”憧れの街”ニューヨーク!アメリカ本土上陸〜ドキッ☆女性に囲まれたクリスマスパーティー〜

アメリカ・ニューヨーク

今まで、ハワイしか行ったことのなかった僕にとってアメリカ本土上陸はかなり興奮した。

4/1に日本からフィリピンへ。
「西」に飛んだはずなのに、あれから9ヶ月。
気付けば「東」の国、アメリカにいた。

この感覚は”世界一周”ならでは。
「地球」って丸い。
毎日が新しい。毎日が素晴らしい。


英語が堪能な祖父が戦後 働いていた国。
母が留学していた国。
生まれて間もない姉を連れて父が母と旅に出た国。
3年間付き合った元カノが生まれた国。
親友のカップルが日本の大学を辞め、2人で住んでいた国。

幼い頃から、まるでおとぎ話のように聞かされていた憧れの国。それが「アメリカ」だった。

ニューヨークといえば、タイムズスクエアと、
電光掲示板がきらめく大都会を想像するだろうが、少し郊外の街並みを見ると、綺麗にブロックごとに並べられ、まるでモノポリーの家のような、初めて見るのにどこか懐かしい雰囲気を感じられる。

このクリスマスシーズンにニューヨークにひとりでいる。「ホームアローン2」のケビンと同じ状況というわけだ。

しかし幸いにも、僕はケビンのようにニューヨークにひとりぼっちではない。


24〜29まで間、僕はお姉様方たちに囲まれクリスマスをお祝いした。

以前、東南アジアの旅では「カウチサーフィン」というホームステイほど長居は出来ないが、現地の人(ホスト)の家に、ゲスト(旅人)が無料で泊めてもらうシステムの話をしたが、

今回 利用したのは、「Air bnb」というもの。
個室や空き家がある現地人の家を安く借りるというもの。
このホリデーシーズン、ニューヨークでの宿泊はドミトリーでも1泊50ドルを超える。


ハッキリ言って旅人にはダメージが大きすぎる。特に僕の出発前の計算は1日1000円。1泊50ドルだなんでとんでもない!!

おそらく、世界を旅するバックパッカーは皆同じ認識を持っているのではないだろうか。

そこで、ニューヨークで年越しをしたい!と思ってる旅人は多いはず。

そこでSNSの力を使って、Airbnbを利用し、みんなで空き家を借りて、安くこのホリデーシーズンを過ごそう!という計画を試みた。

今や、”ソーシャルネットワークサービス”というのは、遠方にいる友達が何してるか。近況報告を見て楽しむだけのサービスではない。


人と人との”つながり”だけでなく、それが”サービス化”されて、SNSなのだ!


とゆーことで、
「1人で寂しく過ごすクリスマス in ニューヨーク」を回避すべく この時期Airbnbを利用していた”お姉様方”の家に転がり込んだ。


見よ!クリぼっちどころか、
クリスマスに美女が4人!!!
両手を使ったって足りないほどの「花」である。笑笑笑


クリスマスに大都会ニューヨークでひとり。しかもこの時期 超ホームシックにかかっていた僕。1人だったら間違いなく辛さで悶え苦しんでいただろう。
ホームアローンのケビンのように、パパのクレジットカードで豪遊できるわけじゃあるまいし。

そんな、本来 久々に過ごす”寂しい”クリスマスを回避してくれた”旅する女子”通称「タビジョ」たちを紹介しよう。


手前二人組。
「大人の修学旅行/世界遺産を目に焼き付けたい静岡人」のお二人こと。

”わーさん”と”あーちゃん”。
彼女たちは2人で世界一周をしている。
逆にすごい!ふたり旅!
喧嘩とかないのかな?って思うかもしれないが、そんなのないくらい仲良さげであった。
「相棒」ってなんだか羨ましい。


続いて、そんな2人の真ん中にいる
「旅ギャル」ことメグちゃん。
元看護師で、世界一周ではないけど長期で旅してる。見た目はギャルなんだけど、根は真面目なメグちゃん。ウチの母親と同じ名前だ。笑

そして、そんな旅ギャルの右側。


”ド”が付くほどの天然。ようこちゃん。
「1人だけ世代が違う」というイジり方を僕がし続け(といっても、我が姉より若い)
ど天然のボケと、僕のイジリ。

このメンバーでの2017年初笑いをかっさらったものだ。彼女も元看護師で、メグちゃんと話があったみたい。


最近「旅する女子」通称”タビジョ”がすごく多い。なんとなく「旅」=”男がするもの”というイメージが消えている。

カメラや、文章を書くこと、そういった本来あった「男らしさ」が消滅し、

ひとまとめに「マメ」=女性らしさ という社会の雰囲気がある。

特に先ほども述べた”SNS”。
あまり頻繁にポストするのは、なんとなく女々しいと思われがちだし、男でフォロワーを増やすのはすごく難しい。


だって、ユーザーは女性の方が多いのだから。
フォロワーのことを考えると、結局”男らしさ”を一度捨てなければ良いコンテンツは育たない。

てか、最近 男子諸君どーした。日本の男子がすごく弱い。流行りのパンケーキ屋さんorハンバーガー屋さんで女子会が開かれるように、男子も男子らしく、スーパーカーを持ったり、別荘を持ったり、なんかカッコイイもので消費してこう(フェミニストといえど、男子の意見もしっかり持ってる。)


そんな中、女性に囲まれて育ち、女性と生活をしていてもなんの違和感を与えない、ゲイではないが”フェミニスト”の僕。

イメージとしては、「聖☆おにいさん」のイエスはフェミニストに近いところがあると思う。


そんなフェミニストだからこそ、成り立つ男子1:女子4。


モロッコを一緒に旅した「チーム女子旅」。あの時、女性と一緒に旅するのはもうやめようと心に誓ったのに、結局 戻ってきてしまった。


だって、女性といれば多少お金は掛っても、
美味しいものにありつけるのだ。

ひとりでは絶対に行かないところに、彼女たちは連れてってくれる。キャピキャピするの大好きだ。笑

そんな”紅一点”で始まった僕のニューヨーク。

クリスマスはこんなに豪華にお祝いした。

こんなにリア充な感じ、泥臭い旅をしていた僕にとって初めてだ。
楽しい!楽しいぞ...!しかし、よく考えてほしいのは、クリスマスにひとつ屋根の下、女性4人に対し、男ひとり。


これは、逆に”非リア充”だ。笑
まぁ楽しいかったから逆転満塁ホームランなわけだが、

やっぱり「女子会」というのは傍観者として見ていて面白い。

おそらく男子諸君は「女子会」という フワッフワでわたあめのような響きに淡い妄想を膨らませるのだろうが、実際はそんなことない。

ほぼ殴り合いみたいなもん。

女子は強い。改めて実感する数日であった。笑


当たり前だが、「女性」と「男」は全くの別もんだ。「なんで分からないの!」という男女間での問題は当然なのだ。


しかし、男は女性に従うべきだ。「器」というものをお持ちならば。それが男女の関係をスムーズにさせる方法。

でもって、やっぱり女子会では
「元カレの悪口大会」が定期的に開かれる。
過去の男のクズさ加減を武器に古代ギリシャの戦士のように。

きっと俺も影で言われてるんだろうなぁ〜と思うと、なんだか笑えてくるし、ヘコむ。笑

一方、男どもが集まっても
「元カノの悪口大会」が開かれないどころか、”元カノ”というフレーズの後に続くのは、褒め言葉が多いのを皆さんはご存知だろうか。

元カノの悪口なんて話す奴は滅多にいない。いたとしたら、相当な女々しい奴。男とは言えないのかもしれない。


男って、アホだけど、いい奴が多い。
両者ともに新しい恋人ができた時、
「女は上書き保存、男は別フォルダ」
という言葉があるが、まるで、”浮気性の男を批判する言葉”に思えるが、実はそうではなく、


別れたって、新しい恋人が出来たって、
「大切な存在である」という意味なのだ。


だから、悪口は言わない。それが男という生き物なのではないだろうか。

さて、”フェミニスト”が語る男女間の違いはまたいつか語るとして、

ニューヨークだ。
”宇宙の中心”と呼ばれるタイムズスクエアだ。

すごい!大きくきらびやかな電光掲示板。
初めて見るのに、しってる光景ばかり!!


イムリーな話題、トランプタワー!
”D”の意思を継ぐもの、ドナルド・トランプ!多くは語らないけど、大統領選の裏にはものすごい陰謀があり、あれは仕組まれてるからなぁー!!


今回のブログに何度も登場してる「ホームアローン2」でケビンが泊まっていたホテル!
値段を調べると、1泊16万円から...東南アジア3ヶ月は旅できるぞ...そりゃケビンのパパ エンディングで怒鳴るわ!!笑


ブルックリン橋!
ここから見るニューヨークの眺めは見事であった。夕日はいつも心に「黄金の風」を吹かせてくれる。自分の中での「正義」とか、「美学」をハッキリさせてくれる。

男には「美学」が必要だ。
”自分自身”を見失わない「砕けぬ意思」


船に乗って、自由の女神へ!
実は「自由の女神」を見に行くのはすごく大変だった。軽い気持ちでお昼過ぎたあとに行ったら長蛇の列!
しかも、ほぼ目の前で船のチケット完売。この時期3時頃には、自由の女神がある島へのチケットはなくなってた!

