「僕とスキーの関係性」 〜インスブルックのコインランドリーにて〜

物心が付くと、「スキー」をしていた。

趣味がこうじて、インストラクターになった両親。
その両親の間に生まれた”第一子”10歳離れた姉、恵美子。

そんな姉の背中を見ながら、

東京都出身ながらも、懸命に取り組んできたスポーツ「アルペンスキー」。

今の「世界を旅する」自分を振り返っても、姉の存在は非常に大きなものだと感じる。
アルペンスキー日本代表として、ワールドカップを転戦、日本女子7年ぶりのワールドカップ決勝進出。

常に、アルペンスキー日本女子の”最高峰”に君臨する姉。本人は「ずっと成績がなかった」といいつつも、アジア杯で金メダル、ユニバーシアードで銅メダルと、

スキー界では「清澤」という名字は非常に重たいものが当時の僕にはあった。
また世界を舞台に日の丸を背負って戦う姉の姿は、やはり「かっこいい」の一言では終われない”憧れ”というものがあった。

小学6年生の頃、イタリア・フランスで行われたチルドレンの世界選手権に出場。

その時のコメントでは、
「いつか世界を舞台に戦いたい」と発言し、再びヨーロッパのこの”スキーの聖地”に立ちたい。そんな漠然とした「夢」を描いていた。

それと同時に、この世界大会をキッカケに世界の広さを感じる。

「世界大会」といえど、スキー文化の強いヨーロピアンが主な選手であったが、それに対して東の国の「日本」という小さな島国から、自分たちのスポーツをやってる選手がいる。それだけで、他の国の選手に大きく歓迎されたものだ。

その時、子供ながらに
世界には、これだけの国、これだけの人々、これだけの文化がある。と強く感じ、「海外」というものに強い魅力を感じた。

中学生になり、東京都選手権優勝。
関東を中心に行われる大会では、それなりに表彰台を飾ってきた。

東京都で1番になり、出場した全国大会。
しかしそこでは全く結果が出なかった。
アルペンスキー」...やはり北海道や新潟、長野といった、いわゆる「雪国」の選手が非常に強かった。

常に「清澤の弟」と呼ばれ、比較され、
家での会話はほとんど姉を中心に展開され、
東京の実家には、数えんばかりの姉のトロフィー。はっきり言って、居心地のいい場所ではなかった。

それでも、自分の夢を叶えるため、
強くなるために、中高一貫校であった
成城学園”を飛び出し、北海道へスキー留学。

これがまた、姉が通った道を通ってしまったのだ。
僕の北海道での生活は、今まで東京で育った環境とは違い、「スキーを中心」に全てが回る。

スキーを知れば知るほど、その姉の大きな存在と、自分のチッポケな存在の差は広がる一方であった。


”スキー”を中心に物事を考えるので、
成績が出ない自分は「なんてダメな人間なんだ」と感じる日々が続いた。

スポーツに情熱を持って、取り組んできた高校時代。その淡い青春は輝かしいもので、成績がなかなか出ない中でも懸命に前を目指し続けた。

「いつか必ず、成果は出る。」
そう信じて止まなかった。

北海道では、北海道選手権8位や、全国高校選抜23位と、なんとか”スポーツ推薦”で大学に、ギリギリで入れる成果を出した。

どちらの大会も、姉は優勝している。という声が、自分の中で木霊した。
それでもどうにか”情熱”に火を消すことなく大学も体育会スキー部に入部。

それはもちろんのことで、スポーツ推薦で入ってきたわけだから、”スポーツで成績を出すことが仕事”と、ある種 洗脳を受けている状態での入学であった。


再び東京に戻り、「大学」という今までの自分のコミュニティの中では、1番 大人びた響きで、大きな組織に所属した。

大学1年目は本気でスポーツに取り組んだ。
ここで何とか、学生チャンピオンシップという大会で13位を獲得出来たが、誰もそんなことには気付くことはなかった。

おそらく、自分がスキーをし続けたのは、誰かに認められたかった。というか、物事をする上での最大のモチベーションが、「誰かに認められたい」という欲が強い。

特にスキーに関しては、これ以上の何物でもなかった気がする。以前 高校生の頃、この内容を”スキー部日誌”に書き、監督に提出すると大きく否定され理解されなかった。

これは普通、理解出来ないことだと思う。
自分くらい陽に当たらなかった人間でなければ。

大学1年目 スキーで結果を出したいがあまり、講義にほとんど出席せず、単位を10単位落とした僕は、2年目が始まる頃”ハッ”とした。

スキーの成績もない。
大学も4年間で卒業出来ない。

「これでは、ますます自分の居場所がなくなってしまう。」そう気付いた僕は、気持ちを入れ替え、つまりシフトチェンジし、積極的に授業に出席するようになった。

授業に出て、大学の”一般生”と呼ばれるクラスメイトの友達と話す機会が増えた。

「一般生」とは、いわゆる大学受験をして入学してきた一般の生徒。に対して、「体連生」...つまりスポーツ推薦で入学してきた僕。


そもそも「一般生」という言葉自体、「体連生」が作った言葉なのではないだろうか。「一般」が普通なのだから。

ひと学年の8割以上が、当たり前だが一般生である。

そんな一般生と、僕はまともに会話が出来なかった。というのは、”知識”が無さすぎたためだ。

今まで、身内で「スキー」の話ばかりしていたから、知識に偏りがあったのだ。特に高校生の頃からはだ。

これはきっと、僕の同期が今、社会に出て感じていることかもしれない。「スキー界」という小さな枠組みから外れると、ほとんどの知識で周囲の人間に敵わない。

この時、気付いたんだ。


「ひとつのことを”極める”っていうのは、
一歩隣に行くと”素人”ということ」に。


それに、僕の場合「極めた」内に全く入らないと自覚していた。ますます、このままじゃヤバイ。ということを理解した。

周りの先輩は、雪国からこの大学に入っており、当時 地元に帰る人がほとんどであった。彼らは、地元に帰っても「スキー」の話をする時間が長いかもしれないが、僕はこれからも東京という”雪のない場所”で生きて行く。


となると、スキーの話をするのはごくごくわずかな時間。
ということに気付き、自分に足りない「スキー以外の経験値」というものを磨く必要がある。なぜなら、これからもっともっと多くの人たちと話がしたいし、繋がりたいからだ。

それからだった。色んなことに、満遍なく手を出し始めたのは。

当時の僕を見ていた姉はこう語る。
「中途半端なことをしているように見えた」と。それはそうであった。能力がゼロの物を全部、アベレージに近い五角形ないし、六角形に伸ばしたい。

全てを満遍なく伸ばそうとすると、そのアベレージのチャートは”中途半端”に見えても仕方がない。色んなことに手を出した。


ボランティア、インターン、ゼミ、アルバイト、もちろん恋愛だって、友情だって、手が出せること全部やってきた。


平凡な連中は、「人はひとつのことしかできない」と思い込みをしているそうだ。自分がそうだからだろう。

しかしどうだろう。
例えば、フジテレビでインターンをしたこととか、インバウンド系の旅行会社で成果を出して、実際に自分が作った浅草の地図で何百万円ってお金が動いたり、そういった目に見える評価を出すと、
家の話題は少しずつ「姉」から「僕」へと変わっていった。

同じ土俵にいれば、比べられて当然だが、
一歩離れてみると、世界は全く違っていた。

それを理解してしまった僕は、
”雪山”以外、全てにおいて負けない男になるために、更に更に色んなことにチャレンジしてきた。

ある種、「逃げていた」という言い方も出来る。もちろん「攻めていた」という言い方も。

自信のない自分への言い訳だったというのが有力な説で、スキーだけで物事を図っていたら「ダメな人間」だと錯覚していた自分であったが、そんなことは全くなくなっていた。

すると、少しずつ 周囲の人間に「認められ」始めた。

そう、僕の目的は「認められる」ということだったからだ。今も注目を浴びたい。褒められたい。という欲求が強いのは、幼少期に受けた経験が理由であろう。


多くの人々が、僕に手を叩き始めた”世の中”であったが、唯一「変わらないこと」があった。
それは、「スキー」と自分の関係性だ。

普通のスキーヤーであれば、自分さえ引退してしまえば、スキーとの関わり合いは薄くなっていくだろう。

しかし、僕には「姉」という、あまりにも強すぎるスキーヤーがいた。
そう。僕はスキーから逃れられず、自分自身の最大のコンプレックスは、
身長の小ささでもなければ、学歴でもない。
アルペンスキーとの関係性」であった。

普通の人から見れば、
僕だって「トップアスリート」と呼ばれるかもしれない。それこそ、小学生の頃に世界大会にも出てれば、東京都で1番にもなっている。

けどそうじゃないんだ。

他人がどう見るかじゃない。
ここに関しては、自分自身がどう見るか。

僕は、いつだって「問題」を解決したい。
良い方法に、良い方法に。

僕のゴールは「幸せ」になること。
金持ちにならなくても、
美人と結婚できなくても、
「幸せ」だと思う状態になれれば良い。

「幸福」を感じること。それが僕の人生の最大目的だ。

成績が出ない中、やる「スキー」は、
ものすごく辛かった。スキーだけを見ると、”幸せ”とは言い難かったが、結局 スキーというスポーツを通して出来た友達が、人生におけるキーパーソンになっている。


「人生」に無駄なことはない。
全ての出来事は、自分のために起こること。

いくら自分が引退しても逃れられないスキー。
では、どう克服するか。いつ克服するか。

このコンプレックスをどう解消するか。

それが”今回”であった。
今回、このような形でヨーロッパカップに帯同させてもらい、16年間やって来たスポーツに恩返しをする。

どこかで、誰かが「一輝!やったな!」って言ってくれれば、独りだった僕は、このコンプレックスを解消することが出来る。

そして、届かぬ存在であった姉とも、
どこか対等に話せる。

その「幸福度」が、僕の目的だったんだと今、思う。自分は小学生の頃に口にしていたように選手として、この”世界”の舞台にはやってこれなかったが、

「夢」や「目標」なんて、当たり前に変わるもの。変わらないなら、今でも僕はピカチュウになりたいはずだ。


こうやって世界一周の途中で”ライター&サポート”として、この場に来れたこと。
これは、人生におけるものすごい「誇り」だし、大きな意味を持つ。

そして何より、この旅を通して、
スキーがより好きになった。あんなに嫌いだったスキーがどこか好きだ。

コンプレックスは完璧に解消された。
僕はまたひとつ大きくなった。

姉と旅したヨーロッパダイジェストファイナル〜中国・オーストリア・イタリアへ〜

中国・北京

万龍スキー場で行われたFECを終え、
中国の首都”北京”へ帰ってきた。

翌日のフライトもありながらも、北京市内を観光しようと思っていたが、
なんと!北京市の大きさは日本の四国の面積と変わらない!

