしちゃうから。ってなると、周りに迷惑かけちゃうからね。

誰かを反面教師にするのは、自分を成長させる上でいい手段なのかも。

最後に父は、こんな本を僕に渡した。
「男の器量」。

初めてだ。本を一気読み(一度も止めずに読むこと)をしたのは。
本当に良い旅だったな。さらば父ちゃん。
息子は再び旅に出る。

中南米バハマ!本当の意味での「自由」とは〜父と旅するカリビアンクルーズ・親子旅Ⅳ〜

リビアンクルーズでの生活は、あっという間に過ぎ去っていった。

この船は日中は島に行き、夕方には帰ってくる。もちろん船内には日本語が通じるスタッフも、日本語の説明も何もない。

第二言語が話せない者が乗客していて、
この船が仮に氷河にぶつかれば、たちまちオジャンである。

ということを理解すると、
第二言語」というのは、「泳げる」だとか、「ものをたくさん食べれる」だとか、「体力がある」だとかっていう アビリティーにすぎない。
たまに、英語が喋れるから私は偉い。

と思ってる人がいるが、まぁたしかに、喋れないよりはいい。でも、ただそれだけだ。と僕は思う。

とゆーことで、話は、
26カ国目 中南米バハマ
再び夏がやってきた。ニューヨークは冬だったのに、少し南下するだけでこの気候!

まったく、今年は”春夏秋冬”という常識が通じない面白い1年だ。


バハマはね。本当に良い。
とゆーか、みんなバハマがどこにあるか分かる?

え?分からない??

そんなバハマ!それっ、ここ!バハマ!!

キューバ右上!マイアミの右下!
ちょー小さい国!それがバハマ!!

初日は、バハマのナッソーという港を探索。

ここナッソーは、パイレーツオブカリビアンでジャックが伝説を残している場所!
無人島に到着したエリザベスの口から
「ナッソーの港では...」って言ってるんだよね!

そう。実は僕、めちゃくちゃジョニデファン。
特にパイレーツオブカリビアンは、お父さんと小学生の頃に一緒に見てから大ファンなんです。

でもって、中学まで憧れていた男。
「ジャックスパロウ」

大学に入って、彼女が出来てからは、
純愛なウィルターナー(オーランドブルーム)派になったけど、ここ最近は再び、ジャックスパロウの生き方に憧れている。

彼のような「自由」を愛する孤独の海賊に。

男子諸君。
「こだわり」は捨てるべきだ。



男にとって必要なのは、「こだわり」じゃなくて「美学」や「自分がなりたい姿」。

周りに流されず、自分が「正しい」と思うことをした方がいい。

彼女を愛することが”正しい”と思えば、そうすればいいし、友情を育むことが”正しい”と思えばすればいい。

ただ、何が正しくて、何がそうじゃないか。

レビューや口コミに流されてしまうこの世の中だ。

自分とちゃんと向き合って、周囲に流されず、自分で、「自分の人生」としっかり向き合って、決断してほしい。

自分がやってることが「正しい」と思えない男に”いい人生”はやってこない。

うちの父親がこれだけ自由人なのに、
「ギャンブル」だけはしないところに「美学」を感じる。

父曰く。
「ギャンブルなんて、ぼけぇ〜っと座って、
”神頼み”じゃん。だったら、その時間使って 株や経済のことを勉強した方が、自分のためにもなるし、お金も増える。」

ほほう。これは一理ある。
さすがというべきか、やはりこの辺りは尊敬する。それも、やってみた上でこの決断をしている。というところが尚 良い。

もう一度言うが、

自分がやってることが「正しい」と思えない男に”いい人生”はやってこない。

これは、男旅を終えた僕から言わせていただく、「男の人生」についてのキーポイントだ。

最近、ニッポン男児がなんだかダラしなくて仕方がない。笑
だから、ブログが説教くさくなるから嫌だけど、もし君らの隣に「大切にしなきゃいけない誰か」がいるなら、精一杯大切にしてほしい。

男ってゆー生き物は、失ってから、
その本当の価値を感じるんだ。馬鹿でアホで、
んでもって、”いいやつ”。それが男なんだ。

バハマは、赤道直下にとにかく近くて、めちゃ暑い。
どこからともなく聴こえるレゲエとカラフルな町並みで、すっごい明るい!!

中南米のこの感じ、ものすごく好きだ。


いくら豪華客船といえどwifiがないので、
まずはスターバックスへ。笑

バハマのスタバはどこか薄い。

そして青い。これ、本当に正式なスタバなのか?って思う。笑

イスラエルからパレスチナを旅したときも、「スターアンドバックスコーヒー」っていうゴリゴリのパチモン屋があったの思い出した。

日本人の僕らが思ってるほど、世界はしっかり出来ていない。違法コピー版の映画はたくさん売られてるし、偽物のブランド物の露店だってたくさんだ。

「日本」って国はすごいよ。本当に良く出来てる。それは良い意味でも、悪い意味でもね。
ここに「未完成の美」があるのかどうかは別として。東京はほぼ完成してしまってるからなー!


ナッソーでは、初めてジェットスキーに挑戦!こちらでは、やっぱり値段交渉からスタート。金持ちの日本人だと思われてたけど、最初の言い値の3分の1まで値切ることに成功!

こっちの人の英語って、本当に訛りがひどくて分からない!キューバの方の訛りらしい!

もちろんジェットスキーをしたがったのは父!

