聖地を旅し続けた僕が見つけた「宗教」とは〜信じるか信じないかはアナタ次第です〜

そもそも「宗教」について。
僕の考えをここで書かせていただく。

今まで、仏教徒の聖地、
ヒンドゥー教徒の聖地、
イスラム教徒の聖地、
ユダヤ教徒の聖地、
そして、キリスト教徒の聖地に足を運んだ僕。

聖地巡礼の旅をしているんじゃないかってくらい、その国の神様や文化には、敬意を持って追いかけてきた。

その地には、その地の神様が、
人々や土地の文化を守っていて、
ルールが存在する。

例えば、僕ら日本人が1番異教徒だと感じる
イスラム教徒”の女性を例に挙げてみよう。

彼女らは、当たり前のように
ヒジャブを付け、最愛の人以外に皮膚を見せない。結婚すれば、目しか見せず、真夏でも大きな黒い布に身を隠す。

男性は日に5回、お祈りを捧げる。

イスラム圏の国では、とても大きな音で祈りの歌が謳われる。

金曜日になれば、自分がおかしいんじゃないかって思うくらい、みんながみんな、床に手をつけて、メッカの方角に向かって祈る。

彼らにとって、これは”当たり前”であり、神様は当たり前のように存在する。

文化であり、宗教である。


そう、”当たり前のこと”つまり、
「価値観」なのだ。

「宗教」とは「価値観」。



法律以外に、世の中に
「何が良くて」「何が悪いか」


この世に、その境界線を白黒させるものは、何か。
「なぜ人を殺してはいけないか」という答えに、法律以外の、人間的な、道徳的な回答は存在するか。


「宗教」は「道徳」であり、「価値観」。


この世にルール、秩序、何が良くて、何がいけないかということが存在しなかったら、
世の中はどうなってしまうだろう。

人は欲望のままに、自分のしたいことしかしないだろう。それこそ、動物と変わらない。

しかし、「宗教」という「道徳」であり、「価値観」であり、「秩序」というものを、

僕ら ニンゲン に教えることによって、
世の中に「なぜ人を殺してはいけないか」の回答となる”ルール”が誕生する。

人はそれを「秩序」と呼ぶ。

だが、その「ルール」をただの「ルール」として、世間に訴えても「なんで?」という疑問が生まれる。


「で、なんでしちゃいけないの?」という疑問だ。


その「なんで?」をなくすために、
聖書やコーランといった、”神話”を入りまじり、ストーリー口調に説明すると、世の中の人々はそれを理解し、信じ、世の中のルール、秩序を全うする。

そういった話を、当時はテレビや漫画、映画といった”メディア”、もちろん”インターネット”もないので、ヨーロッパの特にフランスやイタリアの画家たちが、絵画を描き、有名となる。


今の画家の知名度とは比にならないほど、彼らが有名になった理由は、「神話」のような圧倒的ストーリーしかなかった時代、彼らが絵画でそれを描き伝える。つまり、メディアの役割を果たしていたと私は考える。

世の中に広く伝わり、歴史とともに、伝達される。


それがやがて「価値観」となる。


つまり、「宗教」とは「価値観」である。

神様は常に、我々を見ている。
なので悪いことをしない。祈ろう。

こういう価値観も生まれるのだ。

しかし、どの時代、どの場所にも、
同じ価値観を持たせようとする人々はいる。

だから、今でもテロや戦争は終わらない。
相手に自分の価値観を従わせようとするため。

「支配」は終わらないのだ。


そして、その神話は本当かどうか追求すること。
それは「無意味」な行為とされている。


仮に、全てが嘘だとわかってみろ。


天国もなければ、地獄もない。
神様などいやしない。
僕らは、生物として猿から進化したのだと。


カトリック」が崩壊すれば、この世は終わる。道徳の境界線、何が良くて何が悪いのか、この境界線がなくなるのだ。


たとえ、それが「真実」だとしても、
世間はそれを真実としない。


だから、ガリレオは処刑された。
天体説を唱えたからだ。その時代、それを証明すると神を否定することになるからだ。
ダーウィンだって、叩かれた。


「知識」を持っていても、いくら人類の進歩のためでも、それを拒む連中が多くいるんだ。


どうだろう。


少し怖くないかい?