とゆーことでリベンジの翌日。

朝イチに行ったのに、結局1日かけて見に行った自由の女神!12月末のニューヨークは寒くて長蛇の列に並ぶの本当に大変だった。

もちろん「自由の女神」もフリーメイソンがつくったもの。これは有名な話だよね!
日本はアメリカにつくられた国だけど、アメリカはフリーメイソンがつくった国。


待ち時間とかで語る、ちょっとした都市伝説。

僕に未来予想や都市伝説 語らせたら止まらないよ〜!そんな話を真剣に聞いてくれる人は大抵、下に兄弟がいる。笑

きっと弟が懸命に何かを話してるように思えるのだろう。

そうそう、ちなみにAirbnb。3泊ほどで70ドル。ドミトリー1泊50ドルでもくだらないこの時期に、1人部屋でその値段はとんでもなく安い。

やはり都会は物乞いが多い。
特にニューヨークはホームレスが多い印象があった。こんなにきらびやかな街に、暗い影があって、そのコントラストに目がくらむ。これはどこの国に行ったってそうだ。


貿易センタービルの慰霊碑。
みんな、ニューヨークに行ったら 絶対に行って欲しい。きっと人は「形にこだわる」から、観光しに行っても、キラキラと輝きがある方に、虫のように集まって行くんだろうけど、

それだけじゃなく、ちゃんと向き合って欲しいことがたくさんある。

9.11の事故があって、貿易センタービルがあった場所。そこは街の本当にど真ん中なんだ。高層ビルが立ち並ぶ場所で、「本当にこんな場所であんなことがあったの!?」って目を疑う。


東京のど真ん中で起きたって何も変じゃないって感じるよ。

今は”人がスマホに動かされる時代”になっちゃったんだよね。レアポケモンがいるからって、何百って人が、液晶画面を凝視して歩く。


「もし、そこで何かが起こったら?」
「もし、誰かが何かの意図で、大勢の人を集めて、何かを企んでいたら??」


物事の奥行きや、意味、その先にある未来ってのを考える、とゆーか感じることってすごく大切だと思う。

そこには”ネガティヴ”だけで片付けられない”もしも”が存在したりする。


ニューヨークはすごく「楽しい」。
でもね、なんとなく”学べるもの”がすごく少ないって感じた。

だから楽しいのかもしれない。完成されてて、きらびやかで。でも、「完成」って言葉を少しだけ読み取ると、「もう可能性ゼロ」ってことなのかもしれないね。

「完成」するって、つまりこれ以上「進歩」しないってことだと思う。

ディズニーランドの客足が常に伸びている理由は「完成」しないからだそうだ。

ショーやパレード、イベントごと、アトラクション。古いアトラクションもリニューアルして再起動。今まで15分待ちだったものに120分以上の列をつくり、並ぶ。

「未完成の美」...ある種若者の取り柄はここにある。何もない。何も持ってない。可能性しかないのが僕ら若者だ。

子供たちの無邪気な笑顔の魅力は「未完成の美」。

常に変化し続ける、成長し続ける人間は魅力的だ。飽きさせないって簡単なことじゃない。だからこそ魅力的。

だけど、そこに気付ける人間はごくわずか。

僕だって、東京にいた頃は気付けなかった。
変に「完成」してる自分がいて、安定を好んでいたし、ハッキリ言って成長率0だった。

しかも、変に大人ぶって。

「変に大人ぶる」って一生「子供のやつ」よりもダサい。何も知らないのに、自分の可能性を止めるからだ。

自分がそうだったから、知っている。


世間は「変化し続ける魅力」「成長率がある/可能性がある奴」にもっと目を向けた方がいい。


”出来上がる”「完成」って確かに、カッコイイ。
でもダメなんだ、常に「自分」を探し続けないと...


「ニューヨーク」から直接なにかを教えてもらうことはないが、自分次第で読み取ることは出来る。

いつまでも感じ続けたい。

いつまでも読み取り続けたい。

「声」が出なくなったヨーロッパ後。

実は、ヨーロッパのあと。

ものすごい「ホームシック」に掛かっていた。

昔っから、変に強がりで、
最終的に、よく一匹オオカミになりがちな僕。

ブログやインスタは、もちろん。
人前では、弱い部分を曝けだせない僕。

人を励ますばっかりで、
自分を励ましてくれる人がいない最近。

「ホームシック」はすごく辛く、
なかなか治るのに時間がかかった。

よくよく考えれば、
この旅は初めての「海外ひとり旅」。
いきなりの「世界一周」。

しかも、1年間という長期旅。
ちょいちょい友達や、家族に会ってはいるけど、1年間も日本に帰らない、ましてや実家に帰らない。知らない場所を歩き続ける「旅」は初めてだ。

ホームシックの起爆剤になった理由は大きく2つ!

ひとつめ!姉と一緒にいすぎた!!
「姉と旅したヨーロッパ」でも話したが、約ひと月。身内と一緒にいた。

後半はひと月一緒にいることに、違和感を感じ、「こうやって顔をひと月見合わせたのは初めてだね!」などと言っていたのに、


姉氏。別れ際に大号泣。
「ざみじいぃぃい(さみしい)」と、
鼻水垂らして泣いてたのを今でも覚えている。



そのときは、いつも同様、
「家族だべや〜(笑)」と、笑ってごまかしたが、僕だって実はものすごぐ寂しかった。

だって、こんなに泣いてくれるまで
別れを寂しがる人、久々だったのだ。

世界一周出発日。
実家から、成田空港に車で送ってくれたのは、姉。
実を言うとその前日まで、約5ヶ月ほど掛けて
清澤姉弟始まって以来の大ゲンカをしていた。大きな理由は忘れたが、僕が「姉のスキーへの姿勢」を否定したからだ。

あの時は、彼女のリザルトの一歩奥なんて、全く考えてなかったし、自分の目標に向かって懸命に頑張る人間を否定する”腐った”自分であった。

しかし、さすが姉と言うべきか、「最後の見送り」をしてくれた。
その朝、喧嘩していたからか、少し気まづい空気と土砂降りの空。出発前日に彼女にフラれ、心も暗く、到底「世界を旅する男」の顔でもない。


人生最悪の日だったことを今も覚えている。



その日ちゃんと謝ることが出来なかったので、クラウドファンディングのプロジェクトが始まる前、しっかりと謝った。

僕にはしっかりと謝れる理由があった。

だって今なら、本気で僕も生きていたのだから。本気で夢を叶えようとしているのだから。

「本気」になったとき、自分の過ちがしっかりと見えた。

...姉とのひと月のヨーロッパ旅が終わり、1人ポツンと、オーストリア・インスブルックにいた。

号泣する姉と別れたあと、実は少しだけ、
僕も泣いた。なんでか分からなかったが、小さい頃から特に一緒にいなかったはずの姉との別れがすごく寂しかった。

ホームシックになった要因②

ヨーロッパで、「クリスマスマーケット」に行きすぎた!!!

この時期、良かれと多くのクリスマスマーケットに足を運んだ。

イギリス・ロンドン
ドイツ・ミューヘン
ノルウェーオスロ
オーストリア・インスブルック
イタリア・ローマ
バチカン..etc...

他にも、サンタさんやクリスマスツリーをたくさん見てきた。
これがまずかった。最初は「わぁ〜!素敵!!」「クリスマスツリー可愛い!大きい!!」などとキャピキャピしていたが、

「クリスマス」...辺りを見渡せば、幸せそうな人たちばかり。手を繋ぐカップル。笑う子供たち。暖かそうな家族。

う、うぅ、うぅ、、、
気付かぬうちに僕は、「ホームシック」という泥沼に、自ら足を突っ込んでいた。

僕には、こんな暖かい家族はいないし、
父親は僕を虎の子に育てようとしてる。
なんだか、すごく、寂しくなった。

帰りた〜くな〜ったよ〜

君がい〜る 町にぃ〜〜
(いきものがかり)


い〜まさら帰れないよ〜
あの場所は どんな素敵な思い出も
心にしまっておくべきなのさ。
(清水翔太)

ちなみに、清水翔太の”Home”はパリまでヒッチハイクの旅の最中、家に泊めてくれたサムに出会う前にシャッフルで掛かり、すでに1度号泣している。

とにかく。
「暖かい家族」という心の安らぎを求めていた。それは、自分にとってどこにもないのに。

「自分はどこに帰るべきなのだろう」
「帰る場所が分からない」

この不安が、寂しさに増して、僕を襲った。


12/23
ローマからニューヨークへ向かった。
ニューヨークももちろんクリスマスムード。
海外のクリスマスというのは、カップルのものではなく、「ファミリー」のもの。

むしろ、カップルのためのクリスマスなんて、世界中探したって日本くらいで、
「家族」のイベント。または、宗教的にクリスマス自体祝わない。というのが主だ。

無宗教の国「日本」における”イベント”の意味なんざ、企業の策略でしかないことに気付いた方が良い。意味なんてまったくない。

クリスマスはもちろんのこと、
バレンタインデーになれば、お菓子会社。
ハロウィンはドンキホーテというところだろう。笑

本来なら「イベント」というものには「意味」がある。これを忘れちゃいけないのだ。

...おいおい、ホームシックの話すらズレてるぞ。

ニューヨーク行きの飛行機では、
「ホゥホゥホゥ。機長のサンタクロースです。」というアナウンスが流れた。

ほぅ。これが本場の”アメリカンジョーク”かと、真顔の表情を浮かべた日本人の僕。

とてもじゃないが、笑える精神面ではなかった。

ニューヨークのJFK空港から、市内へは地下鉄で行く。僕がニューヨークへ着いた時、すでに23時頃で、外は真っ暗で、人気も少なかった。

夜中でも電車は動いているのだが、
間隔がものすごく広い。1度電車を逃すと20分ほど待つ羽目になる。



誰もいない薄暗いアメリカ・ニューヨークの地下のホーム。

重たい荷物を床に置き、冷たいベンチに腰を下ろす。

消えたり、着いたりする黄色い電灯。
電車がやって来るであろうトンネルからは、「コォ〜〜〜〜」という風の音が聞こえ、

水滴が落ちる音が、「孤独」という感情を更に大きくする。

この不安な”待ち時間”が僕の精神をさらに削った。


ポタッ、

ポタポタッ、

これは、トンネルから垂れる雨水の音ではない。

気付けば、僕の膝は大きく湿っていた。

「なんで、こんなことしてるんだろう。」さえも思ったが、世界一周初日の孤独感ほどではなかったと感じる。


自分がこの広い宇宙でたった1人になったかのような「孤独感」と、ホリデーシーズン真っ盛りで聴こえてくるクリスマスソングのコントラストが僕を襲い続けた。


その日からサンフランシスコ滞在時まで、
「集団」に混じっては、孤独感を和らげ、
しかし、長く集団が続くわけでもなく、
いつかはこの孤独感と向き合わなければならない日が来る。または、日本への帰国。ということを頭のどこかで理解していた。

「ホームシック」
...その響きは どこか幼稚く、子供がかかる病気だと思う大人の方が多いかと思う。

しかし、言語も通じず、
本当の意味での「安全」なんて保証はどこにもなく、
まったく知らない世界を、
初めて、人生初めて、
23歳ないし、その歳に旅してみろ。

必ずその”心の病”に掛かってしまうだろう。
特に、僕の「あまちゃん」とされるバックグラウンドがあってみろ。

なっても、何もおかしくない。
とゆーか、なって当然だ。

という僕の中の声から、
こういった”弱いところ”を書いている。

人なんて、弱いなんて当たり前だ。
弱くて何が悪い!