若い頃を思い出してやっていた。
時速40kmとか出すと、このまま転んだら吹っ飛ばされるんじゃないかって不安になるが、爽快だ。

アルペンスキーもやっていたこともあり、やっぱり風をきって、スピードを出すこの感じ。たまんなく好きだ。

スキーを離れると、なかなかそのくらいのスリルを味わうことが少ないから、最近 困ってる。


さっき、父親は”若い頃”を思い出してと話したけど、今だって 小学生の頃の話を思い出して飲む酒は美味いのに、それがもっと歳取れば、
「あの時はあぁだったな」って、気持ちいいんだろうな。


僕は、「小学校の頃こんな遊びしたのな」とか
「あの時 怒られて大変だったよな!」とかっていう懐かしい話をするのが好きなので、
やっぱり今のうちに”将来 懐かしい話”が出来るように、アクションを起こして間違いないと思う。

そういう「行動」の繰り返しが、良い人生に繋がってくんじゃないかなって思う。


あ、そうそうナッソーの街には こんな物も。
そう。フリーメイソンのグランドロッヂ!

このロゴ見付けたときは、鳥肌たったな〜!
久々にブログで語るけど、ここのロッヂはインターネットどこを探したって書いてないから本当に価値があると思う。

もうボロボロのロッヂだったし、バハマはイギリスの植民地だったし、この価値はすごいもんだよ。

「価値」ってなんだろうって考えたときに、
=”人が求める数”なんだなって思う。

だから、星野源のライブのチケットは即日完売なわけで、「人が求めてる」わけなんだよね。

あまり都市伝説を口外しなくなったのは、
「自分だけの秘密や見解」を取っておきたいから!価値があるから、逆にここだけはあまり人に語らない方がいいなって思って、あまりブログに書かなくなった。

だって、面白いじゃない”世界の秘密”って。
みんなにもこの秘密を探ってほしいなー!自分の目や足で。

と、街を歩いてると、
クリスマスを一緒に過ごした”旅ギャル”のメグちゃんと、ようこちゃんにバッタリ再会!

やっぱり旅に再会は付き物で、こうやってまたどこかで会えるから、「さよなら」だって寂しくない気がする。


ナッソーの港を離れ、翌日はココケイ島へ。


去年の”沖縄”親子旅に続き、

フィリピン・ボホール島。

そして、バハマ・ココケイ島。

親子旅・島シリーズ第3弾 ‼︎
「島ばっか行っちょるワシらは千鳥か?(大吾風)」

親子で船旅なんて、聞くと沖縄に住んでるニュージーランド人の”ニック”を思い出すな〜!

ニックは最終的にお父さんと喧嘩して、日本に置いてかれたけど、俺はバハマに置いてかれないようにしよー!

この写真 若さしかない。笑

彼がお父さんと世界を船で旅して、
最終地点の日本で喧嘩して置いてかれちゃったニュージーランド人のニックと、その奥さんのアスカさん。

沖縄の美ら海の近くで、ゲストハウスをしていて1人で来た俺とバーベキューとかしてくれたんだよねぇ。彼らの出会いもすごくこの旅と関係あると思う。

やっぱり、世の中には色んな人がいて、
色んな人生があるってことを知るためにも、
人とのコミュケーションは本当に大切だと思う。

ココケイは、ここぞ「アイランド」という言葉がよく似合う美しい島だ。めちゃくちゃ綺麗。
今まで、ハワイを世界1綺麗な海だと思ってたけど、カリブ海の海ってヤバい。

バハマのコイン。
イルカやヒトデととても可愛い柄。

ツアーのパッケージになってるから、この島はどこにいても 美味しいビールやカクテル、ご飯が楽しめる。

もう昼から父と呑んだくれて、ずっと海を眺めてた。

本当の贅沢って「何もしないこと」なのかもしれない。

ボケェっと永遠に続く海を眺めながら。

人には、間違いなく「スイッチ」が必要で、
ずっと頭のキレてる人間なんていない。

うちの父親然り、やっぱり憧れる大人っていろんな顔を持ってる人が多い。

「子供の心」と「大人の心」きっと、このバランスが大切なんだろうな。

ナッソーにもあったけど、こっちの”ストローマーケット”って呼ばれる小さい小物がたくさん売ってるマーケットは面白い!

中南米のお土産はメキシコのように、カラフルですごく可愛い。
マーケットひとつでも、世界には色んなマーケットがあってモロッコのメディナとか、フィリピンのカルボンマーケットとか、

ひとつのことを絞って、その国ごとの比較が出来たりするから(物価とか雰囲気とか)
世界一周ってすごく面白いと思う。

さて、ココケイでゴロゴロして、再び豪華客船へと戻る。


お父さんと合流したことで、今までの旅が180度変わっちゃうような変な感じ。

ある種、父親の役目のひとつとして、
「こういう”世界”もある」って子供に伝えるのも仕事なのかもしれない。

父曰く。
「無知は幸せ」だ。
しかし、「無知は罪」だ。

自分が知らない世界があるのは悲しいことだし、経験値ってのは、本当に男の価値に直結する。

やっぱり人と話したりする上で、
「それを知ってるか」「知らないか」で全然違うそう。さすが、元営業マンなだけある。

俺の周りには、すごい人がいっぱいいる。
でもいつも「スゴイ」で終わるんじゃなくて、
「俺だってやってやる!」ってどこかで気合い入れてる。

いつだって95%の”スゲェ”と5%の”やってやる”で、男は成長していく。

俺が父ちゃんの歳になった時、子供に今以上のものを見せてやれてるかなー!頑張るぞって。

そして、ついに夢のような船旅も終わり。

マイアミの港へ戻ってきました。
黙っていても出てくる豪華な料理に、
ふかふかのベッド、船の上だということを忘れられる環境...。

そんな贅沢な日々で、僕はこんなことを感じました。


”こればっかりは、何でか分かんねぇんだけどさ。

やっぱり、なんでも簡単に手に入っちゃう世界ってつまんないのよ。

頑張って、頑張って、努力して、
やっと手に入れた物と、
なんでか分かんないけど、手に入っちゃった物。

同じ物なのに「幸福度」が違うわけ。感じる物が違うわけ。

だからこそ、自分で働いた金で食べる飯は美味いし、自分で稼いだ金で出来る「旅」は、ひと味もふた味も違う。

別に金持ちになりたいわけじゃない。だけど、ずっと”感じて”いたい。だから俺は努力する。し続ける。”

