「挫折」から始まった旅〜父と旅するアメリカ・親子ふたり旅1〜
...「そうだな。旅をするなら、学生のうちにだな。」
旅立つことを打ち明けると、父はすんなりこう答えた。
ご存知の通り、この旅に出た理由はたくさんある。大きな「夢」と「憧れ」とさらに大きな「不安」(今では小さくなったけど)をバックパックに詰め、僕は地球を歩いている。
”シンプル”な理由をひとつあげるなら、
「してみたかったから」という欲求ひとことで済むが、僕の場合はまるで”運命”かのように、この旅に向かって、人生が進んでいた。
その「運命」といえるべき ひとつの要因に
「挫折」という理由がある。
あれは忘れもしない、2015年8月31日。
大学4年生の夏。
僕は就職活動に真剣に向き合い、かっちりとした”自分の未来”を思い浮かべていた。
読者の皆さんには、お分かりだと思うが、
僕は「伝える」ことが大好きだ。
中学の頃からブログを書いており、形を変えながらも、今の今まで文章を書き続けている。
はじめは些細なもので、
「中学生の僕がオススメしたい映画」や
ここのゲームセンターが楽しい。
ここでこんな遊びをすると最高。
なんていう、今で言う「まとめ記事」を書いていた。だからこそ、中学生だとしても多くの友人が僕のブログを読んでくれていた。
そんな中から、
「一輝にススメられたから、見てみたよ!」
とか「〜行ったら本当に面白かったよ!」なんてコメントを貰うと、”人の感情を動かした”気になって、楽しくてしょうがなかった。
もともと見向きもしない物だったのに、
僕の言葉によって、感情が変わり、手に取ってしまう。
これって”魔法”みたいだと思った。
「人の感情」を動かす。
スターウォーズでいう”フォース”のようなものだと感じた。ラブレター1枚で、もともと自分のことを見てくれない人が振り向いてくれたとしよう。
これって凄いことだ。
そんなことから、僕の将来の夢は言葉を操る人「コピーライター」であり、もっと言うなら「広告代理店」で働きたく、さらに言うなら「電通」という世界規模の日系企業に就職し、働くのが長年の間の夢であった。
僕には広告代理店に入ったその先に、
日本の若者を「元気付けたい」という目標があった。
今でもそうなのだが、月曜日になると流れる
「はぁ、月曜日か...」
「仕事行きたくない」というつぶやき。
同期が社会に出てるからこそ、日本社会が持つ”闇”をよく見かける。
あれだけ大きな「夢」を描いていたのに、
社会に出た途端 そんな夢を語れなくなる。
語ればバカにされ、気付けば行動できず歳を取っている。
そして、今の若者は未来が不安で不安で仕方がない。
そんな社会を元気付けたい。そう思っていた。
自分の取り柄が”ポジティブ”だったから、この思想を”キャッチコピー”を通して、世間に教えてあげたい。自分色に日本を染めたいと思っていたのだ。
...僕は「内定」を断って、世界一周に旅立った。
と、色んなところで発言しているが、
本当はそんなにかっこいいもんじゃない。
確かに大企業と呼ばれる会社の内定を断ったのは事実だ。
これを発言することによって、「旅」の意味が更に深くなると当時は思っていたからだ。
でも”本当の始まり”は、「挫折」から始まっている。
僕は第一志望であった電通の最終面接で落ちているのだ。
”最終”ということもあり、ひどく落ち込んだ。
自分が長年夢見た世界が目の前で崩れ去り、もしかしたら”世界一周”という考えも、「現実逃避」から始まったのかもしれない。
それが忘れもしない8月31日。
掴みかけていただけあって、地面に膝を付いたのも覚えている。
「夢」を掴む人間と、そうじゃない人間、
どちらが多いか。考え方次第では圧倒的に後者なのかもしれない。
ただ本当に、小学生の頃から海外への憧れはあったし、中学生の頃、ワンピースを初めて読んだ日から「世界一周」「旅」という現実の中の、非現実的な響きを夢みていた。
が、自分とは限りなく遠い話だと、心の奥の箱に閉じ込めていた。
その箱を開いたのが、この「挫折」だったのかもしれない。
もともとこの箱は、見え隠れしていた。
就職活動を通して、かなり深くまで掘り返していた”自己分析”。その時も「海外への憧れ」や「経験主義」ということは理解していた。
20歳の誕生日、古い友人からもらった高橋歩さんの本。
そのときの高橋歩さんの言葉が僕を「世界一周」を現実のものにした。
そして、Tabippoという会社が僕の背中を押してくれた。世の中にはこんなに世界一周をしてる旅人がいる(HPの旅立つ前ブログ参照)
僕の中の非現実という言葉の「非」の部分をつくってるのは自分自身だって気づいた。
