「金」はいるけど、重要じゃない!〜父と旅するカリビアンクルーズ・親子旅III〜
「カリブ海をさ〜船で旅したら、
”パイレーツオブカリビアン”みたいで
かっこよくない?」
そんな一言から、ニューヨークを後にした僕と父はマイアミから、中南米バハマを目指すことに。
「目指すことに」という言い方はまるで
”旅”のようだが、そんな良いもんじゃない。
これは「観光」だ。いや完全な「休暇」かな?
というのも、マイアミからは
「豪華客船で行く!」というコピーがお似合いの巨大クルーズの中で3泊4日 生活をする。
父が年越しのニューヨークから、
マイアミ→バハマに行きたいという話は
年末、姉とヨーロッパを駆け巡っていたときに始まった。
いくら以内で、どこに行きたくて、何日滞在できて、何がしたいか(箇条書き)
この4項目を僕に送れば、
どこの旅行会社よりも安く、おもしろく、四六時中 英語が喋れ、荷物が運べてるガイド付き。
フィリピンで味をしめたのか、今回の要求は少し難易度が高かったが、なんとかクリア。
とにかくヨーロッパに居た頃は、姉のサポート、クラウドファンディングの内容、ライターの記事に、同時にツアー会社のようなことをしてたから本当に大変だった。笑
でもこのめまぐるしく忙しい感じがあるから、
”夕日を眺めること”の幸せを感じれる僕はやっぱり東京出身なのだろう。
同時にいろんなことをマメにする。
これは世界一周の資金を貯めてた頃、部活に、バイトに、インターンに、ゼミに、恋愛にと、あの頃を思い出す。
「同時進行で色んなことに手を出す」
うちの家系はきっと得意なんだろうな。
そーゆーこと。
とにかく「世界1安上がりのツアーガイド」を持った父は今とにかく楽しそうだ。笑
僕も美味しいご飯と、ふかふかのベッドで寝るからWinwinなのだが。この旅人ツールを生かして、僕も旅が出来るシステムを作り上げたいな。身内だけだけど!
今は逆に「お姉ちゃんタイバックパッカーデビュー」を交渉しているところだ。笑
「旅」から学ぶものは本当に多い。
それは決して、誰からも教えてもらえることではない。しかし、感じられる奴は感じられる。
人生において、本当に大切なことは、
「自分で感じること」だ。
いくら僕が、こういう風に文章にして、
誰かに伝えたって、感じることには到底敵わない。
さて話は船の上に。
うわー!でけぇー!!
セキュリティチェックも厳重で、お客さんの層もどいつもこいつも金持ちそうな人ばかり。
バックパックを背負ってるのは僕だけだった。
最後に船に乗ったのは...
あれだ。ヨルダンのアカバから、エジプトのヌエバまで。シナイ半島付近、海賊がまだいるあたりの海を渡って、国境を越えてきたっけ。
僕が思うに、若いうちは めちゃくちゃな旅をしても良いと思う。もちろん死なない程度に。
やはり印象的なのは、プリンスホテルに泊まるよりも一泊500円のドミトリーだったりする。
でも、歳をとるにつれて やはりこういう”無茶”は出来なくなる。「勢い」がなくなってしまう。
だから、僕の父も直行便がある場所にしか行かないし、目を離すとすぐビジネスクラスだ。
ということを考えると、
今ぼくかこの旅で出会ってきた全ての人々は、
僕にとって 非常にマッチングした人たちだ。
誰もビジネスクラスもいないし、スイートルームもいない。「金銭感覚」という面だけでなく、世界を旅してる。とか、経験主義。とか。
だから旅のスタイルは「今の自分」なんだよ。
出会う人から、食べるもの、感じることまで、
まるっきり違っていて、
そう考えると「旅」は、「今の自分」を写してくれる”映し鏡”のように思えるでしょ。
”映し鏡”...つまり、自分自身を見つめなおせる。
だから旅は「自分探し」が出来る。
自分は何者で、なにが出来て、どこへ向かうのか。
どうりでこれだけ、 自分を客観視することが出来るわけだ。
常に「自分」を見ているのだから。
船の上はとても優雅だった。
好きな時に、好きなだけ、食べ物、飲み物が飲める。もう永久に飲んでたって言い訳で、飲兵衛の父と一緒に本当に飲み続けた。
夜には、船でなくてもほっぺたが落ちるようなステーキに、シーフード、ビュッフェがずらり。
食事の最中に突然 歌い出すコックさんやら、ボーイやら...
これじゃあ、パイレーツオブカリビアンじゃなくて、タイタニックだ。
客層は基本ファミリー。
なんかのお祝いで乗っているようで、金持ちそうな中国人はちらほら見たが、日本人は僕ら親子だけ。
地味に多かったのは、インド人。
でも僕が見たことがないタイプの超金持ちのインド人たち。そんなお客さんがいるからヒンディー語の話せるボーイもよく見かける。
そんなボーイだって、出身はゴアだったり、裕福層なんだろうなって思う。
僕がインドを訪れた時は、
みんなガリガリで、貧困に喘いでいたり、信仰心が強くて。
でも、この船の上で見るインド人は、みんな丸々太っていて、牛のステーキを頬張り、「貧乏な人のことなんて、私たち知らないわ。関係ないもの。」と今にも言いそうなお金持ちファミリーばかりだった。日本の人口の10倍のインド。ファミリーと言っても、人組15人はいたかな。とにかくすごかった。
とにかく、金持ちの子供達は行儀が悪かった。
どうしてこうも、生まれ持ってお金があると、人間性が欠けてしまうのだろう。
アメリカでもそうだ。ネイティヴの友達曰く、
金持ちの子供達は毎月仕送りに何百万ももらえるシステムがあるらしく、みんなドラックに走って 施設の入退院を繰り返してる。
アラビックのオイルマネーの大金持ちもそう。
英語を学びに海外に留学すると、すごいみたい。先生が止めたって、机の上で踊り始めちゃう子とか(理由は踊りたいから)、
ムスリムの宗教上、不純性行為は禁止されてるのに、とにかく外に来ると遊びまくる。
友達が「それ、お前の国じゃやっちゃいけないんじゃないの?」と聞くと、
アラビックは「だからだよ!」と答えたそうだ。
なんとも、「宗教」とは「信仰心」とは他人のためにやっているものなのか、周りがしているからしているのか、価値観なのか、無宗教の僕はなんだかよく分からなくなってきた。
僕が小中通っていた学校も、”親のすねかじり虫”は学年にごろごろいる。
僕もおそらく、世間からそう思われるかもしれない。たしかにウチは裕福じゃないっていけば嘘になる。
高校の頃は、監督にそのことでよく突かれたが、僕が生まれたくて生まれた場所じゃない。たまたま”そういう家庭”に生まれただけで、僕に選ぶ権利はなかった。
ただ自分が、そこら辺のお坊ちゃんと違うところは、おそらく色んな世界を見て、色んな人と関わってきたからだと思う。
小中と箱に閉じ込められていた私立を抜け、ドが付く田舎の公立の高校へ行った経験がデカく。
今までいた環境は、おかしかったことに気付いた。
そしてこうも思った。
「お金を使うこと」は子供でも出来る。でも「作り出すこと」はできない。って発想からビジネスに興味を持ったり、
「バイタリティのない金持ちは、ヤバイ」ってことに気付かされたりしたからだと思う。
だって、なんの努力もせずとも、
勝手に必要なものがなんでも手に入るのだ。
身の回りのことがなんでもスムーズに進むのは、ある種 楽で良いかもしれないが、いつまでも赤ん坊のまんまってことだ。
そう。これも自分がそうだったから知っている。やはり旅は”映し鏡”。自分を見つめ直すとんでもない機会だ。
後は、やはりこの人の影響。
良い意味でも、悪い意味でも、
「個人主義」を掲げる父。
「お前の人生だ」って言葉は、優しくも、冷たくも聞こえるだろう。彼はすごく個人主義で、
姉が生まれた時の第一声は、
「親がいなくとも子は育つ」だったそう。
たしかに、俺ら姉弟は一定を境に自立した考えがあるけど(でもやはり、姉よりは甘ちゃんに育てられた僕の方が甘い)
まぁでも、いま自分の発言を多くの人が耳を傾けてくれる1要因に、
「自分の稼いだ金で旅をしている」というものがあると思う。
たしかにフィリピン留学のお金は借りたが、あとはなんとかやりくりしてる。
お金がないからこそ、ライターをしたり、カメラマンをしたり、クラウドファンディングをしたり色々してる。
父はどこまでのことを読んで、息子に旅をさせたのか分からない。自分のお金で生かせる意味とか、発信し続けることで生まれた価値とか。
経営者から見てのアドバイスだったのか、
父親から見てからのアドバイスだったのか、
それは分からないが、色んな偶然が生まれて、今の自分の存在意義がある。
もしかしたら、ただの偶然だったのかも。
でもそう考えると、ある種「手放していた」教育さえも、間違いではないのかもしれない。
自分が親になったら、
「手を加えないこと」「子離れ」さえも教育のひとつだと思い出したい。
「なんでも教えてあげること」「なんでもやってあげること」だけが教育ではないのだろう。
色んな”偶然”が重なって、今の自分が育ったと考えると、ある種「教育」に間違いはないのかもしれない。
話を「教育」から「お金」の話に戻すと、
ドラックに走る2台目にしろ、
とにかく親の金を使いまくってる同世代にしろ、
せっかく「可能性」を持っているなら、
あとは”バイタリティー”。どうにかして、自分で何かを”掴まない”と、俺ら2台目は、一生 オマケ扱いだ。
特に男に生まれたんなら、育ててくれた親を色んな面で超えてこそ、”次世代”だ。
お金は確かにいる。それは間違いない。
だけど「重要」ではない。そこが本質だ。
感謝すべきは俺が越えるべき壁はいつも身内にいる。色んな面で越えるべき壁だ。
さてさて、今回 利用した”カリビアンクルーズ”は本当に「すごい」の一言だ。
ルーフトップには、プールもバーも、ジャクジーも付いていて、夜はこの大きな液晶画面でカクテル片手に映画を堪能。
ジムもあったり、ロッククライミングも出来ちゃうこの船。
イベントも満載で、ダンスパーティーも突然始まる。こういう中でワァーって思って、盛り上げて、楽しめるようになったのも、この旅に出て変わった僕の一部だ。
いくら頭がキレても、お金を持っていても、仕事がよく出来ても、人生の楽しみ方を知らない奴は寂しい奴だ。
なんとも、元ツッパリの彼らしい名言だ。
でも実は社会統計を見ても、元ヤンや不良、王道ヒーロー(バリバリの高学歴)よりも外道ヒーロー(アウェイなことしてる)人の方が、
社長さんが多いのは、「気合が入ってる」からという理由の他にも「周囲の目を気にしない」だったり、「人と違う道も走れちゃう」ところに理由があるのかも知らない。
父とカクテル片手に船上で語る、
「男の生き方」はとても面白い。
若者が若者に贈る若者の「声」〜父と旅するアメリカ・親子旅Ⅱ〜
今回は、そんな僕の旅を
”経営者”として、任意してくれた父との親子旅 in ニューヨーク。
...気がつくと僕は父が姉を授かった歳になっていた。
23歳。こんな未熟でまだまだ精神面で未熟な若造が、僕と同じひとりの”人間”を育て上げる。大変なことだ。
俺が今、子供を授かったら?
