姉と旅したヨーロッパ ダイジェスト前半〜ドイツ・イタリア・ノルウェーへ!〜

8月上旬。その計画は僕がタイにいた頃から秘密裏に動いていた...

姉「かずき、アルペンスキーの本場の世界見てみたい??」

僕「ぜひ連れてってほしい!僕も記事書きたい!こんな経験、お互い一生に一度だよ!!」

姉「そうだね。
お互い一生に一度だけかね。

まずは10月まではお互いのためにお互いの役になるための努力をしよう。

11月以降から予定しているので、それまでは自分のやりたいように、それからはかずきの為にも私の役に立てるような働きをしてもらうので宜しくね。」


という約束をした。

僕のことをよく知らない方もいるだろうから、少しだけ姉について、また僕について説明させていただく!

僕の姉は、アルペンスキー女子日本代表として、長きに渡り日本のスキー界の最高峰に近い位置に君臨している。

今はナショナルチームというカテゴリーに属していないが、ワールドカップやヨーロッパカップ、世界選手権に”日本代表”として、出場し、
日の丸を背負い世界と戦っている。

一方、僕の方もアルペンスキーをしており、
姉には全く及ばなかったが、なんとか大学はスポーツ推薦で入れたレベルだ。

もちろん、去年度に選手として引退している。この写真はわたし。笑
(詳しくは僕の出発前のブログ見てね。ホームページから飛べるよ。)

タイでの連絡があり、4ヶ月。
姉はもちろんトレーニングにトレーニングを積み、
一方、僕の方もライターとしての力をメキメキと付けていった。

僕の中に、
「何事もマメな奴は最強説」ってのがある。
どんなに旅疲れしていても、マメに行動し続けていた。
ある種、SNSを更新し続けることも、そのマメさが必要なのだ。

Tabippoのライターとしての記事も30を超え、
ブログのアクセスも月に3万人。
”世界を旅している”ということが、それなりに世間に届くようにはなった。


「ここでスイッチを押す。」カチッ


クラウドファンディングを立ち上げたのだっ!

もともと僕らの課題はめちゃくちゃに多かった。
まず、資金面の問題。

特に僕の方。東南アジアでは、1日1000円を目安に考えてたビンボーバックパッカーにとって、ヨーロッパでの生活はクソほど痛手。

サポートどころか、生活すらできねぇー!!

そして次に、
「さて、ヨーロッパでどうする?」ということ。
今までの旅を見てきてくれた皆さんならお分かりだろう。
美しい街の風景や、ホッペタも落ちるほどの料理。
「まぁ素敵♡」と思うような観光地に、僕がひとりで、大金叩いて、いわゆる”旅行”をするだろうか。



しない。



僕は、泥臭くても、失敗しても、
若者らしく、それを成功につなげる、
一生忘れられないような旅がしたいのだ。

だったら、ヨーロッパ中をサポート、そしてライターの記事を書きながら旅すること。
それも、世界最高峰に近いところでできる。

僕にしかできない旅。
清澤 恵美子というスーパースターの弟に生まれたからこそ、出来る価値のある旅。

これをしてやろうじゃないのってことで、
とにかく姉とタッグを組んだ。

そして、「クラウドファンディング」の目標資金60万円を多くの方に支援していただき、
ご存知の方も多いかと思うが、ものすごい価値のある内容の”リザルトの奥にある声”をFacebookのページにて展開した。

だって、”結果”が全てのスポーツの世界。
観客は勝敗だけを見たがるが、選手の方はたまったもんじゃない。
では、負けてる人間にドラマはないのか。

いや必ずある。ドラマは誰にでもある。
目に見えてるものが全てではない。最高峰に君臨してれば必ず非常に濃い”リザルトの奥側”というものがある。

それをパドロン(支援してくれた方々)に伝えるのが、僕の役目。スキーの素晴らしさを伝えるのが、この時期の僕の仕事。だったわけだ。

それも、先に話をしてしまうと、
姉はこの後「世界選手権の切符」をしっかり手に入れる。

ヨーロッパカップという世界規模の大会で、
25位に2度入る。それって、簡単なことじゃないし、姉自身2度目。4年ぶりの世界選手権出場。そして、自己ベストとなるヨーロッパカップ9位...。

そんな成績も出てしまってるバックグラウンドを紹介できた。パドロンの皆さんは、ものすごい価値を感じ、僕が言うのは何だが、いわゆる投資で大成功したってわけだ。


そもそもシンプルに「クラウドファンディング」をやってみたかった。

だって、カッコイイじゃない。
自分の夢に多くの人が賛同してくれて、支援してくれて。

男のロマンなところがあるよね。特に学生のうちに出来たっていうことに価値がある。
それも、旅の途中に。

よく旅をする前に、クラウドファンディングをしてお金を集める旅人がいる。例えば、ひとつの特技で世界を回りたい。こういった目的がある。ということに。

それで成功するのは、”主役”の位置にいて、自分を中心にクラウドファンディングしたいと思うだろう。

一方、サポート兼ライターをする僕。
それって”脇役”だって思われがちなのよ。どーしても。部活動のマネージャーみたいなもんでね。

でもこうやって、「自分がしたいこと」を大きな声を出して、発言して、それに応援&賛同してくれる人がたくさん現れる。

それで、「人生の主役は”自分”」ということに気付けた。

そこが、普通のカメラマンやライターとの大きな違いだと思う。
カメラマンやライターって、やっぱりカッコイイ仕事をしてるんだけど、意識的には裏舞台な仕事で、あくまでも主役は俳優さんや、取材をしてる側なんだよね。

しかし、この旅を通して学んだこと。
ほら、少し前にも言ったけど、「表裏一体」ってこと。表の裏は「裏」だけど、「裏の裏」は”表”。

どうやったら、「裏」が「表」になるのか。
簡単である。

自分が「表」だと思い込むこと。
そこだ。そこに、再びブランディングというものが絡んでくる。

自分の中の”自分”という人間に、しっかり”ブランド”を持つ。そのブランドを育てるために、メキメキと行動する。ということにも繋がる。

しかし、人はこのブランドを「変」とか、変わってるね。とか、「個性的」という表現をする。良い例がきゃりーぱみゅぱみゅである。

さてさて、セルフブランディングの話はまた今度にして、旅の内容を話していきましょう!!


17:00 ドイツ・ミューヘン集合で!
そんなメッセージを受け取る姉弟は、そうそういないだろう。笑


ロンドンから離れ、姉と合流!
先日 クリアしましたクラウドファンディングのお金を使って、ヨーロッパの山々を駆け巡ります!!

スキーに、翻訳に、サポートに、記事執筆に、プロモーション活動にと、大忙しのひと月!

清澤姉弟の力で乗り越えて行きますので、どうぞ応援よろしくお願いします!!

ということから、18カ国目ドイツ!
その足ですぐに19カ国目イタリアにドライブするんだけど、先にドイツ・ミューヘンの話します!

この時期のドイツといえば「クリスマスマーケット」
.
どこを見回しても幸せそうな人たちばかりで、土曜日の今日はとても賑わってました!

歩いていると、どこからでも香るグリューワインの甘い香りに、バグパイプのクリスマスソング。
すれ違う人々は、登山用のブーツがよく似合うあごひげの生えた人ばかり!

少し肌寒いなかでのこの雰囲気は、まさに”ドイツ”

ドイツ・ミュンヘンにあるマリエン広場。
この時期は、クリスマスマーケットで賑わってる!大きなツリーはいつまでも見てられる!

本当はオクトーバーフェストの時に来ようとしてたドイツ!この時期もすごく良い!!

でもって、19カ国目 イタリア!
モングエルフォ=テシド!後ろに聳え立つは”ドロミテ山脈”

この山脈沿いに、WC杯で有名な”アルタバディア”があります!

ヨーロッパに来ると、多くのサッカー好きの旅人が、スペイン辺りでサッカー観戦するだろう。僕はサッカーは、にわかなのだが、
例えるとなると、サッカーファンがFCミラン時の本田のサポートをする的な感じだ。どうだろう、すごくない?テンション上がらない?笑


その後”FIS レース”の舞台、
「プモン」へやってきました。

霧の濃い中、ヨーロッパならではの迫力のある山脈を横目に3時間ほどのドライブ。

小学生の頃から海外遠征に訪れていた僕にとって、こういったヨーロッパの山々は見慣れていたんだけど、地球を半周してから訪れるこの場所の景色は、またひとつ感じるものが違う。

→この気付きから、Tabippoの「旅は僕らの感性を磨いてくれる」をひらめく。
ぜひ読んでみてください。

東南アジア、中央アジアオセアニアアラブ諸国、アフリカ大陸を抜け、ヨーロッパに入り、

バルセロナ、パリ、ロンドンと都会ばかり訪れていた僕にとって、今見ている景色は再び僕をワクワクさせた。

そして、11月20日。
お姉ちゃん33歳(強調)お誕生日おめでとう!

だんだんお母さんに似てきたね!笑
そうそう、我が家の母といえば...

2016年。還暦を迎えたことをキッカケに、母が始めた”マラソン”

このタイミングで「ホノルルマラソン」出場!
42.195km 自身”初”となるフルマラソン
目標は「サブフォー(4時間以内に完走)」!

俺の周りには「時間」とか「年齢」とかそーゆーこと、言い訳しないで挑戦するチャレンジャーばかりだから、俺だって色んなことやってみたいって思うんだよね!!

すげぇー自分勝手な家族だけど、
ひとりひとり自分の人生楽しんでるっ!
いつだってチャレンジャー!!

個人的には「もう◯歳だから始めるのは遅い」ってのは、ないと思ってて、


だって、10年後20年後の自分からしたら、
今はめちゃ若いわけでしょ⁇
現に22歳になって、ようやく英語を勉強しようって思って始めたり、世界に飛び出してみたり!

42歳の俺が間違いなく「20年前の俺!アッパレ!」って思ってるはず!

って考えると、
今日は”これからの人生”で1番若い日。
なんだって始めれるはず。

10年後20年後の自分が「よくやった!」と思えるように、今すぐ”行動”!何でもいいからやってみる。


イタリア・フェルダースの後、ドイツから、ノルウェーオスロへ飛んだ。

ドイツからの移動では...

今まで格安航空券ばかり使っていたのに、
ルフトハンザ!ファーストクラスラウンジ!!

な、なんだこの世界!まだまだ僕の知らない世界は広い。

スキーヤーの年間費を聞くと、僕の計算では世界3周、、いや4周出来てしまう、

スキーはお金のかかるスポーツだ。マジで。

世界一周20ヶ国目 ノルウェー

ついに北欧までやって来た!!

