バスで寝過ごし終点へ〜そして最後のAJメモ〜
気付くと降りるはずであったバス停をとうに過ぎていた。
この言い方をすると、まるで自分で気づいたかのように聞こえるが、
実際には隣に座っていたマレーシア人に尋ねたのだ。
バスから飛び降りようとすると、
英語ではない言語で止められたので、降りるのをやめた。
よく聞くと、終点まで行ってそこから戻ってくるのが得策だ。とのことだった。
そのままバスに乗り、話に聞いていた終点に着いた。
「ふぅ、このままバスに乗っていればいいのか。次は気をつけなきゃな」くらいに思っていると、
バスの運転手に怒鳴られ、指でくいくいっと出口の方を指差された。
「...は?」
一瞬の沈黙の後、僕は運転手にどこに行きたいのか尋ねたが、英語が伝わらず
「とりあえず出ろ!」と言われた気がしたので、バスを降りると、
そこは廃車になり、かつタイヤが盗まれている車や、ボロボロの家(スラムに近い)の集結する団地であった。
目の前のバス停には小さな明かりがひとつと、錆臭いベンチ。
すると突然、謎の背の高い黒人が現れ
「何語が話せるんだ?」と一生懸命な英語で話しかけてきた。
「少し英語と、日本語。」と話すと、
まいったなという様子でこちらを見た。
最後まで彼が何の目的でバス停付近にいたか分からずじまいだが、とても重要なことを僕に教えてくれた。
「この付近はマレーシアでも危ない場所だ。強盗がしょっちゅう起こる。タクシーを探して帰りなさい」と。
急にこの辺りが恐ろしくなった。
たしかに道にたむろしている人や、
建物の壁、全てが灰色で薄汚れていた。
マレーシアのタクシーはぼったくりが酷いので、乗るのは大嫌いだ。
だがしょうがない。命が第1だ。
しかし、この付近でタクシーを捕まえることが出来ず、しぶしぶ最後11:00PMのバスに乗ることに。この時10:30PM。そしてiphoneの電池も切れている。
バス停に戻ると、あの錆臭いベンチに1人の女性が座っていた。50代くらいだろうか。
僕が隣にいることも関係なく”ヒンドゥー教”のお経を唱えていた。
右下の影には、日本の2.3倍サイズのどす黒いゴキブリ。聞いたことのないお経。
バス停の前を通る人はこちらをじっと見ている。
消えたり付いたりする小さな明かり。
幼い頃のまるで”トラウマ”のような恐怖がそこにあった。
...この内容は、その時の恐怖を紛らわせるためにバス停で書いた内容だ。
その後、終バスが来ると、僕は安心しきって
(ふぅ)と、小さく息を吐きながらAJの家へ向かった。
この時のAJの顔ほど、僕にとって仏であるものはなかった。
結局、ペトロナスツインタワーを20:00頃に
離れたのに、家に着いたのは12時手前だった。
AJと過ごす、最後の夜だ。
相変わらず、彼の家は明るい。
AJは最後に「またいつでも戻ってこい。KEIがこの旅を通して成長していくのが楽しみだよ」と話してくれた。
...そして次はマレーシアの”ペナン島”に向かうといいと、僕に再び「AJメモ」を渡した。