「日本を離れ半年」

ペトラ遺跡

ついに来たペトラ遺跡山頂。
その日は太陽がジリジリと照りつけ、岩岩の間を縫うように歩き、足に絡みつく砂は、インドのゴミだらけの道よりも、東南アジアのぬかるみよりも歩きづらかった。

しかし、3時間ほど厳しい坂道を登り、ようやく”山頂”とされる場所に着いた。


その壮大な風景に息を飲んだ。

この光景は、今までの旅で1番壮大であった。
それは、インド・ジョードプルで観た景色よりもルアンパバーンのプーシーの丘から観たメコン川に落ちる夕日よりも私の心に突き刺さった。

いつもカメラを片手にしている私でも、その光景に溺れ、目に焼き付けることに夢中になった。カメラの存在など気にも留めなかった。

砂漠気候の風が頬に触れ、僕の前髪をなびかせた。

「何者も自然には敵わない」

僕らは、この自然に生かされている。
この惑星で、勝手に生きているわけではない。

その光景は、人間のちっぽけさを皮肉にも笑っているように感じた。


高山以外何もないこの景色。
再びだ。いつまでも見ていられる。


やはり伝えることが出来ない。
たとえ、最高の文章を添えて、
たとえ、最高の瞬間を切り取っても、
経験には敵わない。
経験し、自分の目で、耳で、体で感じなければ、それはただのスマートフォンの画面を見ているだけの”行為”なのだ。

こう考えると「全くの別物」という認識がひしひしと伝わる。


僕は”行動/経験主義者”だ。

「人生ってなんだったんだろう?」という問いを死の直前に悟ったとする。

そこにあるのは、紛れもなく”経験”だ。


「経験こそが人生だ。」


そして、経験をするには行動するしかない。
まずは一歩、踏み出してみることだ。
飛び込んでみることだ。


同じ人間なんて2人といない世の中で、
他人の意見を聞くだけで、「無理だ」と言って飛び込まずに逃げるのでは勿体なさすぎる。


まずは、飛び込む。我武者羅でも、我流でもいいからやってみる。
飛び込んでみて、やっぱり合わなくてもいいし、更に追求してもいい。


まずは、飛び込むこと。


飛び込まずして逃げるのとでは、
圧倒的な「経験値」に差が出てくる。
経験談が0と1の差はあまりにも大きすぎる。


遠くの方で、タカが鳴いている。
彼が見ている景色はどんなんだろうな。

僕ら人間は、どんな風に映って見えてるのかな。

ぼくは、鳥の自由さを羨ましく思った。
僕ら、人間を縛り付けているのは、人間自身。
つまり自分自身だ。

「自由さ」を掴む権利は誰にだってある。
この星に生まれたのだから。


しかし、人は「自分が本当にしたいこと」を追求するよりも、周囲の目を気にしてしまう生き物。追求できる人間は「覚悟」と共に生きている。

その覚悟が、ある種「自由」をもたらす。
ひたすらに、懸命に、”今”を追求すれば、自ずと結果は後から付いてくる。

僕はその「真理」をもこの人生を通して理解していた。

再びタカが遠くの方で鳴いた。
それは、僕が日本を離れ半年が過ぎた頃。