真ん中の文字 見えます⁉︎
「Europe CUP 日本代表」

”Europe Cup”とは、”World Cup”のひとつ下のカテゴリーの大会で、世界中から選手が集まるのだ!
代表選手の泊まる宿はやっぱり凄い!食事も素晴らしいし、ホテルもすごい!ジムやプール、バーやボーリング場まで付いている‼︎‼︎笑

7ヶ月間バックパッカーとして貧乏旅をして、

東南アジアでは1泊500円ほどのドミトリーを探し、

多いときは、1部屋30人部屋(マレーシア・ペナン)の安宿に宿泊し、

1日の予算は1000円だった僕が...

こんな宿に泊まれるなんて夢でも見ているようだ。

※スペイン・バルセロナでも1泊10ユーロの宿に泊まっていました。笑



自分は選手としてこの場所に来ることは出来なかったけど、代表スタッフ、ライターとして最高のサポート&記事を書いていこう。

個人レベルで出来ることであれば、なんだって、趣味でも特技でも、全力投球すれば物語は良い方に進む!!

そして、これがかの有名な村上春樹ノルウェーの森」(笑)

高校生の頃、仲よかった国語の先生がノルウェーの森大好きで、よくその話してたなぁ、

元気かな。中先生。噂では僕のブログを読んでくれてるそうだけど!

中先生は、俺たちの卒業と一緒に定年退職した。その後、中国で日本語の先生になったそうで、見た目はツルピカのハゲで、背が高くて、おじいちゃんかと思いきや、めちゃくちゃ頭キレてて、バイク乗りで、アラスカに行きたいって言ってたっけなー。

中先生のお陰で、文書を書く面白さを知れて、
俺は文学部を志望したんだよな。でもって今はライターしてる。

あの頃の「創作国語」や「国語表現」っていう授業は俺にとってかけがえのない時間だった。


行動することに、「無意味」なことなんてない。「結果」ってのは、いつでも決まって後から付いてくるんだよ。

俺は知っている。今あるベストを辞めなければ、「結果」はいくらでも付いてくる。


ダイジェスト後半へつづく!!!

「友」のイギリス・ロンドン!〜ひと月半で6kg太った理由とは〜

イギリス・ロンドン。

さすがに11月のこの時期、パリからヒッチハイクでの移動は困難と推測し、パリからはおとなしく夜行バスに揺られ、

この魔法使い達の住む国へとやって来た。

出発前から、この「イギリス」という国には強い魅力を感じていた。

ビートルズの生まれ故郷。
ロックな雰囲気に、立ち飲みバー「パブ」

フィッシュ&チップスに、革ジャンの似合うサングラスを掛けたバイク野郎。

僕の中でのイギリスのイメージは、2つ!

英国紳士やワンダイレクションというイメージと、
80、90年代のリーゼントを櫛でとかす”男らしさ”のイギリスのイメージであった。

僕は後者のイメージのあるイギリスが好きだった。


というか、日本でよく行っていた居酒屋「Hub」のイメージ。

もちろん、「ハリーポッター」のあの煉瓦造りの町並みや今まで訪れて来た”植民地”とされていた国を統治していた当時の「先進国」ということもあって、期待は更に大きくなった。

パイレーツオブカリビアン」にもイギリスはよく出てて、海賊を世界的に排除していたっけな。とにかく、ロックなイメージとお堅い。偉い?両極端イメージが僕にはあった。

夜行バスなので、夜中に国境を越える。いイギリスのイミグレーションはかなり厳しいイメージがあった。
パスポートをしっかり見られ、
世界一周で訪れた国を全部言ったし、
予算まで話した。終いには、

「なんで世界一周してる?」なんて
日本語で話したって深い内容の質問をされて、


「Just I want to feel the world by my five senses(ただ五感で世界を感じたいだけだよ)」なんてカッコイイ答えをしたことを今でも覚えている。

結局、そこだ。

「イギリスかぁ〜〜!!!」

たしかに、既にハリーポッターの雰囲気がある。イギリスのメトロ(地下鉄)は、オイスターカードという、東京だいうところの”パスモ”。
関西でいうところの”イコカ”。北海道の”キタカ”的なカードがある。

実は、この時オイスターカードを持っていて、早朝で駅員もいない駅でもチャージをすることもなく、スイスイ通れた。

というのも、モロッコを一緒に旅した”のんちゃん”から「ロンドン行くならこれ!あげるよ!」と5ポンドほど入ったオイスターカードを受け取っていたのだ!

なんだかRPGをしている気分になる。
そうそう、今年「イギリス」は”ユーロ”から外れたこともあり、ポンドは少し安くなっていた。

僕にとっても、世界にとっても、
2016年は色々あった年である。そんな年を旅している。そんな年を記している。


さて、イギリス・ロンドン。
この街が最高に楽しくなった1番の理由はやっぱり「人」である。

この馬鹿でかいカツカレーを食べている 彼はユウシ。僕の小中学の幼なじみだ。

高校からイギリスに留学し、今ではロンドンの大学に通っている。

イギリスには1週間ほど滞在したが、
彼の学生寮に住まわせてもらい、本当に楽しい時間を過ごした。

まず、夜行バスで早朝にロンドンに着いているのにも関わらず、”キングズクロス”駅に迎えに来てくれるというほどの優男ぶり。


そうそう。この”キングズクロス駅”。
ハリーポッターの9と4/3番線の撮影スポットがある。「謎のプリンス」までしか観てないにわかファンの僕でもテンションが上がってしまう場所だった。

この時期、新しいハリーポッターの映画も始まっており、グッズもたくさん売っていて、にわかファンなのにめちゃくちゃテンションが上がった。


ここがユウシの通う大学。
ちょっと、立教大学っぽい。


基本的に建物はレンガで出来ていて、「わぉ!まんまハリーポッターやん!」と、イギリス滞在時は連呼していた。



ダブルデッカーを横目に、耳に入ってくる言語は「英語」。
ヨーロッパ混じりの英語でもなく、ネイティヴですごく綺麗な英語。イギリス英語。

この言葉の意味が、言語を学ぶ前の僕にはよく分からなかったが、その喋り方やアクセント、イギリス人独特のかっこよさを感じられた。

フィリピンで英語を3ヶ月勉強し、
それから6ヶ月の旅を終え、ようやく英語圏へ入ってきた。ここで、勉強の成果が出てくるという感じで、高校から7年間ロンドンにいるユウシにも、たった3ヶ月の出来じゃないって、すごい褒められて嬉しかった。


そうそう、ユウシともう1人、彼女も小学生の頃からの幼なじみのアイちゃんにも会って、
3人でユウシの家に泊まったり、よく晴れた日にロンドンブリッジに行ったりした。


僕含め3人が通っていた「成城学園」という学校は、幼稚舎から大学院まである。

成城学園」...小学校の学費は、日本で2番目に高いとされている。1番は慶應、3番は玉川学園という感じだ。


希望すれば、幼稚舎から大学までエスカレーターで上がれる。僕の友人も、”生涯成城っ子”の奴らも少なくない。

まぁとにかくお金が掛かる。”お坊ちゃん校”というところで、小学校受験をし、中学通った僕は高校で抜けた。

そして、北海道の高校に行く。

今 少し離れたところから「成城学園」を除くと、やはり大学で外の世界に出るのが、無難で、なんとなくスゴイ奴らは高校から抜けてる感じがする。

バスケットでカナダへ行く者。
アートでスイスに行く者。
ラグビーニュージーランドへ行く者。
料理でイタリアに行く者。

僕は高校進学のとき、ビビって海外には行けなかったけどね!笑

とにかく、基本的にお金持ちしかいない学校で、なかなか「外の世界」を知らない。
どこかの会社の令嬢、芸能人の息子みたいばっかりだ。

クルーザーを持っていたり、
愛車はポルシェやフェラーリだったり、
家の水槽にはスッポンが泳いでいたり、

年末年始の定番はハワイ!しかもハワイに行くとみんないるから、学校と変わらないね!あはは!みたいな感じ。

別に「常識」とか「一般」に合わせろって言ってるわけでもないし、否定だってしてない。

けど、”知識”として世間がどんなものか知っておくのは、得なんじゃない?ってスタンスで僕は見ている。

高校から北海道の寮に入り、公立の高校に通いはじめて、ようやく「自分がいた場所」がおかしかったことに気がついた。

もう一度言うが、別に世間に合わせろっていうわけじゃない。でも、知っている事と、知らない事。その大きな「差」というものに気づいてほしい。

やはり、”アウェイ”からでないと、”ホーム”というものは見る事も、気付く事も出来ないわけだ。

そして、そのホームから抜け出した3人。
しかし長きに渡り僕は彼らに「憧れ」を持っていた。その憧れとは「海外にいること」。

ユウシ達が日本に帰ってきたとき、
集まって飲むのだが、やっぱり海外で生活してる奴は何か違う!

話す内容がカッコいい!酔うと英語になる!
羨ましい!cool!どこかただようアーティスティックな雰囲気。

日本にいた頃は、どこかで「自分には関係ないんだけどね」ってイジケ腰の自分もいたりした。
だってマジだ。海外にこうやって1人で来て、
まして英語を喋って。ましてや、文章を書いたり、写真を撮って お金を稼いでいる。
こんな未来を2年前の自分が想像しただろうか。

そんな 彼らとイギリスの本場のパブで飲んで話して、みんな大人になったねって笑う反面、どこかですごく嬉しかった。

やっと、こっちの憧れてた世界へ来れたって。


2割のアイデアと、
3割の勇気と、
5割の行動力。
あとちょっぴりのお金があれば、
「人生」は変わる。変えられる。

そう感じる日々この頃である。


「イギリスのご飯はマズイ」

そう聞いたことはないだろうか?

イギリスはあまり天気が良くならず、そもそも果実がよく実らない。

海や川を見ても、めちゃくちゃ汚い!
産業汚染がすごい!

でも王族とか、お偉いさんがたくさんいたイギリス。インドやスリランカを植民地にして、紅茶を作らせていたイギリス。普通だったら、舌が肥えていて、「食」にうるさくんじゃない?って思う。

思うに、
天気が良くない→イギリスで食事をどうこうすんのはやめよう→そーいえば!お隣さんフランスは美味しいご飯作るよね!→フランス人のコックさんを雇う。

その代わり、イギリスでは船を作ったり、軍隊を作ったり、軍事的なことをしよう!→物作りのイギリス→家とか、船とか、時代の先端を切っていた→しかし、海や川が汚れまくった。


こーゆー仮説が私の中にある。笑
「なんでだろ?」ってところから追求していく理論はやっぱり考えてて面白いなってところを見ると、やはり観光よりも旅の方が魅力的だ。


しかし!ロンドンはなんでもある!
なんでも食べれる!!めっちゃうまい!!笑

「東京」という名の日本食料理屋で食べるカツカレー!

もうカレーとかいつぶりだよ...めっちゃくちゃうまい!!