「教育」というのは非常に難しい。
自分の経験が浅いためまだまだ難しいだろう。
なにを教えられるだろうか。
なにも教えられない。それも「納得」をした上での教育なんて不可能だ。
ダメなものは「ダメ」と、僕がなりたくない”常識”でガチガチな大人になってしまいそうだ。
人が物事に対して納得するのは、「知識」からではなく「経験」を通して学んだことだ。
僕はまだまだ経験が浅い。
そして、世界を旅する僕でさえ、経験が浅いのだ。
”どうして良いか分からない”という状況に陥ってしまってもおかしくない。
だから 泣きわめく子供に対して、どうしていいのか分からず困っている若いお母さんの気持ちも、怒って手を出してしまう親の気持ちも分かる。
彼女がいるわけでもなければ、結婚もしていない。ましてや子供がいるわけじゃないのに、この親子旅を通して不思議と「親の気持ち」すら理解できるようになっていく。
1人の人間を育て上げるんだ。「教育」って並大抵のことじゃない。だからこそ、”自分の生い立ち”をよく理解しておくことは、教える立場になったとき非常に意味を持つことだと感じる。
子供という、何も自分じゃ出来ない、
つまりは「可能性の塊」を育て上げるのは難しいが、今だって僕は大して何も出来ないと客観視すると、「可能性」の塊だし、まだまだ未完成で良いと感じる。
清澤 一輝という人間を客観視すると、
ものすごく「子供」に見えると感じる。
コイツ、いつまで遊んでんだ。
はやく大人になれよ...って思ってる人もいるだろう。
そのことをよく考えると、まだまだ「可能性」を感じるからではないだろうか。
自分で、自分の可能性を語るのは、正直こっぱずかしい。でも、それは自分の”可能性”を信じているからだ。アスリートと同じなのだ。
自分を信じれない奴に、明るい明日はやってこねぇよ。
僕は「計画的子供」なだけで、実はものすごく大人側に引っ張られてる。
「子供」と例えたが、ちょっと違がうかも。
「学びながら生きる」...学生の方が言葉的にしっくりくるが、
大人たちは「学生」はまだまだ「子供」だと言う。では、子供のままでいい。
というか、僕が今1番好きな表現は「若者」。
ほら、「若者」って何者でもなくて、
何も出来ないのが若者でしょ?
何も背負ってないのが、若者なんだよね。
お父さんが言ってたよ。
「歳を重ねるにつれて、男はたくさんの物を背負っていく。会社だったり、家族だったり、社会的地位だってそうだ。
...するとな、簡単には動けなくなっていくんだよ。」
僕の判断は間違ってなかった。
ここで海外へ旅立ってなければ、僕の「海外への憧れ」は更に大きくなっていく。
やった後悔はどんどん小さくなるが、
やらなかった後悔はどんどん大きくなる。
僕はそれを知っていた。
今旅立たなければ、いつか近い未来、
家族を持ったり、仕事をしたり、男には背負うものがたくさん増えてくる。
特にこんな性格だから、どんどん背負っていくのだろう。
するとどうだ。ガチガチに固定されちまうだろうな。子供なんて出来たら尚更だ。
その時に、経験不足/実力不足で悲しむのは、子供も、家族も、自分自身もそうだ。
だから、僕の進んでる方角は、
「なりたい自分」への道は、こっちであってる。正しい。
僕はこんな、「男として尊敬はするが、
父親としては尊敬できない」自由人な父を持っているから知っている。
その歳になって、僕の「憧れ」が急に暴走し始めたら、困るのは家族だ。
現に、僕の家族もお父さんに困っている様子を何度も見て来た。笑
彼のかっこよさは、追いかけよう。例えば行動力とか、経験主義とか。
しかし、同時に悪いところは「反面教師」としてしっかり受け入れるのも大切なところだ。
人が成長する方法として、
「反面教師」というのは非常に良い手法だと感じる。
憧れる人は追いかけて、
ダセェ奴は追い越して、
少しずつ大人になってくのが、”短命な若者の人生”なのだろう。
そして、そんな若者は何も背負っていない。
”失うもの”がないのが若者なんだから、
”取り”に行くしかないんだよ。登るしかないんだよね。
0なんだから、1に向かって歩いて行くのが、僕ら若者。
失敗をも、糧にできる僕ら。
過去を振り返っても何もない。
あるのは、「未来」のみ。突き進むのみなんだよね。
今のこうやって、「挫折」を乗り越えて、
ここまで来れてるのは、突き進んでるから。
過去の経験から頭を振り絞って、こうやって歩いてきた。
そんな僕ら「若者」に日本のオトナ達は、
「普通は〜」とか、「一般的には〜」とか、
「常識でしょ」とかって言葉を使ってくる。
じゃあ教えて欲しい。
「ジョウシキ」ってなんだ?
旅を通じても、これだけは理解できなかった。
「常識」なんて、あってないようなもの。
オトナ達は目に見えないフィルターを掛けて、形どって、あってないような「ジョウシキ」という壁をつくる。
「世界一周」が非常識??
このブログを見てたって分かるよね。僕の周りには、そんなことしてる人たくさんいるよ。
もっと視野を広げてごらん。誰かにカテゴリー化される人生なんて、変じゃないかな。
自分という人間は、世界中探したって、自分ひとり。じゃあ、”ジョウシキ”ってなんなんだろう。
これは長くに渡り、僕が探していた議題でもあった。
”常識にとらわれたり、
くだらない一般論を唱えること、
夢を語れないことが「オトナ」っていうなら、
僕は”大人”になんてなりたくない。
子供の頃みたいに、いつまでも
”未完成の美”を掲げていたいし、
決して完成しないけど、ゴールに向かって歩いていきたい。いつまでも夢を追いかけたい。
日々、新しいものに出会って無邪気な顔で、
”子供”のまま、「大人の社会」を歩いていきたい。”
この答えにたどり着いた。
この「Walking on the Earth」の副題は、
「世界を旅して少しずつオトナに」というものだった。
不思議な感覚だが、オトナに近づけば近づくほど、自分とは遠ざかっていく、「アキレスと亀」のような感覚であった。
でもそれでいいと思う。
きっと、”オトナ”ってのは、子供の頃にしか出会わない生き物だ。俺は、俺なりの答えを歩いていくよ。
「自分探し」
それはこの旅のテーマのひとつでもあった。
自分が”何者”で、何が出来て、どこへ向かって行くのか。
”探していた”はずなんだけど、
最終的にたどり着いた答えは、
まだ「見つけなくていい」っていうこと。(これはオトナの話も含めてだ)
”探し続ける”...つまりは、チャレンジし続けるってことだ。
「自分が何のために生まれてきたのか。」
これを知るために、新しい世界に飛び込み続ける。答えを出すためにもがき続ける。
見失って結構。探し続けて結構。
見つけちゃったら、そこに定着しちゃいそうだもんな。だから、”まだ”見つけなくていい。これが、「自分探し」の答え。
若者よ。探し続けろ。もがき続けろ。
「悩む」ということは、自分の人生としっかり対話しているということだ。
この自分に言い聞かせた言葉から、ガチッと「計画的子供論」が生まれた。
まぁでも、モテない。
子供はモテやしない。かっこよくない。ダサい。J-POPみたいな歌詞を言い続ける奴は、この現代社会において”おかしな奴”だ。
クールに、シンプルに、
言い方を変えれば、流され続ければかっこよいとされる時代だ。松岡修造の言葉はほぼネタとして扱われ、武井壮くらい熱い男にもアンチが付いてしまう。
でもいい。彼らの方がよっぽど「人間らしい」。
僕らはロボットじゃない。機械じゃない。
ハートの暖かい人間だから。
そういうことを忘れちゃいけない。
僕は女性を尊敬してるけど、いまの彼女たちは
忘れがちだ。「物」や「形」にこだわるから。
経験値よりも、ブランド物もバッグの方が何百倍も価値があると思いがちだ。
SNSが普及して、今や”彼氏”さえも自分のブランドのひとつとなっている。
このまま行けば、自慢が自慢を呼び、
リア充と非リア充の差が更に広がることになるが、どちらがリア充かを決めるのは、自分自身で良いと思う。
そこには果てしない「価値観」が存在するからだ。
一方、男の方が実はアホだけど、ロマンチストだ。自分のやりたいことに貪欲だったり、飛び出すことを恐れない。もともとダサいからこそ、その武器を使って、心の暖かい人間になっていくのだろう。
そうそう、ブランド物のバッグで思い出したが、ニューヨークには「5番街」と呼ばれる東京の「銀座」のような高級ブティック街が存在する。
その道を父と歩いていて唐突にこう言った。
「なにか欲しいものがあったら言ってくれ」
おぉ、久々の息子との再会に
お父さんの財布がゆるゆるになっている。
実は、この世界一周の旅で父と合流したのは2度目。1回目は、フィリピン留学を終え、2人でボホール島に行った。
あの時は、語学学校を卒業したてで、あまり英会話らしい英会話を父に見せることが出来なかったが、今回は違う。
あれから5ヶ月。言い回し方や妙なニュアンス、だいぶ分かってきたからだ。
少しずつ披露していって僕の成長ぶりに、おそらく父は気持ちが良かったのだろう。
しかし、一緒に5番街を歩いて気付いた。
自分の物欲の感覚が変わっているということに。
物を買うことに対して、基本的に
「すぐに捨てることが出来るか」と問いかけるのだ。
今から、新しい物を”買う”のに、
”捨てる”ことを考える。とても矛盾しているように思える。
どういうことか。
僕の資本は「健康な身体/経験値」だ。
もし銃を突き付けられ、強盗にあったとして、
荷物を全部 ためらいなく渡すことが出来るか。
津波が来て、車に閉じ込められて、
付けている腕時計で、時計もろども窓を叩き割って脱出する判断がパッと浮かぶか。
きっと200万のロレックスでは、思いつかなそうだな。
50万のモンクレールのウェアーは取られたら嫌だな。
自分がそれらを、誰かにくれてやれる男(年収的にも、器的にも)になるまで、
付けられている”物”と、付けてる”人”どちらが主役か分からなくなってしまう。
でも、物に固執する人間が多いから、僕から言わせてみれば「その人の価値」や「人間性」をまるで高い毛皮や高級のバッグを持って、隠しているようにも思えるが、「実力」なんて物を育てられる人なんて、そういないことに最近気が付いた。
だから、女性は物を持つことが好きなのだろう。もちろん全ての女性というわけではないが、僕が東京にいた頃はよく見かけた。
なぜ分かるか。自分がそうだったからだ。
無理して何ヶ月も貯金をして、高いセーターを買っては、実力のなさを覆い隠し、オトナぶった。これほど滑稽なものはないし、オトナぶってるコドモほど悪臭のついたものはいない。
経験値が低いのに、ガチッと自分の可能性をストップさせてしまうからだ。
なぜ分かるか。僕がそうだったからだ。(2回目)
とにかく、ずっと物に固執していたが、
この旅を通して変わったのは、「物に意味はない」ということ。
ニューヨークに来て自由の女神を見たとしよう。今までの僕なら、絶対 何らかのお土産を買っていた。
しかし、「その物」には大した意味はなく、
価値があるのは、”自由の女神を見た”ということ。本質は後者にある。
きっとこれからも、この本質は見失ってはいけないのだろうな。そして、実用性を考えるんだろうな。
何かの記念で、誰かにプレゼントをあげる。これには「意味」がある。だけど、自分になにか意味のないものは控えるようになるだろうな。