中国広し。と思っていたが、まさかここまで...笑

しょうがないので、ホテルの近くの
中華料理を食べに行った。久々に食べる小籠包はものすごく美味しく、北京ダックもペロリと平らげた。

そうそう、万龍のスキー場はドローンがたくさん飛んでいて、一応 こちらでは「高級リゾート」となっている。

1日ホテルに泊まり、スキーをするだけで、
山の麓で働く労働者の約ひと月分の賃金だと聞いた。

世界中どこだって、貧富の差は増す一方で、
特に人口が多い国の金持ちは、インドも然り、とんでもないレベルの金持ちだ。(だってその分、消費量が多いでしょう)

高級リゾートという割には、やはり見た目だけで、日本人の「高級」からは少しかけ外れている。トイレだって、まだまだ和式だし。。

これから間違いなく、日本のトイレ会社はグングンに伸びて行くと思う。あんなに素晴らしいトイレは、どこにもない。

バイにも、シンガポールにも、ロンドンにも、ニューヨークにも!

多くの裕福な外国人がオリンピック目掛け東京にやって来て、日本製のトイレを買って帰るし、「商業施設やマンションに取り付けるトイレは日本製」ってだけで、ブランドになって行くと感じる。資本があるなら、トイレ会社の株は絶対買っておくべき!!笑


世界一周 23カ国目 Austria/オーストリア

とゆーことで北京からウィーン経由で、オーストリア・インスブルックに帰ってきました。

中学生ぶりのインスブルック

ヨーロッパの匂い!!大きく深呼吸出来て気持ちいい〜!!トイレットペーパーも流せるし、やっぱりヨーロッパは素敵なところ!

中国で、トイレのドアを閉めないで大きいのをしている様子をよく見かけたが、アレなんで?
鍵もついてるのに、開けっぱなしなんだよね。笑 「価値観」や「文化」ってやつはやっぱりすごい。面白い。

その後、イタリア・アンダロへ移動し、
最後2戦。ヨーロッパカップ!
これが後に伝説を生む。


「ヨーロッパカップ 9位入賞!
...”世界選手権”への切符獲得‼︎」

”ヨーロッパカップ25位以内に二度入る”ことで手に入れられる黄金のチケット「”アルペンスキーの最高峰”世界選手権出場権利」

それがどれだけ大変か、そのことを伝えるために起こした僕の「クラウドファンディング」60万円の資金調達に成功した。

2つの”奇跡”が混じり合い、ついに...

昨夜のレースにて、24位。自身2度目、4年ぶりとなる「世界選手権出場権」を獲得!!そして本日のレース、自己ベストとなるヨーロッパカップ9位入賞!

おめでとう恵美子!33歳輝いてました!!
本当に良い夢を見させてもらった。世界一周中だってことを忘れるくらいに感動した。

一生懸命サポートして来てよかった。
ドイツ→オーストリア→イタリア→ノルウェーデンマーク→中国。

一緒に旅して来たこのひと月の思い出は、一生語り継がれるでしょう。



「自己ベスト ヨーロッパカップ9位」

...「結果」はあとから付いてくる。

自分を見失わず、信じ、今やれるべきことをコツコツと積み上げる。
その場、その場での答えは見えなくとも、「結果」はあとから付いてくる。

今シーズンの出だし。10月。
半月板を怪我してのシーズンイン。
思い返せば、初戦のレースは2本とも1本目で途中棄権。調子が悪かったわけではないが、よくここまで来たというか、このひと月のヨーロッパ遠征では十二分な成果だと感じる。

スタート前 世界一カッコいい姉の背中を感じた瞬間であった。


「中国FECを終え、ここまで来て感じたこと」

ヨーロッパの旅路で学んだこと①

他人を負かすってのは、
そんなに難しいことじゃない。

もっとも「難しいこと」は
『自分を乗り越える事』


...中国・万龍に到着し、ゲートトレーニングしたとき恵美子の顔は不安でいっぱいそうであった。


そこには、今までの見ていた闘士のかけらもなく、ただただ「自分のトラウマ」に向き合えず、脅え、涙を流す姿があった。

しかし、恵美子はその”トラウマ”という大きな壁を乗り越えた。

そして今回。1本目リバースに入り、
「世界選手権」という今年の目標であったものを掴みかけた。

本人も含め、周囲も凍りつくような緊張感に包まれた。

しかし、彼女はプレッシャーを味方にし、見事自分自身に打ち勝った。

つまり、「自分を乗り越えた」のだ。
彼女もその大変さを理解していた。

他人を負かすってのは、
そんなに難しいことじゃない。

もっとも「難しいこと」は
『自分を乗り越える事』

これは”スキー”だけでなく、
”スポーツ”という観点だけでなく、
人生における勝負事、全てに言えることではないだろうか。

ヨーロッパの旅路で学んだこと②

You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.

未来を見て、点を結ぶことはできない。過去を振り返って点を結ぶだけだ。だから、いつかどうにかして点は結ばれると 信じなければならない。
by.スティーブ・ジョブズ


”行動”することに”無意味なこと”なんてなくて、

スポーツ頑張ってたこととか、
中学の頃から日記をつけてたこととか、
フジテレビでインターンしてたこととか、
友達が世界中にいることとか、
変人扱いされても、ボランティアやゼミ、マーケティングとか社会学を勉強してたこととかって、

人生における「点」になるわけ。
人はこの点を「経験」と呼んだりするんだけど、

ある日突然、その「点」と「点」が
1本の線で結ばれる。その線こそが「今」の”自分”であり、「自分探し」の”答え”である!

若いうちに、この”星座”のような「線」が見えるのってすごく大変だと思うけど、「点」があればあるだけ、線になりやすいでしょ。

だから、俺はこれからも「点」を作り続ける。

自分が生きていける領域を増やし続ける!



ヨーロッパの旅路で学んだこと③

「パイオニアが生み出すの結果は”0”か”1”かのようなもの」

スキーに限らず、物事を追求して行く人の生き方はとても”sensitive”だ。

日本語で意味は敏感。”微妙で慎重を要するさま”。

成功すれば、「1」
失敗すれば、「0」

新しいことを追求したり、人が誰も訪れたことやない場所に行けば行くほど、そのコントラストは大きい。

スティーブ・ジョブズだって、
マックザッカーバーグだって、
世の中を切り開いて、何かを変えようとしているパイオニア達は「1」と「0」のギリギリの瀬戸際で、「1」を掴み取る。

スキーも含め、多くのスポーツにおいて、
トップアスリートの心境はこれに近いものがある。

途中棄権すれば「0」。

調子が悪い。練習不足。などと、
リザルト(結果)だけを遠くの地から見ている人間に言われる。

例えば、男が大恋愛をしていたとして、
何十通も女性にラブレターを送っていたとしよう。
「1」なら、世界で1番のロマンチスト
「0」なら、ただのストーカー。

物事って”結果論”なところもあるし、
「何かを極める」ってそういうことなのかもしれない。

大切なのは、その「目標」に向かって行く”意思”なんじゃないかって23歳の僕は思う。



リザルトの”奥の世界”は深い。

そこには60秒では語れない 何十、何百、何千という時間が存在し、積み上げられ、

そして、その上に”たった”60秒の「リザルト」が存在する。

その”sensitive”さは、その場にいるものしか分からない。それは、ジンベエザメが”sensitive”なのと同じで、一緒に泳ぐまでそのことに気付くことは出来ない。(つまりは、一緒に泳いだことのあるものしか分からないという意)

彼女と過ごしてたひと月。
またひとつ、物事に奥行きを考えながら見ることが出来るようになってきた僕であった。

ということで、最後の2戦が終わり、
オーストリア・インスブルックへ到着し、
姉と別れた。

長きに渡って旅して来た2人の活動も一旦おしまい。

最後コインランドリーで、姉と2人で
お互いの「スキーとの関わり合い」を語った。

ふたりでこうやって、ひと月という長い時間を一緒にいたのは、人生で初めて。

普通の家の”当たり前”なんて通用しないし、
”当たり前”ということ自体を疑う目も必要だということも、この旅を通して学んだ。

さて、大変なひと月だった。
大忙しのひと月だった。

川を渡り、今は”向こう岸”にようやくいるという感じ。

どれくらい大変だったかって?

このひと月で4キロ減りました。笑


ヘンテコな世界一周をしていますが、
まるで「人生」のように、”自由”でいいじゃない。

趣味とか、特技とか活かしながら、
今を、自分を、生きている。

今日から僕は、再び「旅人」へ。

姉と旅したヨーロッパ ダイジェスト②〜ノルウェー・中国へ〜

北欧「ノルウェー
日本との時差は8時間で、通貨はクローネ。

平均年収は800万を越すというこの世界1物価の高い国。

マクドナルドのセットは、1200円を優に越す。
日本にいると「マクドナルド」の感覚って、安いってイメージがあるけど、海外では割とそんなことない。

ユーロ圏で買っても、セットで800円とか行くからね!

ノルウェーの朝日」
世界で最も日が当たらない国ノルウェーの朝日は、とても美しかった。

朝日は8時に上がり、太陽が真上に上がることはない。15時頃には夕日に変わり、日が沈む。


ノルウェーの気温-10°C‼︎‼︎
この時、ひと月前まで、エジプトにいたんだよね。アフリカでダイビングの資格とってたのに、今じゃ北欧でスキーときた。
あの頃は40°Cと、寒暖差が50°Cあります。笑


季節の変わり目で風邪ひいちゃったぁとか言ってられないレベル。笑

旅が始まって、9ヶ月。
一度も体調を壊してない僕。熱はもちろん、腹も壊していない!!
インドのガンジス川でバタフライしても、体調不良にならない丈夫な体!!

でもね、中学の頃まではよく体調崩してた。
けど高校から北海道の方へ行き、それから体育会寮に入って、よく監督に
「自分の体調は自分で管理するもの」
って口酸っぱく言われてたな。

って、これ当たり前のことだもんね。自分の体だもん。自分で操縦してんだもん。
無理な時は、休む。しんどいときは、休む。

このまま行けば、絶対 体調崩す。って分かったら、休む。処理する。

辛いときに、無理しない。ぶっ壊れそうな車で、そのまま走り続けないでしょ?
それ分かったら、声出す!んで、その声を聞いた上の人は、ちゃんとそいつを休ませろ!!

無理させて走らせ続けんな!
「俺の時代は、水も飲ませてくれなかった」論はいい加減言うのやめろ!笑

自分は自分。人は人。人と自分は、違う人間ってことにいい加減気付け!笑

つまり「マイペース」って大切。
むしろ「マイペース」で良い。

体調を管理すること、自分を管理すること。
それは「マイペース」とよく「笑うこと」!笑
と言うより、「幸せ」だとよく感じること!!

あと手洗いうがいかな...笑
まぁ9ヶ月なんて、旅してなくても、体調崩す人いるよね。笑 ちゃんと体調管理してっ!笑
「マイペース」を崩さないでっ!