僕は経験主義者だ。
「経験」をするには「行動」が必要だ。
誰だって、いつからだって、行動すること/やってみることに”遅い”なんてない。
それは本当だ。
でも、当時の僕の考えは、
「行動」する最大の武器は「若さ」だと信じていた。体力的にも、バイタリティも、未来も、可能性も、僕ら若者は目に見えるもの(金や社会的地位)を持っていないぶん、もっと価値のあるもの(本当に大切なものは目に見えない)を持っている。
でもって、学びながら、生きるとかいて”学生”。「学生」が挑戦するとなぜか応援される。
同じ”起業”だってそうだ。
大人がやるのと、学生起業、
クオリティーが低くても学生起業の方がなぜか注目を集めるし、なぜかすごいと思われる。
学生って、当たり前のように、大人よりも
”無知”で”何も出来なくて”、当然だ。
「何も出来ない」
だからこそ”チャレンジャー”だ。
旅を「挑戦」にしたかった。
挑戦は応援される。
そこに気付いてしまったからこそ、当時の僕は学生を延長した。だけど今となっては、そんなの見栄でしかなくて、自分自身をカテゴリー化してしまっている、現代でよく見かける
「中身が子供なのに、大人ぶってる奴」だ。
周りにどう言われようが、
”信念の旗”ってのは、自分の中の小さな自分、
本当の自分がしっかり持ってればいいんだ。
これは、世界を旅して得た、あの頃と違う価値観だ。
そして、僕は”就職活動”をやめた。
もらっていた内定を全て断った。
そこからはあっという間だった。
世界一周のことを父に打ち明けると、すんなりこう答えた。
...「そうだな。旅をするなら、学生のうちにだな。」
経営者である父は分かっていた。
「若い頃になんでも経験する」という価値を。
彼は高卒で、周囲の人間よりも早く働いて、多くの経験を勝ち取ってきたからだ。
息子の僕が言うのもなんだが、彼には「実力」がある。男の場合、実力不足を「大学卒」でごまかそうと必死に生きるような生き方はかっこ悪い。それに、こういうかっこ悪い男はたくさんいる。
いい加減、学校で教わったことは、実力主義の社会では役に立たないことを気付いた方がいい。
意欲を持たず、何かを掴みに行かないのなら、
大学に払う学費はあまりにも高い出費だと思う。
僕が4年間 励みに励んだスキー部を引退し、
「さぁ!もう1年。学生延長!」と卒業延期届けを提出に行った時、
同じタイミングで剣道部の同期が「退学届」を提出していた。
とても切なくなった。
僕の方は、まだまだ学びたいことが山ほどあって、単位を全部取り終えても尚、卒業延期希望しているのに、
彼は部活動の4年間が終わり、単位を名一杯残し、卒業できず去って行った。今までの学費をなんだと思っているのだろう。もちろん学費だけではない。
「スポーツ推薦」で入学した者には、一旦 考え方を変えて欲しい。スポーツだけしてれば良いのではない。それなら大学でなくても、実業団でも企業でも、スポンサーを探してでもやればいい。
しかし、大学を選んだのなら 必ず卒業すべきだ。やることやって、その上に「スポーツ」がある。スポーツ推薦だけであって、やることはやるべきだ。
少し熱くなってしまった。
とにかく学生は何をすべきか。
「実力」を付けてほしい。実力さえあれば、学歴なんてクソみたいなもんで、実力のないもの程、学歴差別をむき出しの汚い言葉を吐いたりする。
...僕の家系は代々企業家の家系。
いつか僕だって、自分でつくった船で
大海原に繰り出して、それこそ自分がキャプテンで、自分の持ってるコンパスに従って、クルー達を大切にしていきたいと思っている。
そんな夢も語った上で、まず父は僕の旅を認めてくれた。
ずっと輝いてる場所にいるようで、
実は全然そうじゃない。
これは「挫折」から始まってるストーリーでもある。
以前、「僕とスキーの関係性」でも少し触れているが、全ての人類において、
山と谷というのは交互に訪れる。
全ての人間の人生おいて、良いことだけの人生も、悪いことだけの人生もない。
僕の経験上、谷はチャンスだ。
新しいことが起こるのはいつも”谷”。
この”世界一周初日の悲劇”を思い出してもらいたい。
大切なことは、
「谷」から出るコツを知っておくこと。
谷があることで、山を登ることを楽しめる。
方向からの「逃げ」という言い方も、
別方向への「攻め」と言い方もできる。
世の中は賛否両論で、表裏一体だ。
.....これは、僕が歩き出す物語。
「少年」から「大人」にという意味でも。
また、自分が本当の意味で、自分の人生を自分らしく「歩く」という意味でも。
「Walking on the Earth」