この先 僕は「物」ではなく、「食」や「経験」にお金を掛けることが増えるだろう。
何が美味しくて、何が不味いか。
自分が何を食べているのか、それがどのくらいの値段で、どのくらいの味なのか。
お店の雰囲気や客層はどんなものなのか。
男として、知っておくことは大きな財産になるそうだ。
僕は大学では、文学部で社会学を学んでいた。
だからこのブログも含め、現代社会の問いがふんだんに使われている。
ちなみに「広告」や「メディア」、「ジャーナリズム」も社会学に近い。
なんとも僕にあった学問を学んだなと心から感じる。
しかし、学生の頃から”いつか起業したい”という小さな野望を持つ僕は、経済学部や商学部の授業にも少しだけもぐり混んでいた(単位も取ってないのに)
「起業論」なんて話はとてもためになる。
若い社長さんが来ては、経営の話をしてくれるフリーの公演はよく足を運んだもんだ。
しかし、ある日気が付いた。
僕の周りに、「社長さん」いるじゃないか。
それからだ。父の話に耳を傾けるようになったのは。彼から学べるものは多い。
僕らはニューヨークを後にし、マイアミへ。
「挫折」から始まった旅〜父と旅するアメリカ・親子ふたり旅1〜
...「そうだな。旅をするなら、学生のうちにだな。」
旅立つことを打ち明けると、父はすんなりこう答えた。
ご存知の通り、この旅に出た理由はたくさんある。大きな「夢」と「憧れ」とさらに大きな「不安」(今では小さくなったけど)をバックパックに詰め、僕は地球を歩いている。
”シンプル”な理由をひとつあげるなら、
「してみたかったから」という欲求ひとことで済むが、僕の場合はまるで”運命”かのように、この旅に向かって、人生が進んでいた。
その「運命」といえるべき ひとつの要因に
「挫折」という理由がある。
あれは忘れもしない、2015年8月31日。
大学4年生の夏。
僕は就職活動に真剣に向き合い、かっちりとした”自分の未来”を思い浮かべていた。
読者の皆さんには、お分かりだと思うが、
僕は「伝える」ことが大好きだ。
中学の頃からブログを書いており、形を変えながらも、今の今まで文章を書き続けている。
はじめは些細なもので、
「中学生の僕がオススメしたい映画」や
ここのゲームセンターが楽しい。
ここでこんな遊びをすると最高。
なんていう、今で言う「まとめ記事」を書いていた。だからこそ、中学生だとしても多くの友人が僕のブログを読んでくれていた。
そんな中から、
「一輝にススメられたから、見てみたよ!」
とか「〜行ったら本当に面白かったよ!」なんてコメントを貰うと、”人の感情を動かした”気になって、楽しくてしょうがなかった。
もともと見向きもしない物だったのに、
僕の言葉によって、感情が変わり、手に取ってしまう。
これって”魔法”みたいだと思った。
「人の感情」を動かす。
スターウォーズでいう”フォース”のようなものだと感じた。ラブレター1枚で、もともと自分のことを見てくれない人が振り向いてくれたとしよう。
これって凄いことだ。
そんなことから、僕の将来の夢は言葉を操る人「コピーライター」であり、もっと言うなら「広告代理店」で働きたく、さらに言うなら「電通」という世界規模の日系企業に就職し、働くのが長年の間の夢であった。
僕には広告代理店に入ったその先に、
日本の若者を「元気付けたい」という目標があった。
今でもそうなのだが、月曜日になると流れる
「はぁ、月曜日か...」
「仕事行きたくない」というつぶやき。
同期が社会に出てるからこそ、日本社会が持つ”闇”をよく見かける。
あれだけ大きな「夢」を描いていたのに、
社会に出た途端 そんな夢を語れなくなる。
語ればバカにされ、気付けば行動できず歳を取っている。
そして、今の若者は未来が不安で不安で仕方がない。
そんな社会を元気付けたい。そう思っていた。
自分の取り柄が”ポジティブ”だったから、この思想を”キャッチコピー”を通して、世間に教えてあげたい。自分色に日本を染めたいと思っていたのだ。
...僕は「内定」を断って、世界一周に旅立った。
と、色んなところで発言しているが、
本当はそんなにかっこいいもんじゃない。
確かに大企業と呼ばれる会社の内定を断ったのは事実だ。
これを発言することによって、「旅」の意味が更に深くなると当時は思っていたからだ。
でも”本当の始まり”は、「挫折」から始まっている。
僕は第一志望であった電通の最終面接で落ちているのだ。
”最終”ということもあり、ひどく落ち込んだ。
自分が長年夢見た世界が目の前で崩れ去り、もしかしたら”世界一周”という考えも、「現実逃避」から始まったのかもしれない。
それが忘れもしない8月31日。
掴みかけていただけあって、地面に膝を付いたのも覚えている。
「夢」を掴む人間と、そうじゃない人間、
どちらが多いか。考え方次第では圧倒的に後者なのかもしれない。
ただ本当に、小学生の頃から海外への憧れはあったし、中学生の頃、ワンピースを初めて読んだ日から「世界一周」「旅」という現実の中の、非現実的な響きを夢みていた。
が、自分とは限りなく遠い話だと、心の奥の箱に閉じ込めていた。
その箱を開いたのが、この「挫折」だったのかもしれない。
もともとこの箱は、見え隠れしていた。
就職活動を通して、かなり深くまで掘り返していた”自己分析”。その時も「海外への憧れ」や「経験主義」ということは理解していた。
20歳の誕生日、古い友人からもらった高橋歩さんの本。
そのときの高橋歩さんの言葉が僕を「世界一周」を現実のものにした。
そして、Tabippoという会社が僕の背中を押してくれた。世の中にはこんなに世界一周をしてる旅人がいる(HPの旅立つ前ブログ参照)
僕の中の非現実という言葉の「非」の部分をつくってるのは自分自身だって気づいた。
僕は経験主義者だ。
「経験」をするには「行動」が必要だ。
誰だって、いつからだって、行動すること/やってみることに”遅い”なんてない。
それは本当だ。
でも、当時の僕の考えは、
「行動」する最大の武器は「若さ」だと信じていた。体力的にも、バイタリティも、未来も、可能性も、僕ら若者は目に見えるもの(金や社会的地位)を持っていないぶん、もっと価値のあるもの(本当に大切なものは目に見えない)を持っている。
でもって、学びながら、生きるとかいて”学生”。「学生」が挑戦するとなぜか応援される。
同じ”起業”だってそうだ。
大人がやるのと、学生起業、
クオリティーが低くても学生起業の方がなぜか注目を集めるし、なぜかすごいと思われる。
学生って、当たり前のように、大人よりも
”無知”で”何も出来なくて”、当然だ。
「何も出来ない」
だからこそ”チャレンジャー”だ。
旅を「挑戦」にしたかった。
挑戦は応援される。
そこに気付いてしまったからこそ、当時の僕は学生を延長した。だけど今となっては、そんなの見栄でしかなくて、自分自身をカテゴリー化してしまっている、現代でよく見かける
「中身が子供なのに、大人ぶってる奴」だ。
周りにどう言われようが、
”信念の旗”ってのは、自分の中の小さな自分、
本当の自分がしっかり持ってればいいんだ。
これは、世界を旅して得た、あの頃と違う価値観だ。
そして、僕は”就職活動”をやめた。
もらっていた内定を全て断った。
そこからはあっという間だった。
世界一周のことを父に打ち明けると、すんなりこう答えた。
...「そうだな。旅をするなら、学生のうちにだな。」
経営者である父は分かっていた。
「若い頃になんでも経験する」という価値を。
彼は高卒で、周囲の人間よりも早く働いて、多くの経験を勝ち取ってきたからだ。
息子の僕が言うのもなんだが、彼には「実力」がある。男の場合、実力不足を「大学卒」でごまかそうと必死に生きるような生き方はかっこ悪い。それに、こういうかっこ悪い男はたくさんいる。
いい加減、学校で教わったことは、実力主義の社会では役に立たないことを気付いた方がいい。
意欲を持たず、何かを掴みに行かないのなら、
大学に払う学費はあまりにも高い出費だと思う。
僕が4年間 励みに励んだスキー部を引退し、
「さぁ!もう1年。学生延長!」と卒業延期届けを提出に行った時、
同じタイミングで剣道部の同期が「退学届」を提出していた。
とても切なくなった。
僕の方は、まだまだ学びたいことが山ほどあって、単位を全部取り終えても尚、卒業延期希望しているのに、
彼は部活動の4年間が終わり、単位を名一杯残し、卒業できず去って行った。今までの学費をなんだと思っているのだろう。もちろん学費だけではない。
「スポーツ推薦」で入学した者には、一旦 考え方を変えて欲しい。スポーツだけしてれば良いのではない。それなら大学でなくても、実業団でも企業でも、スポンサーを探してでもやればいい。
しかし、大学を選んだのなら 必ず卒業すべきだ。やることやって、その上に「スポーツ」がある。スポーツ推薦だけであって、やることはやるべきだ。
少し熱くなってしまった。
とにかく学生は何をすべきか。
「実力」を付けてほしい。実力さえあれば、学歴なんてクソみたいなもんで、実力のないもの程、学歴差別をむき出しの汚い言葉を吐いたりする。
...僕の家系は代々企業家の家系。
いつか僕だって、自分でつくった船で
大海原に繰り出して、それこそ自分がキャプテンで、自分の持ってるコンパスに従って、クルー達を大切にしていきたいと思っている。
そんな夢も語った上で、まず父は僕の旅を認めてくれた。
ずっと輝いてる場所にいるようで、
実は全然そうじゃない。
これは「挫折」から始まってるストーリーでもある。
以前、「僕とスキーの関係性」でも少し触れているが、全ての人類において、
山と谷というのは交互に訪れる。
全ての人間の人生おいて、良いことだけの人生も、悪いことだけの人生もない。
僕の経験上、谷はチャンスだ。
新しいことが起こるのはいつも”谷”。
この”世界一周初日の悲劇”を思い出してもらいたい。
大切なことは、
「谷」から出るコツを知っておくこと。
谷があることで、山を登ることを楽しめる。
方向からの「逃げ」という言い方も、
別方向への「攻め」と言い方もできる。
世の中は賛否両論で、表裏一体だ。
.....これは、僕が歩き出す物語。
「少年」から「大人」にという意味でも。
また、自分が本当の意味で、自分の人生を自分らしく「歩く」という意味でも。
「Walking on the Earth」
有名旅ブロガー集結!タイムズスクエアでカウントダウン!〜2016年の振り返り。旅とブログと、最後にオトン〜
年越しを目前に、僕らとタビジョの4人はさらに大きいAirbnbの家に移動した。
前回のブログで説明したAirbnbに移動することに!
なんと今回は総勢30人以上の”旅人”をニューヨーク(実際はニュージャージー)にある2つの豪邸に集めて、みんなで年越しを祝おう!というもの。
こっちのがメインで人を集め、その中から前回の”タビジョたち”と繋がり、前のりするので混ぜてもらった。みたいな感じだ。
12月のあたま。ヨーロッパでバタバタな毎日を過ごし、すっかり年越しニューヨークのことを忘れていた僕。
このシーズン安くても1日50ドルのニューヨークのドミトリー。
とにかく、こんなことをTwitterでつぶやいてみた。笑
するとリツイートがリツイートを呼び、メンバーを集めている旅人に繋がることに成功!
