スペイン・バルセロナから、フランス・パリまで1,100kmヒッチハイクの旅〜若者の根底にあるもの〜

”スペイン・バルセロナ”から、
”フランス・パリ”へヒッチハイクで北上する。


若者らしい”謎の根拠”。
ただただ「やれそう」という勢いが当時の僕にはあった。


それも、この時「タイムリミット」があった。
3日以内に行かなければ、アウト!

「アウト!」と言っても、どうするのか分からなかったが(飛行機のチケットを買うのか?バスに乗るのか??)、とにかくアウト。

というのも、この時 既に”クラウドファンディング”を達成しており、ドイツ・ミューヘンに集合する日時の約束を姉としていたのだ。


ヒッチハイクという無一文でも出来る移動手段に相反する縛り、それが「タイムリミット」。

お金を掛けない代わりに、時間を掛けるというのが、移動手段のルールであり、だからLCC航空の移動は非常に安い。

ヨーロッパの「ヒッチハイク」文化には、もともと魅力があった。日本ではなかなか”ヒッチハイク”って物珍しいものに感じるが、ヨーロッパ、特に夏季は多くの若者が、ヒッチハイクを利用して ヨーロッパ中を駆け巡る。

「知らない人の車に、知らない人が乗る。」
まず日本人の感性から、それって大丈夫なの?って思うだろう。けど、ここヨーロッパではヒッチハイクで誰が1番はやく目的地に着けるか的なヒッチハイクレースが行われたりするほどメジャーな感じ、とゆうか「文化」として成立している。

ヒッチハイカーは、その先々で色んな人と出会い「人生のあり方」を感じることが出来る。


どうしても、「コミュニティ」というものは、
類は友を呼ぶわけか、似たような人間が自然と集まり、ひとつの集団を形成する。

大学の学部であれば、その学問に興味がある人、サークルも然り、家族にだって医療系の多い家系もあれば、公務員、起業家の家系、なかなか自分と全く違う人と出会うって実は簡単なことではない。

しかし「旅」は色んな人たちの人生に触れることが出来る。

もちろん旅人同士なら、「旅」が好きという共通認識はあっても、バックグラウンドや価値観が似通ってる人はなかなかいないし、その国々で出会う人たちは、僕たち日本人にとても強い影響を与えてくれる。

そんな旅がやっぱりしたくて、ヒッチハイクに挑戦した。

まぁもともと世界一周を終えた後、

ヒッチハイクでもしながら日本を旅しようかなと思ってたんだけど、

わざわざこの旅が終わったあとじゃなくても良いんじゃない?と思って結構したってのもあるかな。



3日間ほど、宿代の数倍を掛けて食事をしてきたけど、それはおじいちゃんになっても出来ること。

そう思い出したんです。

「一生忘れたくない旅がしたい」

「一生ぶんの思い出話をつくりたくて」この旅に出たってこと。



「今」の等身大の僕に出来るのは「ヒッチハイク旅」

この時、辿り着くかどうか分からなかったけど、とにかく「目的地・パリ」を目指すことに覚悟を決めた。





初めての本格的な海外ヒッチハイク

実は、小5?の頃、ニュージーランドで1人でヒッチハイクしたことがあって、スキーの練習のあと、罰で山をひとりで降ってかなきゃいけなかったんだけど(就寝時間を破ったから)

こんな何千キロものヒッチハイクは始めてで、期待の何倍も不安があったかな。



日本でもやったことのない僕は、果たして1台目の車を捕まえられるのかって感じだった。

第一の関門は、「街を抜けること」

終わってみて1番大変だったと思うことは、都市を抜けることにあると思う。

いきなり都会の道路に、ヒッチハイカーがいても車を止めてくれる人はなかなかいなくて、

その後も小さな街に何度か訪れるんだけど、僕がどうやってヒッチハイクをしたのか。



それは…「ガソリンスタンドに行く」または

「高速道路の入り口まで行く」ということ。

ガソリンスタンドまで行き、高速道路の入り口で降ろしてもらうというダブルコンボでも良いかもね。

実は、バルセロナの街中から高速道路の入り口までは、電車で行きました。

とゆーのも、街で立ち続けること3時間。朝早くに宿を出たのに、あっと言う間にお昼になっちゃって、全く動けず...



