標高5,300m「レインボーマウンテン」登頂成功!天空都市マチュピチュを目指せ!!
つい先日、再会した”のんちゃん”とその友達、”ももちゃん”とあっという間に別れた、俺とネギ、「チームパイレーツ」は、噂を頼りにペルー・クスコ付近にある、標高5,300mあるという「レインボーマウンテン」を登りに行くことに。
同い年である彼女たちの南米旅のスピードはあまりにも早く、俺とネギにはイマイチしっくりこなかったので、ここでお別れ。
この旅で幾度の「出会い」があり、
その分だけの「別れ」があった。
そして、その後に”来るであろう”「再会」を信じ、旅人は必ず「またね」と言う。
僕は薄々気付いていた。
実のところ、この”地球”、”世界”を旅している一方、物語をより濃くするのは「人」で、
僕自身、「人」を旅しているということに。
世界一周を終えた今、1番 聞かれる質問は、
「世界一周でどこの国が1番よかった?」というもの。
僕は困惑してしまう。
なぜなら、「その国で出会った人」によって、その国の印象というものは大きく変わるのだ。
例え、その国の人間でなくても、
その国を一緒に旅した旅人の印象で、その旅の思い出が決まり、その国の印象が決まる。
(タカシくん、寺田先生と「最後の晩餐」の部屋で1枚)
だから、僕にとって
タカシ君と、寺田先生と旅したヨルダンはかけがえのない国だし、ヒッチハイクで優しくしてもらったスペイン、フランスは大切な国だ。
もちろん、タイも、モロッコも、
これから訪れる「ボリビア」も。僕の人生に切っては切れない国だ。
「人との思い出」とは不思議なものだ。
例えば、幼少期からずっと「ディズニーランド」に行きたかったとしよう。
しかし、いざ1人で行くより、気の合う仲間と、近くの駄菓子屋で語ったあの日の方が何十倍も思い出に色濃く残るのではないだろうか。
「人との思い出」はかけがえのないものだ。
だから、俺は同い年のネギと一緒に旅した南米は、大好きだ。
📍Rainbow mountain, Cusco Peru
アルパカの群れを横目に、登るはペルー・クスコにあるレインボーマウンテン。
なんとここ、標高5,300m 。
朝3:30に宿を出て、帰ってきたのは19:30。
酸欠で頭がガンガンして、色んな人に助けてもらいながら、ちゃんと登ってきました!
もともと「レインボーマウンテン」のことは知らなくて、カサデルインカの宿で、話を聞いて、「7つに輝く、やま〜〜!?ネギ!のぼんねぇーー!?」みたいな、
ほんと 少年ジャンプみたいなノリで登りに行ったんだけど、もう高山病が酷くて、コカの茶を何倍飲んだことか...笑
ほとんどの旅人が、ロバとか馬とか使うんだけど、俺ら日本人チーム(カサデルインカで出会った4人 よっしーさん、まちゃみ、ケイ、ネギ)は、自力で上り下りして、
本当に死にかけたけど、山頂に着いた途端、晴れてとてもいい景色が見下ろせた。
やっぱりね、
苦労して登ったから、山頂からの景色は最高なわけで。
最近では、「無駄を省く」のが当たり前で、
日本では特に「効率化、効率化」って、答えばかり追い求めようとする。
「無駄を楽しめないオトナ」にはなりたくないな。だから、実際、夢のようなアイテム、
「どこでもドア」があったら、旅は楽しくなくなっちゃう。
”苦労を楽しむ”って、ドMみたいなんだけど、そんな「ドMの美学」が人生を更に色濃くするのかもしれない。
「苦労して登ったからこそ、山頂からの景色は最高だった。」
とにかく、人生で1番 宇宙に近付いた!
標高5,300mって...笑
もう一緒のぼらない!!!笑笑
この旅で1番死にかけた。良い経験でした。
レインボーマウンテンの途中で出会った少女。彼女はトイレ磨きとトイレの入場料をもらう仕事をしていて、川から水を汲んで、トイレを掃除していた。
世界では、こういった光景は当たり前で、
子供が「家族の一員として」働く。
旅を通して、何度 僕の中での常識なんて、クソみたいなもんだと気付かされたか。
日本ではよく”常識”とか”一般的に”という言葉を耳にする。
じゃあ教えて欲しい。
「ジョウシキ」ってなんなんだろう。
旅を通じても、これだけは理解できなかった。
「常識」なんて、あってないようなもの。
オトナ達は目に見えないフィルターを掛けて、形どって、あってないような「ジョウシキ」という壁をつくる。
「世界一周」が非常識??
このブログを読んで分かる通り、僕の周りには、そんなことしてる人たくさんいるよ。
日本の若者は、もっと視野を広げるべきだと思う。誰かにカテゴリー化される人生なんて、変じゃない?