Twitterって、本当に使い道がたくさんある。
シンプルなものほど、使い道がたくさんあるんだよね。
「あー学校めんどくさーーい」
「明日月曜日かぁ」みたいな、
社会や人間関係、その他諸々のストレスを”発散する”社会的はけ口(ゴミ箱)。
僕みたいに、何かを成功させるため(もちろんTwitterだけで成功なんてしやしない)の”ちょっとした潤滑油”。
人と人をつなげるコミュニティツール。
「リアルタイム」を知るためのニュース、伝達、情報の交換。意見の交換。
「読書感想文」的な、物事に対する人々の意見。
...おそらくこれが”社会にとって意味があること”だと思う。ミニマムレベルで、人の意見をデータとして取れるからね。今の若者は「〇〇」に対してこう思っているのか...なーんて、ひと昔前は調べるの大変だったし、
現代社会をデータとして扱うのに、とんでもなく有効だよね。
でも、なかなかこんなことに気付ける「奥行き」に気付く、大衆レベルで物事を感じるってすごく大変なんだよね。だから中々 気付けないと思う。。
あれ。「旅ブログ」なのに、最近 ほーーんと、
ビジネス系とか、情報社会系になってるんだよなー!笑(時々 アスリート系にもなるけど)
何 書いたっていい。
何 表現したっていい。
せっかく「白紙」をもらって、
「自由に、”あなたらしく”書いてごらん」って言われてるんだから、躊躇なく。
迷いなく。恐れなく。書いてみる。
「やってみよう!」「表現してみよう!」
ってのが大切で、何もない場所から「1」を生み出すってのはそーゆーことの繰り返しなんだと思うな。
今回”も”甘く見て、これから旅に出る輝かしい若者に少しブログやSNSと「旅」との関係性を僕なりに説明しよう!(もちろんニューヨークの内容もね)
4人の”タビジョ”と共に、宿を移動した僕。
そこには、既にわーーっと”旅人たち”が。
世界一周してる者でも、アメリカまで来ると、
「西回り」「東回り」に別れるし、
年越しだけ来てる者。その中でもカナダからとか、日本からとか。
アメリカ横断だけ。北南米だけ。とにかく旅のルートやスタイルには果てしない「自由」が存在する。
そんなの「人生」だってそうなのだから、当たり前と言えば当たり前だ。
僕も、何名かに声を掛けて頂いたが、ここまで来ると”旅人”の知名度は本当にSNSやブログに比例している。
PVアクセス数やフォロワー数は、知名度に直結し、それはまるでワンピースの”懸賞金”。
若くて、バイタリティーのある新人旅人は、
「大型ルーキー」として扱われるようなもの。
僕もTABIPPO.netを通して
”次世代トラベラー”なんて、「2016年出会った面白い旅人のひとり」って日本最大の旅のキュレーションサイトに紹介してもらったけど、世の中には面白い旅人はめちゃくちゃいる。
(個人的には”大型ルーキー”のひとりになったみたいですごく嬉しい。出来ればトラファルガー・ローがいい)
そして、以前 僕も登録していた「世界一周ブログ村」。”旅人界”ではこのランキングがほとんど直結して知名度になる。
新しい宿に行くたびに、
「〜のブログ見てます!」なんて言われる旅人だってたくさんいるわけ。
しかし!ランキングが上位=PV数(閲覧数)が多い わけでない、ということを知ってしまったので、ランキングをやめた。
次に、「世界一周ブログ村」を活用してブログを見てる読者層のほとんどは、「旅人」!
あまり”旅の内容”を書かない僕のブログ(内容というよりか、旅を通して感じた気付きやライフハックメイン)の読者層は「旅に出ていない若者」がメインであることに気付いた!
”ブランディング”や”マーケティング”ってのは、自分を見つめ直して、気付いて、改善しての繰り返しだ。特に、どこが「ユーザーなのか?」ってのが大切だ。
これはTABIPPOの記事を書いていても「どの層向け」(例えばカップル、学生など)って記入するところがあるんだけど、そういうところから盗んだ”知恵”だ。
そうして、”自己ブランディング”を回転させていく。
ブログを始めて約半年。閲覧数も月に3万PVを前後してるし、わざわざ「ブログ村のランキング」に参加しなくても良いかなって思って、やめた。
だってあのランキングは自分のブログのPV数じゃなくて、”ブログ村”へのアクセス数なんだもん。
それに上位のランキングにいても、PVは大したことなくて(自分の方がむしろよく見られてて)だったら、もうランキングにいなくても良いかなって。笑
「旅人」じゃない人たち、特に悩める若者たちに、声を大にして「一歩踏み出すことの素晴らしさ」「歩き続けることの大切さ」を伝えたいんだ。
...「旅ブログ」を分ける大きく2つ!
ひとつめ!「情報系ブログ」
ふたつめ!「感想系ブログ」
まずひとつめは、”旅に関する情報”だ。
「ここからここまで、いくらだった〜」
とか、
「ここの宿は朝ごはんが美味しいからオススメですぅ〜」とか!
前者の読者層は、まさに「旅人」!
これからのルートをどうしよう?と考えている旅人のために書かれたいわば”攻略本”!
ほとんどの旅人が、誰かのブログを見てルートや行き先を考える。
次に「感想系ブログ」
どちらかと言えば、僕のブログは感想系。
一時期、”情報系”も書いていた時期もあったが、読み返した時にただの「メモ」だと言うことに気付き、つまらなくなったのでやめた。
後者の方が”表現者”っぽかったからだ。
「サハラ砂漠を見て、どうだったか〜」とか
「ここでこんな友達と、こんな話をして、こう感じた〜」とか。
経験の先にある、”感想”。
これを読んでくれるのは「旅立ってない人たち」が圧倒的に多い。
高橋歩さんもおそらく”感想系”なんだろうね。
僕が世界一周に旅立つ前、「高橋歩的、清澤一輝になります。」って生意気に直接伝えてから僕は、少しずつ歩いてます。
あと、TABIPPOで”情報系”を書いてるので、こっちはゴリゴリの主観だ。(最近、TABIPPOでも感想系 書かせていただいてるけどね)
旅人でない人たちに、何かを届けるなら、
「感想系」。ブログを書いていて、本当にそう思う。
でも、旅人界で懸賞金を上げるには、
「情報系」が必要なわけだ。(ブログに関しては)
...そこを僕は、インスタグラムでなんとかお小遣い稼ぎをしてるって感じ。笑
いつもこんなこと考えてたらスゲェー疲れると思うでしょ?数字ばかり、大人みたいじゃない。
実を言うと、こんなデジタルな話を考えてる時間は超短いし、”短期集中型”だからこそ、普段ちょーーボケーーーっとしてる。
「自然みたいに」ぼけっとしてる。
でも、頭キレるときキレるから、ここに父親の血が流れてるように感じる。笑
そーいえば、このブログも。
本当は書く予定なんてなかった。
TABIPPOの記事だけで、ライターとして、やってく!って当初は考えてて、フィリピン留学時に一旦 やめた。
でも、語学留学を終え、遊びに来た父との別れ際に、
「”物語”は書き続けなさい。
いつか、必ず「価値」が生まれてくるから。」
って約束した。
さすが経営者というべきか、しっかり価値が生まれている。
たしかに、「発信すること」ってスゲェー疲れる。ブログにしろ、SNSにしろ。
「旅」を通して、素晴らしいものを自分だけが満足してればそれでいいじゃないか。
でも「発信」する。
すると、僕の行動が明確になってくれる。
これ、僕の厳しい厳しいお姉さまが言ってたんだけど、
「当初 世界一周するって聞いたとき、どうしようもないって思った」んだって。
そりゃそーだよね。
内定断って、社会に出るはずが、
世界一周の旅に出るんだもん。
「遊び」に行く。「娯楽」だって思うよね。誰もが。
人の決意や決断、覚悟の奥行きってのは、
本人以外はなかなか分からないよね。
特に日本人って「カテゴリー化」するのがすごく好きじゃない。
「A型はこう」「やっぱりB型だからか」って、血液型でクッキリ人の性格を分けてるのなんて、世界中探したって日本だけなんだよね。
ってところを見ると、就活とかで、学歴とかで分けたりするのもおかしいんだよね。
きっと、”自信を持ってる大人”が減ってるんだよね。
個人レベルで人を見れば、学歴なんて全く意味がないことなんて分かるでしょ?
某大学”K”だって、問題起こす奴は起こすし、
無名の大学だって、すんげぇー学生はたくさんいる!
とりあえず「頭のいい大学の生徒」=「大丈夫」
「偏差値の低い大学の生徒」=「良くない」って言っておけば、個人レベルで人を見なくて済むものね。
自分の目に狂いがない!
ってちゃんと自信を持ってる大人なら、「個人レベル」で人を見ること出来るはずだもん。
でも自信がないから、とりあえずカテゴリー化して、偏見の中にぶち込んでるだけ。
きっと”ゆとり世代”って呼ばれてる僕らの世代が大人になったとき、ちゃんと変わると思うよ。
あぁ、話がずれた。
でも「発信」し続けてたらさ、
僕の行動が明確になってきたわけ。ね。
ヨーロッパで会った時、お姉さま言ってたよ。
「一輝の行動が、人々に勇気を与えてる」って。
当初は予想だにしなかった。自分や他の旅人の中では”当たり前”だと思っていたことが、
”旅をしていない層の人”が読むと、ものすごく響くものがあるみたい。
TABIPPOのイベントDREAMみたいに、
何かひとつの特技を生かして旅してるわけではないのに、「頑張ってください」って応援メッセージをたくさん頂く。
めっちゃ嬉しい。ありがとたいこと。
でも、「頑張ってください」って、何かに挑戦してる人にかける言葉だ。
”どうしようもない人”にかける言葉では全くないわけ。
これはどういうことかっていうと、
以前、「賛否両論」の話をしたけど、
発信することによって、僕は「賛」を掴んだだけだなんだよね。その差!
「発信」する。
たしかに面倒くさい。
自分だけ満足してれば良い世界から、
一歩、他者のことを考えて 発言する。
でも、そんな”日々の積み重ね”的なようなことをしてるだけで、これだけ”おまけ”が付く。
そして、自分や他の旅人の中では”当たり前”だと思っていたことを発信する。
”旅をしていない層の人”が読むと、ものすごく響くものがあるみたい。
この”響くもの”が「旅の良さ」なのかと思って、遠慮なく 旅を通して学んだ内容を発信するようになった。
「ベスト」の話をすると、
まだまだなんだけど、今日の今日。
振り返っても「旅」を発信し続けて良かったなって思う。OKラインはクリアしてる。
まだまだ旅人界の”白ひげ”や”赤髪”みたいなすんげぇー旅人がいるんだけど、
「超新星」のひとりとして、挑んでる。
だって、「若者の声」は「若者」にしか出ないのだから。
結論:旅に出るなら「発信すること」をオススメする。
そんな、”旅人界”で有名なブロガーさんたち含めたくさんの旅人がAirbnbに集結していた。
Tabippo2015大阪優勝、「京都・九条ネギのゆるキャラ”ネギーマン”を広める旅」をしてるんだよね!
以前、タイ・バンコクのロングラックでもTABIPPO DREAM東京2015 で優勝した
一輪車で世界一周してる”つっちー”や、
彼とは、旅では会えず、東京で出会ったんだけど、おにぎり握って世界一周!のザキ。とか。
「超新星」の強者どもは、ワンピースみたいにたくさんいる。
でも出発前の知名度なんて大したことないって僕は思うよ。
自分次第で「掴む」奴は「掴む」し!
別に掴まなくても良い。
そこにも果てしない自由が存在するけど、オマケが貰えるならほしい。
例えば、知名度(セルフブランディング)のおかげで人の前で話す機会をもらえて、話したその先に、「僕も旅に出たい!」って思って行動してくれる若者が現れたら、ものすごい”価値”を生むと思うんだよね。
結局、あなた次第ってところだね。
でもって、たくさん旅人が集まると、
まぁ共通の知り合いが多い!
この旅で出会った旅人!世界一周って言っても、見たいところは見たいでしょ?
タージマハルやピラミッドとかさ!となると、近くの宿に集まるわけよ!