さて、話をノルウェーへ戻そう。笑

ノルウェイのスキーリゾート」

大学2年生の冬に、
東京から北海道までの東北をひとりで運転して1周して、
友達ん家とか、車中泊しながら、ひと月掛けて 色んなスキー場で滑りまくってたの思い出した。

免許取ってから半年も経ってなくて、
雪道めっちゃビビってたなぁ〜!ひとり旅だったし! 当初の予定は、青森で引き返そうと思ったんだけど
「これ、海越えたら北海道!?」と思ってたら、フェリー乗っちゃった笑

あの頃からスキーヤーというか、旅人の素質あったわ!笑
立ち寄った全ての県で「ご当地のお菓子」をお土産に買ってきたの懐かしい!
東北祭りしたなぁ!笑笑


ヨーロッパの「スキーリゾート」は日本のものと全然違うんだよね。
めっちゃイケてるのよ。
若者も多いし、スキー以外の魅力もめちゃくちゃある。もちろん、”文化”ってものあるんだけど、日本のスキーリゾート...もうちょい頑張れることないのかね。笑


「姉と合流して2週間」

TABIPPO.netの記事を書いたり、

マーケティングの調査を行ったり、

これから行くアメリカへのVISAの申請をしたり、

英語の勉強をしたり、

姉と一緒にストレッチをしたり、有意義な時間を過ごしました。


間違いなく今してることは「旅」ではない。

きっと大変でも、なんでも自分で決断して進む「旅」が「自営」で、

今みたいに、安定した明日が分かっていて、命令に従うことが「就職」なんだろうな...と感じた今日この頃。

外を散歩しながら、少しだけ考えました。
「自分」はどんなライフスタイルをデザインしていくんだろうな。


この時期、姉と僕の間で”ひとつのテーマ”があった。
それが「今あるベストを尽くす」ということ。

「今できるベスト」

毎日。毎日。

今日出来ること。

今日出来るベスト。

できないことは求めない。

「感情」はコントロール出来ない。
怖いとか、緊張するとか、いやだとか、そういう感情。

それは、インドの電車くらいコントロール出来ないこと。従うしかない。委ねるしかない。いくらイライラしても、電車はやってこない。待つしかない。

”コントロール”出来ないことには従って、その中で出来ることやる。今できる”ベスト”を尽くす。

それを繰り返してれば、着実に一歩一歩 成長できる。

僕がここまで すごいスピードで、「旅人」として、「ライター」として、「フォトグラファー」として、成長してこれたのも、その一歩一歩のお陰かもしれない。

もちろん毎日ベストの走り、
つまり”全力疾走”はできないから、

週1くらいでクソみたいにだらける。
でも、クソみたいにダラけてる中で出来ることをする。それだけ。

ただそれだけの繰り返しで、なりたい自分に近づける。ベストな走りで「いま」の自分。

ーアンタが今できることは、なんだ?ー

やっぱり、先人のアドバイスはよく聞いた方がいい。決断するのは自分だとしても、聞いておくぶんには全く損はない。

分母は多く、しかし、分子を選ぶのは「自分」ということは忘れちゃいけない。

そして、「今あるベスト」を続けた結果、

周りから、よく「行動力すごいね!」って褒められるけど、全然そんなんじゃない。

今やらないといつか後悔しそうなことをただしてるだけ。

今でも過去を振り返った時に、「あぁしとけば良かった」って思うことがたくさんあるから、5年後、10年後の俺が今みたいに後悔しないために今を生きてるだけ。

そうなんです。

最近、こんなツイートを見た。


君の努力に対し「そんなに頑張ってどうするの?」と聞いてくる奴らには「今頑張らなくて将来どうするの?」と聞き返してやればいいし「病的だわ」とケチつけてくる奴らは無視でいい。病的って言葉は怠け者からみた努力家を表す褒め言葉だ。目標定めたら目を離すな。周りは関係ねえ。一直線に努力しろ。


マジでこれだ。
姉にしろ、俺にしろ、何かひとつでも、生きる目標を掲げ、熱い人生を送っているチャレンジャーには。

若者には特に。「人生」を攻めて欲しい。

こんなポジティブすぎるアホ。笑いたければ笑えばいい。俺は何もしないで、横で笑ってる奴らの何倍も高笑いしてしまうから。

最終的に笑ったやつが勝ちなんですよ。
「幸せ者」勝ち。なんです。


まぁ人生を攻めてほしいことには、もっと理由がある。

この後の旅路で、ニューヨークの地下鉄の事故があったり、マイアミの空港で発砲事件があったり、近くのホテルで爆破予告があって一時大騒ぎになるんだよね。


間一髪で自分が巻き込まれていない状況をよく読むとさ、

「やっぱり人間っていつ死ぬか分からない」んだよね。

プーケット滞在時、テロがあったことも、
コロンビアで同い年のバックパッカーが殺された時も、
マザーハウスで目の前でおじいちゃんが亡くなった時も、
もちろん日本で友人が亡くなってしまった時も。

だから、「今」生きてる俺らは、ちゃんと生きなきゃいけない。向き合わなきゃいけない。

大事なことは、正面から「向き合う」ということ。もっと言っちゃうと、貪欲に「生きる」ということなんですよ。



ノルウェーで行われたヨーロッパカップ第1戦が終わり、一旦このメンバーともお別れです。

このメンバーで過ごした1週間弱。
本当に素晴らしいトレーニングが出来ました。

ようやくこれで、僕も
”ヨーロッパカップにリバース入りした選手”のサポーター。

今まで、こんなサポーターいたでしょうか?

前日レンタルしていた板のエッヂがあまりにもなく、ポールを担いだまま滑落したサポーター。

そんなサポーターの選手がやってくれました!
ワックスやブラシといった目に見えるサポートから、掛ける言葉、気遣いなど、見えないサポート。

そんな小さな小さなサポートから、選手が成績を出してくれる。
こんな嬉しいことはありません。

サポートする側になって、わかったこと。
スキーを通して学べることはまだまだ多いみたいです。

恵美子は22位。
これで、もう1度ヨーロッパカップ25位に入ればワールドカップの出場権を獲得することができます!乞うご期待ですね!!


北欧編!これにておしまい!
明日、オスロから中国・北京へと向かいます!


そうなんです。ヨーロッパから、もう一度!中国へ戻ります!!!笑

飛行機まで時間があったからオスロの街を探索。

本場ノルウェーのサーモンは美味しかったぁ〜!
オスロもクリスマスムード一色で歩いてるだけでハッピー!!

ノルウェーオスロのクリスマスマーケット

”クリスマスマーケット”って言っても、場所によって全然違くて、ここは「トロルの村」みたいなクリスマスマーケット!

北欧の観光地は本当に「アナと雪の女王」みたいでかわいい!!


テントの中はこんな感じ!「アナと雪の女王」思い出すよね!
暖炉もあって凄いあったかい!!はぁ、鍋食べたい...



世界一周 22カ国目 China/中華人民共和国

なんと!22カ国目はチャイナ!!

7ヶ月掛けてヨーロッパまで行ったのに、15時間で戻ってきちゃいました笑


僕も当初の予定では全くなくて、お姉ちゃんが 中国で行われる”FarEast CUP2016”に出場するということで、オスロからコペンハーゲン乗り換えで、北京に着きました!

安心してください!世界一周はします笑
ちゃんとカウントダウンもニューヨークへ行きます!!

何事も臨機応変に動ける男は強いぞ〜!!

そうなんです。臨機応変に動ける男は強い。言葉の通り。その通り。

「人生」なんて、予想だにしないことの連続なんです。ハプニングだらけだし、うまく言ったときは、ラッキーだと思っていい!

問題を解決していくのも、「人生」だ。


知識や知恵ってのは、突然何か大きな問題が起きた時には、役に立たないと思うんだよね。

そういった時は、今まで生きてきた中で得た経験値や精神面が試されると思うんすよ。

僕は、そういった精神面、経験を「旅」を通して培ってきた。きっと、このブログを読んでくれてる人たちは分かってると思うけどね。

旅っていいよ。
旅をオススメしたい理由をあげたらキリがない。

たとえば、

本当に大切な事は、誰にも教えてもらえない。
「自分で気付くこと」だったりする。

今までだってそうだったでしょ?

本当に大切な事は、机の上では学べない。
”友情”だって、”恋愛”だって、なんだって。

学校で教えてもらえるのは、ただの「一般常識」
…常識以外のものは自分で手に入れてきたでしょ?
.
”旅”から教えもらえることは、机の上では絶対に学べないし、計り知れない。

だから、一歩踏み出すことをオススメするよ。


男にとって、相手を説得する言葉、納得させる言葉とは、「経験」から生まれた言葉なのよ。「知識」ではないんだよね。

でもって中国のことかなりサクッとダイジェスト。

中国・万龍で行われた”FarEast CUP2016”回転競技にて、見事2位を獲得することが出来ました!

姉は、2013年(ソチオリンピックの年)にこのスキー場でネットを突き破るほどのクラッシュをしており、前十字靭帯と内側靭帯を断裂してしまいました。

「トラウマになってしまったスキー場を克服する」それは、トップアスリートといえ容易な事ではありません。

初日の練習では、涙を流しながら「怖い...怖くて滑れない。」とつぶやいていた姉。


『その状況下で”出来ること”をする。』



これは、今 2人が掲げているテーマ。
しかし、”怖くて”「滑れない」となると、

出来ることないのよね。そう気付いた僕は、
「じゃあ極論。いま出来ることがなくなったら、やめちゃうの?」と聞くと、


「スタートに立つことくらいは出来る。」


その一言から、少しずつ、少しずつ。
1旗門目はアタックできる。
2旗門目、3旗門目...あそこまでなら攻めれる。
ゴールできる。リスク背負える。勝てる...!

と、短い間だったけど、ポジティブなメッセージを彼女に伝え、最善のサポートをし、2人で勝ち取ったこのリザルト。

初日、ゲート練習がまともに出来なかった選手とは思えぬくらいのフルアタックを2日間。

惜しくも優勝は逃しましたが、両日ともに2本目はラップタイム。

これって凄いことだと思う。

やっぱり「言葉」ってすごい。

人を悲しませるのも、喜ばせるのも、同じ「言葉」なんだよね。そんな「言葉達」を扱える仕事をしていることを、今はすごく誇りに思う。


「言葉たち」...
いくら情熱を持っていて、情報を持っていて、インプットが多くても、アウトプット、つまり「伝えること」が下手な人はダメ。

対人間の場合、特に良くない。
どうしても選手に「頑張れよ」としか言えない。ごめん、どうしても偉そうに聞こえるんだけど、

「人には人にあった言葉たち」ってのがある。


自分が言いたいことと、

相手が聞きたいこと。

それって、当たり前のように同じではない。

自分が言いたいことばかり言って、うまくいく「恋愛」なんてないのと同じで、
(この場合、女性がなんて言われたいかを考えること)

コーチの目的ってのは、「選手」が成績を出すことだと思うんだけど、
(ここで金を稼ぐためとか言ってるようじゃ、まるで、スキーでしか食べていけない人みたいだから、それはなしね)


自分の中にある”感情”をそのまま ぶつけて選手が成績を出すとは限らないわけ。

だから、「言葉選び」ってのはすごく大切だと思う。これはコーチングに限らずね!