で、こうやって「自分にいっぱいいっぱい」になっちゃうと、


「声」ってなかなか出ない。
これは言い訳に聞こえるかもしれない。
これは甘えに聞こえるかもしれない。


だから、”アウトプット”がなかなか出来なくなった。
寂しさを和らげるために、”インプット”し続けた。
女性が失恋して、泣ける映画を見まくるアレと同じだ。心に余裕がないと、アウトプットって出来ない。

心がいっぱいいっぱいで、リセットしたいときは、みんな映画を観たり、他のことをして気持ちを入れ替えるでしょ。


その時間が必要だった。
でも、すでに”自己ブランディング”ってものが僕にはあった。

「元気」で「ポジティブ」で「明るく」「前向き」な清澤 一輝がインターネットの世界にはいた。

人間、当たり前だけど「1mmも落ち込まない人」なんて、世界中探したっていない。

だけど、そんな落ち込んでる姿、
弱い姿、弱音を吐いてる姿、見せれる場所がなかった。

それが辛くて辛くて。

だから芸能人の方ってすごいと思う。
プライベートで、どんなに辛いことがあっても、お仕事では、”出来上がった自分”ってのを演じなきゃいけない。

それが、どんなに自分にいっぱいいっぱいでも。だ。

「芸能人の辛さ」なんて、なかなか気付くことなんて出来ない。

そんなことに気付いたので、実際に”芸能人”としてお仕事をしている友達に、近い解決策があるんではないかと相談した。


彼女いわく「自分でその道を選んだものであり、自分は人とは違う特別な道を選んだ」ということを言っていて、最後にこんな言葉をいただいた。


「旅は自分のためでもあり、誰かのためにもなっている。」


そうだ。そうだった。
自分の人生を変えるべく、自分のために始めた「旅」。何かひとつの特技を駆使して旅をしてるわけでもないのに、いろんな人から応援していただいて、僕の投稿を見て、旅に出たくなったなんて声も毎日もらってる。

世界中のどこかで、誰かが、僕の声で元気になってる。旅は自分のためでもあり、誰かのためにもなっている。

そしてもうひとつ。

「悲しいこと」とか「辛いこと」

そういう感情を知るから、
人はまたひとつ、優しくなれるのかもしれない。

相手の気持ちが分かるようになるのかもしれない。

そうだった。俺には上っ面だけじゃなくて、ちゃんと背中を押してくれる友達がたくさんいた。

日本に帰ったら、みんなに会いに行こう。そしてちゃんと「ありがとう」って伝えよう。


この旅を通して、俺は優しくて、強くて、器のでかい男になりたいんだった。


”感受性”がものすごい、
笑ったり、泣いたり、喜んだり、落ち込んだり、人間味の強い私。

落ち込んだって、弱くたっていい!かっこ悪くたって全然構わない!


それって「人間らしさ」だから!


何も悪くない!
そんなことから、「弱音を吐く」という表現よりは、「より人間らしく」ということが分かってきた。

結局、いつまでも人にくっ付いていても、
ホームシックはずっと治らない。

クリスマス、年越し、お父さんと旅したカリビアン、ずっと誰かのそばにいようとして、
俺の見送りに来てくれた親友の男友達と毎日電話してたけど、向き合わなきゃいけない。

そろそろ乗り越えなきゃいけない。
問題は解決しなきゃいけない。


そう思って、僕はようやく「旅人」に戻れた。

第3章 アフリカ・ヨーロッパ縦断編 完〜ヨーロッパを抜け、ついにアメリカ本土上陸!〜

イタリア・ローマには5日ほど滞在した。

今までの旅を通しても、
完成されている”街”はあまり魅力的に感じなかったが、ローマは別だ。

今までの街で1番気持ちがいいのがローマだった。
イタリア全土で地下鉄はないそうだ。というのも、地下を掘ればなんらかの遺跡にぶつかってしまい、その度に計画変更、路線変更と、莫大な資金が掛かってしまうからだそうだ。

歴史のあるイタリアも好きだ。
東京にいた頃、よく通っていた広尾の美容院の野田さんは結婚旅行にイタリアに行ったって言ってたっけな。
仮にもう一周、世界を旅できなくとも、ここイタリアを長く旅してみたい。
イタリアだけの濃いブログも書いてみたい。とか思ってるあたり、僕は重症なのだろう。笑

僕はよく、朝イチに電車に乗って、
観光ポイントを人がいない間にまわり、
午後あたりから歩いて、その国を見て感じる。

歩くことで、見えてくる、感じてくる国の雰囲気というものがある。そんな”街”を歩いて、「なんでだろう?(都市構造や文化など)」を調べて、文章化する学問が前回述べた”フィールドワーク”である。

もし、これから 世界を見て回ってみたい。と思ってる方がいれば、フィールドワーク入門くらい読んでおいて損はない。

ただの観光ではなく、街を歩く上での「気付き」を与えてくれる。
こういうポイントを見ると、街が見えてくるよ。とかっていう奴だ。人はそれを「感受性」とも呼ぶが、それを鍛えることだって出来る。

僕はマックス20kmまで1日に歩ける。
インドでは、観光地よりも「旅すること」に意味があって、よく歩いたものだ。


そんなイタリア・ローマ。
たまにある飲み水の補給ポイント。もちろん無料!しかも炭酸水まで出てくる優れもの!日本にも置いて欲しいなぁ。

けどね、日本って、水道水が飲める国なのに、ミネラルウォーターを消費率が世界1なんだよね。世界には、水道水も飲めなくて困ってる人たちがいるのに。

自殺率も世界1位で、経済大国の割に幸福度はかなり低い。

もしかすると、日本人、特に東京の人とかは、1番”ヒト”から離れた”ニンゲン”なのかもしれない。この言葉の意味は、世界を旅してみないと分からないかも。


コロッセオの前でEceと出会った。
彼女はトルコ人で、今はマルタ留学してるそう。初めてトルコの友達が出来た。

僕も1人だったから、カメラを頼まれて同い年だったから会話が進んだ。

マルタ留学といえば、最近フィリピン留学の次によく耳にする。
「マルタ」...リビアのちょっと上、イタリアのちょっと下。すごく小さな国で、マルチーズの原産地だ。

彼女と別れ、テヴェレ川を渡り、バチカンまでの1本の通り、この辺りのイタリアンはどこも素晴らしいとのことで、カッコつけて外の席に1人で座り、グラスワインとトマトのパスタを注文した。


ボーノ(美味しい)!ディモールト ボーノ!(非常に美味しい)!

本場のイタリアンは本当に美味しかった。
中学のとき、学祭の打ち上げで行ったサイゼリアくらい美味しかった。

やはり1人では、あまり「食旅」をしない。
今回は珍しく、安宿のオーナーに進めまれ、この通りを目指したが。
「食べること」ひとつでも、誰かと美味しさを”共感”できる方が何倍も思い出にも、楽しみにもなる。

やはり「共感出来ること」や「共通できる話題」ってのが、僕はすごく好きで、

よく「外国人と結婚したい」と、理由を「え?そんな理由で人生賭けて大丈夫??」と心配しちゃうような回答が返ってくる日本人がいるが、

僕は絶対 結婚するなら日本人が良い。
日本人じゃなくても、日本で育った人がいい。

ふと気付いた。

僕は「共通する話題」ってめちゃくちゃ好きだ。「〜のドラマ懐かしくない!?」とか、「下北沢が好きなんだよね!」とか。

懐かしい話とか、お互いが知ってることを話し合うのがすごく好き。新しい話ももちろん好きだけど、落ち着くのは共通する会話。だからこそ、同窓会とか古い友人と会うのは楽しい。

それをいちいち、相手は何も知らない、
思いを共感できない。
それはあんまり幸せだと感じない。以前「価値観なんて違って当然」と述べたが、そこじゃなくて、「共通認識」というところ。これは本当に結婚するレベルであればとても大切な内容なのではないだろうか。


そしてもうひとつ。「言語」の壁。
ライター活動を通し、僕は、ようやく日本語が得意になった。

自分が想ってることを、あまり誤差なく相手に、伝えられるようになってきたと思う。

自然の美しさを少しだけ文字に閉じ込めれるようにもなってきた。

”こうこうこういう感情”や”気持ち”を他言語化して100%伝えることが出来ないことに気付いた。

いくらTOEICTOEFLで満点を叩き出しても、僕らはネイティヴスピーカーにはなれない。

「I love you」はいつまで経っても「I love you」としか聞こえず、「大好きだよ」と言われた方が”意味”は同じでも、何百倍も後者の方が嬉しい。

それに加え、”どう”大好きなのか。日本語が上達してしまったので、針に糸を通すくらいの言葉選びを日本語以外では出来ないことに気付いた。

どうしても、他の言葉ではシンプルになり、「自分の100%の気持ち」を伝えられない。

だからせっかく、日本語がうまくなったから。
日本語で、日常でどれくらい感謝してるか、どれくらい愛しているかとか、ってのは、針に糸を通すくらい細かいレベルで伝えたい。

だから断然結婚するなら、日本人女性。

といっても、”落ちてしまう”のが「恋」であり、「恋」というものは、どうしても”盲目”になってしまう。ということは十分理解している。


そんなことを考えながら歩いていたら、再び彼女と出会った。
どうやらこれからバチカンに行くとのことで、一緒に向かうことにした。

1度なら誰とだって出会う。
しかし、2度目は違う。神様がもう少し「出会え」って言っている気がして、いつも再開はテンションが上がってしまう。

特に最近は、1回会っただけではツンツンしてしまい2度目の再開では本当にデレデレしてしまう。誰にでも心を開いてしまうのは再開。
あっという間にEceと仲良くなってしまった。
移動の間、彼女と少しだけトルコのこと、テロのこと、世界情勢について話した。

自分の国が、危険に侵されているってどんな心境なのだろう。安全な国で生まれ育った僕ら日本人には一生分かり得ない感情なのだろう。

2人でバチカン市国へ。


世界一周 24カ国目 Vatican City/バチカン市国

ローマの中にある世界最小の独立国家「バチカン市国

キリスト教最大宗派カトリックの総本山で、後ろに見える建物は、サンピエトロ寺院。

この国自体が世界遺産

その大きさはなんと、ディズニーシーよりも小さい!ってウチの大学よりも小さいやんっ!笑

「天使と悪魔」が大好きな僕にとって、こんな都市伝説の国ないよね!!
言わずもがな、ローマ法皇生前退位の裏には...