本当にこれなんだよね。
自分で一生懸命 働いて貯めたお金で買うものと、
急にポーーンって親からもらったお金でポーーーーンって買う同じもの。

「結果」は同じなのに、なんでかな。
前者の方が、すごく意味を感じるんだ。

ここに「人間らしさ」があるのかもしれないね。

それに父ちゃんは気付いていて、
だからこそ、自分のお金で旅をさせたのかな。

僕は”人間らしく”生きていきたいから、
やっぱり「自由」を心から感じ続けたいから、
努力し続けなきゃいけない。

本当の「自由」は「不自由」の中に存在するのかもしれないね。

男旅はついにファイナル。
マイアミから”アメリカ最南端”キーウェストを目指します。

「金」はいるけど、重要じゃない!〜父と旅するカリビアンクルーズ・親子旅III〜

カリブ海をさ〜船で旅したら、
パイレーツオブカリビアン”みたいで
かっこよくない?」

そんな一言から、ニューヨークを後にした僕と父はマイアミから、中南米バハマを目指すことに。

「目指すことに」という言い方はまるで
”旅”のようだが、そんな良いもんじゃない。

これは「観光」だ。いや完全な「休暇」かな?

というのも、マイアミからは
「豪華客船で行く!」というコピーがお似合いの巨大クルーズの中で3泊4日 生活をする。



父が年越しのニューヨークから、
マイアミ→バハマに行きたいという話は
年末、姉とヨーロッパを駆け巡っていたときに始まった。

いくら以内で、どこに行きたくて、何日滞在できて、何がしたいか(箇条書き)

この4項目を僕に送れば、
どこの旅行会社よりも安く、おもしろく、四六時中 英語が喋れ、荷物が運べてるガイド付き。

フィリピンで味をしめたのか、今回の要求は少し難易度が高かったが、なんとかクリア。

とにかくヨーロッパに居た頃は、姉のサポート、クラウドファンディングの内容、ライターの記事に、同時にツアー会社のようなことをしてたから本当に大変だった。笑

でもこのめまぐるしく忙しい感じがあるから、
”夕日を眺めること”の幸せを感じれる僕はやっぱり東京出身なのだろう。

同時にいろんなことをマメにする。
これは世界一周の資金を貯めてた頃、部活に、バイトに、インターンに、ゼミに、恋愛にと、あの頃を思い出す。

「同時進行で色んなことに手を出す」
うちの家系はきっと得意なんだろうな。
そーゆーこと。

とにかく「世界1安上がりのツアーガイド」を持った父は今とにかく楽しそうだ。笑

僕も美味しいご飯と、ふかふかのベッドで寝るからWinwinなのだが。この旅人ツールを生かして、僕も旅が出来るシステムを作り上げたいな。身内だけだけど!

今は逆に「お姉ちゃんタイバックパッカーデビュー」を交渉しているところだ。笑


「旅」から学ぶものは本当に多い。

それは決して、誰からも教えてもらえることではない。しかし、感じられる奴は感じられる。
人生において、本当に大切なことは、
「自分で感じること」だ。

いくら僕が、こういう風に文章にして、
誰かに伝えたって、感じることには到底敵わない。

さて話は船の上に。

うわー!でけぇー!!
セキュリティチェックも厳重で、お客さんの層もどいつもこいつも金持ちそうな人ばかり。

バックパックを背負ってるのは僕だけだった。

最後に船に乗ったのは...
あれだ。ヨルダンのアカバから、エジプトのヌエバまで。シナイ半島付近、海賊がまだいるあたりの海を渡って、国境を越えてきたっけ。

僕が思うに、若いうちは めちゃくちゃな旅をしても良いと思う。もちろん死なない程度に。

やはり印象的なのは、プリンスホテルに泊まるよりも一泊500円のドミトリーだったりする。

でも、歳をとるにつれて やはりこういう”無茶”は出来なくなる。「勢い」がなくなってしまう。
だから、僕の父も直行便がある場所にしか行かないし、目を離すとすぐビジネスクラスだ。

ということを考えると、
今ぼくかこの旅で出会ってきた全ての人々は、
僕にとって 非常にマッチングした人たちだ。

誰もビジネスクラスもいないし、スイートルームもいない。「金銭感覚」という面だけでなく、世界を旅してる。とか、経験主義。とか。

だから旅のスタイルは「今の自分」なんだよ。


出会う人から、食べるもの、感じることまで、
まるっきり違っていて、
そう考えると「旅」は、「今の自分」を写してくれる”映し鏡”のように思えるでしょ。


”映し鏡”...つまり、自分自身を見つめなおせる。
だから旅は「自分探し」が出来る。

自分は何者で、なにが出来て、どこへ向かうのか。

どうりでこれだけ、 自分を客観視することが出来るわけだ。
常に「自分」を見ているのだから。


船の上はとても優雅だった。
好きな時に、好きなだけ、食べ物、飲み物が飲める。もう永久に飲んでたって言い訳で、飲兵衛の父と一緒に本当に飲み続けた。


夜には、船でなくてもほっぺたが落ちるようなステーキに、シーフード、ビュッフェがずらり。

食事の最中に突然 歌い出すコックさんやら、ボーイやら...