我々の目的が何か明確にして、それに人が関わるのであれば「伝える」ことを雑にしちゃ上手くいくものも上手くいかない。

すこし広告論を勉強したり、ライターしてるからって偉そうなんだけど、これは自分が経験して感じた「感情」だから、そういう意見もあるんだ。くらいのスタンスで良い。

今年の2月。胴上げまでしてもらって引退したのに、まさかの出会っちゃう中央大学スキー部。笑
「次 いつどこで会うか分かんないからねぇ〜!バイバーイ!」とか言って、涙の別れをしたのに!笑

久々に後輩たちに「一輝さん」って呼ばれて、なんか懐かしかった!!

僕には、その時代ごとに呼び方があって、
その時代ごとに友達が、その呼び方で呼んでくれるから、

あの頃の思い出が蘇りながら、自分が出来るので、”ニックネーム”の多い人生も気に入っています!

この旅を通して出会った人たちからは「kei」って呼ばれてるけど、
「かづき(小学生から)」「カズキヨ(中学から)」「キヨ(大学から)」好きに呼んでください!!

とゆーことで、ダイジェストまとめ!
につづく!!!

姉と旅したヨーロッパ ダイジェスト前半〜ドイツ・イタリア・ノルウェーへ!〜

8月上旬。その計画は僕がタイにいた頃から秘密裏に動いていた...

姉「かずき、アルペンスキーの本場の世界見てみたい??」

僕「ぜひ連れてってほしい!僕も記事書きたい!こんな経験、お互い一生に一度だよ!!」

姉「そうだね。
お互い一生に一度だけかね。

まずは10月まではお互いのためにお互いの役になるための努力をしよう。

11月以降から予定しているので、それまでは自分のやりたいように、それからはかずきの為にも私の役に立てるような働きをしてもらうので宜しくね。」


という約束をした。

僕のことをよく知らない方もいるだろうから、少しだけ姉について、また僕について説明させていただく!

僕の姉は、アルペンスキー女子日本代表として、長きに渡り日本のスキー界の最高峰に近い位置に君臨している。

今はナショナルチームというカテゴリーに属していないが、ワールドカップやヨーロッパカップ、世界選手権に”日本代表”として、出場し、
日の丸を背負い世界と戦っている。

一方、僕の方もアルペンスキーをしており、
姉には全く及ばなかったが、なんとか大学はスポーツ推薦で入れたレベルだ。

もちろん、去年度に選手として引退している。この写真はわたし。笑
(詳しくは僕の出発前のブログ見てね。ホームページから飛べるよ。)

タイでの連絡があり、4ヶ月。
姉はもちろんトレーニングにトレーニングを積み、
一方、僕の方もライターとしての力をメキメキと付けていった。

僕の中に、
「何事もマメな奴は最強説」ってのがある。
どんなに旅疲れしていても、マメに行動し続けていた。
ある種、SNSを更新し続けることも、そのマメさが必要なのだ。

Tabippoのライターとしての記事も30を超え、
ブログのアクセスも月に3万人。
”世界を旅している”ということが、それなりに世間に届くようにはなった。


「ここでスイッチを押す。」カチッ


クラウドファンディングを立ち上げたのだっ!

もともと僕らの課題はめちゃくちゃに多かった。
まず、資金面の問題。

特に僕の方。東南アジアでは、1日1000円を目安に考えてたビンボーバックパッカーにとって、ヨーロッパでの生活はクソほど痛手。

サポートどころか、生活すらできねぇー!!

そして次に、
「さて、ヨーロッパでどうする?」ということ。
今までの旅を見てきてくれた皆さんならお分かりだろう。
美しい街の風景や、ホッペタも落ちるほどの料理。
「まぁ素敵♡」と思うような観光地に、僕がひとりで、大金叩いて、いわゆる”旅行”をするだろうか。



しない。



僕は、泥臭くても、失敗しても、
若者らしく、それを成功につなげる、
一生忘れられないような旅がしたいのだ。

だったら、ヨーロッパ中をサポート、そしてライターの記事を書きながら旅すること。
それも、世界最高峰に近いところでできる。

僕にしかできない旅。
清澤 恵美子というスーパースターの弟に生まれたからこそ、出来る価値のある旅。

これをしてやろうじゃないのってことで、
とにかく姉とタッグを組んだ。

そして、「クラウドファンディング」の目標資金60万円を多くの方に支援していただき、
ご存知の方も多いかと思うが、ものすごい価値のある内容の”リザルトの奥にある声”をFacebookのページにて展開した。

だって、”結果”が全てのスポーツの世界。
観客は勝敗だけを見たがるが、選手の方はたまったもんじゃない。
では、負けてる人間にドラマはないのか。

いや必ずある。ドラマは誰にでもある。
目に見えてるものが全てではない。最高峰に君臨してれば必ず非常に濃い”リザルトの奥側”というものがある。

それをパドロン(支援してくれた方々)に伝えるのが、僕の役目。スキーの素晴らしさを伝えるのが、この時期の僕の仕事。だったわけだ。

それも、先に話をしてしまうと、
姉はこの後「世界選手権の切符」をしっかり手に入れる。

ヨーロッパカップという世界規模の大会で、
25位に2度入る。それって、簡単なことじゃないし、姉自身2度目。4年ぶりの世界選手権出場。そして、自己ベストとなるヨーロッパカップ9位...。

そんな成績も出てしまってるバックグラウンドを紹介できた。パドロンの皆さんは、ものすごい価値を感じ、僕が言うのは何だが、いわゆる投資で大成功したってわけだ。


そもそもシンプルに「クラウドファンディング」をやってみたかった。

だって、カッコイイじゃない。
自分の夢に多くの人が賛同してくれて、支援してくれて。

男のロマンなところがあるよね。特に学生のうちに出来たっていうことに価値がある。
それも、旅の途中に。

よく旅をする前に、クラウドファンディングをしてお金を集める旅人がいる。例えば、ひとつの特技で世界を回りたい。こういった目的がある。ということに。

それで成功するのは、”主役”の位置にいて、自分を中心にクラウドファンディングしたいと思うだろう。

一方、サポート兼ライターをする僕。
それって”脇役”だって思われがちなのよ。どーしても。部活動のマネージャーみたいなもんでね。

でもこうやって、「自分がしたいこと」を大きな声を出して、発言して、それに応援&賛同してくれる人がたくさん現れる。

それで、「人生の主役は”自分”」ということに気付けた。

そこが、普通のカメラマンやライターとの大きな違いだと思う。
カメラマンやライターって、やっぱりカッコイイ仕事をしてるんだけど、意識的には裏舞台な仕事で、あくまでも主役は俳優さんや、取材をしてる側なんだよね。

しかし、この旅を通して学んだこと。
ほら、少し前にも言ったけど、「表裏一体」ってこと。表の裏は「裏」だけど、「裏の裏」は”表”。

どうやったら、「裏」が「表」になるのか。
簡単である。

自分が「表」だと思い込むこと。
そこだ。そこに、再びブランディングというものが絡んでくる。

自分の中の”自分”という人間に、しっかり”ブランド”を持つ。そのブランドを育てるために、メキメキと行動する。ということにも繋がる。

しかし、人はこのブランドを「変」とか、変わってるね。とか、「個性的」という表現をする。良い例がきゃりーぱみゅぱみゅである。

さてさて、セルフブランディングの話はまた今度にして、旅の内容を話していきましょう!!


17:00 ドイツ・ミューヘン集合で!
そんなメッセージを受け取る姉弟は、そうそういないだろう。笑


ロンドンから離れ、姉と合流!
先日 クリアしましたクラウドファンディングのお金を使って、ヨーロッパの山々を駆け巡ります!!

スキーに、翻訳に、サポートに、記事執筆に、プロモーション活動にと、大忙しのひと月!

清澤姉弟の力で乗り越えて行きますので、どうぞ応援よろしくお願いします!!

ということから、18カ国目ドイツ!
その足ですぐに19カ国目イタリアにドライブするんだけど、先にドイツ・ミューヘンの話します!

この時期のドイツといえば「クリスマスマーケット」
.
どこを見回しても幸せそうな人たちばかりで、土曜日の今日はとても賑わってました!

歩いていると、どこからでも香るグリューワインの甘い香りに、バグパイプのクリスマスソング。
すれ違う人々は、登山用のブーツがよく似合うあごひげの生えた人ばかり!

少し肌寒いなかでのこの雰囲気は、まさに”ドイツ”

ドイツ・ミュンヘンにあるマリエン広場。
この時期は、クリスマスマーケットで賑わってる!大きなツリーはいつまでも見てられる!

本当はオクトーバーフェストの時に来ようとしてたドイツ!この時期もすごく良い!!

でもって、19カ国目 イタリア!
モングエルフォ=テシド!後ろに聳え立つは”ドロミテ山脈”

この山脈沿いに、WC杯で有名な”アルタバディア”があります!

ヨーロッパに来ると、多くのサッカー好きの旅人が、スペイン辺りでサッカー観戦するだろう。僕はサッカーは、にわかなのだが、
例えるとなると、サッカーファンがFCミラン時の本田のサポートをする的な感じだ。どうだろう、すごくない?テンション上がらない?笑


その後”FIS レース”の舞台、
「プモン」へやってきました。

霧の濃い中、ヨーロッパならではの迫力のある山脈を横目に3時間ほどのドライブ。

小学生の頃から海外遠征に訪れていた僕にとって、こういったヨーロッパの山々は見慣れていたんだけど、地球を半周してから訪れるこの場所の景色は、またひとつ感じるものが違う。

→この気付きから、Tabippoの「旅は僕らの感性を磨いてくれる」をひらめく。
ぜひ読んでみてください。

東南アジア、中央アジアオセアニアアラブ諸国、アフリカ大陸を抜け、ヨーロッパに入り、

バルセロナ、パリ、ロンドンと都会ばかり訪れていた僕にとって、今見ている景色は再び僕をワクワクさせた。

そして、11月20日。
お姉ちゃん33歳(強調)お誕生日おめでとう!

だんだんお母さんに似てきたね!笑
そうそう、我が家の母といえば...

2016年。還暦を迎えたことをキッカケに、母が始めた”マラソン”

このタイミングで「ホノルルマラソン」出場!
42.195km 自身”初”となるフルマラソン
目標は「サブフォー(4時間以内に完走)」!

俺の周りには「時間」とか「年齢」とかそーゆーこと、言い訳しないで挑戦するチャレンジャーばかりだから、俺だって色んなことやってみたいって思うんだよね!!

すげぇー自分勝手な家族だけど、
ひとりひとり自分の人生楽しんでるっ!
いつだってチャレンジャー!!

個人的には「もう◯歳だから始めるのは遅い」ってのは、ないと思ってて、


だって、10年後20年後の自分からしたら、
今はめちゃ若いわけでしょ⁇
現に22歳になって、ようやく英語を勉強しようって思って始めたり、世界に飛び出してみたり!

42歳の俺が間違いなく「20年前の俺!アッパレ!」って思ってるはず!

って考えると、
今日は”これからの人生”で1番若い日。
なんだって始めれるはず。

10年後20年後の自分が「よくやった!」と思えるように、今すぐ”行動”!何でもいいからやってみる。


イタリア・フェルダースの後、ドイツから、ノルウェーオスロへ飛んだ。

ドイツからの移動では...