自分という人間は、世界中探したって、自分ひとり。じゃあ、”ジョウシキ”ってなんなんだろう。
常識にとらわれたり、くだらない一般論を唱えること、夢を語れないことが「オトナ」っていうなら、僕は”大人”になんてなりたくない。
子供の頃みたいに、いつまでも”未完成の美”を掲げていたいし、決して完成しないけど、ゴールに向かって歩いていきたい。
いつまでも夢を追いかけたい。
日々、新しいものに出会って無邪気な顔で、
”子供”のまま、「大人の社会」を歩いていきたい。
これがきっと僕が旅を通して見付けた”答え”。なんだと、この先の旅で僕は気付くことになる。
「動物」を当てるかわいいギャンブルをしたり、
ラーメンのような、パスタのような、チキンスープの食べ物を食べたり、
シレッと、ネギが「サウスアメリカナイズ」されてるが、この緑の帽子やポンチョ、全部ぼくのチョイスだ。笑
アルパカのカレーや、モルモットを食べたりと、クスコを満喫した僕らは、ついに「マチュピチュ」へ。
📍Machu Picchu, Peru
ついにやって来ました!”天空都市”マチュピチュ。
発見からまだ100年ほどしか経っていない”インカ帝国最後の都市”。
本当に良かった!
前日の大雨も、登った日は晴れてるし!もちろん、ワイナピチュも登ってきたよー!!
俺的世界三大男心くすぐられスポット!!
ヨルダンのペトラ遺跡、エジプトのピラミッド、ペルーのマチュピチュ!
これであと この旅の目的地は、
「ボリビア・ウユニ塩湖」のみ...なんだか悲しいなぁ。
ノートには、そう記されていたが、ここまでの道のりがとんでもなくキツかったのを今でも覚えている。
マチュピチュ村まで行くには、10kmの線路道を歩かなければならない。
通称”スタンドバイミーコース”
クスコから7時間。
マチュピチュ村までやって来た。
到着後 電車は使わず、旅人という旅人みんなが通る”スタンドバイミーコース”へ。
映画のように線路を伝って、10km。
マチュピチュ村に到着です。
とにかく、俺とネギは歩いた。
歩きまくった。この時期、雨季で途中で土砂降りになりながらも、10kmという道のりを歩いた。
当時は、めちゃくちゃキツかったが、
いつかこのキツさが笑い話になる、その日を信じてやまなかったし、辛すぎて なんだか笑けてきた。
この時、既に ネギとの中には、なんとなく「友情」を感じていた。
おそらく「レインボーマウンテン」を一緒に登っているからだろう。
”大きな山を一緒に乗り越える”
これほど絆が生まれるものはないのではないだろうか。
ニューヨークで年越しをネギと一緒に過ごしたぼくは、ぶっちゃけ「関西のノリ」に付いていけなかったが、ネギは違うな〜なんて、照れ臭いがこの時 感じていた。
陽も落ち、傘もないのでビショビショになりながら、なんとかマチュピチュ村に到着。
【2月3日のノートより】
マチュピチュ村のカエルのゴミ箱を発見
こっちの「太陽」とか「自然の神」みたいなのを重んじる文化はすごく好きだ。
僕は長年、東京という大都会で生活してきたが、やはり「自然」を重んじる心を忘れちゃいけないな。
南米は全く英語が通じなくて、
”One, Two, Three...”っていう数字も分からなくて、
最初はいつも電卓が必要だった。
最初から知っていたスペイン語は
「オラ!」と「ドンデ エスタ バーニョ?(トイレどこですか?)」のみだったけど、ウンポコ(少し)分かるようになったけど、ほとんどノ エンティエンドだ。
言語”だけ”に頼るのは、まだまだなんだけど、どこの国行ったって「ありがとう」と「おいしい」は覚えるようにしてる。
感謝の気持ちは絶対に伝えたいからね。
ちなみにアルパカもマラも”デリフィオソ!”だった。
ぼくとネギは、
1日400人しか登れないワイナピチュにも登った。
ネットでの事前予約が必要で、学生なら125ソル/4000円(マチュピチュ含め)だ。
ワイナピチュとは、「マチュピチュ」の右上にある、角度がエグい山だ。
7時と10時に200人ずつワイナピチュに登れる。このチケットを買うのに、結構時間が掛かるので、クスコに行った際は、すぐにチケットを買いに行くのをお勧めする。
山頂からは、マチュピチュが一望できる。
右下に流れるは、アマゾン川へと続く”ウルバンバ川”
個人的には、ワイナピチュめっちゃ良かったー!!
レインボーマウンテンも登ってたから、余裕だった。
オススメは7時!この時期、午後は雨降るから。
卒業旅行でマチュピチュを考えてる方は、是非ワイナピチュも登ってみてほしいな。
”天空都市”マチュピチュを制覇した、チームパイレーツ。僕の旅、残る目的地は”天空の鏡張り”ウユニ塩湖だ。
ウユニ塩湖のある、ボリビアに向かうべく、
再び 雨に濡れながらも10kmのスタンドバイミーコースを歩き、8時間ほど陸路移動をし、ペルー・クスコへ戻ってきた。
そこで僕が言う。
「ネギ、やっぱり”シャーマン”せえへん?(既に関西弁がうつってる)」
次回!禁断の話「南米の精霊師・シャーマン」に迫ります!!(この終わり方懐かしい)