これじゃあ、パイレーツオブカリビアンじゃなくて、タイタニックだ。

客層は基本ファミリー。
なんかのお祝いで乗っているようで、金持ちそうな中国人はちらほら見たが、日本人は僕ら親子だけ。

地味に多かったのは、インド人。
でも僕が見たことがないタイプの超金持ちのインド人たち。そんなお客さんがいるからヒンディー語の話せるボーイもよく見かける。

そんなボーイだって、出身はゴアだったり、裕福層なんだろうなって思う。

僕がインドを訪れた時は、
みんなガリガリで、貧困に喘いでいたり、信仰心が強くて。

でも、この船の上で見るインド人は、みんな丸々太っていて、牛のステーキを頬張り、「貧乏な人のことなんて、私たち知らないわ。関係ないもの。」と今にも言いそうなお金持ちファミリーばかりだった。日本の人口の10倍のインド。ファミリーと言っても、人組15人はいたかな。とにかくすごかった。

とにかく、金持ちの子供達は行儀が悪かった。

どうしてこうも、生まれ持ってお金があると、人間性が欠けてしまうのだろう。


アメリカでもそうだ。ネイティヴの友達曰く、
金持ちの子供達は毎月仕送りに何百万ももらえるシステムがあるらしく、みんなドラックに走って 施設の入退院を繰り返してる。


アラビックのオイルマネーの大金持ちもそう。
英語を学びに海外に留学すると、すごいみたい。先生が止めたって、机の上で踊り始めちゃう子とか(理由は踊りたいから)、
ムスリムの宗教上、不純性行為は禁止されてるのに、とにかく外に来ると遊びまくる。

友達が「それ、お前の国じゃやっちゃいけないんじゃないの?」と聞くと、

アラビックは「だからだよ!」と答えたそうだ。

なんとも、「宗教」とは「信仰心」とは他人のためにやっているものなのか、周りがしているからしているのか、価値観なのか、無宗教の僕はなんだかよく分からなくなってきた。

僕が小中通っていた学校も、”親のすねかじり虫”は学年にごろごろいる。

僕もおそらく、世間からそう思われるかもしれない。たしかにウチは裕福じゃないっていけば嘘になる。

高校の頃は、監督にそのことでよく突かれたが、僕が生まれたくて生まれた場所じゃない。たまたま”そういう家庭”に生まれただけで、僕に選ぶ権利はなかった。

ただ自分が、そこら辺のお坊ちゃんと違うところは、おそらく色んな世界を見て、色んな人と関わってきたからだと思う。

小中と箱に閉じ込められていた私立を抜け、ドが付く田舎の公立の高校へ行った経験がデカく。

今までいた環境は、おかしかったことに気付いた。

そしてこうも思った。

「お金を使うこと」は子供でも出来る。でも「作り出すこと」はできない。って発想からビジネスに興味を持ったり、

「バイタリティのない金持ちは、ヤバイ」ってことに気付かされたりしたからだと思う。

だって、なんの努力もせずとも、
勝手に必要なものがなんでも手に入るのだ。
身の回りのことがなんでもスムーズに進むのは、ある種 楽で良いかもしれないが、いつまでも赤ん坊のまんまってことだ。

そう。これも自分がそうだったから知っている。やはり旅は”映し鏡”。自分を見つめ直すとんでもない機会だ。

後は、やはりこの人の影響。
良い意味でも、悪い意味でも、
個人主義」を掲げる父。

「お前の人生だ」って言葉は、優しくも、冷たくも聞こえるだろう。彼はすごく個人主義で、
姉が生まれた時の第一声は、

「親がいなくとも子は育つ」だったそう。

たしかに、俺ら姉弟は一定を境に自立した考えがあるけど(でもやはり、姉よりは甘ちゃんに育てられた僕の方が甘い)

まぁでも、いま自分の発言を多くの人が耳を傾けてくれる1要因に、
「自分の稼いだ金で旅をしている」というものがあると思う。

たしかにフィリピン留学のお金は借りたが、あとはなんとかやりくりしてる。

お金がないからこそ、ライターをしたり、カメラマンをしたり、クラウドファンディングをしたり色々してる。

父はどこまでのことを読んで、息子に旅をさせたのか分からない。自分のお金で生かせる意味とか、発信し続けることで生まれた価値とか。

経営者から見てのアドバイスだったのか、
父親から見てからのアドバイスだったのか、
それは分からないが、色んな偶然が生まれて、今の自分の存在意義がある。

もしかしたら、ただの偶然だったのかも。
でもそう考えると、ある種「手放していた」教育さえも、間違いではないのかもしれない。

自分が親になったら、
「手を加えないこと」「子離れ」さえも教育のひとつだと思い出したい。

「なんでも教えてあげること」「なんでもやってあげること」だけが教育ではないのだろう。

色んな”偶然”が重なって、今の自分が育ったと考えると、ある種「教育」に間違いはないのかもしれない。

話を「教育」から「お金」の話に戻すと、

ドラックに走る2台目にしろ、
とにかく親の金を使いまくってる同世代にしろ、
せっかく「可能性」を持っているなら、
あとは”バイタリティー”。どうにかして、自分で何かを”掴まない”と、俺ら2台目は、一生 オマケ扱いだ。

特に男に生まれたんなら、育ててくれた親を色んな面で超えてこそ、”次世代”だ。

お金は確かにいる。それは間違いない。
だけど「重要」ではない。そこが本質だ。

感謝すべきは俺が越えるべき壁はいつも身内にいる。色んな面で越えるべき壁だ。

さてさて、今回 利用した”カリビアンクルーズ”は本当に「すごい」の一言だ。


ルーフトップには、プールもバーも、ジャクジーも付いていて、夜はこの大きな液晶画面でカクテル片手に映画を堪能。


ジムもあったり、ロッククライミングも出来ちゃうこの船。

イベントも満載で、ダンスパーティーも突然始まる。こういう中でワァーって思って、盛り上げて、楽しめるようになったのも、この旅に出て変わった僕の一部だ。


父曰く。
「楽しみ方を知ってる奴は強い」

いくら頭がキレても、お金を持っていても、仕事がよく出来ても、人生の楽しみ方を知らない奴は寂しい奴だ。

なんとも、元ツッパリの彼らしい名言だ。
でも実は社会統計を見ても、元ヤンや不良、王道ヒーロー(バリバリの高学歴)よりも外道ヒーロー(アウェイなことしてる)人の方が、