今まで格安航空券ばかり使っていたのに、
ルフトハンザ!ファーストクラスラウンジ!!

な、なんだこの世界!まだまだ僕の知らない世界は広い。

スキーヤーの年間費を聞くと、僕の計算では世界3周、、いや4周出来てしまう、

スキーはお金のかかるスポーツだ。マジで。

世界一周20ヶ国目 ノルウェー

ついに北欧までやって来た!!

真ん中の文字 見えます⁉︎
「Europe CUP 日本代表」

”Europe Cup”とは、”World Cup”のひとつ下のカテゴリーの大会で、世界中から選手が集まるのだ!
代表選手の泊まる宿はやっぱり凄い!食事も素晴らしいし、ホテルもすごい!ジムやプール、バーやボーリング場まで付いている‼︎‼︎笑

7ヶ月間バックパッカーとして貧乏旅をして、

東南アジアでは1泊500円ほどのドミトリーを探し、

多いときは、1部屋30人部屋(マレーシア・ペナン)の安宿に宿泊し、

1日の予算は1000円だった僕が...

こんな宿に泊まれるなんて夢でも見ているようだ。

※スペイン・バルセロナでも1泊10ユーロの宿に泊まっていました。笑



自分は選手としてこの場所に来ることは出来なかったけど、代表スタッフ、ライターとして最高のサポート&記事を書いていこう。

個人レベルで出来ることであれば、なんだって、趣味でも特技でも、全力投球すれば物語は良い方に進む!!

そして、これがかの有名な村上春樹ノルウェーの森」(笑)

高校生の頃、仲よかった国語の先生がノルウェーの森大好きで、よくその話してたなぁ、

元気かな。中先生。噂では僕のブログを読んでくれてるそうだけど!

中先生は、俺たちの卒業と一緒に定年退職した。その後、中国で日本語の先生になったそうで、見た目はツルピカのハゲで、背が高くて、おじいちゃんかと思いきや、めちゃくちゃ頭キレてて、バイク乗りで、アラスカに行きたいって言ってたっけなー。

中先生のお陰で、文書を書く面白さを知れて、
俺は文学部を志望したんだよな。でもって今はライターしてる。

あの頃の「創作国語」や「国語表現」っていう授業は俺にとってかけがえのない時間だった。


行動することに、「無意味」なことなんてない。「結果」ってのは、いつでも決まって後から付いてくるんだよ。

俺は知っている。今あるベストを辞めなければ、「結果」はいくらでも付いてくる。


ダイジェスト後半へつづく!!!

「友」のイギリス・ロンドン!〜ひと月半で6kg太った理由とは〜

イギリス・ロンドン。

さすがに11月のこの時期、パリからヒッチハイクでの移動は困難と推測し、パリからはおとなしく夜行バスに揺られ、

この魔法使い達の住む国へとやって来た。

出発前から、この「イギリス」という国には強い魅力を感じていた。

ビートルズの生まれ故郷。
ロックな雰囲気に、立ち飲みバー「パブ」

フィッシュ&チップスに、革ジャンの似合うサングラスを掛けたバイク野郎。

僕の中でのイギリスのイメージは、2つ!

英国紳士やワンダイレクションというイメージと、
80、90年代のリーゼントを櫛でとかす”男らしさ”のイギリスのイメージであった。

僕は後者のイメージのあるイギリスが好きだった。


というか、日本でよく行っていた居酒屋「Hub」のイメージ。

もちろん、「ハリーポッター」のあの煉瓦造りの町並みや今まで訪れて来た”植民地”とされていた国を統治していた当時の「先進国」ということもあって、期待は更に大きくなった。

パイレーツオブカリビアン」にもイギリスはよく出てて、海賊を世界的に排除していたっけな。とにかく、ロックなイメージとお堅い。偉い?両極端イメージが僕にはあった。

夜行バスなので、夜中に国境を越える。いイギリスのイミグレーションはかなり厳しいイメージがあった。
パスポートをしっかり見られ、
世界一周で訪れた国を全部言ったし、
予算まで話した。終いには、

「なんで世界一周してる?」なんて
日本語で話したって深い内容の質問をされて、


「Just I want to feel the world by my five senses(ただ五感で世界を感じたいだけだよ)」なんてカッコイイ答えをしたことを今でも覚えている。

結局、そこだ。

「イギリスかぁ〜〜!!!」

たしかに、既にハリーポッターの雰囲気がある。イギリスのメトロ(地下鉄)は、オイスターカードという、東京だいうところの”パスモ”。
関西でいうところの”イコカ”。北海道の”キタカ”的なカードがある。

実は、この時オイスターカードを持っていて、早朝で駅員もいない駅でもチャージをすることもなく、スイスイ通れた。

というのも、モロッコを一緒に旅した”のんちゃん”から「ロンドン行くならこれ!あげるよ!」と5ポンドほど入ったオイスターカードを受け取っていたのだ!

なんだかRPGをしている気分になる。
そうそう、今年「イギリス」は”ユーロ”から外れたこともあり、ポンドは少し安くなっていた。

僕にとっても、世界にとっても、
2016年は色々あった年である。そんな年を旅している。そんな年を記している。


さて、イギリス・ロンドン。
この街が最高に楽しくなった1番の理由はやっぱり「人」である。

この馬鹿でかいカツカレーを食べている 彼はユウシ。僕の小中学の幼なじみだ。

高校からイギリスに留学し、今ではロンドンの大学に通っている。

イギリスには1週間ほど滞在したが、
彼の学生寮に住まわせてもらい、本当に楽しい時間を過ごした。

まず、夜行バスで早朝にロンドンに着いているのにも関わらず、”キングズクロス”駅に迎えに来てくれるというほどの優男ぶり。


そうそう。この”キングズクロス駅”。
ハリーポッターの9と4/3番線の撮影スポットがある。「謎のプリンス」までしか観てないにわかファンの僕でもテンションが上がってしまう場所だった。

この時期、新しいハリーポッターの映画も始まっており、グッズもたくさん売っていて、にわかファンなのにめちゃくちゃテンションが上がった。


ここがユウシの通う大学。
ちょっと、立教大学っぽい。


基本的に建物はレンガで出来ていて、「わぉ!まんまハリーポッターやん!」と、イギリス滞在時は連呼していた。



ダブルデッカーを横目に、耳に入ってくる言語は「英語」。
ヨーロッパ混じりの英語でもなく、ネイティヴですごく綺麗な英語。イギリス英語。

この言葉の意味が、言語を学ぶ前の僕にはよく分からなかったが、その喋り方やアクセント、イギリス人独特のかっこよさを感じられた。

フィリピンで英語を3ヶ月勉強し、
それから6ヶ月の旅を終え、ようやく英語圏へ入ってきた。ここで、勉強の成果が出てくるという感じで、高校から7年間ロンドンにいるユウシにも、たった3ヶ月の出来じゃないって、すごい褒められて嬉しかった。


そうそう、ユウシともう1人、彼女も小学生の頃からの幼なじみのアイちゃんにも会って、
3人でユウシの家に泊まったり、よく晴れた日にロンドンブリッジに行ったりした。


僕含め3人が通っていた「成城学園」という学校は、幼稚舎から大学院まである。

成城学園」...小学校の学費は、日本で2番目に高いとされている。1番は慶應、3番は玉川学園という感じだ。


希望すれば、幼稚舎から大学までエスカレーターで上がれる。僕の友人も、”生涯成城っ子”の奴らも少なくない。

まぁとにかくお金が掛かる。”お坊ちゃん校”というところで、小学校受験をし、中学通った僕は高校で抜けた。

そして、北海道の高校に行く。

今 少し離れたところから「成城学園」を除くと、やはり大学で外の世界に出るのが、無難で、なんとなくスゴイ奴らは高校から抜けてる感じがする。

バスケットでカナダへ行く者。
アートでスイスに行く者。
ラグビーニュージーランドへ行く者。
料理でイタリアに行く者。

僕は高校進学のとき、ビビって海外には行けなかったけどね!笑

とにかく、基本的にお金持ちしかいない学校で、なかなか「外の世界」を知らない。
どこかの会社の令嬢、芸能人の息子みたいばっかりだ。

クルーザーを持っていたり、
愛車はポルシェやフェラーリだったり、
家の水槽にはスッポンが泳いでいたり、

年末年始の定番はハワイ!しかもハワイに行くとみんないるから、学校と変わらないね!あはは!みたいな感じ。

別に「常識」とか「一般」に合わせろって言ってるわけでもないし、否定だってしてない。

けど、”知識”として世間がどんなものか知っておくのは、得なんじゃない?ってスタンスで僕は見ている。

高校から北海道の寮に入り、公立の高校に通いはじめて、ようやく「自分がいた場所」がおかしかったことに気がついた。

もう一度言うが、別に世間に合わせろっていうわけじゃない。でも、知っている事と、知らない事。その大きな「差」というものに気づいてほしい。

やはり、”アウェイ”からでないと、”ホーム”というものは見る事も、気付く事も出来ないわけだ。

そして、そのホームから抜け出した3人。
しかし長きに渡り僕は彼らに「憧れ」を持っていた。その憧れとは「海外にいること」。

ユウシ達が日本に帰ってきたとき、
集まって飲むのだが、やっぱり海外で生活してる奴は何か違う!

話す内容がカッコいい!酔うと英語になる!
羨ましい!cool!どこかただようアーティスティックな雰囲気。

日本にいた頃は、どこかで「自分には関係ないんだけどね」ってイジケ腰の自分もいたりした。
だってマジだ。海外にこうやって1人で来て、
まして英語を喋って。ましてや、文章を書いたり、写真を撮って お金を稼いでいる。
こんな未来を2年前の自分が想像しただろうか。

そんな 彼らとイギリスの本場のパブで飲んで話して、みんな大人になったねって笑う反面、どこかですごく嬉しかった。

やっと、こっちの憧れてた世界へ来れたって。


2割のアイデアと、
3割の勇気と、
5割の行動力。
あとちょっぴりのお金があれば、
「人生」は変わる。変えられる。

そう感じる日々この頃である。


「イギリスのご飯はマズイ」

そう聞いたことはないだろうか?

イギリスはあまり天気が良くならず、そもそも果実がよく実らない。

海や川を見ても、めちゃくちゃ汚い!
産業汚染がすごい!

でも王族とか、お偉いさんがたくさんいたイギリス。インドやスリランカを植民地にして、紅茶を作らせていたイギリス。普通だったら、舌が肥えていて、「食」にうるさくんじゃない?って思う。

思うに、
天気が良くない→イギリスで食事をどうこうすんのはやめよう→そーいえば!お隣さんフランスは美味しいご飯作るよね!→フランス人のコックさんを雇う。

その代わり、イギリスでは船を作ったり、軍隊を作ったり、軍事的なことをしよう!→物作りのイギリス→家とか、船とか、時代の先端を切っていた→しかし、海や川が汚れまくった。


こーゆー仮説が私の中にある。笑
「なんでだろ?」ってところから追求していく理論はやっぱり考えてて面白いなってところを見ると、やはり観光よりも旅の方が魅力的だ。


しかし!ロンドンはなんでもある!
なんでも食べれる!!めっちゃうまい!!笑

「東京」という名の日本食料理屋で食べるカツカレー!