金田屋で食べれるとんこつラーメン!!

はぁぁぁぁああ!まともなとんこつラーメンは、フィリピンぶりだ!!超うまい!やばい!!!

ここの店、いっつも並んでるんだけど、
並んでるところをフォロワーさんに見られててメッセージ貰いました笑

この後も、ロンドンに留学してるってメッセージくれたフォロワーさんと大英博物館に行くんだけど、だんだん見てくれてる人が増えで、応援してもらえるのは嬉しいなー!

だって、自分が選択した
「旅」っていう道はさ、
日本では「旅行」ってカテゴリーに区分されがちで、

「旅行」「観光」って、ただ遊んでるだけって思われがちでしょ。娯楽に属しちゃうわけよ。

最初、俺だってそうでした。
ただ遊んでるだけって思われてた面もあったと思う。けど、こうやって思いを文章にしたり、自分の活動を報告することで、いろんな人が見てくれて、

「頑張ってください。」
「応援しています。」

って、別にTabippoのイベントみたいに
「何かひとつ特技を生かして旅してる」わけじゃないのに娯楽というカテゴリーから外れて、応援してもらえる。”頑張ってる何か”になる。

やっぱり、ちゃんとメディアを通して
発言してて良かったなって日々思う。

「自分が何を、何のために、何を感じてしているのか。」

これをしっかり発言することで、周囲の人々の感情は動かされる。

まぁ、こーいった辺りのことはまたいつか話すかな!

で、ロンドンの大英博物館は映画「ナイトミュージアム」のロケ地!しかも入場無料なんだよね!これが!!

おー!ナポレオンがエジプトから持ち帰ったロゼッタストーン!これのレプリカが中大の図書館にあるんだけど、うん。そのまんまだった。笑

大英博物館は すごいんだけど、
世界中から色んな展示物を集めて飾ってるわけよ。そこが魅力的だと思うのね。

でもね...だからこそ、、、

世界一周してる側からしてると、

見たことあるわ!ってなっちゃう!笑
特に、エジプト系!!笑 カイロ博物館でガッツリ見て来たわ!なんなら、ツタンカーメンも!!笑

ちなみにここが、イッテQの出川が
「アヒルのお土産」を買ってくる”はじめてのおつかいシリーズ”で探し回ってたところ!

結局、言語って彼のが正しいと思う。
伝わらなきゃ意味ないわけですしね。
彼のは、コミュ力で伝わってるからね。笑

言語が喋れるようになると、「頭の良さ」ではないことに気付く。
だからこそ、子供でもバイリンガルとかトリリンガルとかいるわけ。
「頭の回転の速さ」なのよね、結局ね!

ちなみに僕は「ガーガーバード」買いました。笑


そーいえば、久々に成城学園の後輩のジュリオにもロンドンで再会!

彼は1つ下で、同じく世界一周中!フィリピン留学時セブで会ったんだよね。その前は、ハワイの空港でバッタリ会って留学時セブで会ったんだよね。その前は、ハワイの空港でバッタリ会って、

「ジュリオくん!世界一周するんでしょ?
俺も、するんだよね。」

運命的な出会い方をしている。笑
フィリピンの時は、次 会うのはアメリカですかねぇ〜とか言ってたのに、ジュリオはニューヨークで年越ししないからロンドンで出会ってしまった!

ジュリオとユウシはバスケ部の先輩後輩で、ここも繋がってて面白かった。
後ろにいるイケメンはジェフ。ユウシの悪友で何度かハブやカジノに足を運んだが、誰もギャンブルをしないので、酒を飲んで帰った日々であった。

僕がロンドンに訪れた1週間は、ちょうどユウシも大学がお休みの時期で、毎日のように夜中まで起きて、食べて飲んでを繰り返していた。

それもあってか、ヨーロッパにいたひと月半で6kg太っていた。笑 とんでもないことだ。

ユウシは、最後の最後まで僕を見送ってくれた。なんて爽やかな奴なのだろう。

やはり、旅というものは「人」によって成り立つ。
今回は、現地に住む友達の家にお邪魔するスタイルであったが、たったその出会いや繋がりだけで、旅した国の印象は大きく変わる。

ここ、イギリス・ロンドン。
僕はすごく好きな街であった。

さぁ、姉の待つドイツ・ミューヘンへ。

「美」のフランス・パリ!〜旅の過程にこそ価値がある〜

”フランス・パリ”

どこからともなく、「オ〜シャンゼリゼ〜」と聞こえてきそうなこのオシャレな街並みは、ハッキリ言って、バックパッカーには不向きだ。


凱旋門からすぐ近くに、ルイヴィトン本店があり、全く関係ないという様子で僕はシャンゼリゼ通りを歩いた。

実はフランスに訪れたのは2回目。
この旅始まって以来初の2度目の地だ。
(今までの国は全部初めての地だった)

最後に来たのは、小学生の頃。
スキーの世界選手権に日本代表として出場した時。

たくさんの国旗を観、様々な国の選手と友達になり、闘い、子供ながら、「世界って広いんだな」ということを体感・経験したのが、”海外への憧れ”のキッカケだ。

あれから10年。僕は再びこの地に帰ってこれた。
それもヒッチハイクで。
僕にとって、フランスは再び特別な地となった。

「パリ」と言えば、ファッションの中心、美味しいフランス料理、エッフェル塔と、目に入るものすべてが美しく、肯定されているように思える。

よく、「フランス人は、英語が分かっていてもフランス語しか話さない」という話を聞くが、このご時世、それは全くのデタラメで、若者は皆 懸命に英語で道案内してくれる。


世界的に「グローバル化」というわけで、
宗教や人種、文化の差を大切にする一方、世界規模で物事を読み取る力が必要とされるわけだ。

僕たち”日本の若者”は、本当に時代の変換期にいる。間違いなく、「次の世代」は第二言語から逃れられない。

今でさえ「英語が話せない」ことが、”足りないこと”とされている世の中だ。マイナスなんだ。


停滞している日本経済が、これから一歩上がるには、経済的な面で「島国」を離れなければいけないと感じる。つまりは、グローバルに物事を考える。

となると、非常に良いタイミングで世界の旅に出たなと強く思う。僕の人生としてももちろんそうなのだが、「第二言語から逃れられない次の世代」に、我が子が対応できると、今から感じている。

やっぱり子育ての仕方から、物の見方まで、新しい世代に備えられるってわけだ。

そんな日が、楽しみで楽しみで仕方がない。

さて「パリまでの道のり」は非常に濃いものだったが、パリといえば、大したことがなかった。
つまりは、本当にヒッチハイクの旅をして良かったなと思うこの頃だ。

旅の過程にこそ

価値がある。


スティーブ・ジョブズは、そう言った。


この言葉の意味は常日頃から感じている。
去年の東京から京都までの自転車旅然り、おそらくこの世界一周の旅然り。

きっと、世界をぐるっと回って、日本に戻ってきた時、ある種ゴール/目的地に到着した時。

「ゴールに立つことよりも、この旅の中身が大切だった」ということを再度強く確認するだろう。

”結論”より、”仮定”や”証明”が持つ意味の方が強い。人生も然り、「死」することよりも、「どんな生き方をしたか」の方が当たり前のように意味がある。

だから、「結論」は急いじゃいけないと23歳の僕は思う。
人間は「ゴール」が見えると、どうしても楽をしたがる生き物。
一歩、一歩確実に。その「一歩」を感じて歩いてほしい。

さて パリでは、とりあえず。
上着を買った。11月上旬、パリは薄っぺらいダウンでは風邪をひいてしまう。

「上着」は”必要経費”。
もともとショッピングが大好きな僕は、かなり楽しんだ。

東京にいた頃は、「物」や「外見」ばかり気にしている自分がいたが、
「物を買うこと」=「幸せ」だと錯覚していたし、「便利」=「幸せ」だって勘違いしていた。

あの頃みたいに、モンクレーのダウンを着て、外見ばかり気にして、何もできないよりも、300円のタンクトップ来て、泥だらけになって、世界を旅できる方がずっと「幸せ」だ。

※まぁ、モンクレーってのは、僕にとっての”モンクレーくらい高いよ”ってことで、実際はラルフローレンだったりする。


やっぱり「経験」に”お金”と”時間”を使っていきたいな。これは、この旅を通して学んだこと。


より「ハートフル」な人生を。


パリには、ディズニーランドがある。
日本にいた頃は、ディズニーランドが大好きでひと月に一度訪れていた。実際にはものすごく行きたかったが、今回はやめた。

あまり、何事も体験すぎると、
いつか誰かがガッカリしそうな気がして。
やっぱり、パリ自体もカップルで訪れたいし、ディズニーランドなら尚更だ。

まぁ、教育や家族、奥さんや「愛」の話をこうやってしていても、今の僕には彼女がいないから、まずはそこからってところなんだけどね笑

「今」やってることは、いつか「意味」をひしひしと感じる時が必ずくる。と、僕はいつだって信じてる。

さて、ディズニーランドには訪れなかったが、フランス・パリといえば、

エッフェル塔

”聖地”エルサレム、ギザのピラミッド、
”ガウディコード”と来て、今度は”ダヴィンチコード”と
天才達の秘密結社「プルスウルトラ」

(ダヴィンチコードは、ルーブル美術館)


情熱が止まらないッ!自分の足で世界の不思議を探ってる感じ!

プルス・ウルトラは(Plus Ultra, ラテン語でもっと先へ、もっと向こうへ、更なる前進)って意味。

メンバーは、

交流電流・ラジオ・ラジコン(無線トランスミッター)・蛍光灯と空中放電実験で有名なテスラコイルなど多数の発明をされた「ニコラ・テスラ」。


フランスの技師・構造家・建設業者でエッフェル塔を設計した「ギュスターヴ・エッフェル」。


蓄音機・白熱電球・トースターなどアメリカの発明家であり起業家でもある「トーマス・アルバ・エジソン」。


ドイツ生まれのユダヤ人で、相対性理論を提唱し、「現代物理学の父」と言われている、天才理論物理学者の「アルベルト・アインシュタイン」。


そして、アメリカシカゴ州生まれ、アニメーター・プロデューサー・映画監督などミッキーマウスの生みの親・多彩な才能を持つ天才クリエーターの「ウォルト・ディズニー」。

こんな5人で構成されている「プルス・ウルトラ。
実はパリで行われた万博の裏で、この人達がエッフェル塔で秘密の密会をしていたとか...

内容は定かではないけど、どうやら「未来」の話をしていたそう。その内容は、ちょっとここでは書けないけど、ものすごい面白い内容でして、、、


さてさて、話をパリに戻しましょう。

パリ滞在中、2つの博物館へ行きました。
1つめ!パリ中心部にある「フリーメイソン博物館」こっちの内容はTabippo.netで書いたので、そちらを読んでください!