これがワンピースでいうところの「島」みたいな?笑
んで、タイのカオサンロードやウユニ塩湖みたいな長期滞在ポイントや、
ニューヨークの年越し、トマティーナ(トマト投げ祭り)とかで、ごぞっと旅人が集まる。
このポイントが、まぁ”シャボンディー諸島”(豪華な顔触れという意味)。
年齢も性別も、旅のスタイルや雰囲気、
ぜーーんぶバラバラ!だからこそ、ワンピース感が更に増すんだよね!!
おんもしろいぞぉー!!
この旅人の自由気ままな感じ!!!
しかも、旅人は基本変人だし、キャラ濃いからね。笑
もちろん、そんな集まりには「再開」もある。
一緒にインドを横断したチーム北海道の愛ちゃん!
先に南米に降りてからニューヨークに来て、
黒くて、丸くなって(笑)たから、最初誰か分かんなかったけど再開できた!
あれから、こんなことがあってさ〜みたいな話は楽しすぎて、
そして、旅に出て「再開」ってことにうんと弱くなった。
戻って来たり、帰って来たり、
出来る場所ってすごく落ち着く。
だからこそ、初対面ってなかなか気を許せなくて、ツンツンしちゃう。
でも再開すると、「やったぁ〜!」ってすぐ心開いちゃう。日本帰ったらどうなっちゃうんだろうね、これね。笑
2016年、最後の晩餐は”大人の修学旅行”こと、
わーさんとあーちゃんと、年越しパスタ!笑
翌日は、15時間ほどトイレに行けないから水分控えめ。(この年越しに関してはTABIPPOに書いたから読んでみてね)
普通に行っても、大混雑のタイムズスクエア!
”人生最高の60秒”と言われるこの瞬間。
日本が年越しする瞬間、NYは朝10:00。
タイムズスクエアの電光掲示板はTOSHIBA!もちろん日本のカウントダウンも行われる!
カウントダウンのスケジュールは、10:00目掛けてタイムズスクエアへ向かい、0:00まで待つという2016年最後の頑張り!
2017年最初の踏ん張り!!笑
みんなオムツを履いて待機するんだけど、僕は少数派の履かない組だった。
むしろ年越しは新品のパンツでも履いて、
スゲェーーッ 爽やかな気分で迎えたい。じゃん?笑
でもって、当日!!!
【タイムズスクエアでカウントダウン①】
毎年推定100万人がカウントダウンのために集まるタイムズスクエア!
朝の9時頃に行って、年越すまでこんな感じ!!ひと!ひと!!ひと!!!笑
テロ対策のセキュリティもかなり厳重で、リュックとか持ち込めない!!
規制が始まると、トイレにも食べ物を買いにもいけないから、超大変!
でもやっぱり、午前中に行くべき!左上に見えるのは、パフォーマンスの舞台!超近くで、”Danza Kuduro”のドン・オマールが歌ってくれたよー!!
これは今回のサムネイルの画像!
なんと、タイムズスクエアの液晶で紹介されたよー!!
ネギも紹介されてた!よかったねー!!ゆるキャラが世界中の人に見られてたよ!!
【タイムズスクエアでカウントダウン②】
カウントダウンに向けてのショーは18:00頃から開始される!
帽子や風船が無料配布され、毎時間ごとにカウントダウン&司会者が出て来たり、イベントが液晶画面を通して放送される!
23:30には、ファーストレディのミシェル・オバマ夫人からのビデオメッセージと、2016年を振り返る動画が放送。
アメリカの”2016年”と言えば!
そう!「大統領選」!ドナルド・トランプが映し出されると、大きなブーイングも聞こえて、オバマが映ると拍手喝采。
テロもかなり緊張したけど、ものすごいタイミングで、ニューヨークで年越ししてるなって感じたー!
もちろん、ネットでバズられまくってるマライアのハプニングも生で観られて、一生忘れないニューイヤーパーティになりました!!笑
”タイムズスクエアにいた人たちは皆歌っていたね。マライア以外”
カウンドダウンも高まり、各々 今年1年を振り返りモードに。
今年を振り返ってみても、かなり濃い1年であった。
1月「Gopro Award受賞🏯!ゴープロオフィシャルファミリーに☀️!」
...新年早々、都内を60km近く自転車で爆走。
初日の出をお台場で見て、「初日の出」で日焼けしたら「運たまるんじゃね?」という発想から、サンオイルで日焼け→そのまま浅草まで爆走。そこで撮った写真がアワード受賞。賞金獲得。しかも「大吉」という出来すぎた結果に。笑
2月「体育会スキー部引退⛷!次の舞台はトラベルライター✍🏽!」
...16年間やってきたスキーを引退。中学の頃からブログを書いており、文書を書くことが何も苦ではなかった。たまたまTABIPPO.NETにてライター募集を見付け、そのまま”社会貢献”と思い立って、ライター契約。
3月「卒業しない卒業式にて、みんなの前で校歌を熱唱🎓!」
...卒業しないのに、前に出て教授と肩を組んで校歌を熱唱。とんだ茶番である。
4月「夢の世界一周へ出発✈️!」
...ちゃんと空港まで送ってくれた友人。大阪まで自転車で向かったり。一緒に富士山のぼったり、別荘のペンキ塗りを手伝ってくれたり、あ!もちろんスキー一緒に頑張ったりね。不安で不安でどうしようもなかった旅立ちを迎えてくれたコイツらには一生かけて感謝しないとな。
5月「フィリピン留学でbe動詞から猛勉強💥!」
...朝6時〜夜10時まで勉強する日々。体重が5kgほど落ちた(勉強しすぎて笑)”普通”語学留学って、大学3年までみたいなとこあるけど、4年生になって、Be動詞から始めて、しかも出発前のTOEICの点数は280点。
本気になればなんとかなるもんだって気付かされたわー。笑
6月「念願のジンベエザメと泳ぎ世界の広さを知る🌊!」
...おれ、やったことないことだらけやん。
って感じた経験だった。まだまだしたいこと。叶えたい夢たくさんあるわ。「為せば成る」をモットーに生きてこうって誓ったジンベエと泳いだ日。
7月「シンガポールにて、バックパッカーデビュー🏕!」
...人生初めての旅。綺麗なバックパックを使う日が来た!勢いあまって、シンガポール→マレーシア→タイって、ホームステイしまくる旅(いきなり現地の人と仲良くなって)が続いたなぁ、笑 みんな元気にしてるかなー!!
8月「ラオス・ルアンパバーンでゾウ使いに🐘!」
...懐かしい!陸路で42時間!
山賊が出る山を越えて向かったラオス!!
いやー!懐かしい。輝かしい東南アジア旅ですよ。
今じゃ「ナナタビ」H.I.Sのツアーになるほど有名だからねー!!俺が初代ナナトラベラーだからねー!!名付け親だしな!
9月「ガンジス川でバタフライ🇮🇳!」
...インドねぇー!インドは今思うと魅力的すぎる。世界には「インド」と「インドじゃない国」しかないって言葉はマジであってる。似てる国ないわ。笑 あそこは人生に迷ったら、また戻ろう。
10月「アジアに別れを告げ、エジプトでアドヴァンスダイバーに🐠!月間3万PVのメディアを創り上げる💻!」
...朝から晩までダイビング三昧だったダハブ!タカシくんや花ちゃん、寺田先生と旅した日々。イスラエルを抜けて、今度は海賊がいる海を渡ってさー!笑 んで、7月から再開したブログがここで3万PV叩いたんだよなー!嬉しかったなー!!
11月「ヒッチハイク&クラウドファンディング達成👍🏽!!」
...ヒッチハイク旅ねー!!本気に。人の暖かみは絶対忘れちゃダメ。世の中「助け合い」ってのを絶対、絶対、忘れちゃダメなのよ。人は1人で生きていけないんだからね!!
でもって、クラウドファンディングね!学生のうちに達成したかった2大目標が叶って嬉しかったなー!!
12月「日本チームのサポート!姉が世界選手権出場決定🏆‼︎」
...ずっと、自分は自分のために生きてた方が良い。って思ってたんだけど、そうじゃなかった。旅を通して、そうじゃない自分に気づけた。「誰かのために自分が頑張る」ってめちゃ良いよ。生きる理由になる。姉とのひと月でそう感じさせてくれたね。本当に。
って振り返ってる間に、
って年は越した。
今年は充実しすぎていたから、年末の
「あぁ、今年も終わってしまう!」感がかなり薄かった。やり残したことなんて、ほとんどなかったからだろう。
1日1日を大切に。
何かに目標を持って、生きて来たからだ。
だから、振り返りもあまりパッとしなかった。
なぜならよく振り返るからだ。
2016年は光の速さで過ぎ去り、
新しい気持ちで2017年が始まる。
今年は、去年を超える。
つまり、世界一周の1年を超える1年にしなければならない。ハードルは高いが、出来ないことはない。
強いて言うなら、もっと「男らしく」をテーマに。
強い体。
熱い心。
前向きすぎる行動力。
この3本。せっかく旅で得た3本は絶対曲げません。
「過去の自分を超えていけ。」
... I know, I can !!
とゆーことで、Airbnbの宿に帰っていった。
その後、年越し”た”ソバをみんなでつついた。笑
2017年1月1日。アメリカ・ニューヨーク。
1タカ、2富士、3茄子どころか、夢も見ずに
大きな疲労の中、崩れるように眠った2017初夜。
その後も3時間ほどしか眠っておらず、頭がガンガンに痛い中、JFK国際空港到着ターミナル。
「おぉ!よく待ってたじゃん!
あけおめ〜〜〜」
ゆるい感じで登場したのは
親子旅。ふたたび。to be continued...➡︎
”憧れの街”ニューヨーク!アメリカ本土上陸〜ドキッ☆女性に囲まれたクリスマスパーティー〜
アメリカ・ニューヨーク
今まで、ハワイしか行ったことのなかった僕にとってアメリカ本土上陸はかなり興奮した。
4/1に日本からフィリピンへ。
「西」に飛んだはずなのに、あれから9ヶ月。
気付けば「東」の国、アメリカにいた。
この感覚は”世界一周”ならでは。
「地球」って丸い。
毎日が新しい。毎日が素晴らしい。
英語が堪能な祖父が戦後 働いていた国。
母が留学していた国。
生まれて間もない姉を連れて父が母と旅に出た国。
3年間付き合った元カノが生まれた国。
親友のカップルが日本の大学を辞め、2人で住んでいた国。
幼い頃から、まるでおとぎ話のように聞かされていた憧れの国。それが「アメリカ」だった。
ニューヨークといえば、タイムズスクエアと、
電光掲示板がきらめく大都会を想像するだろうが、少し郊外の街並みを見ると、綺麗にブロックごとに並べられ、まるでモノポリーの家のような、初めて見るのにどこか懐かしい雰囲気を感じられる。
このクリスマスシーズンにニューヨークにひとりでいる。「ホームアローン2」のケビンと同じ状況というわけだ。
しかし幸いにも、僕はケビンのようにニューヨークにひとりぼっちではない。
24〜29まで間、僕はお姉様方たちに囲まれクリスマスをお祝いした。
以前、東南アジアの旅では「カウチサーフィン」というホームステイほど長居は出来ないが、現地の人(ホスト)の家に、ゲスト(旅人)が無料で泊めてもらうシステムの話をしたが、
今回 利用したのは、「Air bnb」というもの。
個室や空き家がある現地人の家を安く借りるというもの。
このホリデーシーズン、ニューヨークでの宿泊はドミトリーでも1泊50ドルを超える。
ハッキリ言って旅人にはダメージが大きすぎる。特に僕の出発前の計算は1日1000円。1泊50ドルだなんでとんでもない!!
