「寝台列車でバラナシを目指して」
20:30の電車を待っているホーム。
すでに2時間電車がこない。
インド人を見ていると、誰ひとり電車を待っている様子の人は見えない。
というのは、電車が遅れている苛立ちも、
せかせかとホームの先を見つめる眼差しもそこにはなかったからだ。
彼らは、電車を待っているというか、
ひたすらにその時間を”ただ”過ごしているというか、
なんとも日本人の僕からは説明しづらい空間がそこにはあった。
日本では、たった数分 電車が遅れるだけで、
苛立つ人々、必死に謝る駅員、
車内全体が、というより駅全体が
どす黒い東京ならではの空気に包まれる。
インドで電車を待つ僕は、
”待つ”ということに既に何も思わなくなった。
この旅で既にどれだけの時間を待っていたのだろうか。あの頃の僕はもういなくなってることにここで気が付いた。
「電車を待つ」
はっきり言って、”委ねるしかない”。
それ以外何があるのだと言うのか。
僕は、その時間をイライラして過ごすか、
気長にリラックスして待つか、同じ時間なんだ誰だって後者を選びたい。
それを選ぶには、”心の余裕”が必要だ。
別に”日本人批判”をしたいわけじゃないが、
僕らは、本当に幸せと言えるのだろうか?
アジアを旅していて、
「日本から来たの?へぇ!すごいね!」と言われることは多々ある。
たしかに経済大国日本。不便なものはない。
しかし果たして僕らは幸せか?
やりたいことがやれてるか?
ラオスに訪れたとき、モン族のサイにこんな話を聞いた。
「どうして、外人からお金をぼったくったりしないの?(タイやカンボジアに比べて)」
「そりゃ、なにも生活に困ってないからさ。僕たちは今のままで十分幸せなんだ。」
新しくもどこか懐かしい感情がそのとき生まれた。いや、思い出したと言うべきだろうか。
...一方、アーグラの駅では、
物乞いの子供が僕らから離れずにいた。
小さな声で「バクシージバクシージ(お恵みを)」という口元を僕は見えいられなかった。
今回のインドの旅、少し”観光”になりがちだ。
僕ら日本人の目からは、
「思ってたよりも安全で素敵なインド」しか写ってないのだろう。
美しいタージマハルを見、バラナシに向かうアーグラの駅で、自分の無力さに嫌気がさした。
そして、フィリピンで人生初めてストリートチルドレンを目撃したのを思い出した。
当時のフィリピンの大きな問題は、
「麻薬」(現在大統領が変わって変化しつつある)
ストリートチルドレンにお金をやると、
皆安価で薬が手に入るので、1食食べるよりも、薬を使ったほうが2日間空腹を免れるので、
薬を使用するストリートチルドレンが後を絶たないと聞いていた。
少しのお金じゃ何も解決できない。
その無力さが当時の僕を襲い、気付けば そんなことも忘れていた。
”子供は生まれる場所を選べない”
当たり前のことだが、当たり前ことほど
本当の意味で理解するのは難しい。
現に、その言葉の意味を僕が改めて理解したのは22歳になった頃だった。
今朝、タージマハルで綺麗な赤いサリーを着ていたインドの女の子と、今横で靴も履かずボロボロの服を着た彼と何が違うのだろう。
僕は今日も”感謝”する。祈る。
自由に世界を旅することが出来ること。
ここまで何不自由なく育ててくれた両親、環境に...