カンボジア・シェムリアップからプノンペンへ陸路移動〜目的地キリングフィールドへ〜
朝6時プノンペンへ到着。
この旅初めての寝台バス。
「隣に誰もいない席 お願いしまーす」
って言ったのに、太っちょのおばちゃんが途中から僕の寝台に入ってきて、窮屈で窮屈でたまらなかった。
23:00→6:00頃到着。
相変わらず目覚めの悪い朝。
バスを降りると、これも相変わらず、
客待ちしているしつこいトゥクトゥクドライバー。
「あー!うるさいなぁー!!」
小雨も降ってきて、心に余裕ないモードになっていた。
シェムリアップに予定以上に長くいたので、首都”プノンペン”は1日で切り上げ、一刻も早くラオス・ルアンパバーンに行きたかった。
当初の”ナナ旅”では、
カンボジア・シェムリアップ→プノンペン→ベトナム・ホーチミン→ホイアン→ダナン→フエ→ラオス・ルアンパバーン→ビエンチャン→タイ・チェンマイ→バンコク
という、東南アジア周回コースだったが、
ベトナムに魅力を感じることが出来なかった僕は、ベトナムをぶっ飛ばし、ラオス・ルアンパバーンに行くことを昨夜のバスで決めた。
なぜルアンパバーンか?
この”ナナ旅(東南アジア周回コース)”が始まったころから、僕の目的は
「ゾウ使いになること!」
...ん?聞き間違いじゃないよ!
もう一度。
「ゾウ使いになること!」
そう。ラオスの国家資格。
ゾウ使いに俺はなるっ!ドンッ
ルアンパバーンは、安くその資格を取得することが出来るのだ。
そして、ルアンパバーンは
”何もない、何もしないのがいいところ!”という噂をこの旅で出会った旅人によく聞かされていた。
以前訪れたマレーシア・ペナン島 ジョージタウン(ゲイのパトリックの家に泊まったとき)
と同様、ルアンパバーンは街全体が世界遺産。
と、長く都会(というよりゴタゴタした場所)にいた僕は一刻も早く、ルアンパバーンで癒されたかった。
その朝、ルアンパバーンへの陸路移動のチケットを探しに。
しかし、ルアンパバーンへの直行便はない。
まずは、ラオスに入国すること。
ビエンチャン行きのチケットを購入した(これが後にこの旅で2番目にしんどいことになるとは思いもしなかった)
プノンペンからビエンチャン行きのチケット65ドル。うひょーたけぇ!
どんなに値段交渉してもこれが最安値だと言う。
さて、1泊4ドルの安宿も見つけ、11時に今回の目的”キリングフィールド”に行ける。
やはり、陸路移動したあとのシャワーは最高に気持ちいい。
”泥道”を歩いてきた者のみぞ”コンクリート”の良さを知る。
首都”プノンペン”という街は、
非常に危険だとケンちゃんから聞いていた。
トゥクトゥクに乗っていて、
荷物を横からバイクで盗まれたり、
ひったくりで、抵抗していたら銃で撃たれたりと、夜は絶対出歩くなと聞かされていた。
おぉ、くわばらくわばら。
トゥクトゥクに乗って、前回のブログで書いた”キリングフィールド”に行くことに。
その途中にいた、信号待ちの車を磨く少女。
カンボジアにも多くの物乞いの子供たちがいる。
パブストリートで暗闇の中、
素手でゴミを分別する子供たち。
何とも言えない空気が漂う。
この子供たちの年齢で、僕は綺麗な制服を着て、”お受験”をしていた。
なに不自由ない生活をしていた。
見ず知らずの人間に、物を乞うことなど1度もしたことがない。
その光景を見たって、感じたって、
なにも変えれない自分は、ただただ
親や環境に”感謝”するしかなった。
別に批判したいわけではないが、
僕の小・中と通ったいわゆる”私立のおぼっちゃん学校”は、”世間”をなかなか知る機会が少ないと思われる。
もっともっと多くの人たちがいることを知る機会が少ない。
自分たちの”どれだけ環境がいいか”を理解するには、他者の声を聞かねばならない。
いままでの旅で、どれだけこの感情に触れてきただろうか。
これからもどれだけこの感情に触れていくのか。
...無事にキリングフィールドに到着。
楽しみにしてきたわけじゃない場所。
こんなこと、この旅で初めてだ。
中に入ると、日本語訳の音声とパンフレットを受け取り、実際に数十年前まで人が処刑されていた場所を、歩くことが出来る...
そこで僕が感じたこととは。