キリストが磔になった聖墳墓教会のある聖地エルサレムイスラエルで買った、クリスチャンのお守り。

これを、ここ。カトリックの総本山にずっと持って来たかった。あまり多くは語らないけど、

「世の中には、世の中のルールを考えた人たちがいる。」
それは、法律っていう話ではなく、「道徳」.という意味でだ。

だって不思議だと思わない?
聖書の話は、イスラエルの話なのにそれを世界に広めたのはヨーロピアン。
聖書をつくったのも、ヨーロピアンなんだ。

仏教」も発祥の地、インドから仏教徒によって世界へ。
イスラム教」もメッカから、イスラム教徒に
よって世界へ。

でも、キリスト教徒だけ違うんだ。
以前「宗教」って支配だってブログで書いたけど、ここ。バチカンが最大の秘密と、世界の鍵を握ってる。国の存在自体が不思議だもん。

アメリカとかってのは、いわゆる”芸能人”と同じで、踊らされてるだけ。
本当にすごいのは、芸能人を裏で操る大手芸能事務所の社長さんだったりする。それがここ。「バチカン」だと僕は思う。

世界を動かしてるのは、ここ。
「本当に大切な情報」ってのは、ペラペラ語らない方がいいからこの辺にしておく。

まぁどうであれ、なんの力もない僕は世界の流れに従うしかないんだけどね!

ローマ法王フランシスコの「火星人が『 洗礼を受けたい』と言えば、洗礼を施す」って発言は全クリスチャンにとって、ヒヤヒヤな発言なわけね!

「火星人」の存在は、聖書にも書いてないし、今までのクリスチャンの歴史を覆すことに繋がるから!

とにかく、こんなタイミングでバチカンに来れて良かった。 無宗教だからこそ、社会を観れる感がある。

この時期、どこの「クリスマスマーケット」にもあるのが、キリスト生誕の描写を描いた”ベツレヘムの星”。


この”ベツレヘム”はイスラエルパレスチナ自治政府にあって、実際に自分が訪れた場所がこうやって、世界中のクリスチャンにとって憧れの地だって考えると、自分がやってることの「価値」を感じるね。

やっぱり、イスラエルパレスチナに訪れていること。そのこと自体になんの価値があるか分からないけど、自分の中では非常に価値のある行為だって思う。

ただこれを自己満足に出来ないなってすごく感じてる。


「夕日に照らされるローマの街並み」

世界一大きな大聖堂、バチカン市国サン・ピエトロ大聖堂。その屋上・クーポラから見下ろした「絶景」。

夕日を目掛けて登った551段の階段ーサンピエトロ大聖堂から見た夕日。

今まで観た夕日で1番綺麗だったかもなー!

小さなことでも「幸せ」に気付けて、
そういうことを大切にしていきたい人生である。私はいつまでも「ハッピーエンド」を信じてる。自分自身を信じてる。

よく「現実見なよ?」とか、「んなもんあるわけないじゃん」みたいな話を耳にする。
そのー、現実がどうこうってのももちろん分かる。けどさ、

人が「ハッピーエンド」を信じてなにが悪い?

ハッピーエンド...つまり、明るい未来なんだけどさ、
「楽観的」とか「アホ」だとか思うかも知れないけど、

じゃあ「目標」とか「計画」だとかって、
何のために立てるんだろ?

それに向かって、頑張っていこうってことなんじゃないの??って思うんだよね。

だったらさ、”明るく”考えるべきでしょ。むしろ。
その明るい未来に向かって、人は歩いて行くんでしょ。

「歩くことをやめない」...それは、ここ最近の僕のテーマでもある。生きるテーマだ。

「歩くこと」をやめちゃいけない。
前に進み続けよう。

...ということで、ここ。
カトリックの総本山。「バチカン市国」にて、

”第3章 アフリカ・ヨーロッパ縦断編 完ッ!”


10月の頭に海路で国境を越えて入った”アフリカ大陸”。

そこから約3ヶ月掛けてヨーロッパへ北上・縦断し終えました。

アフリカでは、ダイビングのライセンスを取ったり、サハラ砂漠でキャンプしたりと、やっぱり「自然が大好きなんだな」って再確認。

世界の果てまでやって来て、やっと「自分」って人間が分かってきました。

ヨーロッパでは、「食旅」から始まり、ヒッチハイクの縦断や、資金を集めてヨーロッパの山々をSki Tripしたりと、変わらず充実した毎日を過ごせました!(1度 中国行っちゃったけどね)

エジプト🇪🇬→チュニジア🇹🇳→モロッコ🇲🇦→スペイン🇪🇸→フランス🇫🇷→イギリス🇬🇧→ドイツ🇩🇪→オーストリア🇦🇹→イタリア🇮🇹→ノルウェー🇳🇴→デンマーク🇩🇰→中国🇨🇳→イタリア🇮🇹(戻)→バチカン市国🇻🇦

でもって、ここ”ローマ”・”バチカン市国”で、第3章が終わります。


ここから、”最終章 アメリカ大陸 周回編”

北米から中米、南米へと降りていき、僕の「世界一周」の旅は終わります...!

年末から、来年のことを調べたりチケット探していたりすると、あれだけ長いと思っていた旅の終わりが徐々に見えて来て、それがとても切なかった。

12/22 チェックアウトの日。宿にて。

「Kei、この後はどこに行くの?」

「今夜、ローマからニューヨークへ行くよ。」

「わぁ!すごいね!トラベルライターってかっこいいな!」

...ダンサーの女性、脚本家のフランス人男性、小説家のイタリア人、そして、トラベルライターの卵の僕。日本人男子。


「今夜、ニューヨークへ行くよ」という一言がすごく誇らしかった。

ずっと、ずっと、憧れていた「世界」なのだ。

「アーティスト」としての世界。

「世界を旅する」ということ。

体育会に所属しながらも、憧れていた「アーティスト」。そして、世界規模で何かをする。感じるということ。

間違いなく、ずっと憧れていた世界に、
僕は今いる。それが嬉しくて嬉しくて。

鼻歌を歌いながら、寒空の中、
僕はトランクをガラガラと引きづり、空港へ向かった。

物語はついに、後半の海。
アメリカ・ニューヨークへ...

そして「旅」は再び始まる〜インスブルックからイタリア・ローマへ〜

姉とのヨーロッパ旅が終わり、
ひと月ぶりに「旅人」へ戻った清澤 一輝。

自分で「決断」しないってめちゃ楽だ。
言われた通りに、指示通りに、体を動かす。
これってめちゃくちゃ楽なわけだ。

プログラムひとつで出来ちゃうわけだ。
だから、「ロボット産業」の時代になったら、人件費を削るために、自分で考えて、決断して、行動出来ない人は、ソッコーで削られる。

「こっち行きなさい」「こっち選びなさい」って、その通りに道を進むって子供でも出来るしね。

でもって、男って
「決断力」
「行動力」
「経験値」

この3つの”K”が必要だ。
まぁ言うなら4つ目の”K”の「好奇心」

家庭を持ちたいなら尚更。
みんな、見知らぬ明日を歩くって、めちゃ不安。女性も、もちろん男も。

女性が不安がってるのに、「男」が決断出来ない。舵を切れない。進む方向を知らないで、迷い続ける。

こんな情けないことはない。
男女であれば、たくさんたくさん、話し合って。最終的にドンっと胸はって、男の皆さんが決断して、「絶対!大丈夫!」って言ってた方が女性だって安心だ。

そういう良い”決断”を産むには、
豊富な”経験値”。経験値を積むには、行動力が必要なわけだ。この”3つのK”のサイクルだけで、本が書けそうだし、

この3つのKを育てるのは、まさに「旅」。だと僕は思う。

行動。

経験。

決断。

そんなんの繰り返しだ。

今まで、自分でなかなか決断出来ないとか、決断したことがない。って男子は尚更。
まぁもちろんこの 3つの”K”を入れておく、大きな器が必要なのだが...

さて、少しでも自分の足りないものに気付けた男子大学生の諸君!!
このブログを印刷して、父親に渡して、納得させて旅に出ろ!!!笑


そんな旅が再び始まる僕の「世界一周」

まずは、オーストリア・インスブルックでマレーシア・ペナンを旅したジャスマンと再会!

マレーシアでも
インスブルックに来た時は、連絡してね!」って言ってくれてた彼女。

これだ。僕がずっと憧れてた世界中に友達をつくる!って奴は。

将来 子供ができて、彼が世界を旅した時、
「お父さんの世界中の友達が、お前を助けてくれるよ」なんて言えたらかっこいいじゃない。

男ってアホだから、”かっこよさそう”だけで生きてるところもある。

ジャスマンは、インスブルックのことをたくさん教えてくれた。

インスブルックには「イン」という名前の大きな川が流れている。
そこに掛かるドイツ語で「ブリッジ(橋)」を意味する「ブルック」。

イン”ス”ブルックつまり、英語の「's」
インにかかる橋という意味の「インスブルック

この街には、小学生の頃から何度も訪れてるのに、そんなこと知らなかった。

これは、オーストリアの伝統料理。


Tiroler Gröstl
テゥオーラグロスティル。

おいしい!!






...けど作れそう(笑)


信号はスノーボーダー
ちなみに赤はボードを持って待ってる!
さすが、ウィンタースポーツの聖地だね!!


その後も、一緒にインスブルックのクリスマスマーケットに行った。スワロフスキーの本社があるオーストリア。ここのクリスマスツリーはスワロフスキー製でとても綺麗であった。


ずっと”クリスマスマーケット”ってどこも同じだと思ってたんだけど、
ノルウェーオスロも然り、微妙な宗派や文化の違いで、ちょっとずつ風習が違うみたい。


日本みたいに、カップルとかイベントとしてある〜って感じよりは、もっと「イエスキリストの生誕の日」って感じで、もちろん幸せそうなんだけど、落ち着いてる感じ!

日本のイベントなんて、企業の策略でしかないからね!

本来、意味がある”お祝い事”をほぼ無宗教の日本は外から持ってきて、なんやかんやで商売上手ってとこかな!

ちなみに、サンタクロースも信じる国、信じない国があるみたい!オーストリアはいないらしいよ!!

ずっと、ヨーロッパの文化や言語の微妙な違いが分からなかったからこそ、今 こっちの人たちと話しててすごく楽しい!!