2つめ!ルーブル美術館

あの、ガラス張りのピラミッド!
ついにルーブルへやって参りました。

美術史”取ってたから、ルーヴル美術館ほんとに面白かった!
3ユーロ払うと、3DSのガイドが聴けるんだけど、あれは借りたほうがいい!

音声ガイドも全ヶ国語対応。多くの作品の歴史に触れられて大満足だ。

リアルに6時間くらいいてしまった。
少し、ルーブル美術館をプレイバック。

ミロのヴィーナス!
一度は見て、ミ・ロ!

NIKE新旧対決」

勝利の女神”の異名で名高い「サモトラケのニケ
スポーツブランド”NIKE/ナイキ”のモデルになったのは、有名な話!

”みなとみらい”じゃなくて本物見れて嬉しい!

なんだかパワーアップしたわっ!
わたしは”勝利の女神”は信じていたいな。


例えば、テニスの試合でネットにボールがうまい具合に引っかかって、真上に上がるとする。

その瞬間、右のコートか左のコート、どっちにボールが落ちるかなんて誰にも分からない。

どちらに「運」が付いているのか。
勝負事における「運」とはつまり、「勝利の女神」。

スキーも然り、多くのスポーツや勝負事でで1位の者は常に優勝出来るわけでない。勝ち続けるのは、簡単でないわけだ。

「勝負は”時”の運」でもあるわけだ。

そんな時 いてほしいのが「勝利の女神」。
それならテニスのネットに引っかかった球がどちらに落ちても納得がいく。


モナリザの微笑み」
本物が見れて感激。すごい人だかりだった!
高校時代、”なんでモナリザが微笑んだのか?”ってゆー小説を書いたのを思い出した。
あの頃から、文章を書くの好きだったな〜

レオナルドダヴィンチは、
芸術家でもあったんだけど、兵器の設計図を書いていたことも有名で、彼は強い2面性を持っていたんだって。

となると、僕にとって InstagramやTabippoの記事は「アート」で、このブログは「兵器」ってところかな。笑


ドラクロワの「民衆を導く自由の女神

Coldplayのアルバム「VIVA LA VIDA」のジャケットにも使われている名画。「レ・ミゼラブル」の”ガヴローシュ”は女神の右前にいる少年。


ここに来て、ひとつ気付いたこと。
ミケランジェロとか、ラファエロとか、レオナルドダヴィンチとか、ヨーロッパの画家って、どうして歴史的に、世界的に有名なのかな?ってずっと思ってたんだよね。

答えは「メディア」だった。

というのも、ほら、彼らは「宗教画」を描くでしょ。
当時、テレビとか、CMとか、新聞とか、雑誌とか、ラジオとか。そーゆー「メディア」ってのが当たり前になかったの。

もちろん、映画や漫画、ドラマみたいな
ストーリー、物語がなかったわけね。

当たり前だよね。ルネサンス期だもん。
でも、キリスト教徒はどうにか、キリスト教を広めたいし、イエスキリストを民衆に伝えたい。聖書という物語を伝えたいわけよ。

でも、テレビもなければ映画もない。
じゃあ、この時代 どうするか。

それが「絵画」だったわけね。
有名画家は、宗教画を描き続けた。
聖書の中から、より具体的に、人物の絵までね。それを使って、宗教を伝達したってわけ。

だから、多くの人たちの絵は見られ、有名になる。でもって、地位が手に入る。歴史に名を残す。ってわけ。

日本の画家も有名な人たちいるけど、(葛飾北斎とか)、こんな世界規模じゃないよね。まして、歴史で勉強するほどじゃない。

「宗教」がもたらす社会への影響。
そんな興味から、自分の肌で感じ取っていたら、だんだん世界が見えて来ました。

僕にとって特別な国「フランス」
次来る時、僕はどんな人間になってるのかな。
そんなことを考えながら、物語は続く。

スペイン・バルセロナから、フランス・パリまで1,100kmヒッチハイクの旅〜若者の根底にあるもの〜

”スペイン・バルセロナ”から、
”フランス・パリ”へヒッチハイクで北上する。


若者らしい”謎の根拠”。
ただただ「やれそう」という勢いが当時の僕にはあった。


それも、この時「タイムリミット」があった。
3日以内に行かなければ、アウト!

「アウト!」と言っても、どうするのか分からなかったが(飛行機のチケットを買うのか?バスに乗るのか??)、とにかくアウト。

というのも、この時 既に”クラウドファンディング”を達成しており、ドイツ・ミューヘンに集合する日時の約束を姉としていたのだ。


ヒッチハイクという無一文でも出来る移動手段に相反する縛り、それが「タイムリミット」。

お金を掛けない代わりに、時間を掛けるというのが、移動手段のルールであり、だからLCC航空の移動は非常に安い。

ヨーロッパの「ヒッチハイク」文化には、もともと魅力があった。日本ではなかなか”ヒッチハイク”って物珍しいものに感じるが、ヨーロッパ、特に夏季は多くの若者が、ヒッチハイクを利用して ヨーロッパ中を駆け巡る。

「知らない人の車に、知らない人が乗る。」
まず日本人の感性から、それって大丈夫なの?って思うだろう。けど、ここヨーロッパではヒッチハイクで誰が1番はやく目的地に着けるか的なヒッチハイクレースが行われたりするほどメジャーな感じ、とゆうか「文化」として成立している。

ヒッチハイカーは、その先々で色んな人と出会い「人生のあり方」を感じることが出来る。


どうしても、「コミュニティ」というものは、
類は友を呼ぶわけか、似たような人間が自然と集まり、ひとつの集団を形成する。

大学の学部であれば、その学問に興味がある人、サークルも然り、家族にだって医療系の多い家系もあれば、公務員、起業家の家系、なかなか自分と全く違う人と出会うって実は簡単なことではない。

しかし「旅」は色んな人たちの人生に触れることが出来る。

もちろん旅人同士なら、「旅」が好きという共通認識はあっても、バックグラウンドや価値観が似通ってる人はなかなかいないし、その国々で出会う人たちは、僕たち日本人にとても強い影響を与えてくれる。

そんな旅がやっぱりしたくて、ヒッチハイクに挑戦した。

まぁもともと世界一周を終えた後、

ヒッチハイクでもしながら日本を旅しようかなと思ってたんだけど、

わざわざこの旅が終わったあとじゃなくても良いんじゃない?と思って結構したってのもあるかな。



3日間ほど、宿代の数倍を掛けて食事をしてきたけど、それはおじいちゃんになっても出来ること。

そう思い出したんです。

「一生忘れたくない旅がしたい」

「一生ぶんの思い出話をつくりたくて」この旅に出たってこと。



「今」の等身大の僕に出来るのは「ヒッチハイク旅」

この時、辿り着くかどうか分からなかったけど、とにかく「目的地・パリ」を目指すことに覚悟を決めた。





初めての本格的な海外ヒッチハイク

実は、小5?の頃、ニュージーランドで1人でヒッチハイクしたことがあって、スキーの練習のあと、罰で山をひとりで降ってかなきゃいけなかったんだけど(就寝時間を破ったから)

こんな何千キロものヒッチハイクは始めてで、期待の何倍も不安があったかな。



日本でもやったことのない僕は、果たして1台目の車を捕まえられるのかって感じだった。

第一の関門は、「街を抜けること」

終わってみて1番大変だったと思うことは、都市を抜けることにあると思う。

いきなり都会の道路に、ヒッチハイカーがいても車を止めてくれる人はなかなかいなくて、

その後も小さな街に何度か訪れるんだけど、僕がどうやってヒッチハイクをしたのか。



それは…「ガソリンスタンドに行く」または

「高速道路の入り口まで行く」ということ。

ガソリンスタンドまで行き、高速道路の入り口で降ろしてもらうというダブルコンボでも良いかもね。

実は、バルセロナの街中から高速道路の入り口までは、電車で行きました。

とゆーのも、街で立ち続けること3時間。朝早くに宿を出たのに、あっと言う間にお昼になっちゃって、全く動けず...



しかもスペインは中々 英語が話せる人がいなくて大変だった。

そんな中でも、やっぱり助けてくれる人はたくさんいて、例えば彼は「今日は日曜日だから本当はヒッチハイクに向いてない日だよ。ガソリンスタンドに連れてってあげるから、そこで待つといい。」なんてことを教えてくれた。





そして第二の関門、というよりポイントは「パネルの書き方」

当初、ヒッチハイクの経験のなかった僕はバルセロナからいきなり「to Paris」というパネルを持っていた。



これじゃあ、乗れる車も乗ることが出来ないよね。笑

当たり前といえば当たり前なんだけど、事前に地図を見て「目的地までのルート」を小さく細切れにして、おおよそのルートを考えて、第一の目的地、第二の目的地とパネルに書いていくこと。

そんなことを教えてくれたのは、バルセロナで出会った少年。最初はいきなり「to Paris」なんて書くから、笑われたけど、もっと小さく書かなきゃ!って教えてくれた。



「あ!そこまでは行くよ!」という人が乗せてくれるはずだからね。

乗ってしまえばこっちのもん!

僕は、その後も運転手さんに「あなたの目的地まで乗っていた方がパリは近いかな?」と、いう感じでころころルートをコロコロ変更していた。



ガソリンスタンドで待ち続けても一向に、車が来ないから、スタンドのお兄さんにもう電車で高速道路入り口に行くべき!と、地図を書いてもらった。彼も英語が全く話せなかったけど、

だんだん人と人との”本来あるべきコミュニケーション能力”を取り戻しつついた。



どうやら「アウトピスタ」というのが、高速道路入り口の意味らしい。

その後、高速道路入り口の近くの駅に行くことに。若者は英語が喋れるということで、カップルを見付け、複雑な路線をどこで降りたらいいか聞くことに。

その優しいカップルは電光掲示板を見て、「あれに乗ったらいいよ!」とチケット購入からホームまで教えてくれたが、最終的に彼が先に行かなくてはならないということで、

僕も目も気にせず、目の前でかなり熱いキスを交わした。

わぉ!情熱の国、スペイン!

たしかに、街中どこでも人目を気にせず、愛を深めるカップル。しかし、困ってる外国人をそっちのけで、キスするなんて!「めちゃ驚き」だが、羨ましい。笑



こういうのも、賛否両論なところがある。

「人前ではしたない」という言い方をするか、

「情熱的」という言い方をするか。

この旅を通して学んだことがある。



「世の中」って、賛否両論だし、表裏一体。



かの、パブリックピカソの絵だって、当初は「落書き」として扱われ、芸術を害する存在であった。



しかし、ひとり、ふたりと彼を評価するものが増え、民衆が動いたのだ。



当たり前のように、「評価」は十人十色。評価とは、感性であり、育ちや文化、宗教観の違いによって異なる。



つまり!