社長さんが多いのは、「気合が入ってる」からという理由の他にも「周囲の目を気にしない」だったり、「人と違う道も走れちゃう」ところに理由があるのかも知らない。

父とカクテル片手に船上で語る、
「男の生き方」はとても面白い。

若者が若者に贈る若者の「声」〜父と旅するアメリカ・親子旅Ⅱ〜

今回は、そんな僕の旅を
”経営者”として、任意してくれた父との親子旅 in ニューヨーク。

...気がつくと僕は父が姉を授かった歳になっていた。

23歳。こんな未熟でまだまだ精神面で未熟な若造が、僕と同じひとりの”人間”を育て上げる。大変なことだ。

俺が今、子供を授かったら?
「教育」というのは非常に難しい。
自分の経験が浅いためまだまだ難しいだろう。

なにを教えられるだろうか。

なにも教えられない。それも「納得」をした上での教育なんて不可能だ。

ダメなものは「ダメ」と、僕がなりたくない”常識”でガチガチな大人になってしまいそうだ。

人が物事に対して納得するのは、「知識」からではなく「経験」を通して学んだことだ。

僕はまだまだ経験が浅い。
そして、世界を旅する僕でさえ、経験が浅いのだ。

”どうして良いか分からない”という状況に陥ってしまってもおかしくない。

だから 泣きわめく子供に対して、どうしていいのか分からず困っている若いお母さんの気持ちも、怒って手を出してしまう親の気持ちも分かる。

彼女がいるわけでもなければ、結婚もしていない。ましてや子供がいるわけじゃないのに、この親子旅を通して不思議と「親の気持ち」すら理解できるようになっていく。

1人の人間を育て上げるんだ。「教育」って並大抵のことじゃない。だからこそ、”自分の生い立ち”をよく理解しておくことは、教える立場になったとき非常に意味を持つことだと感じる。

子供という、何も自分じゃ出来ない、
つまりは「可能性の塊」を育て上げるのは難しいが、今だって僕は大して何も出来ないと客観視すると、「可能性」の塊だし、まだまだ未完成で良いと感じる。


清澤 一輝という人間を客観視すると、
ものすごく「子供」に見えると感じる。

コイツ、いつまで遊んでんだ。
はやく大人になれよ...って思ってる人もいるだろう。

そのことをよく考えると、まだまだ「可能性」を感じるからではないだろうか。

自分で、自分の可能性を語るのは、正直こっぱずかしい。でも、それは自分の”可能性”を信じているからだ。アスリートと同じなのだ。

自分を信じれない奴に、明るい明日はやってこねぇよ。

僕は「計画的子供」なだけで、実はものすごく大人側に引っ張られてる。
「子供」と例えたが、ちょっと違がうかも。
「学びながら生きる」...学生の方が言葉的にしっくりくるが、

大人たちは「学生」はまだまだ「子供」だと言う。では、子供のままでいい。

というか、僕が今1番好きな表現は「若者」。

ほら、「若者」って何者でもなくて、
何も出来ないのが若者でしょ?

何も背負ってないのが、若者なんだよね。

お父さんが言ってたよ。
「歳を重ねるにつれて、男はたくさんの物を背負っていく。会社だったり、家族だったり、社会的地位だってそうだ。

...するとな、簡単には動けなくなっていくんだよ。」

僕の判断は間違ってなかった。

ここで海外へ旅立ってなければ、僕の「海外への憧れ」は更に大きくなっていく。

やった後悔はどんどん小さくなるが、
やらなかった後悔はどんどん大きくなる。

僕はそれを知っていた。
今旅立たなければ、いつか近い未来、
家族を持ったり、仕事をしたり、男には背負うものがたくさん増えてくる。

特にこんな性格だから、どんどん背負っていくのだろう。

するとどうだ。ガチガチに固定されちまうだろうな。子供なんて出来たら尚更だ。

その時に、経験不足/実力不足で悲しむのは、子供も、家族も、自分自身もそうだ。

だから、僕の進んでる方角は、
「なりたい自分」への道は、こっちであってる。正しい。

僕はこんな、「男として尊敬はするが、
父親としては尊敬できない」自由人な父を持っているから知っている。

その歳になって、僕の「憧れ」が急に暴走し始めたら、困るのは家族だ。

現に、僕の家族もお父さんに困っている様子を何度も見て来た。笑

彼のかっこよさは、追いかけよう。例えば行動力とか、経験主義とか。
しかし、同時に悪いところは「反面教師」としてしっかり受け入れるのも大切なところだ。

人が成長する方法として、
「反面教師」というのは非常に良い手法だと感じる。

憧れる人は追いかけて、

ダセェ奴は追い越して、

少しずつ大人になってくのが、”短命な若者の人生”なのだろう。

そして、そんな若者は何も背負っていない。

”失うもの”がないのが若者なんだから、
”取り”に行くしかないんだよ。登るしかないんだよね。

0なんだから、1に向かって歩いて行くのが、僕ら若者。

失敗をも、糧にできる僕ら。
過去を振り返っても何もない。
あるのは、「未来」のみ。突き進むのみなんだよね。

今のこうやって、「挫折」を乗り越えて、
ここまで来れてるのは、突き進んでるから。

過去の経験から頭を振り絞って、こうやって歩いてきた。

そんな僕ら「若者」に日本のオトナ達は、
「普通は〜」とか、「一般的には〜」とか、
「常識でしょ」とかって言葉を使ってくる。


じゃあ教えて欲しい。
「ジョウシキ」ってなんだ?