しかもスペインは中々 英語が話せる人がいなくて大変だった。

そんな中でも、やっぱり助けてくれる人はたくさんいて、例えば彼は「今日は日曜日だから本当はヒッチハイクに向いてない日だよ。ガソリンスタンドに連れてってあげるから、そこで待つといい。」なんてことを教えてくれた。





そして第二の関門、というよりポイントは「パネルの書き方」

当初、ヒッチハイクの経験のなかった僕はバルセロナからいきなり「to Paris」というパネルを持っていた。



これじゃあ、乗れる車も乗ることが出来ないよね。笑

当たり前といえば当たり前なんだけど、事前に地図を見て「目的地までのルート」を小さく細切れにして、おおよそのルートを考えて、第一の目的地、第二の目的地とパネルに書いていくこと。

そんなことを教えてくれたのは、バルセロナで出会った少年。最初はいきなり「to Paris」なんて書くから、笑われたけど、もっと小さく書かなきゃ!って教えてくれた。



「あ!そこまでは行くよ!」という人が乗せてくれるはずだからね。

乗ってしまえばこっちのもん!

僕は、その後も運転手さんに「あなたの目的地まで乗っていた方がパリは近いかな?」と、いう感じでころころルートをコロコロ変更していた。



ガソリンスタンドで待ち続けても一向に、車が来ないから、スタンドのお兄さんにもう電車で高速道路入り口に行くべき!と、地図を書いてもらった。彼も英語が全く話せなかったけど、

だんだん人と人との”本来あるべきコミュニケーション能力”を取り戻しつついた。



どうやら「アウトピスタ」というのが、高速道路入り口の意味らしい。

その後、高速道路入り口の近くの駅に行くことに。若者は英語が喋れるということで、カップルを見付け、複雑な路線をどこで降りたらいいか聞くことに。

その優しいカップルは電光掲示板を見て、「あれに乗ったらいいよ!」とチケット購入からホームまで教えてくれたが、最終的に彼が先に行かなくてはならないということで、

僕も目も気にせず、目の前でかなり熱いキスを交わした。

わぉ!情熱の国、スペイン!

たしかに、街中どこでも人目を気にせず、愛を深めるカップル。しかし、困ってる外国人をそっちのけで、キスするなんて!「めちゃ驚き」だが、羨ましい。笑



こういうのも、賛否両論なところがある。

「人前ではしたない」という言い方をするか、

「情熱的」という言い方をするか。

この旅を通して学んだことがある。



「世の中」って、賛否両論だし、表裏一体。



かの、パブリックピカソの絵だって、当初は「落書き」として扱われ、芸術を害する存在であった。



しかし、ひとり、ふたりと彼を評価するものが増え、民衆が動いたのだ。



当たり前のように、「評価」は十人十色。評価とは、感性であり、育ちや文化、宗教観の違いによって異なる。



つまり!

これからの人生、私を批判する人間が現れようが、私は「ヘェ〜こんな、評価もあるんだなぁ〜〜」と間の抜けた表情を心の中で浮かべることだろう。



そんなことを思いながら、目の前で繰り広げられるキス。私は「情熱的」だと思う派。しかし、外人だからだな。絵になるのは。気持ち悪くないのは。笑



さて、高速道路付近の駅に着き、

彼らに道を教えてもらって高速道路手前で初めてのヒッチハイク!...

待つこと20分くらいだろうか。2人の若者の車が僕の目の前で止まった。



最初は、ヒッチハイクで止まってくれたことだと気付かず、それに気付いた瞬間ものすごい喜びがこみ上げ、バンザイをしてしまったほどだ。

記念すべき、僕の初めてのヒッチハイク

彼らは、スプレーアーティスト。壁にスプレーでアートを描いている”芸術家”だ。

度々こうして、外国人を車に乗せることで英語を勉強しているそう。なんというバイタリティーだ。こういう”我武者羅”でもどうにかしてやる精神は、見習いたいものだ。

彼らは、お互いに自己紹介をしなかったけど、たくさんの話をした。外国人とのコミュニケーションであるあるなのは、「名前」なんて、お互い知らなくても仲良くなれるってこと。



「マイフレンド」とか「メーン」とかって呼び合う。つまり、”名前”っていう表面上のカテゴリーなんて、そんな大切なことではないんだろうな。


”ダリ”が生まれた場所を走り抜け、スペインとフランスの国境「ジョンケラ国境」まで乗せてくれた!
いきなりフランスまで来れたのはかなり大きい!この国境付近は、フランスの人たちが物価の安いスペインへ買い出しをよくしに来るそう。

そして、彼らが降ろしてくれた駐車場は、多くのトラック運転手がいて、きっとパリ行きのトラックもいるだろうということで、熱い握手を交わし、彼らは去って行った。

ヨーロッパは国境を越える際のイミグレーションがなく、車で簡単に国境を越えることが出来る。その際に、彼らから良いアドバイスを受けた。

ヨーロッパの車のナンバープレートの左端には、アルファベットが書かれている。それが彼らの住んでる場所なわけだ!