おそらく、世界を旅するバックパッカーは皆同じ認識を持っているのではないだろうか。
そこで、ニューヨークで年越しをしたい!と思ってる旅人は多いはず。
そこでSNSの力を使って、Airbnbを利用し、みんなで空き家を借りて、安くこのホリデーシーズンを過ごそう!という計画を試みた。
今や、”ソーシャルネットワークサービス”というのは、遠方にいる友達が何してるか。近況報告を見て楽しむだけのサービスではない。
人と人との”つながり”だけでなく、それが”サービス化”されて、SNSなのだ!
とゆーことで、
「1人で寂しく過ごすクリスマス in ニューヨーク」を回避すべく この時期Airbnbを利用していた”お姉様方”の家に転がり込んだ。
見よ!クリぼっちどころか、
クリスマスに美女が4人!!!
両手を使ったって足りないほどの「花」である。笑笑笑
クリスマスに大都会ニューヨークでひとり。しかもこの時期 超ホームシックにかかっていた僕。1人だったら間違いなく辛さで悶え苦しんでいただろう。
ホームアローンのケビンのように、パパのクレジットカードで豪遊できるわけじゃあるまいし。
そんな、本来 久々に過ごす”寂しい”クリスマスを回避してくれた”旅する女子”通称「タビジョ」たちを紹介しよう。
手前二人組。
「大人の修学旅行/世界遺産を目に焼き付けたい静岡人」のお二人こと。
”わーさん”と”あーちゃん”。
彼女たちは2人で世界一周をしている。
逆にすごい!ふたり旅!
喧嘩とかないのかな?って思うかもしれないが、そんなのないくらい仲良さげであった。
「相棒」ってなんだか羨ましい。
続いて、そんな2人の真ん中にいる
「旅ギャル」ことメグちゃん。
元看護師で、世界一周ではないけど長期で旅してる。見た目はギャルなんだけど、根は真面目なメグちゃん。ウチの母親と同じ名前だ。笑
そして、そんな旅ギャルの右側。
”ド”が付くほどの天然。ようこちゃん。
「1人だけ世代が違う」というイジり方を僕がし続け(といっても、我が姉より若い)
ど天然のボケと、僕のイジリ。
このメンバーでの2017年初笑いをかっさらったものだ。彼女も元看護師で、メグちゃんと話があったみたい。
最近「旅する女子」通称”タビジョ”がすごく多い。なんとなく「旅」=”男がするもの”というイメージが消えている。
カメラや、文章を書くこと、そういった本来あった「男らしさ」が消滅し、
ひとまとめに「マメ」=女性らしさ という社会の雰囲気がある。
特に先ほども述べた”SNS”。
あまり頻繁にポストするのは、なんとなく女々しいと思われがちだし、男でフォロワーを増やすのはすごく難しい。
だって、ユーザーは女性の方が多いのだから。
フォロワーのことを考えると、結局”男らしさ”を一度捨てなければ良いコンテンツは育たない。
てか、最近 男子諸君どーした。日本の男子がすごく弱い。流行りのパンケーキ屋さんorハンバーガー屋さんで女子会が開かれるように、男子も男子らしく、スーパーカーを持ったり、別荘を持ったり、なんかカッコイイもので消費してこう(フェミニストといえど、男子の意見もしっかり持ってる。)
そんな中、女性に囲まれて育ち、女性と生活をしていてもなんの違和感を与えない、ゲイではないが”フェミニスト”の僕。
イメージとしては、「聖☆おにいさん」のイエスはフェミニストに近いところがあると思う。
そんなフェミニストだからこそ、成り立つ男子1:女子4。
モロッコを一緒に旅した「チーム女子旅」。あの時、女性と一緒に旅するのはもうやめようと心に誓ったのに、結局 戻ってきてしまった。
だって、女性といれば多少お金は掛っても、
美味しいものにありつけるのだ。
ひとりでは絶対に行かないところに、彼女たちは連れてってくれる。キャピキャピするの大好きだ。笑
そんな”紅一点”で始まった僕のニューヨーク。
クリスマスはこんなに豪華にお祝いした。
こんなにリア充な感じ、泥臭い旅をしていた僕にとって初めてだ。
楽しい!楽しいぞ...!しかし、よく考えてほしいのは、クリスマスにひとつ屋根の下、女性4人に対し、男ひとり。
これは、逆に”非リア充”だ。笑
まぁ楽しいかったから逆転満塁ホームランなわけだが、
やっぱり「女子会」というのは傍観者として見ていて面白い。
おそらく男子諸君は「女子会」という フワッフワでわたあめのような響きに淡い妄想を膨らませるのだろうが、実際はそんなことない。
ほぼ殴り合いみたいなもん。
女子は強い。改めて実感する数日であった。笑
当たり前だが、「女性」と「男」は全くの別もんだ。「なんで分からないの!」という男女間での問題は当然なのだ。
しかし、男は女性に従うべきだ。「器」というものをお持ちならば。それが男女の関係をスムーズにさせる方法。
でもって、やっぱり女子会では
「元カレの悪口大会」が定期的に開かれる。
過去の男のクズさ加減を武器に古代ギリシャの戦士のように。
きっと俺も影で言われてるんだろうなぁ〜と思うと、なんだか笑えてくるし、ヘコむ。笑
一方、男どもが集まっても
「元カノの悪口大会」が開かれないどころか、”元カノ”というフレーズの後に続くのは、褒め言葉が多いのを皆さんはご存知だろうか。
元カノの悪口なんて話す奴は滅多にいない。いたとしたら、相当な女々しい奴。男とは言えないのかもしれない。
男って、アホだけど、いい奴が多い。
両者ともに新しい恋人ができた時、
「女は上書き保存、男は別フォルダ」
という言葉があるが、まるで、”浮気性の男を批判する言葉”に思えるが、実はそうではなく、
別れたって、新しい恋人が出来たって、
「大切な存在である」という意味なのだ。
だから、悪口は言わない。それが男という生き物なのではないだろうか。
さて、”フェミニスト”が語る男女間の違いはまたいつか語るとして、
ニューヨークだ。
”宇宙の中心”と呼ばれるタイムズスクエアだ。
すごい!大きくきらびやかな電光掲示板。
初めて見るのに、しってる光景ばかり!!
タイムリーな話題、トランプタワー!
”D”の意思を継ぐもの、ドナルド・トランプ!多くは語らないけど、大統領選の裏にはものすごい陰謀があり、あれは仕組まれてるからなぁー!!
今回のブログに何度も登場してる「ホームアローン2」でケビンが泊まっていたホテル!
値段を調べると、1泊16万円から...東南アジア3ヶ月は旅できるぞ...そりゃケビンのパパ エンディングで怒鳴るわ!!笑
ブルックリン橋!
ここから見るニューヨークの眺めは見事であった。夕日はいつも心に「黄金の風」を吹かせてくれる。自分の中での「正義」とか、「美学」をハッキリさせてくれる。
男には「美学」が必要だ。
”自分自身”を見失わない「砕けぬ意思」
船に乗って、自由の女神へ!
実は「自由の女神」を見に行くのはすごく大変だった。軽い気持ちでお昼過ぎたあとに行ったら長蛇の列!
しかも、ほぼ目の前で船のチケット完売。この時期3時頃には、自由の女神がある島へのチケットはなくなってた!
とゆーことでリベンジの翌日。
朝イチに行ったのに、結局1日かけて見に行った自由の女神!12月末のニューヨークは寒くて長蛇の列に並ぶの本当に大変だった。
もちろん「自由の女神」もフリーメイソンがつくったもの。これは有名な話だよね!
日本はアメリカにつくられた国だけど、アメリカはフリーメイソンがつくった国。
待ち時間とかで語る、ちょっとした都市伝説。
僕に未来予想や都市伝説 語らせたら止まらないよ〜!そんな話を真剣に聞いてくれる人は大抵、下に兄弟がいる。笑
きっと弟が懸命に何かを話してるように思えるのだろう。
そうそう、ちなみにAirbnb。3泊ほどで70ドル。ドミトリー1泊50ドルでもくだらないこの時期に、1人部屋でその値段はとんでもなく安い。
やはり都会は物乞いが多い。
特にニューヨークはホームレスが多い印象があった。こんなにきらびやかな街に、暗い影があって、そのコントラストに目がくらむ。これはどこの国に行ったってそうだ。
貿易センタービルの慰霊碑。
みんな、ニューヨークに行ったら 絶対に行って欲しい。きっと人は「形にこだわる」から、観光しに行っても、キラキラと輝きがある方に、虫のように集まって行くんだろうけど、
それだけじゃなく、ちゃんと向き合って欲しいことがたくさんある。
9.11の事故があって、貿易センタービルがあった場所。そこは街の本当にど真ん中なんだ。高層ビルが立ち並ぶ場所で、「本当にこんな場所であんなことがあったの!?」って目を疑う。
東京のど真ん中で起きたって何も変じゃないって感じるよ。
今は”人がスマホに動かされる時代”になっちゃったんだよね。レアポケモンがいるからって、何百って人が、液晶画面を凝視して歩く。
「もし、そこで何かが起こったら?」
「もし、誰かが何かの意図で、大勢の人を集めて、何かを企んでいたら??」
物事の奥行きや、意味、その先にある未来ってのを考える、とゆーか感じることってすごく大切だと思う。
そこには”ネガティヴ”だけで片付けられない”もしも”が存在したりする。
ニューヨークはすごく「楽しい」。
でもね、なんとなく”学べるもの”がすごく少ないって感じた。
だから楽しいのかもしれない。完成されてて、きらびやかで。でも、「完成」って言葉を少しだけ読み取ると、「もう可能性ゼロ」ってことなのかもしれないね。
「完成」するって、つまりこれ以上「進歩」しないってことだと思う。
ディズニーランドの客足が常に伸びている理由は「完成」しないからだそうだ。
ショーやパレード、イベントごと、アトラクション。古いアトラクションもリニューアルして再起動。今まで15分待ちだったものに120分以上の列をつくり、並ぶ。
「未完成の美」...ある種若者の取り柄はここにある。何もない。何も持ってない。可能性しかないのが僕ら若者だ。
子供たちの無邪気な笑顔の魅力は「未完成の美」。
常に変化し続ける、成長し続ける人間は魅力的だ。飽きさせないって簡単なことじゃない。だからこそ魅力的。
だけど、そこに気付ける人間はごくわずか。
僕だって、東京にいた頃は気付けなかった。
変に「完成」してる自分がいて、安定を好んでいたし、ハッキリ言って成長率0だった。
しかも、変に大人ぶって。
「変に大人ぶる」って一生「子供のやつ」よりもダサい。何も知らないのに、自分の可能性を止めるからだ。
自分がそうだったから、知っている。
世間は「変化し続ける魅力」「成長率がある/可能性がある奴」にもっと目を向けた方がいい。
”出来上がる”「完成」って確かに、カッコイイ。
でもダメなんだ、常に「自分」を探し続けないと...
「ニューヨーク」から直接なにかを教えてもらうことはないが、自分次第で読み取ることは出来る。
いつまでも感じ続けたい。
「声」が出なくなったヨーロッパ後。
実は、ヨーロッパのあと。
ものすごい「ホームシック」に掛かっていた。
昔っから、変に強がりで、
最終的に、よく一匹オオカミになりがちな僕。
ブログやインスタは、もちろん。
人前では、弱い部分を曝けだせない僕。
人を励ますばっかりで、
自分を励ましてくれる人がいない最近。
「ホームシック」はすごく辛く、
なかなか治るのに時間がかかった。
よくよく考えれば、
この旅は初めての「海外ひとり旅」。
いきなりの「世界一周」。
しかも、1年間という長期旅。
ちょいちょい友達や、家族に会ってはいるけど、1年間も日本に帰らない、ましてや実家に帰らない。知らない場所を歩き続ける「旅」は初めてだ。
ホームシックの起爆剤になった理由は大きく2つ!
