インターナショナルな晩餐会〜ペナン島初夜の出来事〜
ペナン島初日の朝。
僕はさすがにちょっと疲れてた。
今日まで、まったくオフ日がなかったし、昨日も夜遅くに就寝。
世界を自由に旅している人が”オフ日”とか言うと、「そんなもの必要あるの?自由なんだし、まるで毎日がオフじゃないか。」
そう思われる読者の方もいるだろう。
しかし、思い出して欲しい。
どんなに楽しい旅行でも、自宅に帰りふとベッドに腰をかけると誰もがひと息「ふぅ...」と息を吐く。
この時ばかりは、楽しかった旅の思い出よりも”多少の疲労感”と”我が家に帰ってきた安らぎ”を感じるのではないだろうか。
旅に出ると、その”行為”がどれだけ
精神的なものをカバーしてくれているか強く感じることができる。
高校時代から7年間寮生活をし、どこでも寝れる僕でさえ、ある場所から新しい場所へ。慣れる頃に移動する生活は、たまに”自由に対して”息抜きをしたくなる。
そして僕の場合、ライターとしての”仕事/任務”があるので、探検しない日は間違いなく必要だ。
この日は、軽くごはん屋さんをさがして、のんびりしよーっと思っていた。
AJから聞いていた情報は、
「芸術」と「食」の街。ということ。
とりあえず、1食目。
”ラクサ”を食べてみることに。驚くことに、平均して1食200円以下で抑えることが出来る。
しかも うまい!!ヤバいぞこれ!
※食レポには慣れてないので、少しずつ”食”を文章にしていく練習してきまーす!
デザートは、こちら。
分からないけど、甘いもの食べたくなって、パフェ?アイス?頼んでみた。
フィリピンの”ハロハロ”みたいにたくさん乗ってるのだが、中には”コーン”が。
僕の感覚からすると、トウモロコシは、スイーツじゃない。しかし美味い。
この日は、少し歩いて宿に戻り、
最近 お気に入りの小説”アルケミスト”を読んだり、ジョージタウンの地図を眺めたり、明日からの探索準備をしていた。
そんなとき、出会ったのが、同じゲストハウスに宿泊していた、オーストリア・インスブルック出身のチェスマンだ。
彼女とコーヒーを飲みながら少し話した。
僕はスキーの遠征で何度かインスブルックに訪れたことがあったので、
そのことを話したらとても喜んでいた。そして、ドイツ語を自己紹介程度出来たので、なおさら会話は弾んだ。
アジアを旅していて、ドイツ語を喋るヨーロピアンがとても多い気がする。
スペイン語の壁にぶち当たる前に、少しドイツ語勉強しようかなと感じた今日この頃だ。
そして、ドイツ語英語の発音は、すごい弾んで聞こえる。フワフワしてる。
最近では、一発でドイツ語が喋れるか外人か分かるようになってきた。
フィリピン英語。もちろん訛りはあると思うけど、学校によって異なるね。
うちの学校は、プロナンスに力入れてたから、かなりネイティヴに近いみたい。外人に、発音を褒められるとすげー嬉しいです。
はてさて、話を戻すと
チェスマンと話していて、「よければ若者の集まりがあるけど来ない?」という流れになった。
1日ぼーっとしていたので、
夜くらい外出してもいいかと雨の中チェスマンと出かけた。
そこで出会ったのが彼らだ。
右手前から、イギリス、オーストラリア、オーストリア、オランダ、イギリス、オーストリア、日本!
こんな感じで、インターナショナルな晩餐会(どんなに食っても500円くらい)が、密やかにジョージタウンで行われた。
彼らとは、すぐに打ち解けた。
”日本から来た”って、すごい外国のみんなにとって、特別なことみたい。
俺らが、マダガスカル出身の人に会う感覚に近いんじゃないかな?笑
独特な文化と、小さな島国。
みんな「いつか行きたい国だ」って話してくれる。
僕の左に座っているソニアは、チェスマンと同じインスブルック出身。
彼女は17歳で、バケーションを使ってアジアをバックパックしてるそう。
「それってすごいことだね!俺は22歳で、世界一周してるけど、これは日本でかなりアブノーマルなことだよ!」
と話すと、
「社会に出る前、特に18歳になる前にひとり旅をすることは、ヨーロッパでは普通だよ」と、話してくれた。
”かわいい子には旅をさせろ''
...我が子にもそうさせたい。
そして、今まで”金髪白人女性”の違いが分からなかったが、ヨーロピアンって、すげぇたくましいのね。
彼らに得意げに”箸の使い方”を教えてあげた。
これは、日本にいたころ「世界一周でしてみたいことリスト100」のひとつだ。
ドリアンを持って大喜びのアントン。
彼らと、お互いの国のことを話し合い楽しい夜を過ごした。
僕はずっと”インターナショナルな人間”に憧れていた。
アバクロで働くずっと前から、外人と自由に意見交換出来る人に憧れていた。
日本にいた頃は諦めてたけど、なんとなくそれに近付いてる自分がいた。
”何かを始めるのに、遅いってことはない。
今日はこれからの人生で1番若いのだから。”
そう感じた23歳。ペナン島での夜であった。
ちなみに1番聞き取りやすい英語はオーストラリアでした。