つまり、スペインなら「S」

イギリスなら「UK」

ドイツなら「G」

フランスなら「F」という風にだ!



つまり、僕が探すプレートは「F」!フランスの車!その大きな駐車場をパリの紙を持ってさまよった。

多くのドライバーがこんな形で囲み、お酒やらおつまみやらを食べている。

お酒を飲んでるということは、今日の運転はここでおしまい!ということ。

そんな中でも懸命にパリ方面を探し回った。



すると、、「明日の朝、パリまで行くぜ?それまで待つなら乗せてやるぜ?」という声が!



えぇーっ!簡単すぎた!!

パリまでヒッチハイク、簡単すぎた!!!

でも何故かな。それを許す自分がいなかった。

同じ「パリまでヒッチハイク」なのに、なぜかそのトラックに乗ることが出来なかった。

「ありがとう。感謝するけど、他をあたるよ!あなたが嫌なわけじゃないよ!けど、もっと冒険したいんだ。」そう告げると、変わった奴だなという顔で笑われた。



ここで、ハッキリできた。僕はお金がなくて、ヒッチハイクをしてるわけじゃない。「自分自身を乗り越えるため」にしてるんだってことに。

どうしてこうも苦労したがりなんだろう。

「楽」をしようと思えば、いくらだって出来るのに。きっとそれは、まだ”サナギ”のような状態だからだと思う。

僕の中で、僕は、まだマイナスの存在なんだ。

僕は”ゼロ”に向かって走っていきたい。青年は、逆風に向かって走る力を持っているし、逆風をも追い風に変える力を持っていると信じている。



「だから、もうちょっと冒険させてもらうよ。」



その後、僕は3kmほど歩いた。

重たいバックパックを背負って。あの山を越えれば、街があるよ。と言われ、山を越える覚悟は出来ていたが、この時 既に夕方。太陽は沈みかけていた。

ヒッチハイクをする上で、もう一つ自分に縛ったルール。それは「ホテルに泊まらない」ということ。これをしてしまうと、また経済的な面で、自分の美学と離れてしまう。



とにかくまっすぐ歩き、サービスエリアの駐車場で、ドライバーの顔を伺っていると、一台の車が止まった。



彼はジャンクロウおじいちゃん。
うちのおじいちゃんと同い年くらいなのに、ガンガン車を運転し、しかもスマホ片手にわき見運転!
おいおい!山道怖いからちゃんと走って!!笑

聞くと、バルセロナでバスの運転手をしているそう。通りでハッキリしているわけだが、彼が向かう先は「パリピーニャ」という街。

ここなら車も捕まって、パリに行けるだろう!と降ろしてくれたのは、がっつり高速道路の脇。
しかも、辺りは真っ暗になっていた。

...1時間 待った。

ジャンクローーーおじいちゃーーーん!
こんな所で車が止まるわけナーーーイ!!!

ビュンビュンと過ぎていく車、
そして真っ暗な中、凍えそうになりながら、
親指をグッと突き立てる。「車が止まる気配」というものを全く感じなかったので、高速道路から降り、とりあえずピカピカ光るお店に行くことに。


ここは、パン屋さんであった。
気付けば朝から何も食べてない。フランスパンを買い、かじりついた。ここのおばちゃんは、全く英語が喋れなくて、とりあえず「City」に行きたい。ということさえ通じなかった。


「駅」!
駅に着けば、つまりは街があると思い、
表情や手足を使って、
「シュッシュッシュッシュ ぽっぽーーーー!!!」と身振り手振りで伝えた。すると、分かったかの様子で、どうやらお店が閉まったあと車で連れてってくれるということに。

あぁ、ここに来てよかった。お店の明かりが消え、閉店時間まで外で待っていると、一台の車が止まった。

男「おい、お前の望みはなんだ...?」

おっ!?コイツはなんだ!?神様なのか!!?
ここで、現れたのがサム。

実は僕をホームレスだと勘違いして、フランスの病院に送ろうとしていたそう。

(フランスでは、ホームレスは病院にタダで泊まれる)