ひとつめ!姉と一緒にいすぎた!!
「姉と旅したヨーロッパ」でも話したが、約ひと月。身内と一緒にいた。
後半はひと月一緒にいることに、違和感を感じ、「こうやって顔をひと月見合わせたのは初めてだね!」などと言っていたのに、
姉氏。別れ際に大号泣。
「ざみじいぃぃい(さみしい)」と、
鼻水垂らして泣いてたのを今でも覚えている。
そのときは、いつも同様、
「家族だべや〜(笑)」と、笑ってごまかしたが、僕だって実はものすごぐ寂しかった。
だって、こんなに泣いてくれるまで
別れを寂しがる人、久々だったのだ。
世界一周出発日。
実家から、成田空港に車で送ってくれたのは、姉。
実を言うとその前日まで、約5ヶ月ほど掛けて
清澤姉弟始まって以来の大ゲンカをしていた。大きな理由は忘れたが、僕が「姉のスキーへの姿勢」を否定したからだ。
あの時は、彼女のリザルトの一歩奥なんて、全く考えてなかったし、自分の目標に向かって懸命に頑張る人間を否定する”腐った”自分であった。
しかし、さすが姉と言うべきか、「最後の見送り」をしてくれた。
その朝、喧嘩していたからか、少し気まづい空気と土砂降りの空。出発前日に彼女にフラれ、心も暗く、到底「世界を旅する男」の顔でもない。
人生最悪の日だったことを今も覚えている。
その日ちゃんと謝ることが出来なかったので、クラウドファンディングのプロジェクトが始まる前、しっかりと謝った。
僕にはしっかりと謝れる理由があった。
だって今なら、本気で僕も生きていたのだから。本気で夢を叶えようとしているのだから。
「本気」になったとき、自分の過ちがしっかりと見えた。
...姉とのひと月のヨーロッパ旅が終わり、1人ポツンと、オーストリア・インスブルックにいた。
号泣する姉と別れたあと、実は少しだけ、
僕も泣いた。なんでか分からなかったが、小さい頃から特に一緒にいなかったはずの姉との別れがすごく寂しかった。
ホームシックになった要因②
ヨーロッパで、「クリスマスマーケット」に行きすぎた!!!
この時期、良かれと多くのクリスマスマーケットに足を運んだ。
イギリス・ロンドン
ドイツ・ミューヘン
ノルウェー・オスロ
オーストリア・インスブルック
イタリア・ローマ
バチカン..etc...
他にも、サンタさんやクリスマスツリーをたくさん見てきた。
これがまずかった。最初は「わぁ〜!素敵!!」「クリスマスツリー可愛い!大きい!!」などとキャピキャピしていたが、
「クリスマス」...辺りを見渡せば、幸せそうな人たちばかり。手を繋ぐカップル。笑う子供たち。暖かそうな家族。
う、うぅ、うぅ、、、
気付かぬうちに僕は、「ホームシック」という泥沼に、自ら足を突っ込んでいた。
僕には、こんな暖かい家族はいないし、
父親は僕を虎の子に育てようとしてる。
なんだか、すごく、寂しくなった。
帰りた〜くな〜ったよ〜
君がい〜る 町にぃ〜〜
(いきものがかり)
い〜まさら帰れないよ〜
あの場所は どんな素敵な思い出も
心にしまっておくべきなのさ。
(清水翔太)
ちなみに、清水翔太の”Home”はパリまでヒッチハイクの旅の最中、家に泊めてくれたサムに出会う前にシャッフルで掛かり、すでに1度号泣している。
とにかく。
「暖かい家族」という心の安らぎを求めていた。それは、自分にとってどこにもないのに。
「自分はどこに帰るべきなのだろう」
「帰る場所が分からない」
この不安が、寂しさに増して、僕を襲った。
12/23
ローマからニューヨークへ向かった。
ニューヨークももちろんクリスマスムード。
海外のクリスマスというのは、カップルのものではなく、「ファミリー」のもの。
むしろ、カップルのためのクリスマスなんて、世界中探したって日本くらいで、
「家族」のイベント。または、宗教的にクリスマス自体祝わない。というのが主だ。
無宗教の国「日本」における”イベント”の意味なんざ、企業の策略でしかないことに気付いた方が良い。意味なんてまったくない。
クリスマスはもちろんのこと、
バレンタインデーになれば、お菓子会社。
ハロウィンはドンキホーテというところだろう。笑
本来なら「イベント」というものには「意味」がある。これを忘れちゃいけないのだ。
...おいおい、ホームシックの話すらズレてるぞ。
ニューヨーク行きの飛行機では、
「ホゥホゥホゥ。機長のサンタクロースです。」というアナウンスが流れた。
ほぅ。これが本場の”アメリカンジョーク”かと、真顔の表情を浮かべた日本人の僕。
とてもじゃないが、笑える精神面ではなかった。
ニューヨークのJFK空港から、市内へは地下鉄で行く。僕がニューヨークへ着いた時、すでに23時頃で、外は真っ暗で、人気も少なかった。
夜中でも電車は動いているのだが、
間隔がものすごく広い。1度電車を逃すと20分ほど待つ羽目になる。
誰もいない薄暗いアメリカ・ニューヨークの地下のホーム。
重たい荷物を床に置き、冷たいベンチに腰を下ろす。
消えたり、着いたりする黄色い電灯。
電車がやって来るであろうトンネルからは、「コォ〜〜〜〜」という風の音が聞こえ、
水滴が落ちる音が、「孤独」という感情を更に大きくする。
この不安な”待ち時間”が僕の精神をさらに削った。
ポタッ、
ポタポタッ、
これは、トンネルから垂れる雨水の音ではない。
気付けば、僕の膝は大きく湿っていた。
「なんで、こんなことしてるんだろう。」さえも思ったが、世界一周初日の孤独感ほどではなかったと感じる。
自分がこの広い宇宙でたった1人になったかのような「孤独感」と、ホリデーシーズン真っ盛りで聴こえてくるクリスマスソングのコントラストが僕を襲い続けた。
その日からサンフランシスコ滞在時まで、
「集団」に混じっては、孤独感を和らげ、
しかし、長く集団が続くわけでもなく、
いつかはこの孤独感と向き合わなければならない日が来る。または、日本への帰国。ということを頭のどこかで理解していた。
「ホームシック」
...その響きは どこか幼稚く、子供がかかる病気だと思う大人の方が多いかと思う。
しかし、言語も通じず、
本当の意味での「安全」なんて保証はどこにもなく、
まったく知らない世界を、
初めて、人生初めて、
23歳ないし、その歳に旅してみろ。
必ずその”心の病”に掛かってしまうだろう。
特に、僕の「あまちゃん」とされるバックグラウンドがあってみろ。
なっても、何もおかしくない。
とゆーか、なって当然だ。
という僕の中の声から、
こういった”弱いところ”を書いている。
人なんて、弱いなんて当たり前だ。
弱くて何が悪い!
で、こうやって「自分にいっぱいいっぱい」になっちゃうと、
「声」ってなかなか出ない。
これは言い訳に聞こえるかもしれない。
これは甘えに聞こえるかもしれない。
だから、”アウトプット”がなかなか出来なくなった。
寂しさを和らげるために、”インプット”し続けた。
女性が失恋して、泣ける映画を見まくるアレと同じだ。心に余裕がないと、アウトプットって出来ない。
心がいっぱいいっぱいで、リセットしたいときは、みんな映画を観たり、他のことをして気持ちを入れ替えるでしょ。
その時間が必要だった。
でも、すでに”自己ブランディング”ってものが僕にはあった。
「元気」で「ポジティブ」で「明るく」「前向き」な清澤 一輝がインターネットの世界にはいた。
人間、当たり前だけど「1mmも落ち込まない人」なんて、世界中探したっていない。
だけど、そんな落ち込んでる姿、
弱い姿、弱音を吐いてる姿、見せれる場所がなかった。
それが辛くて辛くて。
だから芸能人の方ってすごいと思う。
プライベートで、どんなに辛いことがあっても、お仕事では、”出来上がった自分”ってのを演じなきゃいけない。
それが、どんなに自分にいっぱいいっぱいでも。だ。
「芸能人の辛さ」なんて、なかなか気付くことなんて出来ない。
そんなことに気付いたので、実際に”芸能人”としてお仕事をしている友達に、近い解決策があるんではないかと相談した。
彼女いわく「自分でその道を選んだものであり、自分は人とは違う特別な道を選んだ」ということを言っていて、最後にこんな言葉をいただいた。
「旅は自分のためでもあり、誰かのためにもなっている。」
そうだ。そうだった。
自分の人生を変えるべく、自分のために始めた「旅」。何かひとつの特技を駆使して旅をしてるわけでもないのに、いろんな人から応援していただいて、僕の投稿を見て、旅に出たくなったなんて声も毎日もらってる。
世界中のどこかで、誰かが、僕の声で元気になってる。旅は自分のためでもあり、誰かのためにもなっている。
そしてもうひとつ。
「悲しいこと」とか「辛いこと」
そういう感情を知るから、
人はまたひとつ、優しくなれるのかもしれない。
相手の気持ちが分かるようになるのかもしれない。
そうだった。俺には上っ面だけじゃなくて、ちゃんと背中を押してくれる友達がたくさんいた。
日本に帰ったら、みんなに会いに行こう。そしてちゃんと「ありがとう」って伝えよう。
この旅を通して、俺は優しくて、強くて、器のでかい男になりたいんだった。
”感受性”がものすごい、
笑ったり、泣いたり、喜んだり、落ち込んだり、人間味の強い私。
落ち込んだって、弱くたっていい!かっこ悪くたって全然構わない!
それって「人間らしさ」だから!
何も悪くない!
そんなことから、「弱音を吐く」という表現よりは、「より人間らしく」ということが分かってきた。
結局、いつまでも人にくっ付いていても、
ホームシックはずっと治らない。
クリスマス、年越し、お父さんと旅したカリビアン、ずっと誰かのそばにいようとして、
俺の見送りに来てくれた親友の男友達と毎日電話してたけど、向き合わなきゃいけない。
そろそろ乗り越えなきゃいけない。
問題は解決しなきゃいけない。
第3章 アフリカ・ヨーロッパ縦断編 完〜ヨーロッパを抜け、ついにアメリカ本土上陸!〜
今までの旅を通しても、
完成されている”街”はあまり魅力的に感じなかったが、ローマは別だ。
今までの街で1番気持ちがいいのがローマだった。
イタリア全土で地下鉄はないそうだ。というのも、地下を掘ればなんらかの遺跡にぶつかってしまい、その度に計画変更、路線変更と、莫大な資金が掛かってしまうからだそうだ。
歴史のあるイタリアも好きだ。
東京にいた頃、よく通っていた広尾の美容院の野田さんは結婚旅行にイタリアに行ったって言ってたっけな。
仮にもう一周、世界を旅できなくとも、ここイタリアを長く旅してみたい。
イタリアだけの濃いブログも書いてみたい。とか思ってるあたり、僕は重症なのだろう。笑
僕はよく、朝イチに電車に乗って、
観光ポイントを人がいない間にまわり、
午後あたりから歩いて、その国を見て感じる。
歩くことで、見えてくる、感じてくる国の雰囲気というものがある。そんな”街”を歩いて、「なんでだろう?(都市構造や文化など)」を調べて、文章化する学問が前回述べた”フィールドワーク”である。
もし、これから 世界を見て回ってみたい。と思ってる方がいれば、フィールドワーク入門くらい読んでおいて損はない。
ただの観光ではなく、街を歩く上での「気付き」を与えてくれる。
こういうポイントを見ると、街が見えてくるよ。とかっていう奴だ。人はそれを「感受性」とも呼ぶが、それを鍛えることだって出来る。
僕はマックス20kmまで1日に歩ける。
インドでは、観光地よりも「旅すること」に意味があって、よく歩いたものだ。
そんなイタリア・ローマ。
たまにある飲み水の補給ポイント。もちろん無料!しかも炭酸水まで出てくる優れもの!日本にも置いて欲しいなぁ。
けどね、日本って、水道水が飲める国なのに、ミネラルウォーターを消費率が世界1なんだよね。世界には、水道水も飲めなくて困ってる人たちがいるのに。
自殺率も世界1位で、経済大国の割に幸福度はかなり低い。
もしかすると、日本人、特に東京の人とかは、1番”ヒト”から離れた”ニンゲン”なのかもしれない。この言葉の意味は、世界を旅してみないと分からないかも。
コロッセオの前でEceと出会った。
彼女はトルコ人で、今はマルタ留学してるそう。初めてトルコの友達が出来た。
僕も1人だったから、カメラを頼まれて同い年だったから会話が進んだ。
マルタ留学といえば、最近フィリピン留学の次によく耳にする。
「マルタ」...リビアのちょっと上、イタリアのちょっと下。すごく小さな国で、マルチーズの原産地だ。
彼女と別れ、テヴェレ川を渡り、バチカンまでの1本の通り、この辺りのイタリアンはどこも素晴らしいとのことで、カッコつけて外の席に1人で座り、グラスワインとトマトのパスタを注文した。
ボーノ(美味しい)!ディモールト ボーノ!(非常に美味しい)!