もうカレーとかいつぶりだよ...めっちゃくちゃうまい!!

金田屋で食べれるとんこつラーメン!!

はぁぁぁぁああ!まともなとんこつラーメンは、フィリピンぶりだ!!超うまい!やばい!!!

ここの店、いっつも並んでるんだけど、
並んでるところをフォロワーさんに見られててメッセージ貰いました笑

この後も、ロンドンに留学してるってメッセージくれたフォロワーさんと大英博物館に行くんだけど、だんだん見てくれてる人が増えで、応援してもらえるのは嬉しいなー!

だって、自分が選択した
「旅」っていう道はさ、
日本では「旅行」ってカテゴリーに区分されがちで、

「旅行」「観光」って、ただ遊んでるだけって思われがちでしょ。娯楽に属しちゃうわけよ。

最初、俺だってそうでした。
ただ遊んでるだけって思われてた面もあったと思う。けど、こうやって思いを文章にしたり、自分の活動を報告することで、いろんな人が見てくれて、

「頑張ってください。」
「応援しています。」

って、別にTabippoのイベントみたいに
「何かひとつ特技を生かして旅してる」わけじゃないのに娯楽というカテゴリーから外れて、応援してもらえる。”頑張ってる何か”になる。

やっぱり、ちゃんとメディアを通して
発言してて良かったなって日々思う。

「自分が何を、何のために、何を感じてしているのか。」

これをしっかり発言することで、周囲の人々の感情は動かされる。

まぁ、こーいった辺りのことはまたいつか話すかな!

で、ロンドンの大英博物館は映画「ナイトミュージアム」のロケ地!しかも入場無料なんだよね!これが!!

おー!ナポレオンがエジプトから持ち帰ったロゼッタストーン!これのレプリカが中大の図書館にあるんだけど、うん。そのまんまだった。笑

大英博物館は すごいんだけど、
世界中から色んな展示物を集めて飾ってるわけよ。そこが魅力的だと思うのね。

でもね...だからこそ、、、

世界一周してる側からしてると、

見たことあるわ!ってなっちゃう!笑
特に、エジプト系!!笑 カイロ博物館でガッツリ見て来たわ!なんなら、ツタンカーメンも!!笑

ちなみにここが、イッテQの出川が
「アヒルのお土産」を買ってくる”はじめてのおつかいシリーズ”で探し回ってたところ!

結局、言語って彼のが正しいと思う。
伝わらなきゃ意味ないわけですしね。
彼のは、コミュ力で伝わってるからね。笑

言語が喋れるようになると、「頭の良さ」ではないことに気付く。
だからこそ、子供でもバイリンガルとかトリリンガルとかいるわけ。
「頭の回転の速さ」なのよね、結局ね!

ちなみに僕は「ガーガーバード」買いました。笑


そーいえば、久々に成城学園の後輩のジュリオにもロンドンで再会!

彼は1つ下で、同じく世界一周中!フィリピン留学時セブで会ったんだよね。その前は、ハワイの空港でバッタリ会って留学時セブで会ったんだよね。その前は、ハワイの空港でバッタリ会って、

「ジュリオくん!世界一周するんでしょ?
俺も、するんだよね。」

運命的な出会い方をしている。笑
フィリピンの時は、次 会うのはアメリカですかねぇ〜とか言ってたのに、ジュリオはニューヨークで年越ししないからロンドンで出会ってしまった!

ジュリオとユウシはバスケ部の先輩後輩で、ここも繋がってて面白かった。
後ろにいるイケメンはジェフ。ユウシの悪友で何度かハブやカジノに足を運んだが、誰もギャンブルをしないので、酒を飲んで帰った日々であった。

僕がロンドンに訪れた1週間は、ちょうどユウシも大学がお休みの時期で、毎日のように夜中まで起きて、食べて飲んでを繰り返していた。

それもあってか、ヨーロッパにいたひと月半で6kg太っていた。笑 とんでもないことだ。

ユウシは、最後の最後まで僕を見送ってくれた。なんて爽やかな奴なのだろう。

やはり、旅というものは「人」によって成り立つ。
今回は、現地に住む友達の家にお邪魔するスタイルであったが、たったその出会いや繋がりだけで、旅した国の印象は大きく変わる。

ここ、イギリス・ロンドン。
僕はすごく好きな街であった。

さぁ、姉の待つドイツ・ミューヘンへ。

「美」のフランス・パリ!〜旅の過程にこそ価値がある〜

”フランス・パリ”

どこからともなく、「オ〜シャンゼリゼ〜」と聞こえてきそうなこのオシャレな街並みは、ハッキリ言って、バックパッカーには不向きだ。


凱旋門からすぐ近くに、ルイヴィトン本店があり、全く関係ないという様子で僕はシャンゼリゼ通りを歩いた。

実はフランスに訪れたのは2回目。
この旅始まって以来初の2度目の地だ。
(今までの国は全部初めての地だった)

最後に来たのは、小学生の頃。
スキーの世界選手権に日本代表として出場した時。

たくさんの国旗を観、様々な国の選手と友達になり、闘い、子供ながら、「世界って広いんだな」ということを体感・経験したのが、”海外への憧れ”のキッカケだ。

あれから10年。僕は再びこの地に帰ってこれた。
それもヒッチハイクで。
僕にとって、フランスは再び特別な地となった。

「パリ」と言えば、ファッションの中心、美味しいフランス料理、エッフェル塔と、目に入るものすべてが美しく、肯定されているように思える。

よく、「フランス人は、英語が分かっていてもフランス語しか話さない」という話を聞くが、このご時世、それは全くのデタラメで、若者は皆 懸命に英語で道案内してくれる。


世界的に「グローバル化」というわけで、
宗教や人種、文化の差を大切にする一方、世界規模で物事を読み取る力が必要とされるわけだ。

僕たち”日本の若者”は、本当に時代の変換期にいる。間違いなく、「次の世代」は第二言語から逃れられない。

今でさえ「英語が話せない」ことが、”足りないこと”とされている世の中だ。マイナスなんだ。


停滞している日本経済が、これから一歩上がるには、経済的な面で「島国」を離れなければいけないと感じる。つまりは、グローバルに物事を考える。

となると、非常に良いタイミングで世界の旅に出たなと強く思う。僕の人生としてももちろんそうなのだが、「第二言語から逃れられない次の世代」に、我が子が対応できると、今から感じている。

やっぱり子育ての仕方から、物の見方まで、新しい世代に備えられるってわけだ。

そんな日が、楽しみで楽しみで仕方がない。

さて「パリまでの道のり」は非常に濃いものだったが、パリといえば、大したことがなかった。
つまりは、本当にヒッチハイクの旅をして良かったなと思うこの頃だ。

旅の過程にこそ

価値がある。


スティーブ・ジョブズは、そう言った。


この言葉の意味は常日頃から感じている。
去年の東京から京都までの自転車旅然り、おそらくこの世界一周の旅然り。

きっと、世界をぐるっと回って、日本に戻ってきた時、ある種ゴール/目的地に到着した時。

「ゴールに立つことよりも、この旅の中身が大切だった」ということを再度強く確認するだろう。

”結論”より、”仮定”や”証明”が持つ意味の方が強い。人生も然り、「死」することよりも、「どんな生き方をしたか」の方が当たり前のように意味がある。

だから、「結論」は急いじゃいけないと23歳の僕は思う。
人間は「ゴール」が見えると、どうしても楽をしたがる生き物。
一歩、一歩確実に。その「一歩」を感じて歩いてほしい。

さて パリでは、とりあえず。
上着を買った。11月上旬、パリは薄っぺらいダウンでは風邪をひいてしまう。

「上着」は”必要経費”。
もともとショッピングが大好きな僕は、かなり楽しんだ。

東京にいた頃は、「物」や「外見」ばかり気にしている自分がいたが、
「物を買うこと」=「幸せ」だと錯覚していたし、「便利」=「幸せ」だって勘違いしていた。

あの頃みたいに、モンクレーのダウンを着て、外見ばかり気にして、何もできないよりも、300円のタンクトップ来て、泥だらけになって、世界を旅できる方がずっと「幸せ」だ。

※まぁ、モンクレーってのは、僕にとっての”モンクレーくらい高いよ”ってことで、実際はラルフローレンだったりする。


やっぱり「経験」に”お金”と”時間”を使っていきたいな。これは、この旅を通して学んだこと。


より「ハートフル」な人生を。


パリには、ディズニーランドがある。
日本にいた頃は、ディズニーランドが大好きでひと月に一度訪れていた。実際にはものすごく行きたかったが、今回はやめた。

あまり、何事も体験すぎると、
いつか誰かがガッカリしそうな気がして。
やっぱり、パリ自体もカップルで訪れたいし、ディズニーランドなら尚更だ。

まぁ、教育や家族、奥さんや「愛」の話をこうやってしていても、今の僕には彼女がいないから、まずはそこからってところなんだけどね笑

「今」やってることは、いつか「意味」をひしひしと感じる時が必ずくる。と、僕はいつだって信じてる。

さて、ディズニーランドには訪れなかったが、フランス・パリといえば、

エッフェル塔

”聖地”エルサレム、ギザのピラミッド、
”ガウディコード”と来て、今度は”ダヴィンチコード”と
天才達の秘密結社「プルスウルトラ」

(ダヴィンチコードは、ルーブル美術館)


情熱が止まらないッ!自分の足で世界の不思議を探ってる感じ!

プルス・ウルトラは(Plus Ultra, ラテン語でもっと先へ、もっと向こうへ、更なる前進)って意味。

メンバーは、

交流電流・ラジオ・ラジコン(無線トランスミッター)・蛍光灯と空中放電実験で有名なテスラコイルなど多数の発明をされた「ニコラ・テスラ」。


フランスの技師・構造家・建設業者でエッフェル塔を設計した「ギュスターヴ・エッフェル」。


蓄音機・白熱電球・トースターなどアメリカの発明家であり起業家でもある「トーマス・アルバ・エジソン」。


ドイツ生まれのユダヤ人で、相対性理論を提唱し、「現代物理学の父」と言われている、天才理論物理学者の「アルベルト・アインシュタイン」。


そして、アメリカシカゴ州生まれ、アニメーター・プロデューサー・映画監督などミッキーマウスの生みの親・多彩な才能を持つ天才クリエーターの「ウォルト・ディズニー」。

こんな5人で構成されている「プルス・ウルトラ。
実はパリで行われた万博の裏で、この人達がエッフェル塔で秘密の密会をしていたとか...

内容は定かではないけど、どうやら「未来」の話をしていたそう。その内容は、ちょっとここでは書けないけど、ものすごい面白い内容でして、、、


さてさて、話をパリに戻しましょう。

パリ滞在中、2つの博物館へ行きました。
1つめ!パリ中心部にある「フリーメイソン博物館」こっちの内容はTabippo.netで書いたので、そちらを読んでください!