最後は僕がジャスマンに漢字を教えてあげた。
外国人に日本語を教えたら天下一よ!わたし!

そういえば、タイの日本語学校で日本語教えたみんなは今では日本で働いてるみたい!Facebook見ると元気そうだよ!


その後 ジャズマンと別れ、
「イタリア・ローマ」行きの久々の夜行バスだ。今まで、ファーストクラスのラウンジは使えるは、生ハムは食べれるは、1人部屋だはで、自分でさえ「旅人」という自覚を失っていた。

しかし、久々にトラブルは起きる!
「トラベル」と「トラブル」はセットだということを久々に理解する!

というのも、今回の夜行バス。
直通ではなく、1度 イタリアの田舎町で乗り換えをする!

22:30着。乗り換えて、
次のバスは3:00と来た。

1番安いチケットを選んでるのだ。
空港のように気合いで目覚ましかけて、バス停で寝てよう!と試みたものの...

22:30
バ、バス停どころか、何もねぇ!!!

カフェすらねぇ!!!
12月末。ヨーロッパ。イタリア。
この時期の気温を舐めてはいけない。本当に死んでしまう。4時間半も待っていられない!!

とにかく、最終手段「光がある方へ歩く」ことに。
姉から冬服を持って来てもらった僕は、この時期 少しだけバックパッカーではなく「トランカー」であった。

大きなトランクをコロコロ転がし、1人歩く冷たい夜道。自分がどこにいるかも分からない状況は、精神的にしんどいものがあった。


...!あった!!
この時期 ヨーロッパ全土で見れる、クリスマスマーケット!!

パトカーが巡回し、ホームレスを許さないヨーロッパ。このクリスマスマーケットのここ。


この一角に トランクを置いて、パトカーから隠れ、風をしのぎ 待った。待ち続けた。

息は白く、かじかむ手。
昨日までの生活が走馬灯のように浮かぶ。


だまってても、勝手に出てくるステーキ。


1人部屋のふかふかのベッド。


常に暖かいシャワー。


現代版「マッチ売りの少女」と呼ぶべきか、
考えても、考えても、時間は一向に進まないので、僕は考えるのをやめた...。





清澤 一輝 世界一周ブログ
”Walking on the Earth”

















いやいや、殺すな。

死なねぇーから!この後、黒人達が廃墟のホテルでたむろってるのを見つけて、混ぜてもらった。

本当に寒すぎて死にかけたからだ。

おそらく、黒人の皆さんは 薬やらなんやらの売買をしてて、普通に考えて危ないんだけど、

「寒すぎて確実に死ぬ」
「黒人のお兄さん達が実は悪い人たちで、もしかしたら殺されるかも...」

って考えたときに、後者の方が生存確率が少しだけ高かった。
だって「人運」だけは、持っているのだから。

しかも彼らは、寝ていた俺を起こしてくれたし、薬中っぽかったけど、すげぇ優しかった。

だって夜中に、トランク持ったアジア系の少年が助けを求めてくるんだぜ?ひとりで。
こんなドラマねぇよな。向こうからしても。

とにかく、またひとつ。生き延びたわけだ。

バスを乗り換え、朝9時過ぎ。
ローマへ到着。

イタリア「ローマ」
ずっと来て見たかったこの場所。


あのイタリアの魅力はどこから来るのだろう。
本当は、ポンペイ遺跡とか、フィレンツェ特急で縦断し、カプリ島サントリーニョ島、サッサリへ行ってみたかった。もちろん水の都のベネツィアにも。

僕にとって、イタリアは
「料理」「トマト」「ギャング」「フェラーリ」「F1カー」「コロッセオ」「ワイン」「カプレーゼ」「ちょいワルオヤジ」「第3ボタンまで開ける」「グラーーッツェ!」「レオン」...etc etc


後半は完全にジローラモを思い出すんだが、
僕のイタリアのイメージはそんなところだった。

大学で僕は、社会学の中の「フィールドワーク」という学問のゼミに入っている。
そのゼミの教授、新原先生は、イタリアにずっと住んでいて、イタリア語が堪能で、というか喋れて、何冊かイタリアを題材にした本を書いていた。

きっと、あの”新原先生”との出会いも、僕をこの旅に誘っているのだろう。

あのゼミの影響も、今の僕に大きく影響しており、なんとなく「街の作り方」やその国を紹介する描写は、フィールドワークよりの書き方になっている。

「出会い」は偶然であり、その偶然含め、全ては必然のような気がする。

生徒は、授業や学問の内容よりも、
その”先生の雰囲気”や”授業の楽しさ”などといったことから、その学問に興味を持ったり、追求してみようと思うことを、先生はあまり気付いていない。

僕は、新原先生のあの爽やかなのにどこか熱血的な姿勢が好きだった。

とにかくイタリアには「憧れ」が強かった。
イタリアだけで旅がしたい。縦断がしてみたい。文化も、歴史も、料理も、ファッションセンスも、とにかくイタリアはかっこいい。

そんな憧れの「イタリア」ローマ。
「全ての道はローマへ続く」とはよく言ったものだ。

とりあえず、昨夜の疲れ(氷点下の中、あてもなく歩き回った)を取るべく宿へ直行!
ローマにしては破格の2泊2800円の宿!!

今までの”SKI TRIP” 1日の経費は1万円を超えていて、1人部屋、ふかふかの布団。3食何も言わずとも出てくる豪華料理の品々。

一方、二段ベッドが2つの4人部屋。

久々に「旅」が出来ている。
部屋に入ると、既に3人。どうやらアパート等は借りず、この激安宿に長期滞在している住人が3人。

イタリアで脚本家をしているフランス人の黒人男性。
小説家のイタリア人女性。
そして、僕の二段ベッドの上に寝ているのは、ダンサーのアルメニアの女性。


といっても、彼女は間違いなくストリッパーであろう。派手な化粧に、夜になると姿を消す。もしかしたら、ダンサーでもないかもしれない。年齢は結構いってるだろうな。ガンガンに整形してて、マイケルジャクソンみたいな顔をしている。

でも悪い人じゃない。むしろいい人。
3人の会話は基本的にフランス語で成立するのだが、懸命に英語で話しかけてくれた。


だが、僕の行動を二段ベッドの上からずっと目で追うのは、しんどいものがあった。笑

いい旅してんなぁ!


ローマは「秋」ッ!

東南アジアからアフリカまでの6ヶ月が夏で、
ヨーロッパ、ヒッチハイクまでが秋、
姉と旅したヨーロッパは真冬で、再び「秋」。
秋は少し切ないけど、ピクニックにはちょうどいい時期だから好きだな。


ローマでさ、80歳くらいのおじいちゃんとおばあちゃんが仲良さそうに、手を繋いで小道を歩いてたんだよ。

それ見たとき、
お互い外見に対して”年寄り”って認識はあるだろうに、ラブラブだから、

「パートナー」において、本当に大切なものは”内面”だったり2人の時間が生んだ”絆”だったりするんだなって、

1900年に創業の老舗ジェラート店「ジョリッティ」のジェラートを食べながら感じたローマの昼下がり。

こんなことを、ボソッと言っても何も変ではないローマ街の雰囲気は、すごく好きだ。人も良いし、煉瓦造りで、「みなとみらい」みたい。


ついに念願のコロッセオ
人工物の中では、バルセロナのサクラダファミリアの次に好き!!かっこいい〜!

映画「ジャンパー」にも、ONE PIECEにも、ジョジョにも出てくるから来れて凄い嬉しい!!


「ローマは1日にしてならず。」とはよく言ったものだ。

イタリア・ローマは歩いていて、鼻歌を唄いたくなるほど気持ちがいい。

この時期、ローマは「秋」。枯葉が舞い、道路は落ち葉の絨毯が、これはまた美しく、上品にひかれている。


時おり肌寒い風が僕の前髪をなびかせるが、今までいた北欧の寒さに比べれば、むしろ暖かさを感じるほどだ。


念願のコロッセオ。その外見は、あまりにも美しく、自然とため息が出る火曜日の午後であった。

帰りに寄ったアイスクリーム屋で買ったジェラートの味はレモーネ。ベネ。ディモールト(非常に)ベネ!


そしてこれがトレビの泉!
「トレビの泉」には、後ろ向きにコインを泉へ投げ入れると願いが叶うという言い伝えがあり、投げるコインの枚数によって願いが異なるとされる。

コイン1枚
再びローマに来ることができる。

コイン2枚
大切な人と永遠に一緒にいることができる。

コイン3枚
恋人や夫・妻と別れることができると言われる。
(3枚の願いはキリスト教が離婚を禁止していたという歴史の名残り。)


とゆーことで、僕はガッツリ2枚。
やっぱり「愛」って掛け替えのない物よ。

このブログでは、たまに「愛」について、
語ったりするんだけど、
世界を旅していて、人生において1番大切なものは「愛」なのかもしれないって思うことが多々ある。

「愛する人がいる場所」...それがある種、本当の意味での帰る場所なのかもしれない。

「愛」ってのは、別に異性として好きな人だけという意味ではなく、友達でも、家族でも。

自分を犠牲にしてまで、大切にしたい誰か。

なのかなって、
「人のために自分を犠牲に出来る」
これってものすごい大人になれるスパイスである。

僕の「人生」は僕のものだけど、
僕の「人生」は、
皆さんが鮮やかにしてくれてる。

当たり前のように、
世界には色んな人たちがいて、
当たり前のように、
同じ人は1人としていない。

僕と関わってくれる人々は、みんな、
僕にとって”かけがえのない存在”。

人がiPhoneを失くした時、または壊した時、
ショックを受けるのは、大抵 iPhone本体より、中のデータだったりする。

人と人との関わり合い。これは、人生の「データ」の一部、特に大切なデータになる。そんな関わり合いを大切にしていきたい。

その中で、大事な人は大切にしていきたい。

「愛」をいつまでも失いたくない。
男に生まれてきたからこそ、ハートフルに生きたい。

次回!”第3章 アフリカ・ヨーロッパ縦断編 最終話 !!”