これからの人生、私を批判する人間が現れようが、私は「ヘェ〜こんな、評価もあるんだなぁ〜〜」と間の抜けた表情を心の中で浮かべることだろう。



そんなことを思いながら、目の前で繰り広げられるキス。私は「情熱的」だと思う派。しかし、外人だからだな。絵になるのは。気持ち悪くないのは。笑



さて、高速道路付近の駅に着き、

彼らに道を教えてもらって高速道路手前で初めてのヒッチハイク!...

待つこと20分くらいだろうか。2人の若者の車が僕の目の前で止まった。



最初は、ヒッチハイクで止まってくれたことだと気付かず、それに気付いた瞬間ものすごい喜びがこみ上げ、バンザイをしてしまったほどだ。

記念すべき、僕の初めてのヒッチハイク

彼らは、スプレーアーティスト。壁にスプレーでアートを描いている”芸術家”だ。

度々こうして、外国人を車に乗せることで英語を勉強しているそう。なんというバイタリティーだ。こういう”我武者羅”でもどうにかしてやる精神は、見習いたいものだ。

彼らは、お互いに自己紹介をしなかったけど、たくさんの話をした。外国人とのコミュニケーションであるあるなのは、「名前」なんて、お互い知らなくても仲良くなれるってこと。



「マイフレンド」とか「メーン」とかって呼び合う。つまり、”名前”っていう表面上のカテゴリーなんて、そんな大切なことではないんだろうな。


”ダリ”が生まれた場所を走り抜け、スペインとフランスの国境「ジョンケラ国境」まで乗せてくれた!
いきなりフランスまで来れたのはかなり大きい!この国境付近は、フランスの人たちが物価の安いスペインへ買い出しをよくしに来るそう。

そして、彼らが降ろしてくれた駐車場は、多くのトラック運転手がいて、きっとパリ行きのトラックもいるだろうということで、熱い握手を交わし、彼らは去って行った。

ヨーロッパは国境を越える際のイミグレーションがなく、車で簡単に国境を越えることが出来る。その際に、彼らから良いアドバイスを受けた。

ヨーロッパの車のナンバープレートの左端には、アルファベットが書かれている。それが彼らの住んでる場所なわけだ!


つまり、スペインなら「S」

イギリスなら「UK」

ドイツなら「G」

フランスなら「F」という風にだ!



つまり、僕が探すプレートは「F」!フランスの車!その大きな駐車場をパリの紙を持ってさまよった。

多くのドライバーがこんな形で囲み、お酒やらおつまみやらを食べている。

お酒を飲んでるということは、今日の運転はここでおしまい!ということ。

そんな中でも懸命にパリ方面を探し回った。



すると、、「明日の朝、パリまで行くぜ?それまで待つなら乗せてやるぜ?」という声が!



えぇーっ!簡単すぎた!!

パリまでヒッチハイク、簡単すぎた!!!

でも何故かな。それを許す自分がいなかった。

同じ「パリまでヒッチハイク」なのに、なぜかそのトラックに乗ることが出来なかった。

「ありがとう。感謝するけど、他をあたるよ!あなたが嫌なわけじゃないよ!けど、もっと冒険したいんだ。」そう告げると、変わった奴だなという顔で笑われた。



ここで、ハッキリできた。僕はお金がなくて、ヒッチハイクをしてるわけじゃない。「自分自身を乗り越えるため」にしてるんだってことに。

どうしてこうも苦労したがりなんだろう。

「楽」をしようと思えば、いくらだって出来るのに。きっとそれは、まだ”サナギ”のような状態だからだと思う。

僕の中で、僕は、まだマイナスの存在なんだ。

僕は”ゼロ”に向かって走っていきたい。青年は、逆風に向かって走る力を持っているし、逆風をも追い風に変える力を持っていると信じている。



「だから、もうちょっと冒険させてもらうよ。」



その後、僕は3kmほど歩いた。

重たいバックパックを背負って。あの山を越えれば、街があるよ。と言われ、山を越える覚悟は出来ていたが、この時 既に夕方。太陽は沈みかけていた。

ヒッチハイクをする上で、もう一つ自分に縛ったルール。それは「ホテルに泊まらない」ということ。これをしてしまうと、また経済的な面で、自分の美学と離れてしまう。



とにかくまっすぐ歩き、サービスエリアの駐車場で、ドライバーの顔を伺っていると、一台の車が止まった。



彼はジャンクロウおじいちゃん。
うちのおじいちゃんと同い年くらいなのに、ガンガン車を運転し、しかもスマホ片手にわき見運転!
おいおい!山道怖いからちゃんと走って!!笑

聞くと、バルセロナでバスの運転手をしているそう。通りでハッキリしているわけだが、彼が向かう先は「パリピーニャ」という街。

ここなら車も捕まって、パリに行けるだろう!と降ろしてくれたのは、がっつり高速道路の脇。
しかも、辺りは真っ暗になっていた。

...1時間 待った。

ジャンクローーーおじいちゃーーーん!
こんな所で車が止まるわけナーーーイ!!!

ビュンビュンと過ぎていく車、
そして真っ暗な中、凍えそうになりながら、
親指をグッと突き立てる。「車が止まる気配」というものを全く感じなかったので、高速道路から降り、とりあえずピカピカ光るお店に行くことに。


ここは、パン屋さんであった。
気付けば朝から何も食べてない。フランスパンを買い、かじりついた。ここのおばちゃんは、全く英語が喋れなくて、とりあえず「City」に行きたい。ということさえ通じなかった。


「駅」!
駅に着けば、つまりは街があると思い、
表情や手足を使って、
「シュッシュッシュッシュ ぽっぽーーーー!!!」と身振り手振りで伝えた。すると、分かったかの様子で、どうやらお店が閉まったあと車で連れてってくれるということに。

あぁ、ここに来てよかった。お店の明かりが消え、閉店時間まで外で待っていると、一台の車が止まった。

男「おい、お前の望みはなんだ...?」

おっ!?コイツはなんだ!?神様なのか!!?
ここで、現れたのがサム。

実は僕をホームレスだと勘違いして、フランスの病院に送ろうとしていたそう。

(フランスでは、ホームレスは病院にタダで泊まれる)

事情を説明していると、パン屋さんからおばちゃんが出て来て、どうやら僕を病院に連れて行く方向で話が一件落着。

とりあえず、サムの車に乗り病院の見学。

「わぁ、パンチ効いた旅してんなぁ、俺なぁ」とさすがに自分がホームレスに間違えられ、病院にいる事実を客観視した。



「とりあえず、飯でも食うか」とサム行きつけのケバブ屋さんに連れて行ってくれた。

サムは俺に、暖かいケバブをご馳走してくれた。


その時、嬉しさに涙がポロリ…。


この時、本当にパリに辿り着くかどうか、そして自分がどこにいるのかも分からなくなっていたので、サムの優しさに思わず涙が溢れてた。



そんな僕を見たサムは「今夜は病院じゃなくて、うちに泊まりにおいで」と優しく拙い英語で話してくれた。


この時の嬉しさは一生忘れないだろうな。

その日は、サムの家で眠った。英語もあまり喋れず、身振り手振りで「あなた」のことも「You」って言うし、「私」のことも「You」っていう。だから、

「あなたは、ここで、寝る。あなた(私)はここで、寝る。」っていう風になる。笑



翌日サムは高速道路の入り口まで送ってくれた。



「人は人を旅する」とはよく言ったもので、これまで数え切れないほどの出会いと別れを経験している僕にとって、今回の旅も、というか今回の旅ほど人に恵まれた経験はない。



1時間ほど、高速道路の入り口で立っていると青い軽自動車が止まってくれた。なんと運転していたのは女性!

見ず知らずのアジア人男性を女性が乗せてくれる…ヒッチハイカー側の僕も車が止まった時は驚いた。

彼女の名はクラウディア。

もともと彼女もバックパッカーとして、世界中を旅していたそうで、インドでの話はとても盛り上がった。

トゥールーズ」という街を目指せと、サムに言われたが、クラウディアの実家「ボホドゥ」に行くことに。

400kmほど乗せてもらって「人生」について語りあった。

彼女は、もともとフランスの首都パリで働いていたそう。けど、たくさんのお金を稼ぐ一方、それを使える時間が少ないと感じ、「時間」の方を選んだ。

お金は生活できて、少し貯金が出来るだけでいいわ。大切なのは、「時間」の方。

人は時に、「何のために働いているのか、何のためにお金を稼いでいるのか忘れてしまうのね。」ということを僕に話してくれた。



やはり、旅人の価値観は非常に人間的でリラックスしていて、個人のライフスタイルを愛しているように感じた。

いろんな人と出会い、新しい価値観に触れることで「自分」という人間がより見えてくるような気がする。


時間や場所が少しでもズレていたら、出会えない人たちが「奇跡」としか言いようのないくらい僕の周りにいて、感動の連続だった。

やっぱり、僕は旅先で恵まれているなと強く感じた。

最後にクラウディアは「旅のお守り」として、僕に貝殻をくれた。

この後、ボホドゥからは割と早い話で、トラックのドライバーが僕を拾ってくれた。

クラウディアと別れ、3時間ほど。ケータイの充電もなくなり、動画を撮る余裕もなくなった。精神的疲労がかなり大きかった。

最後、ドライバーさんとツーショットとか撮りたかったけど、もう何にも出来なかった。



そして、翌朝。

フランス時間7:40。

無事、パリに到着することが出来た!

この時見た凱旋門は言葉に出来ないほど美しかった。関わってくれた全ての人たちに心から、グラシアス&メルシーボークー!

今回の経験は一生忘れないだろうな。
たとえ、偉くなっても。
たとえ、お金持ちになっても。



僕は、人間は、「絶対に1人じゃ生きていけない。」

周囲にいてくれる人たちのお陰で生きていける。僕は1人じゃ何も出来ない。こうやって旅が出来ているのも、周囲にいてくれている皆さんのおかげなんだと思った旅路であった。今回関わってくれた人たちは数え切れないな。

写真が撮れなくても、道を丁寧に教えてくれる人たちはたくさんいたしね。

周囲にいてくれて、しかも親切にしてくれる人たち、家族、友達。日頃から本当に感謝してる。この場を借りてどうもありがとう!