2つめ!ルーブル美術館

あの、ガラス張りのピラミッド!
ついにルーブルへやって参りました。

美術史”取ってたから、ルーヴル美術館ほんとに面白かった!
3ユーロ払うと、3DSのガイドが聴けるんだけど、あれは借りたほうがいい!

音声ガイドも全ヶ国語対応。多くの作品の歴史に触れられて大満足だ。

リアルに6時間くらいいてしまった。
少し、ルーブル美術館をプレイバック。

ミロのヴィーナス!
一度は見て、ミ・ロ!

NIKE新旧対決」

勝利の女神”の異名で名高い「サモトラケのニケ
スポーツブランド”NIKE/ナイキ”のモデルになったのは、有名な話!

”みなとみらい”じゃなくて本物見れて嬉しい!

なんだかパワーアップしたわっ!
わたしは”勝利の女神”は信じていたいな。


例えば、テニスの試合でネットにボールがうまい具合に引っかかって、真上に上がるとする。

その瞬間、右のコートか左のコート、どっちにボールが落ちるかなんて誰にも分からない。

どちらに「運」が付いているのか。
勝負事における「運」とはつまり、「勝利の女神」。

スキーも然り、多くのスポーツや勝負事でで1位の者は常に優勝出来るわけでない。勝ち続けるのは、簡単でないわけだ。

「勝負は”時”の運」でもあるわけだ。

そんな時 いてほしいのが「勝利の女神」。
それならテニスのネットに引っかかった球がどちらに落ちても納得がいく。


モナリザの微笑み」
本物が見れて感激。すごい人だかりだった!
高校時代、”なんでモナリザが微笑んだのか?”ってゆー小説を書いたのを思い出した。
あの頃から、文章を書くの好きだったな〜

レオナルドダヴィンチは、
芸術家でもあったんだけど、兵器の設計図を書いていたことも有名で、彼は強い2面性を持っていたんだって。

となると、僕にとって InstagramやTabippoの記事は「アート」で、このブログは「兵器」ってところかな。笑


ドラクロワの「民衆を導く自由の女神

Coldplayのアルバム「VIVA LA VIDA」のジャケットにも使われている名画。「レ・ミゼラブル」の”ガヴローシュ”は女神の右前にいる少年。


ここに来て、ひとつ気付いたこと。
ミケランジェロとか、ラファエロとか、レオナルドダヴィンチとか、ヨーロッパの画家って、どうして歴史的に、世界的に有名なのかな?ってずっと思ってたんだよね。

答えは「メディア」だった。

というのも、ほら、彼らは「宗教画」を描くでしょ。
当時、テレビとか、CMとか、新聞とか、雑誌とか、ラジオとか。そーゆー「メディア」ってのが当たり前になかったの。

もちろん、映画や漫画、ドラマみたいな
ストーリー、物語がなかったわけね。

当たり前だよね。ルネサンス期だもん。
でも、キリスト教徒はどうにか、キリスト教を広めたいし、イエスキリストを民衆に伝えたい。聖書という物語を伝えたいわけよ。

でも、テレビもなければ映画もない。
じゃあ、この時代 どうするか。

それが「絵画」だったわけね。
有名画家は、宗教画を描き続けた。
聖書の中から、より具体的に、人物の絵までね。それを使って、宗教を伝達したってわけ。

だから、多くの人たちの絵は見られ、有名になる。でもって、地位が手に入る。歴史に名を残す。ってわけ。

日本の画家も有名な人たちいるけど、(葛飾北斎とか)、こんな世界規模じゃないよね。まして、歴史で勉強するほどじゃない。

「宗教」がもたらす社会への影響。
そんな興味から、自分の肌で感じ取っていたら、だんだん世界が見えて来ました。

僕にとって特別な国「フランス」
次来る時、僕はどんな人間になってるのかな。
そんなことを考えながら、物語は続く。

スペイン・バルセロナから、フランス・パリまで1,100kmヒッチハイクの旅〜若者の根底にあるもの〜

”スペイン・バルセロナ”から、
”フランス・パリ”へヒッチハイクで北上する。


若者らしい”謎の根拠”。
ただただ「やれそう」という勢いが当時の僕にはあった。


それも、この時「タイムリミット」があった。
3日以内に行かなければ、アウト!

「アウト!」と言っても、どうするのか分からなかったが(飛行機のチケットを買うのか?バスに乗るのか??)、とにかくアウト。

というのも、この時 既に”クラウドファンディング”を達成しており、ドイツ・ミューヘンに集合する日時の約束を姉としていたのだ。


ヒッチハイクという無一文でも出来る移動手段に相反する縛り、それが「タイムリミット」。

お金を掛けない代わりに、時間を掛けるというのが、移動手段のルールであり、だからLCC航空の移動は非常に安い。

ヨーロッパの「ヒッチハイク」文化には、もともと魅力があった。日本ではなかなか”ヒッチハイク”って物珍しいものに感じるが、ヨーロッパ、特に夏季は多くの若者が、ヒッチハイクを利用して ヨーロッパ中を駆け巡る。

「知らない人の車に、知らない人が乗る。」
まず日本人の感性から、それって大丈夫なの?って思うだろう。けど、ここヨーロッパではヒッチハイクで誰が1番はやく目的地に着けるか的なヒッチハイクレースが行われたりするほどメジャーな感じ、とゆうか「文化」として成立している。

ヒッチハイカーは、その先々で色んな人と出会い「人生のあり方」を感じることが出来る。


どうしても、「コミュニティ」というものは、
類は友を呼ぶわけか、似たような人間が自然と集まり、ひとつの集団を形成する。

大学の学部であれば、その学問に興味がある人、サークルも然り、家族にだって医療系の多い家系もあれば、公務員、起業家の家系、なかなか自分と全く違う人と出会うって実は簡単なことではない。

しかし「旅」は色んな人たちの人生に触れることが出来る。

もちろん旅人同士なら、「旅」が好きという共通認識はあっても、バックグラウンドや価値観が似通ってる人はなかなかいないし、その国々で出会う人たちは、僕たち日本人にとても強い影響を与えてくれる。

そんな旅がやっぱりしたくて、ヒッチハイクに挑戦した。

まぁもともと世界一周を終えた後、

ヒッチハイクでもしながら日本を旅しようかなと思ってたんだけど、

わざわざこの旅が終わったあとじゃなくても良いんじゃない?と思って結構したってのもあるかな。



3日間ほど、宿代の数倍を掛けて食事をしてきたけど、それはおじいちゃんになっても出来ること。

そう思い出したんです。

「一生忘れたくない旅がしたい」

「一生ぶんの思い出話をつくりたくて」この旅に出たってこと。



「今」の等身大の僕に出来るのは「ヒッチハイク旅」

この時、辿り着くかどうか分からなかったけど、とにかく「目的地・パリ」を目指すことに覚悟を決めた。





初めての本格的な海外ヒッチハイク

実は、小5?の頃、ニュージーランドで1人でヒッチハイクしたことがあって、スキーの練習のあと、罰で山をひとりで降ってかなきゃいけなかったんだけど(就寝時間を破ったから)

こんな何千キロものヒッチハイクは始めてで、期待の何倍も不安があったかな。



日本でもやったことのない僕は、果たして1台目の車を捕まえられるのかって感じだった。

第一の関門は、「街を抜けること」

終わってみて1番大変だったと思うことは、都市を抜けることにあると思う。

いきなり都会の道路に、ヒッチハイカーがいても車を止めてくれる人はなかなかいなくて、

その後も小さな街に何度か訪れるんだけど、僕がどうやってヒッチハイクをしたのか。



それは…「ガソリンスタンドに行く」または

「高速道路の入り口まで行く」ということ。

ガソリンスタンドまで行き、高速道路の入り口で降ろしてもらうというダブルコンボでも良いかもね。

実は、バルセロナの街中から高速道路の入り口までは、電車で行きました。

とゆーのも、街で立ち続けること3時間。朝早くに宿を出たのに、あっと言う間にお昼になっちゃって、全く動けず...



しかもスペインは中々 英語が話せる人がいなくて大変だった。

そんな中でも、やっぱり助けてくれる人はたくさんいて、例えば彼は「今日は日曜日だから本当はヒッチハイクに向いてない日だよ。ガソリンスタンドに連れてってあげるから、そこで待つといい。」なんてことを教えてくれた。





そして第二の関門、というよりポイントは「パネルの書き方」

当初、ヒッチハイクの経験のなかった僕はバルセロナからいきなり「to Paris」というパネルを持っていた。



これじゃあ、乗れる車も乗ることが出来ないよね。笑

当たり前といえば当たり前なんだけど、事前に地図を見て「目的地までのルート」を小さく細切れにして、おおよそのルートを考えて、第一の目的地、第二の目的地とパネルに書いていくこと。

そんなことを教えてくれたのは、バルセロナで出会った少年。最初はいきなり「to Paris」なんて書くから、笑われたけど、もっと小さく書かなきゃ!って教えてくれた。



「あ!そこまでは行くよ!」という人が乗せてくれるはずだからね。

乗ってしまえばこっちのもん!

僕は、その後も運転手さんに「あなたの目的地まで乗っていた方がパリは近いかな?」と、いう感じでころころルートをコロコロ変更していた。



ガソリンスタンドで待ち続けても一向に、車が来ないから、スタンドのお兄さんにもう電車で高速道路入り口に行くべき!と、地図を書いてもらった。彼も英語が全く話せなかったけど、

だんだん人と人との”本来あるべきコミュニケーション能力”を取り戻しつついた。



どうやら「アウトピスタ」というのが、高速道路入り口の意味らしい。

その後、高速道路入り口の近くの駅に行くことに。若者は英語が喋れるということで、カップルを見付け、複雑な路線をどこで降りたらいいか聞くことに。

その優しいカップルは電光掲示板を見て、「あれに乗ったらいいよ!」とチケット購入からホームまで教えてくれたが、最終的に彼が先に行かなくてはならないということで、

僕も目も気にせず、目の前でかなり熱いキスを交わした。

わぉ!情熱の国、スペイン!

たしかに、街中どこでも人目を気にせず、愛を深めるカップル。しかし、困ってる外国人をそっちのけで、キスするなんて!「めちゃ驚き」だが、羨ましい。笑



こういうのも、賛否両論なところがある。

「人前ではしたない」という言い方をするか、

「情熱的」という言い方をするか。

この旅を通して学んだことがある。



「世の中」って、賛否両論だし、表裏一体。



かの、パブリックピカソの絵だって、当初は「落書き」として扱われ、芸術を害する存在であった。



しかし、ひとり、ふたりと彼を評価するものが増え、民衆が動いたのだ。



当たり前のように、「評価」は十人十色。評価とは、感性であり、育ちや文化、宗教観の違いによって異なる。



つまり!