「僕とスキーの関係性」 〜インスブルックのコインランドリーにて〜

物心が付くと、「スキー」をしていた。

趣味がこうじて、インストラクターになった両親。
その両親の間に生まれた”第一子”10歳離れた姉、恵美子。

そんな姉の背中を見ながら、

東京都出身ながらも、懸命に取り組んできたスポーツ「アルペンスキー」。

今の「世界を旅する」自分を振り返っても、姉の存在は非常に大きなものだと感じる。
アルペンスキー日本代表として、ワールドカップを転戦、日本女子7年ぶりのワールドカップ決勝進出。

常に、アルペンスキー日本女子の”最高峰”に君臨する姉。本人は「ずっと成績がなかった」といいつつも、アジア杯で金メダル、ユニバーシアードで銅メダルと、

スキー界では「清澤」という名字は非常に重たいものが当時の僕にはあった。
また世界を舞台に日の丸を背負って戦う姉の姿は、やはり「かっこいい」の一言では終われない”憧れ”というものがあった。

小学6年生の頃、イタリア・フランスで行われたチルドレンの世界選手権に出場。

その時のコメントでは、
「いつか世界を舞台に戦いたい」と発言し、再びヨーロッパのこの”スキーの聖地”に立ちたい。そんな漠然とした「夢」を描いていた。

それと同時に、この世界大会をキッカケに世界の広さを感じる。

「世界大会」といえど、スキー文化の強いヨーロピアンが主な選手であったが、それに対して東の国の「日本」という小さな島国から、自分たちのスポーツをやってる選手がいる。それだけで、他の国の選手に大きく歓迎されたものだ。

その時、子供ながらに
世界には、これだけの国、これだけの人々、これだけの文化がある。と強く感じ、「海外」というものに強い魅力を感じた。

中学生になり、東京都選手権優勝。
関東を中心に行われる大会では、それなりに表彰台を飾ってきた。

東京都で1番になり、出場した全国大会。
しかしそこでは全く結果が出なかった。
アルペンスキー」...やはり北海道や新潟、長野といった、いわゆる「雪国」の選手が非常に強かった。

常に「清澤の弟」と呼ばれ、比較され、
家での会話はほとんど姉を中心に展開され、
東京の実家には、数えんばかりの姉のトロフィー。はっきり言って、居心地のいい場所ではなかった。

それでも、自分の夢を叶えるため、
強くなるために、中高一貫校であった
成城学園”を飛び出し、北海道へスキー留学。

これがまた、姉が通った道を通ってしまったのだ。
僕の北海道での生活は、今まで東京で育った環境とは違い、「スキーを中心」に全てが回る。

スキーを知れば知るほど、その姉の大きな存在と、自分のチッポケな存在の差は広がる一方であった。


”スキー”を中心に物事を考えるので、
成績が出ない自分は「なんてダメな人間なんだ」と感じる日々が続いた。

スポーツに情熱を持って、取り組んできた高校時代。その淡い青春は輝かしいもので、成績がなかなか出ない中でも懸命に前を目指し続けた。

「いつか必ず、成果は出る。」
そう信じて止まなかった。

北海道では、北海道選手権8位や、全国高校選抜23位と、なんとか”スポーツ推薦”で大学に、ギリギリで入れる成果を出した。

どちらの大会も、姉は優勝している。という声が、自分の中で木霊した。
それでもどうにか”情熱”に火を消すことなく大学も体育会スキー部に入部。

それはもちろんのことで、スポーツ推薦で入ってきたわけだから、”スポーツで成績を出すことが仕事”と、ある種 洗脳を受けている状態での入学であった。


再び東京に戻り、「大学」という今までの自分のコミュニティの中では、1番 大人びた響きで、大きな組織に所属した。

大学1年目は本気でスポーツに取り組んだ。
ここで何とか、学生チャンピオンシップという大会で13位を獲得出来たが、誰もそんなことには気付くことはなかった。

おそらく、自分がスキーをし続けたのは、誰かに認められたかった。というか、物事をする上での最大のモチベーションが、「誰かに認められたい」という欲が強い。

特にスキーに関しては、これ以上の何物でもなかった気がする。以前 高校生の頃、この内容を”スキー部日誌”に書き、監督に提出すると大きく否定され理解されなかった。

これは普通、理解出来ないことだと思う。
自分くらい陽に当たらなかった人間でなければ。

大学1年目 スキーで結果を出したいがあまり、講義にほとんど出席せず、単位を10単位落とした僕は、2年目が始まる頃”ハッ”とした。

スキーの成績もない。
大学も4年間で卒業出来ない。

「これでは、ますます自分の居場所がなくなってしまう。」そう気付いた僕は、気持ちを入れ替え、つまりシフトチェンジし、積極的に授業に出席するようになった。

授業に出て、大学の”一般生”と呼ばれるクラスメイトの友達と話す機会が増えた。

「一般生」とは、いわゆる大学受験をして入学してきた一般の生徒。に対して、「体連生」...つまりスポーツ推薦で入学してきた僕。


そもそも「一般生」という言葉自体、「体連生」が作った言葉なのではないだろうか。「一般」が普通なのだから。

ひと学年の8割以上が、当たり前だが一般生である。

そんな一般生と、僕はまともに会話が出来なかった。というのは、”知識”が無さすぎたためだ。

今まで、身内で「スキー」の話ばかりしていたから、知識に偏りがあったのだ。特に高校生の頃からはだ。

これはきっと、僕の同期が今、社会に出て感じていることかもしれない。「スキー界」という小さな枠組みから外れると、ほとんどの知識で周囲の人間に敵わない。

この時、気付いたんだ。


「ひとつのことを”極める”っていうのは、
一歩隣に行くと”素人”ということ」に。


それに、僕の場合「極めた」内に全く入らないと自覚していた。ますます、このままじゃヤバイ。ということを理解した。

周りの先輩は、雪国からこの大学に入っており、当時 地元に帰る人がほとんどであった。彼らは、地元に帰っても「スキー」の話をする時間が長いかもしれないが、僕はこれからも東京という”雪のない場所”で生きて行く。


となると、スキーの話をするのはごくごくわずかな時間。
ということに気付き、自分に足りない「スキー以外の経験値」というものを磨く必要がある。なぜなら、これからもっともっと多くの人たちと話がしたいし、繋がりたいからだ。

それからだった。色んなことに、満遍なく手を出し始めたのは。

当時の僕を見ていた姉はこう語る。
「中途半端なことをしているように見えた」と。それはそうであった。能力がゼロの物を全部、アベレージに近い五角形ないし、六角形に伸ばしたい。

全てを満遍なく伸ばそうとすると、そのアベレージのチャートは”中途半端”に見えても仕方がない。色んなことに手を出した。


ボランティア、インターン、ゼミ、アルバイト、もちろん恋愛だって、友情だって、手が出せること全部やってきた。


平凡な連中は、「人はひとつのことしかできない」と思い込みをしているそうだ。自分がそうだからだろう。

しかしどうだろう。
例えば、フジテレビでインターンをしたこととか、インバウンド系の旅行会社で成果を出して、実際に自分が作った浅草の地図で何百万円ってお金が動いたり、そういった目に見える評価を出すと、
家の話題は少しずつ「姉」から「僕」へと変わっていった。

同じ土俵にいれば、比べられて当然だが、
一歩離れてみると、世界は全く違っていた。

それを理解してしまった僕は、
”雪山”以外、全てにおいて負けない男になるために、更に更に色んなことにチャレンジしてきた。

ある種、「逃げていた」という言い方も出来る。もちろん「攻めていた」という言い方も。

自信のない自分への言い訳だったというのが有力な説で、スキーだけで物事を図っていたら「ダメな人間」だと錯覚していた自分であったが、そんなことは全くなくなっていた。

すると、少しずつ 周囲の人間に「認められ」始めた。

そう、僕の目的は「認められる」ということだったからだ。今も注目を浴びたい。褒められたい。という欲求が強いのは、幼少期に受けた経験が理由であろう。


多くの人々が、僕に手を叩き始めた”世の中”であったが、唯一「変わらないこと」があった。
それは、「スキー」と自分の関係性だ。

普通のスキーヤーであれば、自分さえ引退してしまえば、スキーとの関わり合いは薄くなっていくだろう。

しかし、僕には「姉」という、あまりにも強すぎるスキーヤーがいた。
そう。僕はスキーから逃れられず、自分自身の最大のコンプレックスは、
身長の小ささでもなければ、学歴でもない。
アルペンスキーとの関係性」であった。

普通の人から見れば、
僕だって「トップアスリート」と呼ばれるかもしれない。それこそ、小学生の頃に世界大会にも出てれば、東京都で1番にもなっている。

けどそうじゃないんだ。

他人がどう見るかじゃない。
ここに関しては、自分自身がどう見るか。

僕は、いつだって「問題」を解決したい。
良い方法に、良い方法に。

僕のゴールは「幸せ」になること。
金持ちにならなくても、
美人と結婚できなくても、
「幸せ」だと思う状態になれれば良い。

「幸福」を感じること。それが僕の人生の最大目的だ。

成績が出ない中、やる「スキー」は、
ものすごく辛かった。スキーだけを見ると、”幸せ”とは言い難かったが、結局 スキーというスポーツを通して出来た友達が、人生におけるキーパーソンになっている。


「人生」に無駄なことはない。
全ての出来事は、自分のために起こること。

いくら自分が引退しても逃れられないスキー。
では、どう克服するか。いつ克服するか。

このコンプレックスをどう解消するか。

それが”今回”であった。
今回、このような形でヨーロッパカップに帯同させてもらい、16年間やって来たスポーツに恩返しをする。

どこかで、誰かが「一輝!やったな!」って言ってくれれば、独りだった僕は、このコンプレックスを解消することが出来る。

そして、届かぬ存在であった姉とも、
どこか対等に話せる。

その「幸福度」が、僕の目的だったんだと今、思う。自分は小学生の頃に口にしていたように選手として、この”世界”の舞台にはやってこれなかったが、

「夢」や「目標」なんて、当たり前に変わるもの。変わらないなら、今でも僕はピカチュウになりたいはずだ。


こうやって世界一周の途中で”ライター&サポート”として、この場に来れたこと。
これは、人生におけるものすごい「誇り」だし、大きな意味を持つ。

そして何より、この旅を通して、
スキーがより好きになった。あんなに嫌いだったスキーがどこか好きだ。

コンプレックスは完璧に解消された。
僕はまたひとつ大きくなった。

姉と旅したヨーロッパダイジェストファイナル〜中国・オーストリア・イタリアへ〜

中国・北京

万龍スキー場で行われたFECを終え、
中国の首都”北京”へ帰ってきた。

翌日のフライトもありながらも、北京市内を観光しようと思っていたが、
なんと!北京市の大きさは日本の四国の面積と変わらない!