旅を通じても、これだけは理解できなかった。

「常識」なんて、あってないようなもの。

オトナ達は目に見えないフィルターを掛けて、形どって、あってないような「ジョウシキ」という壁をつくる。

「世界一周」が非常識??
このブログを見てたって分かるよね。僕の周りには、そんなことしてる人たくさんいるよ。

もっと視野を広げてごらん。誰かにカテゴリー化される人生なんて、変じゃないかな。

自分という人間は、世界中探したって、自分ひとり。じゃあ、”ジョウシキ”ってなんなんだろう。

これは長くに渡り、僕が探していた議題でもあった。


”常識にとらわれたり、
くだらない一般論を唱えること、
夢を語れないことが「オトナ」っていうなら、
僕は”大人”になんてなりたくない。

子供の頃みたいに、いつまでも
”未完成の美”を掲げていたいし、
決して完成しないけど、ゴールに向かって歩いていきたい。いつまでも夢を追いかけたい。

日々、新しいものに出会って無邪気な顔で、
”子供”のまま、「大人の社会」を歩いていきたい。”


この答えにたどり着いた。
この「Walking on the Earth」の副題は、
「世界を旅して少しずつオトナに」というものだった。

不思議な感覚だが、オトナに近づけば近づくほど、自分とは遠ざかっていく、「アキレスと亀」のような感覚であった。

でもそれでいいと思う。
きっと、”オトナ”ってのは、子供の頃にしか出会わない生き物だ。俺は、俺なりの答えを歩いていくよ。

「自分探し」

それはこの旅のテーマのひとつでもあった。

自分が”何者”で、何が出来て、どこへ向かって行くのか。

”探していた”はずなんだけど、
最終的にたどり着いた答えは、
まだ「見つけなくていい」っていうこと。(これはオトナの話も含めてだ)

”探し続ける”...つまりは、チャレンジし続けるってことだ。

「自分が何のために生まれてきたのか。」

これを知るために、新しい世界に飛び込み続ける。答えを出すためにもがき続ける。

見失って結構。探し続けて結構。

見つけちゃったら、そこに定着しちゃいそうだもんな。だから、”まだ”見つけなくていい。これが、「自分探し」の答え。

若者よ。探し続けろ。もがき続けろ。
「悩む」ということは、自分の人生としっかり対話しているということだ。

この自分に言い聞かせた言葉から、ガチッと「計画的子供論」が生まれた。

まぁでも、モテない。
子供はモテやしない。かっこよくない。ダサい。J-POPみたいな歌詞を言い続ける奴は、この現代社会において”おかしな奴”だ。

クールに、シンプルに、
言い方を変えれば、流され続ければかっこよいとされる時代だ。松岡修造の言葉はほぼネタとして扱われ、武井壮くらい熱い男にもアンチが付いてしまう。

でもいい。彼らの方がよっぽど「人間らしい」。

僕らはロボットじゃない。機械じゃない。
ハートの暖かい人間だから。
そういうことを忘れちゃいけない。

僕は女性を尊敬してるけど、いまの彼女たちは
忘れがちだ。「物」や「形」にこだわるから。
経験値よりも、ブランド物もバッグの方が何百倍も価値があると思いがちだ。

SNSが普及して、今や”彼氏”さえも自分のブランドのひとつとなっている。

このまま行けば、自慢が自慢を呼び、
リア充と非リア充の差が更に広がることになるが、どちらがリア充かを決めるのは、自分自身で良いと思う。

そこには果てしない「価値観」が存在するからだ。

一方、男の方が実はアホだけど、ロマンチストだ。自分のやりたいことに貪欲だったり、飛び出すことを恐れない。もともとダサいからこそ、その武器を使って、心の暖かい人間になっていくのだろう。

そうそう、ブランド物のバッグで思い出したが、ニューヨークには「5番街」と呼ばれる東京の「銀座」のような高級ブティック街が存在する。

その道を父と歩いていて唐突にこう言った。
「なにか欲しいものがあったら言ってくれ」

おぉ、久々の息子との再会に
お父さんの財布がゆるゆるになっている。

実は、この世界一周の旅で父と合流したのは2度目。1回目は、フィリピン留学を終え、2人でボホール島に行った。

あの時は、語学学校を卒業したてで、あまり英会話らしい英会話を父に見せることが出来なかったが、今回は違う。

あれから5ヶ月。言い回し方や妙なニュアンス、だいぶ分かってきたからだ。
少しずつ披露していって僕の成長ぶりに、おそらく父は気持ちが良かったのだろう。

しかし、一緒に5番街を歩いて気付いた。

自分の物欲の感覚が変わっているということに。
物を買うことに対して、基本的に
「すぐに捨てることが出来るか」と問いかけるのだ。

今から、新しい物を”買う”のに、
”捨てる”ことを考える。とても矛盾しているように思える。

どういうことか。
僕の資本は「健康な身体/経験値」だ。
もし銃を突き付けられ、強盗にあったとして、
荷物を全部 ためらいなく渡すことが出来るか。

津波が来て、車に閉じ込められて、
付けている腕時計で、時計もろども窓を叩き割って脱出する判断がパッと浮かぶか。

きっと200万のロレックスでは、思いつかなそうだな。
50万のモンクレールのウェアーは取られたら嫌だな。

自分がそれらを、誰かにくれてやれる男(年収的にも、器的にも)になるまで、
付けられている”物”と、付けてる”人”どちらが主役か分からなくなってしまう。

でも、物に固執する人間が多いから、僕から言わせてみれば「その人の価値」や「人間性」をまるで高い毛皮や高級のバッグを持って、隠しているようにも思えるが、「実力」なんて物を育てられる人なんて、そういないことに最近気が付いた。

