タイ・バンコクから、カンボジア・シェムリアップまで〜波乱万丈”ナナ旅”スタート!回りだした「歯車」〜
カンボジアに来たことで、
僕は再び「必然」という言葉の意味を知ることになる。
そして、この”世界一周” 旅の中で非常に濃い4日間。カンボジアライフのスタートだ。
オープニング(カンボジアに行くことになった経緯)...
本来、僕の世界一周の予定は
パーイ→インド・ニューデリーに入る予定であった。
しかし以前紹介した”旅するハタチ”ナナちゃんと、新バックパッカーの聖地「ロングラック」にて沈没してしまったことによって、
ナナちゃんに「ラオス・ルアンパバーンまで行っちゃえば?」という一言で、
スケジュール変更。
→そしてバンコクに戻り、インドへ!
という”東南アジア一周コース”に再構成。
これを後に...”ナナ旅”と呼び、
良いも悪いも、旅するハタチの顔を思い出すことになる。
この小悪魔的笑顔め... !
...それは8/13の早朝。
タイで出来た友人と朝まで遊んでいた僕は、眠たい目を擦りながら、明け方 ゲストハウスに帰ってきた。
「はぁ〜、今日は移動できそうにないな〜(またタイに沈没するな〜)」
と、再び頭の中でため息を吐きながら、ゲストハウスの門を開くとこれからカンボジアに出かけようとしている1人の旅人に出会う。
これが、”カンボジア運命共同体”誕生の瞬間だ。
この先、「運命」とは「必然」とは。深く考えることになる。
彼の名は”ケンさん”通称モリケン。
昨夜、夜中にタイにやってきた旅人だ。
彼の今回の旅は、「陸路での国境越え」
男なら誰だって1度はやってみたい魅力的な目的だ。
目の前でカンボジアに旅立とうとしている旅人を見て、僕の”行動力”に再び火が付いた。
それは、僕の心の中でハッキリと見える火であった。
「僕も着いてっていいっすか?」
約4週間。タイで沈没していた僕は、誰かに着いていくほか、陸路での移動は難しくなっていた。
この機会を逃せば、せっかく”旅するハタチ”のナナちゃんに作ってもらった”ナナ旅”にも行けなくなる。
とてもいいタイミングであった。
カンボジア行きのバスの予約も何もしていなかった僕は、
「まぁ付いて行ってみるのはタダだし、行っちゃえ!乗れなかったら、乗れなかったで宿に帰って寝てやる!」と、思い10分で支度をした。
カンボジアといえば、
”天空の城 ラピュタ”の舞台になったと言われる”ベンメリア”という場所がある。
10分で支度をするのも大変なのに、40秒で家を出れたパズー(ラピュタの主人公)には感心するなぁ。と思いながら、心の中で次の旅への期待度が膨らんだ。
そして、ケンさんは僕にとってのドーラおばさん。
ケンさんに付いていくこと10分。
ケンさんが予約した旅行会社の集合場所に到着。
そして皆さん、察しの通り
再び”運命的な力”で、なんとかバスに乗れてしまう。決して空いてるわけでないバスに乗れた。
それはまるで、カンボジアが僕を手招きしているかのようだった。
バンコクからカンボジア・シェムリアップまでのチケット 850バーツ
ほぼ徹夜だった僕は爆睡だった。
5時間ほど経ち、カンボジアのイミグレーション。久々にビザが必要な国に入国する。ビザ代は1200バーツ。
カンボジアとタイの国境感は「アジア最悪の国境」と呼ばれているほど悪名高い。
おそらく軽くぼったくられてるだろうが、とにかく代行を頼まず、ビザ取得をしたかったので、なんでも自分の足でやってみた。
カンボジアか。
当初、世界一周の予定を考えた時、
全く行く予定のなかった国。
アンコールワットと、かぼちゃ?
という知識しかなかった。
確か、”かぼちゃ”はカンボジアから来たから、”かぼちゃ”って話を世界一周前に読んでいた「世界こども図鑑」に書いてあったっけ。
夕方5時頃。カンボジア・シェムリアップ オールドタウンに到着。
ピピ島から、宿を現地で探す力を得た僕は(味をしめた僕は)、シェムリアップでも宿を予約したいなかった。
ケンさんとは、シェムリアップで別れるのであろう。と当初 思っていたが、「アンコールワット」や「ベンメリア」
その他の観光地には、トゥクトゥクが必要だから、割り勘の方がお得ということを話して、とりあえず初日の宿はケンさんと同じ
”コーチヤ ゲストハウス”に行くことに。
そういえば、カンボジアの通貨は、
”米ドル”と”リエル”。
未だによく分からないのだが、
とりあえず、米ドルで支払う。
しかしお釣りは”リエル”みたいな。
2000リエルで、50セント?だった気がする。
この日は、ケンさんと、軽く街を探索。
気付けば、何も違和感も感じず、お世辞でも綺麗とは言えない屋台で、オーダーする自分がいた。
やっぱりアジアのナイトマーケットは魅力的で面白い。
人生初のマンゴースチン。
これ、超美味しい果物。なんだか、バニラのような?マンゴーのような甘さ!どうして日本の商社は目をつけないのか本当に疑問だ。
その後、翌日ベンメリアに行くということで、早目に宿へ帰宅。
あまりにもカンボジアに無知だったので、歴史や宗教を勉強していると、
ケンさんが僕を呼びに来た。
「これからイラン人の男と飲みに行くけど、行く?」
僕は、久々の刺激的な誘いに胸を躍らせ ひとつ返事で行くことに。
それが、「運命のいたずら」ということをこの時 知らずに...。
すでに、歯車は回っていた。
それは、タイにいた頃から。
僕がフルムーンパーティで出来た友達と出会っていなければ、明け方帰ってくることはなかった。
全ては「必然」である。ことを、このあと知ることになる。
そう。このあと起こる「睡眠強盗」もカンボジアの歯車のひとつに過ぎなかった。