この世に、「この世のルール」をつくった、人たちがいるんだ。


だって、不思議だと思わないかい?
キリストは、ここイスラエルで死んで伝説となったのに、それを世に広めたのは”ヨーロピアン”なんだぜ?

その「価値観」を広めたのは、ヨーロピアン。

ほら、大航海時代
日本にもザビエル達がポルトガルから来てキリスト教を広めに来たじゃない。

「宗教」を広めることは、価値観を押し付けること。つまり、支配なんだよ。

フィリピンには、マゼラン一行がやってきた。
フィリピンにももちろん、ハワイのカメハメハ大王みたいに、王様がいた。名はラプラプといった。

フィリピンの英雄ラプラプは、マゼラン一行と戦った。そして、マゼランは殺された。

その後結局、スペインの統治下になっちゃうんだけど、つまり、島国において王様より偉い存在を出しちゃダメなわけ。

日本もよく拒んだと思うよ。
よく考えてごらん?
急にどこぞの誰かがやってきて、「これからは〜を信じろっ!よって、〜日間断食だ。」とか言われたらさ、これはあの時代からしたら、「支配」でしかないわけだ。

それも”人間を超越した存在”と言われる人物からの。(この人物をつくったものは...?


”支配”のための「宗教」でもある。
この世のルールを考えた人たちがいる。

だから、紐解くな。
「信じる者は救われる」

そして、僕は”聖墳墓教会のキリストが磔にされ、死体を安置したところから20mほどまっすぐ歩いたところにある、あるマーク”の情報を聞き入れた。


その部屋は普通は入れないのだけれど、カメラでズームをしたりして20分ほど立ってたら、他のツアーガイドの人がしれっと入れてくれた。

なぜこのマークが、

この三角に目のマークが、

この場所にあるのか...
世の中のルールを作った人たちとは...
(お分かりの方いますね?あまり深く書いて、消されたくないのであまり書きませんが...

信じるか信じないかはあなた次第っ!


そしてこの場所、イスラエルがなぜ、テーマパークなのか...

これだけの信者が集まるエルサレム

旧市街地外は、非常にまとまっていて綺麗で、空気も美味しい。

大きな門を潜り、”聖地”へ。

その場所一体に、「キリスト」というメインキャラクターが大好きな信者がいて、

ヴィアドロローサといいう道があり、
しかもその道には「ここでキリストが十字架を背負った」「ここでキリストが手をついた」という各種ポイント、アトラクションごとに多くの信者が集まる。

でもっていたる所で、十字架や宗教グッズが売られていて、みんな買い物をしていく。

イエス・キリスト」というメインキャラクターを中心に、この場所は完成している。

これが仮に、世界の縮図だとしたらどうだろう。「洗脳」「支配」という言葉が似合うと思うのは僕だけだろうか。


おやおや?

読んでるうちに気付いちゃいました?

じゃあ、「ディズニー」って何なんだってこと。ふふふっ、色々 深入りするのはやめたほうがいいよっ!ハハッ!

「ひとつ」にするには、
世の中を「平和」にするには、
上に立つものが必要なんですね。

その上に立つものが、仮に”マリオネット”なら
本当に裏で支配しているのは誰なのか。

つまり、世界が認めるミッキーの存在を、裏で完璧に創り上げたウォルトって人がいるわけよ。

これが、世界を旅して、いろんな本を読んで出した僕の「宗教間」の見解です。


まぁ、どの宗教も「キリスト」の存在を否定すること出来ないみたいだからね!
あのお方はいたみたいよ。歴史的に。


僕は信じてます。信じる者は救われる。