だから、女性は物を持つことが好きなのだろう。もちろん全ての女性というわけではないが、僕が東京にいた頃はよく見かけた。

なぜ分かるか。自分がそうだったからだ。

無理して何ヶ月も貯金をして、高いセーターを買っては、実力のなさを覆い隠し、オトナぶった。これほど滑稽なものはないし、オトナぶってるコドモほど悪臭のついたものはいない。

経験値が低いのに、ガチッと自分の可能性をストップさせてしまうからだ。

なぜ分かるか。僕がそうだったからだ。(2回目)

とにかく、ずっと物に固執していたが、
この旅を通して変わったのは、「物に意味はない」ということ。

ニューヨークに来て自由の女神を見たとしよう。今までの僕なら、絶対 何らかのお土産を買っていた。

しかし、「その物」には大した意味はなく、
価値があるのは、”自由の女神を見た”ということ。本質は後者にある。

きっとこれからも、この本質は見失ってはいけないのだろうな。そして、実用性を考えるんだろうな。

何かの記念で、誰かにプレゼントをあげる。これには「意味」がある。だけど、自分になにか意味のないものは控えるようになるだろうな。

この先 僕は「物」ではなく、「食」や「経験」にお金を掛けることが増えるだろう。


...父曰く。
「『食』もまた『経験』である。」

何が美味しくて、何が不味いか。
自分が何を食べているのか、それがどのくらいの値段で、どのくらいの味なのか。

お店の雰囲気や客層はどんなものなのか。

男として、知っておくことは大きな財産になるそうだ。

僕は大学では、文学部で社会学を学んでいた。
だからこのブログも含め、現代社会の問いがふんだんに使われている。

ちなみに「広告」や「メディア」、「ジャーナリズム」も社会学に近い。
なんとも僕にあった学問を学んだなと心から感じる。

しかし、学生の頃から”いつか起業したい”という小さな野望を持つ僕は、経済学部や商学部の授業にも少しだけもぐり混んでいた(単位も取ってないのに)

「起業論」なんて話はとてもためになる。

若い社長さんが来ては、経営の話をしてくれるフリーの公演はよく足を運んだもんだ。

しかし、ある日気が付いた。

僕の周りに、「社長さん」いるじゃないか。

それからだ。父の話に耳を傾けるようになったのは。彼から学べるものは多い。

僕らはニューヨークを後にし、マイアミへ。

「挫折」から始まった旅〜父と旅するアメリカ・親子ふたり旅1〜

...「そうだな。旅をするなら、学生のうちにだな。」

旅立つことを打ち明けると、父はすんなりこう答えた。

ご存知の通り、この旅に出た理由はたくさんある。大きな「夢」と「憧れ」とさらに大きな「不安」(今では小さくなったけど)をバックパックに詰め、僕は地球を歩いている。

”シンプル”な理由をひとつあげるなら、
「してみたかったから」という欲求ひとことで済むが、僕の場合はまるで”運命”かのように、この旅に向かって、人生が進んでいた。

その「運命」といえるべき ひとつの要因に
「挫折」という理由がある。


あれは忘れもしない、2015年8月31日。

大学4年生の夏。
僕は就職活動に真剣に向き合い、かっちりとした”自分の未来”を思い浮かべていた。

読者の皆さんには、お分かりだと思うが、

僕は「伝える」ことが大好きだ。
中学の頃からブログを書いており、形を変えながらも、今の今まで文章を書き続けている。

はじめは些細なもので、
「中学生の僕がオススメしたい映画」や
ここのゲームセンターが楽しい。
ここでこんな遊びをすると最高。

なんていう、今で言う「まとめ記事」を書いていた。だからこそ、中学生だとしても多くの友人が僕のブログを読んでくれていた。

そんな中から、
「一輝にススメられたから、見てみたよ!」
とか「〜行ったら本当に面白かったよ!」なんてコメントを貰うと、”人の感情を動かした”気になって、楽しくてしょうがなかった。


もともと見向きもしない物だったのに、

僕の言葉によって、感情が変わり、手に取ってしまう。

これって”魔法”みたいだと思った。

「人の感情」を動かす。
スターウォーズでいう”フォース”のようなものだと感じた。ラブレター1枚で、もともと自分のことを見てくれない人が振り向いてくれたとしよう。

これって凄いことだ。

そんなことから、僕の将来の夢は言葉を操る人「コピーライター」であり、もっと言うなら「広告代理店」で働きたく、さらに言うなら「電通」という世界規模の日系企業に就職し、働くのが長年の間の夢であった。

僕には広告代理店に入ったその先に、
日本の若者を「元気付けたい」という目標があった。

今でもそうなのだが、月曜日になると流れる
「はぁ、月曜日か...」
「仕事行きたくない」というつぶやき。
同期が社会に出てるからこそ、日本社会が持つ”闇”をよく見かける。

あれだけ大きな「夢」を描いていたのに、
社会に出た途端 そんな夢を語れなくなる。
語ればバカにされ、気付けば行動できず歳を取っている。

そして、今の若者は未来が不安で不安で仕方がない。

そんな社会を元気付けたい。そう思っていた。

自分の取り柄が”ポジティブ”だったから、この思想を”キャッチコピー”を通して、世間に教えてあげたい。自分色に日本を染めたいと思っていたのだ。

...僕は「内定」を断って、世界一周に旅立った。

と、色んなところで発言しているが、
本当はそんなにかっこいいもんじゃない。

確かに大企業と呼ばれる会社の内定を断ったのは事実だ。

これを発言することによって、「旅」の意味が更に深くなると当時は思っていたからだ。

でも”本当の始まり”は、「挫折」から始まっている。


僕は第一志望であった電通の最終面接で落ちているのだ。


”最終”ということもあり、ひどく落ち込んだ。
自分が長年夢見た世界が目の前で崩れ去り、もしかしたら”世界一周”という考えも、「現実逃避」から始まったのかもしれない。

