「世界の果てまで来て分かったこと」
ついに来た。サハラ砂漠。
僕がいるこのモロッコという国は、僕の持っている世界地図(日本が中心になっている)で最西端に位置する。
気がつけば、僕は当時 夢見ていた”世界の果て”までやってきていた。
これまでの旅路で訪れた場所、出会った人々、
降りかかったハプニング、奇跡。
その日が遠い昔にも、つい最近にも思える奇妙な感覚だ。
ラクダに揺られて向かうは、永遠と続く砂山。
”砂山”と言えば一見 大したことのないように聞こえるが、そこにあるのは、紛れもない”砂漠”。
サハラ砂漠。
まるで絵画に描いたような光景に、ある種目を疑っていた。
実物なのに、実物のように見えないのだ。
砂で出来た大小様々な山々。照りつける太陽に反射するかのようにオレンジ色に輝く。
一面 砂漠。
目に映るものは、砂しかないのだ。
再びだ。この言葉に出来ない気持ち。
「ヤバイ」の一言で片付けられるのであれば、どれだけ楽なことか。
「砂漠」という自然の偉大さに息を飲んだ。
それは、ヨルダン・ペトラ遺跡の「山脈」や、
メコン川に沈む「夕日」のような感覚だ。
...そこにいるのは我々6人とラクダが6頭。
ターバンを巻いたベルベル人のガイド1名だけだ。
たまにラクダの糞にフンコロガシが寄ってくるのが目に見えた。
ラクダは砂漠の上は非常に安定した乗り心地だ。しかし時折、砂漠の、その自由な形にラクダとて簡単に歩けないように思えた。
そうそう、ここ”サハラ砂漠”は、
僕がこの旅に出たときに持っていた2冊の小説。「星の王子さま」と「アルキメスト」の舞台なのだ。
「アルキメスト」...
スペインの少年サンチャゴが、モロッコからサハラ砂漠を渡りピラミッドの下に隠されている”あるかどうか分からない宝”を探しに「自身の運命」や「宿命」に立ち向かいながら、エジプトまで旅をするというもの。
「星の王子さま」...
サハラ砂漠に不時着したパイロットが、星の王子さまと出会い。人生で一番大切なものを思い出す話。
僕は大好きな2つの小説を思い出しながら、ラクダに揺れていた。
...1時間半ほどだろうか。
宿を出発し、ラクダに乗り、照りつける太陽の中、延々とキャンプ地へ向かう。
僕を含め6人の旅人の口数もだいぶ減った。
そんな中、僕は砂漠の偉大さに感動し、
心の中で「僕の好きな”自然”ランキング」というのを考えていた。
1位は、圧倒的に「夕日」だ。
世界のどこで見ても綺麗な夕日。
しかしその美しさにも個人的な評価が加算される。美しければ美しいほど、日々の疲れが癒される。
”夕日を眺める心の余裕が出来た”これだけでも、この旅に出た甲斐があるような気がする。
2位に、「夜空の星々」
そして、3位に今回初めて出会った「砂漠」がランクインした。
そんなことを考えながら、物思いにふけていると、キャンプ地がポツンと見えた。
そして、我に返った。
「大好きな自然ランキング」なんてことを考えている自分は、”紛れもなく”生きていた。
そして僕は本当に自然が、生きることが、
好きな人間だと感じた。
東京にいた頃は、こんなランキングなんぞ
考えもしなかった。僕はこの地球で、息を吸って、風を感じて、生きているのだ。
その言葉だけで、その全てを感じれることが出来るようになっていた。
...目的地に到着し、しばらくすると夕日が沈み始めた。どんなに遠くまで眺めても、砂漠以外の物は目に入らなかった。地平線を”ただただ”眺める数分は、非常に心地の良いもので、心の中にある”容量”のようなものが(人はこれを器と呼ぶ)の空きスペースが、少しだけ。また少しだけ、広がった気がした。
このとき何故だか、ホロリと涙が垂れた。
それはきっと、あまりにも美しすぎてだろう。
僕には、この”光景を見せたい人”がいる。
そう、世界の果てで思えることを幸せに感じた。