中国広し。と思っていたが、まさかここまで...笑

しょうがないので、ホテルの近くの
中華料理を食べに行った。久々に食べる小籠包はものすごく美味しく、北京ダックもペロリと平らげた。

そうそう、万龍のスキー場はドローンがたくさん飛んでいて、一応 こちらでは「高級リゾート」となっている。

1日ホテルに泊まり、スキーをするだけで、
山の麓で働く労働者の約ひと月分の賃金だと聞いた。

世界中どこだって、貧富の差は増す一方で、
特に人口が多い国の金持ちは、インドも然り、とんでもないレベルの金持ちだ。(だってその分、消費量が多いでしょう)

高級リゾートという割には、やはり見た目だけで、日本人の「高級」からは少しかけ外れている。トイレだって、まだまだ和式だし。。

これから間違いなく、日本のトイレ会社はグングンに伸びて行くと思う。あんなに素晴らしいトイレは、どこにもない。

バイにも、シンガポールにも、ロンドンにも、ニューヨークにも!

多くの裕福な外国人がオリンピック目掛け東京にやって来て、日本製のトイレを買って帰るし、「商業施設やマンションに取り付けるトイレは日本製」ってだけで、ブランドになって行くと感じる。資本があるなら、トイレ会社の株は絶対買っておくべき!!笑


世界一周 23カ国目 Austria/オーストリア

とゆーことで北京からウィーン経由で、オーストリア・インスブルックに帰ってきました。

中学生ぶりのインスブルック

ヨーロッパの匂い!!大きく深呼吸出来て気持ちいい〜!!トイレットペーパーも流せるし、やっぱりヨーロッパは素敵なところ!

中国で、トイレのドアを閉めないで大きいのをしている様子をよく見かけたが、アレなんで?
鍵もついてるのに、開けっぱなしなんだよね。笑 「価値観」や「文化」ってやつはやっぱりすごい。面白い。

その後、イタリア・アンダロへ移動し、
最後2戦。ヨーロッパカップ!
これが後に伝説を生む。


「ヨーロッパカップ 9位入賞!
...”世界選手権”への切符獲得‼︎」

”ヨーロッパカップ25位以内に二度入る”ことで手に入れられる黄金のチケット「”アルペンスキーの最高峰”世界選手権出場権利」

それがどれだけ大変か、そのことを伝えるために起こした僕の「クラウドファンディング」60万円の資金調達に成功した。

2つの”奇跡”が混じり合い、ついに...

昨夜のレースにて、24位。自身2度目、4年ぶりとなる「世界選手権出場権」を獲得!!そして本日のレース、自己ベストとなるヨーロッパカップ9位入賞!

おめでとう恵美子!33歳輝いてました!!
本当に良い夢を見させてもらった。世界一周中だってことを忘れるくらいに感動した。

一生懸命サポートして来てよかった。
ドイツ→オーストリア→イタリア→ノルウェーデンマーク→中国。

一緒に旅して来たこのひと月の思い出は、一生語り継がれるでしょう。



「自己ベスト ヨーロッパカップ9位」

...「結果」はあとから付いてくる。

自分を見失わず、信じ、今やれるべきことをコツコツと積み上げる。
その場、その場での答えは見えなくとも、「結果」はあとから付いてくる。

今シーズンの出だし。10月。
半月板を怪我してのシーズンイン。
思い返せば、初戦のレースは2本とも1本目で途中棄権。調子が悪かったわけではないが、よくここまで来たというか、このひと月のヨーロッパ遠征では十二分な成果だと感じる。

スタート前 世界一カッコいい姉の背中を感じた瞬間であった。


「中国FECを終え、ここまで来て感じたこと」

ヨーロッパの旅路で学んだこと①

他人を負かすってのは、
そんなに難しいことじゃない。

もっとも「難しいこと」は
『自分を乗り越える事』


...中国・万龍に到着し、ゲートトレーニングしたとき恵美子の顔は不安でいっぱいそうであった。


そこには、今までの見ていた闘士のかけらもなく、ただただ「自分のトラウマ」に向き合えず、脅え、涙を流す姿があった。

しかし、恵美子はその”トラウマ”という大きな壁を乗り越えた。

そして今回。1本目リバースに入り、
「世界選手権」という今年の目標であったものを掴みかけた。

本人も含め、周囲も凍りつくような緊張感に包まれた。

しかし、彼女はプレッシャーを味方にし、見事自分自身に打ち勝った。

つまり、「自分を乗り越えた」のだ。
彼女もその大変さを理解していた。

他人を負かすってのは、
そんなに難しいことじゃない。

もっとも「難しいこと」は
『自分を乗り越える事』

これは”スキー”だけでなく、
”スポーツ”という観点だけでなく、
人生における勝負事、全てに言えることではないだろうか。

ヨーロッパの旅路で学んだこと②

You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.

未来を見て、点を結ぶことはできない。過去を振り返って点を結ぶだけだ。だから、いつかどうにかして点は結ばれると 信じなければならない。
by.スティーブ・ジョブズ


”行動”することに”無意味なこと”なんてなくて、

スポーツ頑張ってたこととか、
中学の頃から日記をつけてたこととか、
フジテレビでインターンしてたこととか、
友達が世界中にいることとか、
変人扱いされても、ボランティアやゼミ、マーケティングとか社会学を勉強してたこととかって、

人生における「点」になるわけ。
人はこの点を「経験」と呼んだりするんだけど、

ある日突然、その「点」と「点」が
1本の線で結ばれる。その線こそが「今」の”自分”であり、「自分探し」の”答え”である!

若いうちに、この”星座”のような「線」が見えるのってすごく大変だと思うけど、「点」があればあるだけ、線になりやすいでしょ。

だから、俺はこれからも「点」を作り続ける。

自分が生きていける領域を増やし続ける!



ヨーロッパの旅路で学んだこと③

「パイオニアが生み出すの結果は”0”か”1”かのようなもの」

スキーに限らず、物事を追求して行く人の生き方はとても”sensitive”だ。

日本語で意味は敏感。”微妙で慎重を要するさま”。

成功すれば、「1」
失敗すれば、「0」

新しいことを追求したり、人が誰も訪れたことやない場所に行けば行くほど、そのコントラストは大きい。

スティーブ・ジョブズだって、
マックザッカーバーグだって、
世の中を切り開いて、何かを変えようとしているパイオニア達は「1」と「0」のギリギリの瀬戸際で、「1」を掴み取る。

スキーも含め、多くのスポーツにおいて、
トップアスリートの心境はこれに近いものがある。

途中棄権すれば「0」。

調子が悪い。練習不足。などと、
リザルト(結果)だけを遠くの地から見ている人間に言われる。

例えば、男が大恋愛をしていたとして、
何十通も女性にラブレターを送っていたとしよう。
「1」なら、世界で1番のロマンチスト
「0」なら、ただのストーカー。

物事って”結果論”なところもあるし、
「何かを極める」ってそういうことなのかもしれない。

大切なのは、その「目標」に向かって行く”意思”なんじゃないかって23歳の僕は思う。



リザルトの”奥の世界”は深い。

そこには60秒では語れない 何十、何百、何千という時間が存在し、積み上げられ、

そして、その上に”たった”60秒の「リザルト」が存在する。

その”sensitive”さは、その場にいるものしか分からない。それは、ジンベエザメが”sensitive”なのと同じで、一緒に泳ぐまでそのことに気付くことは出来ない。(つまりは、一緒に泳いだことのあるものしか分からないという意)

彼女と過ごしてたひと月。
またひとつ、物事に奥行きを考えながら見ることが出来るようになってきた僕であった。

ということで、最後の2戦が終わり、
オーストリア・インスブルックへ到着し、
姉と別れた。

長きに渡って旅して来た2人の活動も一旦おしまい。

最後コインランドリーで、姉と2人で
お互いの「スキーとの関わり合い」を語った。

ふたりでこうやって、ひと月という長い時間を一緒にいたのは、人生で初めて。

普通の家の”当たり前”なんて通用しないし、
”当たり前”ということ自体を疑う目も必要だということも、この旅を通して学んだ。

さて、大変なひと月だった。
大忙しのひと月だった。

川を渡り、今は”向こう岸”にようやくいるという感じ。

どれくらい大変だったかって?

このひと月で4キロ減りました。笑


ヘンテコな世界一周をしていますが、
まるで「人生」のように、”自由”でいいじゃない。

趣味とか、特技とか活かしながら、
今を、自分を、生きている。

今日から僕は、再び「旅人」へ。

姉と旅したヨーロッパ ダイジェスト②〜ノルウェー・中国へ〜

北欧「ノルウェー
日本との時差は8時間で、通貨はクローネ。

平均年収は800万を越すというこの世界1物価の高い国。

マクドナルドのセットは、1200円を優に越す。
日本にいると「マクドナルド」の感覚って、安いってイメージがあるけど、海外では割とそんなことない。

ユーロ圏で買っても、セットで800円とか行くからね!

ノルウェーの朝日」
世界で最も日が当たらない国ノルウェーの朝日は、とても美しかった。

朝日は8時に上がり、太陽が真上に上がることはない。15時頃には夕日に変わり、日が沈む。


ノルウェーの気温-10°C‼︎‼︎
この時、ひと月前まで、エジプトにいたんだよね。アフリカでダイビングの資格とってたのに、今じゃ北欧でスキーときた。
あの頃は40°Cと、寒暖差が50°Cあります。笑


季節の変わり目で風邪ひいちゃったぁとか言ってられないレベル。笑

旅が始まって、9ヶ月。
一度も体調を壊してない僕。熱はもちろん、腹も壊していない!!
インドのガンジス川でバタフライしても、体調不良にならない丈夫な体!!

でもね、中学の頃まではよく体調崩してた。
けど高校から北海道の方へ行き、それから体育会寮に入って、よく監督に
「自分の体調は自分で管理するもの」
って口酸っぱく言われてたな。

って、これ当たり前のことだもんね。自分の体だもん。自分で操縦してんだもん。
無理な時は、休む。しんどいときは、休む。

このまま行けば、絶対 体調崩す。って分かったら、休む。処理する。

辛いときに、無理しない。ぶっ壊れそうな車で、そのまま走り続けないでしょ?
それ分かったら、声出す!んで、その声を聞いた上の人は、ちゃんとそいつを休ませろ!!