これからの人生、私を批判する人間が現れようが、私は「ヘェ〜こんな、評価もあるんだなぁ〜〜」と間の抜けた表情を心の中で浮かべることだろう。



そんなことを思いながら、目の前で繰り広げられるキス。私は「情熱的」だと思う派。しかし、外人だからだな。絵になるのは。気持ち悪くないのは。笑



さて、高速道路付近の駅に着き、

彼らに道を教えてもらって高速道路手前で初めてのヒッチハイク!...

待つこと20分くらいだろうか。2人の若者の車が僕の目の前で止まった。



最初は、ヒッチハイクで止まってくれたことだと気付かず、それに気付いた瞬間ものすごい喜びがこみ上げ、バンザイをしてしまったほどだ。

記念すべき、僕の初めてのヒッチハイク

彼らは、スプレーアーティスト。壁にスプレーでアートを描いている”芸術家”だ。

度々こうして、外国人を車に乗せることで英語を勉強しているそう。なんというバイタリティーだ。こういう”我武者羅”でもどうにかしてやる精神は、見習いたいものだ。

彼らは、お互いに自己紹介をしなかったけど、たくさんの話をした。外国人とのコミュニケーションであるあるなのは、「名前」なんて、お互い知らなくても仲良くなれるってこと。



「マイフレンド」とか「メーン」とかって呼び合う。つまり、”名前”っていう表面上のカテゴリーなんて、そんな大切なことではないんだろうな。


”ダリ”が生まれた場所を走り抜け、スペインとフランスの国境「ジョンケラ国境」まで乗せてくれた!
いきなりフランスまで来れたのはかなり大きい!この国境付近は、フランスの人たちが物価の安いスペインへ買い出しをよくしに来るそう。

そして、彼らが降ろしてくれた駐車場は、多くのトラック運転手がいて、きっとパリ行きのトラックもいるだろうということで、熱い握手を交わし、彼らは去って行った。

ヨーロッパは国境を越える際のイミグレーションがなく、車で簡単に国境を越えることが出来る。その際に、彼らから良いアドバイスを受けた。

ヨーロッパの車のナンバープレートの左端には、アルファベットが書かれている。それが彼らの住んでる場所なわけだ!


つまり、スペインなら「S」

イギリスなら「UK」

ドイツなら「G」

フランスなら「F」という風にだ!



つまり、僕が探すプレートは「F」!フランスの車!その大きな駐車場をパリの紙を持ってさまよった。

多くのドライバーがこんな形で囲み、お酒やらおつまみやらを食べている。

お酒を飲んでるということは、今日の運転はここでおしまい!ということ。

そんな中でも懸命にパリ方面を探し回った。



すると、、「明日の朝、パリまで行くぜ?それまで待つなら乗せてやるぜ?」という声が!



えぇーっ!簡単すぎた!!

パリまでヒッチハイク、簡単すぎた!!!

でも何故かな。それを許す自分がいなかった。

同じ「パリまでヒッチハイク」なのに、なぜかそのトラックに乗ることが出来なかった。

「ありがとう。感謝するけど、他をあたるよ!あなたが嫌なわけじゃないよ!けど、もっと冒険したいんだ。」そう告げると、変わった奴だなという顔で笑われた。



ここで、ハッキリできた。僕はお金がなくて、ヒッチハイクをしてるわけじゃない。「自分自身を乗り越えるため」にしてるんだってことに。

どうしてこうも苦労したがりなんだろう。

「楽」をしようと思えば、いくらだって出来るのに。きっとそれは、まだ”サナギ”のような状態だからだと思う。

僕の中で、僕は、まだマイナスの存在なんだ。

僕は”ゼロ”に向かって走っていきたい。青年は、逆風に向かって走る力を持っているし、逆風をも追い風に変える力を持っていると信じている。



「だから、もうちょっと冒険させてもらうよ。」



その後、僕は3kmほど歩いた。

重たいバックパックを背負って。あの山を越えれば、街があるよ。と言われ、山を越える覚悟は出来ていたが、この時 既に夕方。太陽は沈みかけていた。

ヒッチハイクをする上で、もう一つ自分に縛ったルール。それは「ホテルに泊まらない」ということ。これをしてしまうと、また経済的な面で、自分の美学と離れてしまう。



とにかくまっすぐ歩き、サービスエリアの駐車場で、ドライバーの顔を伺っていると、一台の車が止まった。



彼はジャンクロウおじいちゃん。
うちのおじいちゃんと同い年くらいなのに、ガンガン車を運転し、しかもスマホ片手にわき見運転!
おいおい!山道怖いからちゃんと走って!!笑

聞くと、バルセロナでバスの運転手をしているそう。通りでハッキリしているわけだが、彼が向かう先は「パリピーニャ」という街。

ここなら車も捕まって、パリに行けるだろう!と降ろしてくれたのは、がっつり高速道路の脇。
しかも、辺りは真っ暗になっていた。

...1時間 待った。

ジャンクローーーおじいちゃーーーん!
こんな所で車が止まるわけナーーーイ!!!

ビュンビュンと過ぎていく車、
そして真っ暗な中、凍えそうになりながら、
親指をグッと突き立てる。「車が止まる気配」というものを全く感じなかったので、高速道路から降り、とりあえずピカピカ光るお店に行くことに。


ここは、パン屋さんであった。
気付けば朝から何も食べてない。フランスパンを買い、かじりついた。ここのおばちゃんは、全く英語が喋れなくて、とりあえず「City」に行きたい。ということさえ通じなかった。


「駅」!
駅に着けば、つまりは街があると思い、
表情や手足を使って、
「シュッシュッシュッシュ ぽっぽーーーー!!!」と身振り手振りで伝えた。すると、分かったかの様子で、どうやらお店が閉まったあと車で連れてってくれるということに。

あぁ、ここに来てよかった。お店の明かりが消え、閉店時間まで外で待っていると、一台の車が止まった。

男「おい、お前の望みはなんだ...?」

おっ!?コイツはなんだ!?神様なのか!!?
ここで、現れたのがサム。

実は僕をホームレスだと勘違いして、フランスの病院に送ろうとしていたそう。

(フランスでは、ホームレスは病院にタダで泊まれる)

事情を説明していると、パン屋さんからおばちゃんが出て来て、どうやら僕を病院に連れて行く方向で話が一件落着。

とりあえず、サムの車に乗り病院の見学。

「わぁ、パンチ効いた旅してんなぁ、俺なぁ」とさすがに自分がホームレスに間違えられ、病院にいる事実を客観視した。



「とりあえず、飯でも食うか」とサム行きつけのケバブ屋さんに連れて行ってくれた。

サムは俺に、暖かいケバブをご馳走してくれた。


その時、嬉しさに涙がポロリ…。


この時、本当にパリに辿り着くかどうか、そして自分がどこにいるのかも分からなくなっていたので、サムの優しさに思わず涙が溢れてた。



そんな僕を見たサムは「今夜は病院じゃなくて、うちに泊まりにおいで」と優しく拙い英語で話してくれた。


この時の嬉しさは一生忘れないだろうな。

その日は、サムの家で眠った。英語もあまり喋れず、身振り手振りで「あなた」のことも「You」って言うし、「私」のことも「You」っていう。だから、

「あなたは、ここで、寝る。あなた(私)はここで、寝る。」っていう風になる。笑



翌日サムは高速道路の入り口まで送ってくれた。



「人は人を旅する」とはよく言ったもので、これまで数え切れないほどの出会いと別れを経験している僕にとって、今回の旅も、というか今回の旅ほど人に恵まれた経験はない。



1時間ほど、高速道路の入り口で立っていると青い軽自動車が止まってくれた。なんと運転していたのは女性!

見ず知らずのアジア人男性を女性が乗せてくれる…ヒッチハイカー側の僕も車が止まった時は驚いた。

彼女の名はクラウディア。

もともと彼女もバックパッカーとして、世界中を旅していたそうで、インドでの話はとても盛り上がった。

トゥールーズ」という街を目指せと、サムに言われたが、クラウディアの実家「ボホドゥ」に行くことに。

400kmほど乗せてもらって「人生」について語りあった。

彼女は、もともとフランスの首都パリで働いていたそう。けど、たくさんのお金を稼ぐ一方、それを使える時間が少ないと感じ、「時間」の方を選んだ。

お金は生活できて、少し貯金が出来るだけでいいわ。大切なのは、「時間」の方。

人は時に、「何のために働いているのか、何のためにお金を稼いでいるのか忘れてしまうのね。」ということを僕に話してくれた。



やはり、旅人の価値観は非常に人間的でリラックスしていて、個人のライフスタイルを愛しているように感じた。

いろんな人と出会い、新しい価値観に触れることで「自分」という人間がより見えてくるような気がする。


時間や場所が少しでもズレていたら、出会えない人たちが「奇跡」としか言いようのないくらい僕の周りにいて、感動の連続だった。

やっぱり、僕は旅先で恵まれているなと強く感じた。

最後にクラウディアは「旅のお守り」として、僕に貝殻をくれた。

この後、ボホドゥからは割と早い話で、トラックのドライバーが僕を拾ってくれた。

クラウディアと別れ、3時間ほど。ケータイの充電もなくなり、動画を撮る余裕もなくなった。精神的疲労がかなり大きかった。

最後、ドライバーさんとツーショットとか撮りたかったけど、もう何にも出来なかった。



そして、翌朝。

フランス時間7:40。

無事、パリに到着することが出来た!

この時見た凱旋門は言葉に出来ないほど美しかった。関わってくれた全ての人たちに心から、グラシアス&メルシーボークー!

今回の経験は一生忘れないだろうな。
たとえ、偉くなっても。
たとえ、お金持ちになっても。



僕は、人間は、「絶対に1人じゃ生きていけない。」

周囲にいてくれる人たちのお陰で生きていける。僕は1人じゃ何も出来ない。こうやって旅が出来ているのも、周囲にいてくれている皆さんのおかげなんだと思った旅路であった。今回関わってくれた人たちは数え切れないな。

写真が撮れなくても、道を丁寧に教えてくれる人たちはたくさんいたしね。

周囲にいてくれて、しかも親切にしてくれる人たち、家族、友達。日頃から本当に感謝してる。この場を借りてどうもありがとう!



そして、たぶん「夢」を追いかけるってバルセロナから、パリまでヒッチハイクで縦断するようなもの。

果たしてたどり着くのかも、どうやって行くのかも、いつ着くのかも、何もかも分からないし、ルートだって、何十何百通りってある。



「でも目指す。」

肝心なのはそこかなと思います。



“必ず目的地には辿り着く”

だって、そこにパリはあるのだから。それだけを信じて、ひたむきに「辿り着くこと」を信じる。祈る。努力する。

「ゴールに向かって進もうとする」これだけで、僕らは夢に一歩近づける、

たぶん、夢を追いかけるってそんな感じ。



ヒッチハイク

軽い気持ちでやってみたら、そこには映画のような出会いと、感動、そして「人生」や「夢」に向かっていく僕ら若者の根底にあるもの。

そんなものが見えてきた。

僕にとって、このヒッチハイク旅は人生において非常に意味のあるものだと感じるな。

僕は更に「夢」に向かって進み続けます。