そして、たぶん「夢」を追いかけるってバルセロナから、パリまでヒッチハイクで縦断するようなもの。

果たしてたどり着くのかも、どうやって行くのかも、いつ着くのかも、何もかも分からないし、ルートだって、何十何百通りってある。



「でも目指す。」

肝心なのはそこかなと思います。



“必ず目的地には辿り着く”

だって、そこにパリはあるのだから。それだけを信じて、ひたむきに「辿り着くこと」を信じる。祈る。努力する。

「ゴールに向かって進もうとする」これだけで、僕らは夢に一歩近づける、

たぶん、夢を追いかけるってそんな感じ。



ヒッチハイク

軽い気持ちでやってみたら、そこには映画のような出会いと、感動、そして「人生」や「夢」に向かっていく僕ら若者の根底にあるもの。

そんなものが見えてきた。

僕にとって、このヒッチハイク旅は人生において非常に意味のあるものだと感じるな。

僕は更に「夢」に向かって進み続けます。

「食」のスペイン!バルセロナ!! 〜旅人にしか分からない「旅」と「旅行」の圧倒的な差〜

「ヨーロッパ」

長きに渡り、続けて来た旅もついにヨーロッパへと入っていく。

これまで多くの植民地とされていた国。
その国々を束ねていた国、人類の歴史的にも最先端を引っ張っていた国、それがヨーロッパの諸国である。

僕の”ヨーロッパ”への突破口は「スペイン」
あのアントニ・ガウディが建築した”サクラダファミリア”がある「バルセロナ」だ。

特にスペインは、3ヶ月留学をしたフィリピンを植民地にした国...フィリピンの歴史を勉強したということもあって、”侵略された側”から”侵略した側”への見方ができるのだ!

アジアを抜け、中東を越え、アフリカを北上し、ついにヨーロッパ!


空港からすぐ...空気感が変わっていた!

上裸で歩く男も、ツボを頭の上に乗せて歩くおばちゃんも、その辺で拾って来た木の枝を振り回す裸足の少年もいない。もちろん、野良牛も。


「こ、ここは未来!!?」

ヨーロッパからモロッコへ来た2人は、
はぁやっと帰ってきたー!という感じで、スイスイ進む。その後ろから、スゲェースゲェー言う挙動不審の僕。

東京都民もへったくれもない。
完全に「未来少年コナン」だ。タンクトップに裸足、ボサボサの頭。

公共のバ、バスにWiFiだとぉ〜!?

ヨーロッパはカード文化!
電車のチケットから、飲み物のコーラまで、何から何まで、数百円単位がカードで買える。
お釣りの全くないエジプトとは大違いだ。笑

さすがにこの辺りは、日本よりも凄くて驚くであろう。

バルセロナの街並みも綺麗でバスから眺める風景は、もう遊園地に来ているかのよう。
ここは、トゥモローランド!!?

...!?正規のあ、あ、アップルストア!!!
やばい。このテンション。完全に原始人。
過去から来たタイムトラベラー。笑

この時代でさえ、東南アジアとこれだけの差があるんだ。そりゃ何百年前めっちゃ強えわ。コヤツら。


僕たちチーム女子旅は、ガウディの建築した
カサ・ミラの近くに1泊10ドルという破格で宿泊した。場所もショッピング街。

道行く人、道行く人、オシャレで綺麗で、
もう最初バーチャルの世界かと思っていた。だって誰もターバン巻いてないんだもん。

スタスタ歩くその光景に、寂しさも覚えたほど。目の前で人同士がぶつかっても、なんだかよそよそしい感じ。

エジプトやモロッコでは、なんか握手したりしてたな。人同士がぶつかったりしたら。

これが「人」と「人」との心の距離なのか。
都会ってやっぱり、便利というものを得るために、そういう人間らしさを犠牲にしている気がする...

スペインでの旅は「食旅」!
つまり、美味しいものを食べるということ!

さすが、「チーム女子旅」と言うべきか、
女の子はオシャレで美味しいお店をよく知っている。2人について行けば、ちょんまげ頭の僕も美味しいスペイン料理にありつけると言うわけだ。

彼女たちの「都会モード」に適応するスピードは光のごとく。尊敬をするほど早かった。

本場、スペインのバル!
もう言葉に出来ないほど美味いものだらけ!!

トランジットが嫌いなお父さんは、スペインに来たがらないけど、あの人が来たら大変なことになるね。もうめちゃくちゃ美味いし、のんちゃんは”地元の人たち”が来るバルをよく知ってるから、安い!

スペインはヨーロッパの中でも物価が安く、国境近くはフランス人がスペインに食料を調達しにくるそう。

ここのバルはね、愛想の悪いおっちゃんが、
ケースの中に入った具から、選んで、カリッカリのフランスパンのうえにトッピングする。
いわゆる”一口サイズのおつまみ”のバル!

もう、ワインと口の中でデュエット。踊り出すんだ。

サーモンにクリームチーズ、穴子のうえに乗ってるタレ。

もう止まらん。

エビにキャビア、クリームチーズと、パプリカ。

止まらん。止まらん。

サバと、オリーブ、アンチョビと、トマト。


うますぎるぞおおおおおおおおおお!!!


父さんがよく、嫌味っぽく
うまそ〜な写真を送ってくんのよ。
でもこればかりは、本場のスペインのバルには勝てないでしょ!しかもこれ、ひとつ3〜5ユーロくらい!!このくらいのトッピングなら俺だって、ナビスコあれば出来そうだわ!!

家の近くの創作居酒屋「隼」を思い出した。
俺が酒飲めるようになったから、父ちゃんと週
1ペースでサシ飲みすんだ。

小さい頃、親父らしいことはあまりされてこなかったけど、今でなっては、息子と父親の関係を完全に越えてるから、居心地は悪くない。帰ったら、隼の締めの親子丼が食べたい。

ここ、スペインの本場のバル。すごいのは、おそらく仕入れ。
この無愛想なおっちゃんは、相当な人脈があるだろうな。でもって、このお店は年に3ヶ月くらいは休暇でしまってるそう。僕が行った時も混んでたけど、連日連夜こうもごった返してたら、バカンスでお店閉めたくなっちゃうよね。

それにしても羨ましい生活してるな!笑

「人生、好きなことをするべし!!」という話に、必要なことって「お金」と「時間」だって友達が言ってたんだけど、それはあながち間違ってない。
特に「お金」の面に関しては、家柄だったり、もともと裕福な家庭だったりってのがあるあるで、「時間」は学生という面でカバーされがち。

今の私はまさにそうなのかもしれないね。

何度も言うようでしつこいかもしれないけど、この旅の資金のほとんどは自分で稼いだもんだからね。高校の先生からも、裕福な家柄をすごい言われて、嫌だったから。なんとか稼ぎたいなって思ってた。

それはある日。大学2年の頃、
漠然と「学生のうちに100万くらい貯まったらカッコイイな!」って所から始まった。

色んなことしたよ。

引越しの日雇いとか、ビルの清掃、スキーのコーチから、老人ホームの送迎。

スタバに勝つコーヒーショップを作りたくて、カフェでバイトしてみたり、自分を見失ったけど、銀座のアパレルショップでバイトしてみたり。

「治験」とか、「マルチ」とか、危ないこととか、自分の正義に反するお金の稼ぎ方は神に誓ってしたことがない。

もちろん体売ったりね。笑

最後の半年で60万。フリーマーケットしたり、売れそうなものを安く買って、転売したりね!

それくらいの気合があればお金は貯まるし、
「時間」は主体的に作るもの。世界一周ってお金持ちしか出来ない?...まったくそんなもんじゃない!

120万あれば、楽々出来ちゃう世界一周。日本人なら学生のバイトでだって何とかなる!

で、この「お金」と「時間」がしっかりある生活。でもって、「したいことが出来る人生」。

この人生を、ライフスタイルを30台までに完成させたいな。

お金は困らない程度でいい。
大切なのは、間違いなく「時間」だね。
失った時間は取り戻せないからね。

古代、原始時代。人々は、冬に備えて”蓄え”たそうだ。
必死に蓄え、冬が来るとアナグラの中で、のんびり過ごした。


今は、”蓄え期”!!頑張るぞー!!!


でもって、「食」のスペイン。
海の見えるレストランを予約して、昼間っからボトルワインを開けて、パエリアを頬張る。

はぁ、幸せ。

右手で、べっちょベチョのカレーを食べていたこととか、カンボジアで食べたカエルとか、蛇とか、タランチュラとか。素足で踏んだうんことか、もう全部忘れて、パエリアに包まれた。

もちろん、「観光」もしましたよ。
あ、観光って言っちゃった。ショッピングとか、分かり切ってる美味しい食べ物とか、

もう完全に「旅」ではなくなってる気がして、どこか切なかった。

ガウディが造った「グエル公園

そして言わずと知れた「サクラダファミリア」。

「21世紀最高にして最大」

自然の偉大さを知っているからこそ、人工物に対して、そこまで魅力を感じなかった。

しかし、この”サクラダファミリア”には圧巻。人類の歴史上、あまりにも”別物”すぎる。いつまでも観てられる”人工物”。こんな感覚初めて。

今まで、数々の教会を訪れていたからこそ、このまるで”別次元”の空間をより理解できる。表現者として、ガウディの偉大さは計り知れない。

今まで訪れた中でダントツ1位の人工物。
”サクラダファミリア”。完成は2026年。
作者であるアントニ・ガウディの没年100年後。

すごいよなぁ、ガウディ。

「はいっ!この白紙に何描いてもいいよ!」
って言われて、サクラダファミリアは創れないわ。

しかも設計してる本人も、
「あっ、これ俺が死んでから100年経たないと完成しないわww」って途中で気付いてるだろうに、設計をやめない。

さらに、その凄すぎる作品の中に「ガウディ・コード」と呼ばれる秘密の暗号/想いを作品に込める器用ぶり。

完成まであと10年。ガウディ没年100年の2026年。完成するとき、ここバルセロナはどうなっちゃうんだろうな...楽しみ。


でもって、いつか、

「おじいちゃんが世界を旅した頃は、まだサクラダファミリアは完成してなかったんじゃ。」

って言いながら、暖炉の前で孫たちに、世界の話をしてあげたい

その後ベルダースオリジナルあげたい。

でもやっぱり、「食旅」なんだよね。スペイン!2人は、1度バルセロナに来てるから、グエル公園とかはひとりでバスに揺られて向かい、

観光のあとで再集合してのんちゃんよろしく、美味しいバルに通う日々。

のんちゃんが連れてってくれる場所はどこも美味しくて、もうやっぱり「女子」ってすごい。

こーゆーとこ覚えておいて、さらっと連れて行ける男になるぞー!
ジェントルマンになる必要はなくて、私の美学は完全にジャックスパロウ。

やるときはやるし、テキトーのようで、どこか戦略的で、色んなことに長けてないようで、長けてる海賊。

このバルの後もう一軒ハシゴして、のんちゃんはバルセロナの夜に消えていった。
その後、朝まで飲んでいたみたいで、あんなに一緒にいたのに「さよなら」も言わずに、俺がシャワーを浴びている間に空港へ向かった。

そう、彼女は日本に一時帰国。
世界一周の予定が、ヨーロッパで金が底を尽きたんだと。でもって、日本でひと月働いて、年末にはアメリカに戻って南米降りて、一応 全大陸制覇するみたい!