それが忘れもしない8月31日。

掴みかけていただけあって、地面に膝を付いたのも覚えている。

「夢」を掴む人間と、そうじゃない人間、
どちらが多いか。考え方次第では圧倒的に後者なのかもしれない。

ただ本当に、小学生の頃から海外への憧れはあったし、中学生の頃、ワンピースを初めて読んだ日から「世界一周」「旅」という現実の中の、非現実的な響きを夢みていた。

が、自分とは限りなく遠い話だと、心の奥の箱に閉じ込めていた。

その箱を開いたのが、この「挫折」だったのかもしれない。

もともとこの箱は、見え隠れしていた。
就職活動を通して、かなり深くまで掘り返していた”自己分析”。その時も「海外への憧れ」や「経験主義」ということは理解していた。

20歳の誕生日、古い友人からもらった高橋歩さんの本。
そのときの高橋歩さんの言葉が僕を「世界一周」を現実のものにした。

そして、Tabippoという会社が僕の背中を押してくれた。世の中にはこんなに世界一周をしてる旅人がいる(HPの旅立つ前ブログ参照)

僕の中の非現実という言葉の「非」の部分をつくってるのは自分自身だって気づいた。

僕は経験主義者だ。
「経験」をするには「行動」が必要だ。
誰だって、いつからだって、行動すること/やってみることに”遅い”なんてない。

それは本当だ。

でも、当時の僕の考えは、
「行動」する最大の武器は「若さ」だと信じていた。体力的にも、バイタリティも、未来も、可能性も、僕ら若者は目に見えるもの(金や社会的地位)を持っていないぶん、もっと価値のあるもの(本当に大切なものは目に見えない)を持っている。

でもって、学びながら、生きるとかいて”学生”。「学生」が挑戦するとなぜか応援される。
同じ”起業”だってそうだ。

大人がやるのと、学生起業、
クオリティーが低くても学生起業の方がなぜか注目を集めるし、なぜかすごいと思われる。

学生って、当たり前のように、大人よりも
”無知”で”何も出来なくて”、当然だ。

「何も出来ない」
だからこそ”チャレンジャー”だ。

旅を「挑戦」にしたかった。
挑戦は応援される。

そこに気付いてしまったからこそ、当時の僕は学生を延長した。だけど今となっては、そんなの見栄でしかなくて、自分自身をカテゴリー化してしまっている、現代でよく見かける
「中身が子供なのに、大人ぶってる奴」だ。

周りにどう言われようが、
”信念の旗”ってのは、自分の中の小さな自分、
本当の自分がしっかり持ってればいいんだ。

これは、世界を旅して得た、あの頃と違う価値観だ。

そして、僕は”就職活動”をやめた。
もらっていた内定を全て断った。

そこからはあっという間だった。

世界一周のことを父に打ち明けると、すんなりこう答えた。

...「そうだな。旅をするなら、学生のうちにだな。」

経営者である父は分かっていた。
「若い頃になんでも経験する」という価値を。

彼は高卒で、周囲の人間よりも早く働いて、多くの経験を勝ち取ってきたからだ。

息子の僕が言うのもなんだが、彼には「実力」がある。男の場合、実力不足を「大学卒」でごまかそうと必死に生きるような生き方はかっこ悪い。それに、こういうかっこ悪い男はたくさんいる。

いい加減、学校で教わったことは、実力主義の社会では役に立たないことを気付いた方がいい。

意欲を持たず、何かを掴みに行かないのなら、
大学に払う学費はあまりにも高い出費だと思う。

僕が4年間 励みに励んだスキー部を引退し、
「さぁ!もう1年。学生延長!」と卒業延期届けを提出に行った時、
同じタイミングで剣道部の同期が「退学届」を提出していた。

とても切なくなった。
僕の方は、まだまだ学びたいことが山ほどあって、単位を全部取り終えても尚、卒業延期希望しているのに、
彼は部活動の4年間が終わり、単位を名一杯残し、卒業できず去って行った。今までの学費をなんだと思っているのだろう。もちろん学費だけではない。

「スポーツ推薦」で入学した者には、一旦 考え方を変えて欲しい。スポーツだけしてれば良いのではない。それなら大学でなくても、実業団でも企業でも、スポンサーを探してでもやればいい。

しかし、大学を選んだのなら 必ず卒業すべきだ。やることやって、その上に「スポーツ」がある。スポーツ推薦だけであって、やることはやるべきだ。

少し熱くなってしまった。
とにかく学生は何をすべきか。
「実力」を付けてほしい。実力さえあれば、学歴なんてクソみたいなもんで、実力のないもの程、学歴差別をむき出しの汚い言葉を吐いたりする。

...僕の家系は代々企業家の家系。
いつか僕だって、自分でつくった船で
大海原に繰り出して、それこそ自分がキャプテンで、自分の持ってるコンパスに従って、クルー達を大切にしていきたいと思っている。

そんな夢も語った上で、まず父は僕の旅を認めてくれた。


ずっと輝いてる場所にいるようで、
実は全然そうじゃない。

これは「挫折」から始まってるストーリーでもある。
以前、「僕とスキーの関係性」でも少し触れているが、全ての人類において、

山と谷というのは交互に訪れる。

全ての人間の人生おいて、良いことだけの人生も、悪いことだけの人生もない。

僕の経験上、谷はチャンスだ。
新しいことが起こるのはいつも”谷”。
この”世界一周初日の悲劇”を思い出してもらいたい。

大切なことは、
「谷」から出るコツを知っておくこと。
谷があることで、山を登ることを楽しめる。

方向からの「逃げ」という言い方も、
別方向への「攻め」と言い方もできる。
世の中は賛否両論で、表裏一体だ。



.....これは、僕が歩き出す物語。

「少年」から「大人」にという意味でも。
また、自分が本当の意味で、自分の人生を自分らしく「歩く」という意味でも。


「Walking on the Earth」