本場のイタリアンは本当に美味しかった。
中学のとき、学祭の打ち上げで行ったサイゼリアくらい美味しかった。
やはり1人では、あまり「食旅」をしない。
今回は珍しく、安宿のオーナーに進めまれ、この通りを目指したが。
「食べること」ひとつでも、誰かと美味しさを”共感”できる方が何倍も思い出にも、楽しみにもなる。
やはり「共感出来ること」や「共通できる話題」ってのが、僕はすごく好きで、
よく「外国人と結婚したい」と、理由を「え?そんな理由で人生賭けて大丈夫??」と心配しちゃうような回答が返ってくる日本人がいるが、
僕は絶対 結婚するなら日本人が良い。
日本人じゃなくても、日本で育った人がいい。
ふと気付いた。
僕は「共通する話題」ってめちゃくちゃ好きだ。「〜のドラマ懐かしくない!?」とか、「下北沢が好きなんだよね!」とか。
懐かしい話とか、お互いが知ってることを話し合うのがすごく好き。新しい話ももちろん好きだけど、落ち着くのは共通する会話。だからこそ、同窓会とか古い友人と会うのは楽しい。
それをいちいち、相手は何も知らない、
思いを共感できない。
それはあんまり幸せだと感じない。以前「価値観なんて違って当然」と述べたが、そこじゃなくて、「共通認識」というところ。これは本当に結婚するレベルであればとても大切な内容なのではないだろうか。
そしてもうひとつ。「言語」の壁。
ライター活動を通し、僕は、ようやく日本語が得意になった。
自分が想ってることを、あまり誤差なく相手に、伝えられるようになってきたと思う。
自然の美しさを少しだけ文字に閉じ込めれるようにもなってきた。
”こうこうこういう感情”や”気持ち”を他言語化して100%伝えることが出来ないことに気付いた。
いくらTOEICやTOEFLで満点を叩き出しても、僕らはネイティヴスピーカーにはなれない。
「I love you」はいつまで経っても「I love you」としか聞こえず、「大好きだよ」と言われた方が”意味”は同じでも、何百倍も後者の方が嬉しい。
それに加え、”どう”大好きなのか。日本語が上達してしまったので、針に糸を通すくらいの言葉選びを日本語以外では出来ないことに気付いた。
どうしても、他の言葉ではシンプルになり、「自分の100%の気持ち」を伝えられない。
だからせっかく、日本語がうまくなったから。
日本語で、日常でどれくらい感謝してるか、どれくらい愛しているかとか、ってのは、針に糸を通すくらい細かいレベルで伝えたい。
だから断然結婚するなら、日本人女性。
といっても、”落ちてしまう”のが「恋」であり、「恋」というものは、どうしても”盲目”になってしまう。ということは十分理解している。
そんなことを考えながら歩いていたら、再び彼女と出会った。
どうやらこれからバチカンに行くとのことで、一緒に向かうことにした。
1度なら誰とだって出会う。
しかし、2度目は違う。神様がもう少し「出会え」って言っている気がして、いつも再開はテンションが上がってしまう。
特に最近は、1回会っただけではツンツンしてしまい2度目の再開では本当にデレデレしてしまう。誰にでも心を開いてしまうのは再開。
あっという間にEceと仲良くなってしまった。
移動の間、彼女と少しだけトルコのこと、テロのこと、世界情勢について話した。
自分の国が、危険に侵されているってどんな心境なのだろう。安全な国で生まれ育った僕ら日本人には一生分かり得ない感情なのだろう。
2人でバチカン市国へ。
世界一周 24カ国目 Vatican City/バチカン市国。
ローマの中にある世界最小の独立国家「バチカン市国」
キリスト教最大宗派カトリックの総本山で、後ろに見える建物は、サンピエトロ寺院。
この国自体が世界遺産!
その大きさはなんと、ディズニーシーよりも小さい!ってウチの大学よりも小さいやんっ!笑
「天使と悪魔」が大好きな僕にとって、こんな都市伝説の国ないよね!!
言わずもがな、ローマ法皇生前退位の裏には...
キリストが磔になった聖墳墓教会のある聖地エルサレム・イスラエルで買った、クリスチャンのお守り。
これを、ここ。カトリックの総本山にずっと持って来たかった。あまり多くは語らないけど、
「世の中には、世の中のルールを考えた人たちがいる。」
それは、法律っていう話ではなく、「道徳」.という意味でだ。
だって不思議だと思わない?
聖書の話は、イスラエルの話なのにそれを世界に広めたのはヨーロピアン。
聖書をつくったのも、ヨーロピアンなんだ。
「仏教」も発祥の地、インドから仏教徒によって世界へ。
「イスラム教」もメッカから、イスラム教徒に
よって世界へ。
でも、キリスト教徒だけ違うんだ。
以前「宗教」って支配だってブログで書いたけど、ここ。バチカンが最大の秘密と、世界の鍵を握ってる。国の存在自体が不思議だもん。
アメリカとかってのは、いわゆる”芸能人”と同じで、踊らされてるだけ。
本当にすごいのは、芸能人を裏で操る大手芸能事務所の社長さんだったりする。それがここ。「バチカン」だと僕は思う。
世界を動かしてるのは、ここ。
「本当に大切な情報」ってのは、ペラペラ語らない方がいいからこの辺にしておく。
まぁどうであれ、なんの力もない僕は世界の流れに従うしかないんだけどね!
ローマ法王フランシスコの「火星人が『 洗礼を受けたい』と言えば、洗礼を施す」って発言は全クリスチャンにとって、ヒヤヒヤな発言なわけね!
「火星人」の存在は、聖書にも書いてないし、今までのクリスチャンの歴史を覆すことに繋がるから!
とにかく、こんなタイミングでバチカンに来れて良かった。 無宗教だからこそ、社会を観れる感がある。
この時期、どこの「クリスマスマーケット」にもあるのが、キリスト生誕の描写を描いた”ベツレヘムの星”。
この”ベツレヘム”はイスラエルのパレスチナ自治政府にあって、実際に自分が訪れた場所がこうやって、世界中のクリスチャンにとって憧れの地だって考えると、自分がやってることの「価値」を感じるね。
やっぱり、イスラエルやパレスチナに訪れていること。そのこと自体になんの価値があるか分からないけど、自分の中では非常に価値のある行為だって思う。
ただこれを自己満足に出来ないなってすごく感じてる。
「夕日に照らされるローマの街並み」
世界一大きな大聖堂、バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂。その屋上・クーポラから見下ろした「絶景」。
夕日を目掛けて登った551段の階段ーサンピエトロ大聖堂から見た夕日。
今まで観た夕日で1番綺麗だったかもなー!
小さなことでも「幸せ」に気付けて、
そういうことを大切にしていきたい人生である。私はいつまでも「ハッピーエンド」を信じてる。自分自身を信じてる。
よく「現実見なよ?」とか、「んなもんあるわけないじゃん」みたいな話を耳にする。
そのー、現実がどうこうってのももちろん分かる。けどさ、
人が「ハッピーエンド」を信じてなにが悪い?
ハッピーエンド...つまり、明るい未来なんだけどさ、
「楽観的」とか「アホ」だとか思うかも知れないけど、
じゃあ「目標」とか「計画」だとかって、
何のために立てるんだろ?
それに向かって、頑張っていこうってことなんじゃないの??って思うんだよね。
だったらさ、”明るく”考えるべきでしょ。むしろ。
その明るい未来に向かって、人は歩いて行くんでしょ。
「歩くことをやめない」...それは、ここ最近の僕のテーマでもある。生きるテーマだ。
「歩くこと」をやめちゃいけない。
前に進み続けよう。
...ということで、ここ。
カトリックの総本山。「バチカン市国」にて、
”第3章 アフリカ・ヨーロッパ縦断編 完ッ!”
10月の頭に海路で国境を越えて入った”アフリカ大陸”。
そこから約3ヶ月掛けてヨーロッパへ北上・縦断し終えました。
アフリカでは、ダイビングのライセンスを取ったり、サハラ砂漠でキャンプしたりと、やっぱり「自然が大好きなんだな」って再確認。
世界の果てまでやって来て、やっと「自分」って人間が分かってきました。
ヨーロッパでは、「食旅」から始まり、ヒッチハイクの縦断や、資金を集めてヨーロッパの山々をSki Tripしたりと、変わらず充実した毎日を過ごせました!(1度 中国行っちゃったけどね)
エジプト🇪🇬→チュニジア🇹🇳→モロッコ🇲🇦→スペイン🇪🇸→フランス🇫🇷→イギリス🇬🇧→ドイツ🇩🇪→オーストリア🇦🇹→イタリア🇮🇹→ノルウェー🇳🇴→デンマーク🇩🇰→中国🇨🇳→イタリア🇮🇹(戻)→バチカン市国🇻🇦
でもって、ここ”ローマ”・”バチカン市国”で、第3章が終わります。
ここから、”最終章 アメリカ大陸 周回編”
北米から中米、南米へと降りていき、僕の「世界一周」の旅は終わります...!
年末から、来年のことを調べたりチケット探していたりすると、あれだけ長いと思っていた旅の終わりが徐々に見えて来て、それがとても切なかった。
12/22 チェックアウトの日。宿にて。
「Kei、この後はどこに行くの?」
「今夜、ローマからニューヨークへ行くよ。」
「わぁ!すごいね!トラベルライターってかっこいいな!」
...ダンサーの女性、脚本家のフランス人男性、小説家のイタリア人、そして、トラベルライターの卵の僕。日本人男子。
「今夜、ニューヨークへ行くよ」という一言がすごく誇らしかった。
ずっと、ずっと、憧れていた「世界」なのだ。
「アーティスト」としての世界。
「世界を旅する」ということ。
体育会に所属しながらも、憧れていた「アーティスト」。そして、世界規模で何かをする。感じるということ。
間違いなく、ずっと憧れていた世界に、
僕は今いる。それが嬉しくて嬉しくて。
鼻歌を歌いながら、寒空の中、
僕はトランクをガラガラと引きづり、空港へ向かった。