そーいえば、世界一周のつもりが東南アジアで風俗に行き過ぎて、インドで底が尽きた大学生にあったなぁ。世の中には色んな人がいるわい。

「さよなら」を言わずに帰ったのんちゃんは、二日酔い+女の子の日で、飛行機最悪だったみたい。笑 罰にしてはキツすぎる罰だね。とりあえず、マタアイマショウ。

そしてそして、ちーちゃんの方は、イタリアからトルコ、ヨルダンイスラエル、エジプトという既に小さく世界一周してるやん。とゆー、ルートで回るそう。

まぁトルコからのルートは私が考えたんだけどな!はっはっは!
だから、僕が通った足跡を通るから、出会った人たちによろしく伝えておいて!って感じで、ちーちゃんの物語も興味津々だなぁ!ちーちゃんもまた会おうね!!

「チーム女子旅」なんだかんだ、楽しかったなぁ!未だにラインをしてるってゆー、仲良しチームだからね!まぁ女子と旅するのは、バカみたいにお金かかるから、あまり出来ないけど、美味しいもの食べれるのはラッキーだよね!


あ、そうそう、
バルセロナ最終日は、TABIPPOの編集をしている阿部さんとミカエルに会ったよ!

ネット上では、記事のやりとりで連絡取ったりしてるけど、ちゃんと話したのは初めて!
これまたのんちゃんに教えてもらった、クラフトビールの工場に飲みにいった。

ヒンドゥー教徒のインド、ムスリムの国々ではお酒なんて本当に飲む機会が少なかったのに、スペインでは浴びるほど飲んだ。

でもね、気付いたんだ。
「やっぱりワクワクどきどきの旅がしたいっ!」

美味しいもの食べて。
オシャレして。綺麗な観光地見て。

もちろんそれも”素敵な旅”だと思う。

でもね。その旅、というより「旅行」をして、果たして”一生忘れないヨーロッパ”になるのだろうか?

ヨーロッパって、お金があればおじいちゃんになっても来れる場所だと思う。

じゃあ、今の自分にしか出来ない”ヨーロッパの旅”は...?

ズバリ!「ヒッチハイクで1100km!」

スペインからパリを目指すことっ!

3日間、宿代の8倍くらい掛けて食事をしてきたけど、やめやめ!それはおじいちゃんになっても出来る!今の俺っ!等身大の俺が出来るのは”ヒッチハイクの旅”。

旅人に戻ります。

そうこなくっちゃ。

出来るかどうか分からないけど、ヒッチハイクでスペイン・バルセロナからフランス・パリを目指します。1100km!

とゆーことで、この決断が後に
かの「睡眠強盗」よりバズられるヒッチハイクの旅につながるのであった...!

To be continued...

「世界の果てまで来て分かったこと」

ついに来た。サハラ砂漠

僕がいるこのモロッコという国は、僕の持っている世界地図(日本が中心になっている)で最西端に位置する。

気がつけば、僕は当時 夢見ていた”世界の果て”までやってきていた。

これまでの旅路で訪れた場所、出会った人々、
降りかかったハプニング、奇跡。
その日が遠い昔にも、つい最近にも思える奇妙な感覚だ。

ラクダに揺られて向かうは、永遠と続く砂山。
”砂山”と言えば一見 大したことのないように聞こえるが、そこにあるのは、紛れもない”砂漠”。

サハラ砂漠

まるで絵画に描いたような光景に、ある種目を疑っていた。

実物なのに、実物のように見えないのだ。
砂で出来た大小様々な山々。照りつける太陽に反射するかのようにオレンジ色に輝く。

一面 砂漠。
目に映るものは、砂しかないのだ。

再びだ。この言葉に出来ない気持ち。
「ヤバイ」の一言で片付けられるのであれば、どれだけ楽なことか。

「砂漠」という自然の偉大さに息を飲んだ。
それは、ヨルダンペトラ遺跡の「山脈」や、
メコン川に沈む「夕日」のような感覚だ。

この旅で、僕は自然からどれだけのことを学んでいるだろう。

...そこにいるのは我々6人とラクダが6頭。
ターバンを巻いたベルベル人のガイド1名だけだ。

たまにラクダの糞にフンコロガシが寄ってくるのが目に見えた。

ラクダは砂漠の上は非常に安定した乗り心地だ。しかし時折、砂漠の、その自由な形にラクダとて簡単に歩けないように思えた。

そうそう、ここ”サハラ砂漠”は、
僕がこの旅に出たときに持っていた2冊の小説。「星の王子さま」と「アルキメスト」の舞台なのだ。

「アルキメスト」...
スペインの少年サンチャゴが、モロッコからサハラ砂漠を渡りピラミッドの下に隠されている”あるかどうか分からない宝”を探しに「自身の運命」や「宿命」に立ち向かいながら、エジプトまで旅をするというもの。

星の王子さま」...
サハラ砂漠に不時着したパイロットが、星の王子さまと出会い。人生で一番大切なものを思い出す話。


僕は大好きな2つの小説を思い出しながら、ラクダに揺れていた。


...1時間半ほどだろうか。
宿を出発し、ラクダに乗り、照りつける太陽の中、延々とキャンプ地へ向かう。

僕を含め6人の旅人の口数もだいぶ減った。
そんな中、僕は砂漠の偉大さに感動し、
心の中で「僕の好きな”自然”ランキング」というのを考えていた。

1位は、圧倒的に「夕日」だ。

世界のどこで見ても綺麗な夕日。
しかしその美しさにも個人的な評価が加算される。美しければ美しいほど、日々の疲れが癒される。

”夕日を眺める心の余裕が出来た”これだけでも、この旅に出た甲斐があるような気がする。

2位に、「夜空の星々」

そして、3位に今回初めて出会った「砂漠」がランクインした。

そんなことを考えながら、物思いにふけていると、キャンプ地がポツンと見えた。

そして、我に返った。
「大好きな自然ランキング」なんてことを考えている自分は、”紛れもなく”生きていた。

そして僕は本当に自然が、生きることが、
好きな人間だと感じた。

東京にいた頃は、こんなランキングなんぞ
考えもしなかった。僕はこの地球で、息を吸って、風を感じて、生きているのだ。
その言葉だけで、その全てを感じれることが出来るようになっていた。


...目的地に到着し、しばらくすると夕日が沈み始めた。どんなに遠くまで眺めても、砂漠以外の物は目に入らなかった。地平線を”ただただ”眺める数分は、非常に心地の良いもので、心の中にある”容量”のようなものが(人はこれを器と呼ぶ)の空きスペースが、少しだけ。また少しだけ、広がった気がした。

このとき何故だか、ホロリと涙が垂れた。
それはきっと、あまりにも美しすぎてだろう。
僕には、この”光景を見せたい人”がいる。
そう、世界の果てで思えることを幸せに感じた。

気付くと、1番星が宇宙の隅っこで輝き始めた。
そして日は完全に沈み、あたり一面 暗闇に包まれた。


...日が落ち、一気に涼しくなり、みんなテントに戻った。

そして、テントの中で モロッコ料理”タジン鍋”を食べた。鍋の蓋を開けると、もくもくっと立ち上がる湯気、そしてとてもいい匂いがした。アツアツの鍋に、ジャガイモや鶏肉がゴロゴロ入って、一緒に出てきたパンと一緒にお腹いっぱい食べた。

薄暗いテントで、卓を囲んで食べたタジン鍋
なんだか小学生の頃のキャンプを思い出すな。

いっとき忘れかけていた”無邪気な笑顔”。
それは、いつまでも「子供」ということだけでなく、”未完成”という意味の”無邪気さ”。

旅に出た僕は、自然とこの”無邪気さ”を取り戻しているような気がする。

僕はより一層幸せな気分に満ち溢れた。”懐かしい”と思える気持ち。”無邪気”な。これから、何が起こるんだろうって、わくわく、どきどきする感じ。僕はこの感情が大好きだ。


タジンを食べ終えテントから出ると、
夜空には満遍なく”星”が散らばっていた。

今度は、どこまで観たって星しかない。
まるで自分が宇宙にいるみたいに。

こんな「夜空」観たことない。
僕が知ってる夜空じゃない。なんと言っていいか、言葉に出来ないもどかしさが再び僕を襲う。とにかく、僕ら人間には絶対に”表現”出来ない空がそこにはある。

僕らは夜空に見惚れながらも、火を囲んだ。

太鼓の音色と共に歌われるモロッコの民謡。

時より竹が炎の中で割れパチパチと鳴る。

その音が太鼓の音色と、砂漠の静けさに混じり合い、独特な雰囲気に酔ってしまう。

夜空を見上げると、数え切れないほどの星々。


数分に1度流れる流れ星に、僕は、僕らは、それぞれの願いを夢見た。

あまりにも美しい夜だった。

...星の王子さまは教えてくれた。
「本当に大切なものは、目には見えないんだよ」と。

...サンチャゴ(アルキメスト)は教えてくれた。
「少年は風の自由さを羨ましく思った。そして自分も同じ自由を手に入れることができるはずだと思った。自分をしばっているのは自分だけだった。」と。