事情を説明していると、パン屋さんからおばちゃんが出て来て、どうやら僕を病院に連れて行く方向で話が一件落着。

とりあえず、サムの車に乗り病院の見学。

「わぁ、パンチ効いた旅してんなぁ、俺なぁ」とさすがに自分がホームレスに間違えられ、病院にいる事実を客観視した。



「とりあえず、飯でも食うか」とサム行きつけのケバブ屋さんに連れて行ってくれた。

サムは俺に、暖かいケバブをご馳走してくれた。


その時、嬉しさに涙がポロリ…。


この時、本当にパリに辿り着くかどうか、そして自分がどこにいるのかも分からなくなっていたので、サムの優しさに思わず涙が溢れてた。



そんな僕を見たサムは「今夜は病院じゃなくて、うちに泊まりにおいで」と優しく拙い英語で話してくれた。


この時の嬉しさは一生忘れないだろうな。

その日は、サムの家で眠った。英語もあまり喋れず、身振り手振りで「あなた」のことも「You」って言うし、「私」のことも「You」っていう。だから、

「あなたは、ここで、寝る。あなた(私)はここで、寝る。」っていう風になる。笑



翌日サムは高速道路の入り口まで送ってくれた。



「人は人を旅する」とはよく言ったもので、これまで数え切れないほどの出会いと別れを経験している僕にとって、今回の旅も、というか今回の旅ほど人に恵まれた経験はない。



1時間ほど、高速道路の入り口で立っていると青い軽自動車が止まってくれた。なんと運転していたのは女性!

見ず知らずのアジア人男性を女性が乗せてくれる…ヒッチハイカー側の僕も車が止まった時は驚いた。

彼女の名はクラウディア。

もともと彼女もバックパッカーとして、世界中を旅していたそうで、インドでの話はとても盛り上がった。

トゥールーズ」という街を目指せと、サムに言われたが、クラウディアの実家「ボホドゥ」に行くことに。

400kmほど乗せてもらって「人生」について語りあった。

彼女は、もともとフランスの首都パリで働いていたそう。けど、たくさんのお金を稼ぐ一方、それを使える時間が少ないと感じ、「時間」の方を選んだ。

お金は生活できて、少し貯金が出来るだけでいいわ。大切なのは、「時間」の方。

人は時に、「何のために働いているのか、何のためにお金を稼いでいるのか忘れてしまうのね。」ということを僕に話してくれた。



やはり、旅人の価値観は非常に人間的でリラックスしていて、個人のライフスタイルを愛しているように感じた。

いろんな人と出会い、新しい価値観に触れることで「自分」という人間がより見えてくるような気がする。


時間や場所が少しでもズレていたら、出会えない人たちが「奇跡」としか言いようのないくらい僕の周りにいて、感動の連続だった。

やっぱり、僕は旅先で恵まれているなと強く感じた。

最後にクラウディアは「旅のお守り」として、僕に貝殻をくれた。

この後、ボホドゥからは割と早い話で、トラックのドライバーが僕を拾ってくれた。

クラウディアと別れ、3時間ほど。ケータイの充電もなくなり、動画を撮る余裕もなくなった。精神的疲労がかなり大きかった。

最後、ドライバーさんとツーショットとか撮りたかったけど、もう何にも出来なかった。



そして、翌朝。

フランス時間7:40。

無事、パリに到着することが出来た!

この時見た凱旋門は言葉に出来ないほど美しかった。関わってくれた全ての人たちに心から、グラシアス&メルシーボークー!

今回の経験は一生忘れないだろうな。
たとえ、偉くなっても。
たとえ、お金持ちになっても。



僕は、人間は、「絶対に1人じゃ生きていけない。」

周囲にいてくれる人たちのお陰で生きていける。僕は1人じゃ何も出来ない。こうやって旅が出来ているのも、周囲にいてくれている皆さんのおかげなんだと思った旅路であった。今回関わってくれた人たちは数え切れないな。

写真が撮れなくても、道を丁寧に教えてくれる人たちはたくさんいたしね。

周囲にいてくれて、しかも親切にしてくれる人たち、家族、友達。日頃から本当に感謝してる。この場を借りてどうもありがとう!



そして、たぶん「夢」を追いかけるってバルセロナから、パリまでヒッチハイクで縦断するようなもの。

果たしてたどり着くのかも、どうやって行くのかも、いつ着くのかも、何もかも分からないし、ルートだって、何十何百通りってある。



「でも目指す。」

肝心なのはそこかなと思います。



“必ず目的地には辿り着く”

だって、そこにパリはあるのだから。それだけを信じて、ひたむきに「辿り着くこと」を信じる。祈る。努力する。

「ゴールに向かって進もうとする」これだけで、僕らは夢に一歩近づける、

たぶん、夢を追いかけるってそんな感じ。



ヒッチハイク

軽い気持ちでやってみたら、そこには映画のような出会いと、感動、そして「人生」や「夢」に向かっていく僕ら若者の根底にあるもの。

そんなものが見えてきた。

僕にとって、このヒッチハイク旅は人生において非常に意味のあるものだと感じるな。

僕は更に「夢」に向かって進み続けます。