「生」と「死」について〜一連の流れから考える今の私〜
正直、このことを文字にするかどうか
タイ・バンコクからクラビまでの
夜行バスの中、深く迷ったが 短い文章で
今ある感情を残したい。
その知らせを聞いたのは、8/6だった。
同い年の高校時代の友人が亡くなった。死ぬにはあまりにも若すぎた。
彼は同じスポーツをやっていたこともあり、タフな男だった。
自分自身、周囲に”死”が近付いてきたことがなく、その報告を受けた時 なんと”言葉”にしていいのか分からなかった。
しかし、感情の中では”何か”得体の知れない黒い物体が、ゆっくりと確実に動いていた。
わざわざ”すべて”を言葉にする必要はない。
そして、何がこの先起こるかは、僕を含めすべての人間にとって分からない。
「運命」とは...
遠い地より、御冥福を申し上げます。
【追記 プーケットで起きたテロより】
タイ・プーケットで同時多発テロが起きたその日、僕は決して遠くないホステルに滞在していた。
その日、大きなサイレンの音で目が覚めた。
「テロ」という響きと共に、再び”死”を連想させた。急に旅に対しての不安が大きく膨れ上がった。
日本から、えいっと飛び出してしまってから、”不安”や”恐怖”というものを長く忘れていたが、決して「旅」は100%安全ではない。
僕らは日本人の感覚では、「死」は非日常だ。
生きてる限り理解できないが、必ず訪れるその瞬間、ようやく理解できる。
大袈裟かもしれないが、生きて帰らなくてはいけない。それは絶対条件だ。
命が1番大切だ。死んでしまえば、富も名声も、経験さえも無意味である。
そして俺は、まだその覚悟が出来ていない。
「死」というものからだいぶ離れている日本人だ。
友人が亡くなり、周囲でテロが起き、
言葉に出来ない感情がぐるぐると自分の中を巡っている。
僕は生きなきゃいけない。
やらなきゃいけないことが、やりたいことが、
まだまだたくさん残っている。
1日1日を大切に、日々の日常に感謝して。
僕は”最後の地”サンフランシスコを目指す。
【更に追記 カンボジア・シェムリアップにて睡眠強盗にあった後】
「命」があった。
仮に、僕が殺されていてもおかしくない状況、
「いやいや大袈裟だろ」って、結果論から言う人はたくさんいるだろうし、そう思われてることは今、それは生きてる証だ。
「睡眠強盗」を例えるのであれば、
映っていたテレビのコンセントをブツッと、抜くような感覚。
突然 意識がなくなり、その瞬間”未来”に飛ばされる。
”未来”に飛ばされてよかった。
ここが”未来”で良かった。
銃を向けられたとき、すぐに、
「金」や「物」なんてくれてやる決心が出来た。
「命」には何も変えられない。
あの世には何も持っていけないのだから。
【これらの経験の後、プノンペン・キリングフィールドへ】
その場所に立ったとき、僕の目からは大粒の涙が溢れた。
ここで”カンボジアの歴史”を学ぶ直前に、いくつかの”命”や”生”ということを、自分の経験を通して学んでいたからだ。
この言葉で合っているのか分からないが、
この場所に来て、”良かった”と言える。
ただハッキリと。「人間の命」を学ぶことの出来た数日間であった。