長きに渡りついていた火が消え、
ベルベル人の歌う民謡も終え、砂漠が暗闇に包まれた。見上げれば、何千、何万という巨大パノラマ。

その静けさに”孤独”さえも覚えた。
まるで、世界が僕1人だけになったかのように静かだった。

静けさ故に、「自分という人間」をいろんな方向から見つめ直せた。

「星が綺麗な夜だった」だけではあまりにも、言葉足らずな夜だった。


...朝になり テントで目をさますと、その寒さに、その静けさに、驚いた。
そしてまだまだ薄暗いが、間もなくといったところだろうか。日が上がりそうだ。

裸足で歩けた砂漠の砂は冷たく、とても砂漠で歩ける様子ではない。

再び砂の上に立つと、周囲の景色が変わっていることにも驚いた。
昨日登った砂山の形が大きく変わっているではないか。

この”未完成の美”というものを、砂漠は持っている。見渡して、1番高い砂山に登り、朝日を待った。

まるでスキー場に来てしまったかのような寒さの中、黙々と朝日を待った。

「日が出る」前が1番寒く。1番暗い。
しかし、必ず朝日は上がるのだ。何度沈んでも、必ず上がり、輝く朝日は、まるで人生の手本のように感じた。


そうこうしているうちに、
この日最初の朝日がサハラ砂漠に上がった。

とても暖かく、「生きている」ことを感じた。
まるで大切な誰かに抱きしめられているかのように、生き返った。


僕は、分かった。ようやく。
ようやく少しだけ、”自分”という人間が分かってきた。何が好きなのか。だったり、どんなタイプなのかってこと。

今まで分かった気になっていただけであった。
ようやく”自分の足元”が見えてきた。

日本が真ん中になったとき、最西端に位置する国。モロッコ。旅に出て約7ヶ月。

世界の果てまで来て、分かったことは、
「自分の足元」だった。


僕は知っている。
夜空を見上げる幸せを。
砂漠の静けさを。
そして、太陽の暖かさを。

サハラ砂漠でキャンプ!”ブルーシティ”シャウエン!〜おとぎ話の国モロッコ!物語はついにヨーロッパへ!〜


なんにもないところにいると、なんでもないことで、こんなにも人間は感動できるものなんだなぁ。

もしかすると、人は便利になればなるほど、快適になればなるほど、感動の数を減らしているのかもしれない。

...2.3日滞在したマラケシュを抜け、
僕らは”サハラ砂漠”のあるメルズーガへ。

メルズーガまでは、夜行バスがなくて
早朝に宿を出て着くのは夕方。本当に12時間くらい1日中バスに揺られて、メルズーガへ向かう。

12時間というと、ノルウェーから中国へ行くそれと大して変わらない。
そんな時間を男1人。女の子2人のチーム「女子旅」は進む。

マラケシュ”という街を抜けて眺める景色は、
あたり一面こんな感じ。イメージ通りのモロッコだ。
スターウォーズのアナキンが住んでいたタトゥーインを思い出す。

「やっぱり砂漠って男のロマン」そんなことを共感できる相手は今はいない。笑

なんせ、チーム「女子旅」なのだ。


女性を批判するわけではないが、やっぱり「男」って良いやつが多い。そして、
良いやつが故にどーしようもない奴が多い。笑

男子の特徴は、”思い出を美化しやすい。”ということ。僕もそうなんだけど、やっぱり元カノとの思い出とかをすごくすごく磨き上げるわけ。


まず、男女間の違いで元カノ・元カレと別れて、新しいパートナーが出来た時に、

「男は別フォルダ。女は上書き保存。」

という言葉がある。男は元カノを別フォルダに保存して、女は新しい彼氏が出来たから過去を抹消して新しいパートナーに一途。という意味だ。


特に、「だから男子は元カノと浮気をする」という批判の意味も込められているのだが、


もちろんそれは否定できない。(僕は一筋系)
しかし!それをそれだけピックアップしないでほしい。

男子にとって、元カノだろうが、
大切な思い出は”大切”。であり、特別なんだ。


”ハートフル”なんだ。

いつまでだって、忘れられない人がいる。
これはマジらしい。
でもって、男は良いやつが多い。男子が集まって、元カノの悪口大会を開くだろうか?


否。開かない。
しかし、女性は元カレの悪口大会を開く!(人が多い)

男性にとって、特別な存在はいつまでも特別な存在。どんなに喧嘩した過去があっても、「あぁ、いい過去だったな」って、思い出を美化しやすいっ!

そして、男はダサい!!!
しかし女性によって男は成長していく。


例えば、彼女が出来ることによって、
オシャレなレストランを探したり、
今のファッションのトレンドを気にしたり、
お金や、”男性として”ということを考え始め、成長するのだ。


同じ歳の社会人でも、奥さんがいたり、子供がいたりする人と、そうでない人。
どっちが良いとか悪いとかはなく、家庭を持っている人が人間として大人。

そりゃそうだよ。自分だけのために働いてるわけじゃないんだもん。

「人のために自分を犠牲に出切る。
頑張れる。」これってすげー大人だし、かっこいいし、男性として成長出来ることだと思う。

だからこそ、彼女がいない歴=年齢の人は、
なんとなくダサがちである。というのは、偏見なのだろうか...

そして、オシャレすぎる男性は、オネエになる!これこそ、もともと男性はダサい。という証拠ではないか。



女性の皆様。感謝してます。
いつもありがとうございます。

まぁとにかくあれだ。

「男」と「女性」って全然違う生き物。
本当にそう。本当に。

理想のタイプは、
「価値観が合う人がいい」とか言うじゃない?

んな人いないから。笑

まず、男女間での大きな違いに、
育った環境とか、今まで積み上げて構成された部分が一緒だなんて、いるはずない。笑


まず、「価値観が合う人はいない」というのを認識して恋愛すれば、ちょっとはハードル下がるんじゃないかな。






...知らんけど。笑


さて、辺りがすっかり暗くなった頃。
モロッコ。”メルズーガ”に到着だ。
泊まった宿は、オマールさんの宿!
超がつくほどモロッコだね。

1泊して、さっそく。

サハラキャンプへ行きました。
これはね。絶対行くべき。やばい。
さすがにこれは、別記事で書きますわ。

僕が世界一周に持ってきた2冊の本。
「アルキメスト」と「星の王子さま」の舞台。

星の王子さまは、ここサハラ砂漠に降りてきて、
夢を旅した少年サンチャゴは、モロッコからエジプトまでサハラ砂漠を超えて宝を探した。


でもって、たかのてるこさんの「サハラ砂漠の王子様」のバチバチに舞台。


「ラクダに揺られて向かうはサハラキャンプ」

モロッコ・メルズーガの町からラクダに乗って1時間半。

サハラ砂漠のど真ん中で、1泊2日からキャンプが出来る。

僕が世界一周に持ち出した「星の王子さま」「アルケミスト」この二大小説の舞台になってるサハラ砂漠を、悠々と歩くのは、本当に夢のようだった。

見渡す限りの砂漠には僕ら5人と、ラクダが5頭、ガイドのベルベル人が1人だけ。

延々に続く、そのサハラの旅路は、スペインからエジプトまで”夢を旅をした”少年サンチャゴを強く思い出させる。一度「何か」を手放さなければ、それ以上の「何か」を得ることは出来ない。


「みんなで火を囲み、見た夜空」

目的地に到着し、みんなで火を囲み食べたモロッコ料理”タジン鍋”。

太鼓の音色と共に歌われるモロッコの民謡。

時より竹が炎の中で割れ、パチパチと鳴る。その音が、太鼓の音色と砂漠の静けさによく混じり、場の雰囲気に酔ってしまう。

夜空を見上げると、数え切れないほどの星々。
数分に一度、流れる流れ星に僕は、僕らは、それぞれの願いを夢見た。

星の王子さまは教えてくれた。「本当に大切なものは、目には見えないんだよ」と。


なんにもないところにいると、なんでもないことで、こんなにも人間は感動できるものなんだなぁ。

もしかすると、人は便利になればなるほど、快適になればなるほど、感動の数を減らしているのかもしれない。

これは、たかのてるこさんの「サハラ砂漠の王子様」から頂いた言葉。本当にその通りだ。


”選び疲れるよりも、歩き疲れて眠りたい。”
これは、尊敬する旅人であり、超えるべき目標。高橋 歩さんの言葉。

世界の果てまで旅して、ようやく自分が分かってきたかも。

ってことで、サハラ砂漠含め3日間。
メルズーガに滞在して、本当に楽しかったな。

ちーちゃんとのんちゃんと、星空のサハラ砂漠で寝転がって、爆音スピーカーでaviciiの wake me up とか聴いて踊って。

寝っ転がって。

一生忘れない思い出だわ。
星を数えながら、砂の上で「あっ!流れたっ!」ってもうおとぎ話の世界。

サハラキャンプだけでもまた行きたい。
本当にオススメ。最の高。

サハラ砂漠から、次は”ブルーシティ”と呼ばれるシャウエンへ。

ついに、シャウエンまでも来たのね。
インドにも”ブルーシティ”と呼ばれるジョードプルと呼ばれる場所があってさ。

西の”シャウエン”。東の”ジョードプル”。

って聞いたときは、モロッコなんて、
まだ先の先の話だと思ってたら、あっという間だった。本当に。こうして、あっという間に世界一周しちゃうなんて考えると、どこか切ない気持ちにもなる。

まず、メルズーガから夜行バスでフェズへ。
フェズから、朝イチのバスでシャウエンへ向かおうとしたんだけど、、

なんと!バスがいっぱいで乗れず...

他にも2人バスでシャウエンへ行けなかった人たちと長距離タクシーをシェアして、シャウエンへ向かうことに。

シャウエンは本当に青かった。
ここから無加工です。


壁も。


椅子も。


車も。


空も。

マジで青かった。ぜんぶぜんぶ。


インドのジョードプルとは比べもんにならんっ!笑

すっごい綺麗!人も優しい。

世界の”ブルーシティ”は残すところ、

ギリシャサントリーニかな⁇
いつか行ってみたい。これだけ旅して、まだ行きたいところがたくさんあるんだ。

人生は果てなき冒険旅行。なわけだ。

シャウエンは1泊して、翌日タンジェへ。

ここは「アルキメスト」の少年サンチャゴが、
スペインで羊を売って、大金を得たのに、モロッコについていきなり全財産を失うところ。

そのお陰で、ガラス屋で働くことになって、以前よりお金を得ることになるし、アラビア語も喋れるようになるんだよね。


「人は何かを失わなければ、それと同じ以上のものを得ることが出来ない。」


この言葉は、なんとなく分かる気がする。
俺も色んなものを失って、この旅に出たよ。でもそのお陰で、それ以上のたくさんのものを既に得ている。

人生って、面白い。
いつか失ったものもひっくるめて全て回収して、わはは!って、笑うんだ。おれ。

やってみないと分からないことって、
本当にたくさんあるよ。でも人は、自分の運命を追求することよりも、人にどう見られてるかとかを気にしちゃう生き物なんだよね。



モロッコのタンジェから、ジブラルタル海峡を超えると、そこはヨーロッパ!
港からは、ヨーロッパの光が見える!!

当初は、タンジェから船でスペインに入る予定だったんだけど、
スペインの港から、バルセロナまでの移動で結局 飛行機と同じ値段になっちゃうことが発覚。

このとき、「クラウドファウンディング」の話が進んでたし...(今度書きます)
時間がないということで、しょうがなくチーム女子旅に合わせてチケットを購入!

モロッコ最終日は、
フェズからシャウエンまで一緒に来た外国人。
ニコと合流して、しかもこの日は彼女のバースデー!1人でいるのも可哀想なので3人でお祝いしてあげました!

翌日、僕らチーム女子旅はタンジェ空港から
スペイン・バルセロナへ!


約ひと月。ありがとう。アフリカ。
次は、南下する。サファリ、絶対行きたい。
野生のシマウマ、キリン、カバ、ライオン。
絶対見たい。マサイ族と飛びたい。


エジプトは、ダハブ。
紅海でダイビングする美しさ。
大切な人に教えてあげたい。


そして、モロッコ。
やっと自分がどんな人間か分かってきたよ。
次サハラに立つとき、僕はどんな顔をしてるんだろう。持ってるiPhoneは8かな?そんなに遠くない未来だって信じてる。


物語はついに、ヨーロッパへ!!
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