気付くと、1番星が宇宙の隅っこで輝き始めた。
そして日は完全に沈み、あたり一面 暗闇に包まれた。
...日が落ち、一気に涼しくなり、みんなテントに戻った。
そして、テントの中で モロッコ料理”タジン鍋”を食べた。鍋の蓋を開けると、もくもくっと立ち上がる湯気、そしてとてもいい匂いがした。アツアツの鍋に、ジャガイモや鶏肉がゴロゴロ入って、一緒に出てきたパンと一緒にお腹いっぱい食べた。
薄暗いテントで、卓を囲んで食べたタジン鍋。
なんだか小学生の頃のキャンプを思い出すな。
いっとき忘れかけていた”無邪気な笑顔”。
それは、いつまでも「子供」ということだけでなく、”未完成”という意味の”無邪気さ”。
旅に出た僕は、自然とこの”無邪気さ”を取り戻しているような気がする。
僕はより一層幸せな気分に満ち溢れた。”懐かしい”と思える気持ち。”無邪気”な。これから、何が起こるんだろうって、わくわく、どきどきする感じ。僕はこの感情が大好きだ。
タジンを食べ終えテントから出ると、
夜空には満遍なく”星”が散らばっていた。
今度は、どこまで観たって星しかない。
まるで自分が宇宙にいるみたいに。
こんな「夜空」観たことない。
僕が知ってる夜空じゃない。なんと言っていいか、言葉に出来ないもどかしさが再び僕を襲う。とにかく、僕ら人間には絶対に”表現”出来ない空がそこにはある。
太鼓の音色と共に歌われるモロッコの民謡。
時より竹が炎の中で割れパチパチと鳴る。
その音が太鼓の音色と、砂漠の静けさに混じり合い、独特な雰囲気に酔ってしまう。
夜空を見上げると、数え切れないほどの星々。
数分に1度流れる流れ星に、僕は、僕らは、それぞれの願いを夢見た。
...星の王子さまは教えてくれた。
「本当に大切なものは、目には見えないんだよ」と。
...サンチャゴ(アルキメスト)は教えてくれた。
「少年は風の自由さを羨ましく思った。そして自分も同じ自由を手に入れることができるはずだと思った。自分をしばっているのは自分だけだった。」と。
長きに渡りついていた火が消え、
ベルベル人の歌う民謡も終え、砂漠が暗闇に包まれた。見上げれば、何千、何万という巨大パノラマ。
その静けさに”孤独”さえも覚えた。
まるで、世界が僕1人だけになったかのように静かだった。
静けさ故に、「自分という人間」をいろんな方向から見つめ直せた。
「星が綺麗な夜だった」だけではあまりにも、言葉足らずな夜だった。
...朝になり テントで目をさますと、その寒さに、その静けさに、驚いた。
そしてまだまだ薄暗いが、間もなくといったところだろうか。日が上がりそうだ。
裸足で歩けた砂漠の砂は冷たく、とても砂漠で歩ける様子ではない。
再び砂の上に立つと、周囲の景色が変わっていることにも驚いた。
昨日登った砂山の形が大きく変わっているではないか。
この”未完成の美”というものを、砂漠は持っている。見渡して、1番高い砂山に登り、朝日を待った。
まるでスキー場に来てしまったかのような寒さの中、黙々と朝日を待った。
「日が出る」前が1番寒く。1番暗い。
しかし、必ず朝日は上がるのだ。何度沈んでも、必ず上がり、輝く朝日は、まるで人生の手本のように感じた。
そうこうしているうちに、
この日最初の朝日がサハラ砂漠に上がった。
とても暖かく、「生きている」ことを感じた。
まるで大切な誰かに抱きしめられているかのように、生き返った。
僕は、分かった。ようやく。
ようやく少しだけ、”自分”という人間が分かってきた。何が好きなのか。だったり、どんなタイプなのかってこと。
今まで分かった気になっていただけであった。
ようやく”自分の足元”が見えてきた。
日本が真ん中になったとき、最西端に位置する国。モロッコ。旅に出て約7ヶ月。
世界の果てまで来て、分かったことは、
「自分の足元」だった。