無理させて走らせ続けんな!
「俺の時代は、水も飲ませてくれなかった」論はいい加減言うのやめろ!笑

自分は自分。人は人。人と自分は、違う人間ってことにいい加減気付け!笑

つまり「マイペース」って大切。
むしろ「マイペース」で良い。

体調を管理すること、自分を管理すること。
それは「マイペース」とよく「笑うこと」!笑
と言うより、「幸せ」だとよく感じること!!

あと手洗いうがいかな...笑
まぁ9ヶ月なんて、旅してなくても、体調崩す人いるよね。笑 ちゃんと体調管理してっ!笑
「マイペース」を崩さないでっ!

さて、話をノルウェーへ戻そう。笑

ノルウェイのスキーリゾート」

大学2年生の冬に、
東京から北海道までの東北をひとりで運転して1周して、
友達ん家とか、車中泊しながら、ひと月掛けて 色んなスキー場で滑りまくってたの思い出した。

免許取ってから半年も経ってなくて、
雪道めっちゃビビってたなぁ〜!ひとり旅だったし! 当初の予定は、青森で引き返そうと思ったんだけど
「これ、海越えたら北海道!?」と思ってたら、フェリー乗っちゃった笑

あの頃からスキーヤーというか、旅人の素質あったわ!笑
立ち寄った全ての県で「ご当地のお菓子」をお土産に買ってきたの懐かしい!
東北祭りしたなぁ!笑笑


ヨーロッパの「スキーリゾート」は日本のものと全然違うんだよね。
めっちゃイケてるのよ。
若者も多いし、スキー以外の魅力もめちゃくちゃある。もちろん、”文化”ってものあるんだけど、日本のスキーリゾート...もうちょい頑張れることないのかね。笑


「姉と合流して2週間」

TABIPPO.netの記事を書いたり、

マーケティングの調査を行ったり、

これから行くアメリカへのVISAの申請をしたり、

英語の勉強をしたり、

姉と一緒にストレッチをしたり、有意義な時間を過ごしました。


間違いなく今してることは「旅」ではない。

きっと大変でも、なんでも自分で決断して進む「旅」が「自営」で、

今みたいに、安定した明日が分かっていて、命令に従うことが「就職」なんだろうな...と感じた今日この頃。

外を散歩しながら、少しだけ考えました。
「自分」はどんなライフスタイルをデザインしていくんだろうな。


この時期、姉と僕の間で”ひとつのテーマ”があった。
それが「今あるベストを尽くす」ということ。

「今できるベスト」

毎日。毎日。

今日出来ること。

今日出来るベスト。

できないことは求めない。

「感情」はコントロール出来ない。
怖いとか、緊張するとか、いやだとか、そういう感情。

それは、インドの電車くらいコントロール出来ないこと。従うしかない。委ねるしかない。いくらイライラしても、電車はやってこない。待つしかない。

”コントロール”出来ないことには従って、その中で出来ることやる。今できる”ベスト”を尽くす。

それを繰り返してれば、着実に一歩一歩 成長できる。

僕がここまで すごいスピードで、「旅人」として、「ライター」として、「フォトグラファー」として、成長してこれたのも、その一歩一歩のお陰かもしれない。

もちろん毎日ベストの走り、
つまり”全力疾走”はできないから、

週1くらいでクソみたいにだらける。
でも、クソみたいにダラけてる中で出来ることをする。それだけ。

ただそれだけの繰り返しで、なりたい自分に近づける。ベストな走りで「いま」の自分。

ーアンタが今できることは、なんだ?ー

やっぱり、先人のアドバイスはよく聞いた方がいい。決断するのは自分だとしても、聞いておくぶんには全く損はない。

分母は多く、しかし、分子を選ぶのは「自分」ということは忘れちゃいけない。

そして、「今あるベスト」を続けた結果、

周りから、よく「行動力すごいね!」って褒められるけど、全然そんなんじゃない。

今やらないといつか後悔しそうなことをただしてるだけ。

今でも過去を振り返った時に、「あぁしとけば良かった」って思うことがたくさんあるから、5年後、10年後の俺が今みたいに後悔しないために今を生きてるだけ。

そうなんです。

最近、こんなツイートを見た。


君の努力に対し「そんなに頑張ってどうするの?」と聞いてくる奴らには「今頑張らなくて将来どうするの?」と聞き返してやればいいし「病的だわ」とケチつけてくる奴らは無視でいい。病的って言葉は怠け者からみた努力家を表す褒め言葉だ。目標定めたら目を離すな。周りは関係ねえ。一直線に努力しろ。


マジでこれだ。
姉にしろ、俺にしろ、何かひとつでも、生きる目標を掲げ、熱い人生を送っているチャレンジャーには。

若者には特に。「人生」を攻めて欲しい。

こんなポジティブすぎるアホ。笑いたければ笑えばいい。俺は何もしないで、横で笑ってる奴らの何倍も高笑いしてしまうから。

最終的に笑ったやつが勝ちなんですよ。
「幸せ者」勝ち。なんです。


まぁ人生を攻めてほしいことには、もっと理由がある。

この後の旅路で、ニューヨークの地下鉄の事故があったり、マイアミの空港で発砲事件があったり、近くのホテルで爆破予告があって一時大騒ぎになるんだよね。


間一髪で自分が巻き込まれていない状況をよく読むとさ、

「やっぱり人間っていつ死ぬか分からない」んだよね。

プーケット滞在時、テロがあったことも、
コロンビアで同い年のバックパッカーが殺された時も、
マザーハウスで目の前でおじいちゃんが亡くなった時も、
もちろん日本で友人が亡くなってしまった時も。

だから、「今」生きてる俺らは、ちゃんと生きなきゃいけない。向き合わなきゃいけない。

大事なことは、正面から「向き合う」ということ。もっと言っちゃうと、貪欲に「生きる」ということなんですよ。



ノルウェーで行われたヨーロッパカップ第1戦が終わり、一旦このメンバーともお別れです。

このメンバーで過ごした1週間弱。
本当に素晴らしいトレーニングが出来ました。

ようやくこれで、僕も
”ヨーロッパカップにリバース入りした選手”のサポーター。

今まで、こんなサポーターいたでしょうか?

前日レンタルしていた板のエッヂがあまりにもなく、ポールを担いだまま滑落したサポーター。

そんなサポーターの選手がやってくれました!
ワックスやブラシといった目に見えるサポートから、掛ける言葉、気遣いなど、見えないサポート。

そんな小さな小さなサポートから、選手が成績を出してくれる。
こんな嬉しいことはありません。

サポートする側になって、わかったこと。
スキーを通して学べることはまだまだ多いみたいです。

恵美子は22位。
これで、もう1度ヨーロッパカップ25位に入ればワールドカップの出場権を獲得することができます!乞うご期待ですね!!


北欧編!これにておしまい!
明日、オスロから中国・北京へと向かいます!


そうなんです。ヨーロッパから、もう一度!中国へ戻ります!!!笑

飛行機まで時間があったからオスロの街を探索。

本場ノルウェーのサーモンは美味しかったぁ〜!
オスロもクリスマスムード一色で歩いてるだけでハッピー!!

ノルウェーオスロのクリスマスマーケット

”クリスマスマーケット”って言っても、場所によって全然違くて、ここは「トロルの村」みたいなクリスマスマーケット!

北欧の観光地は本当に「アナと雪の女王」みたいでかわいい!!


テントの中はこんな感じ!「アナと雪の女王」思い出すよね!
暖炉もあって凄いあったかい!!はぁ、鍋食べたい...



世界一周 22カ国目 China/中華人民共和国

なんと!22カ国目はチャイナ!!

7ヶ月掛けてヨーロッパまで行ったのに、15時間で戻ってきちゃいました笑


僕も当初の予定では全くなくて、お姉ちゃんが 中国で行われる”FarEast CUP2016”に出場するということで、オスロからコペンハーゲン乗り換えで、北京に着きました!

安心してください!世界一周はします笑
ちゃんとカウントダウンもニューヨークへ行きます!!

何事も臨機応変に動ける男は強いぞ〜!!

そうなんです。臨機応変に動ける男は強い。言葉の通り。その通り。

「人生」なんて、予想だにしないことの連続なんです。ハプニングだらけだし、うまく言ったときは、ラッキーだと思っていい!

問題を解決していくのも、「人生」だ。


知識や知恵ってのは、突然何か大きな問題が起きた時には、役に立たないと思うんだよね。

そういった時は、今まで生きてきた中で得た経験値や精神面が試されると思うんすよ。

僕は、そういった精神面、経験を「旅」を通して培ってきた。きっと、このブログを読んでくれてる人たちは分かってると思うけどね。

旅っていいよ。
旅をオススメしたい理由をあげたらキリがない。

たとえば、

本当に大切な事は、誰にも教えてもらえない。
「自分で気付くこと」だったりする。

今までだってそうだったでしょ?

本当に大切な事は、机の上では学べない。
”友情”だって、”恋愛”だって、なんだって。

学校で教えてもらえるのは、ただの「一般常識」
…常識以外のものは自分で手に入れてきたでしょ?
.
”旅”から教えもらえることは、机の上では絶対に学べないし、計り知れない。

だから、一歩踏み出すことをオススメするよ。


男にとって、相手を説得する言葉、納得させる言葉とは、「経験」から生まれた言葉なのよ。「知識」ではないんだよね。

でもって中国のことかなりサクッとダイジェスト。

中国・万龍で行われた”FarEast CUP2016”回転競技にて、見事2位を獲得することが出来ました!

姉は、2013年(ソチオリンピックの年)にこのスキー場でネットを突き破るほどのクラッシュをしており、前十字靭帯と内側靭帯を断裂してしまいました。

「トラウマになってしまったスキー場を克服する」それは、トップアスリートといえ容易な事ではありません。

初日の練習では、涙を流しながら「怖い...怖くて滑れない。」とつぶやいていた姉。


『その状況下で”出来ること”をする。』



これは、今 2人が掲げているテーマ。
しかし、”怖くて”「滑れない」となると、

出来ることないのよね。そう気付いた僕は、
「じゃあ極論。いま出来ることがなくなったら、やめちゃうの?」と聞くと、


「スタートに立つことくらいは出来る。」


その一言から、少しずつ、少しずつ。
1旗門目はアタックできる。
2旗門目、3旗門目...あそこまでなら攻めれる。
ゴールできる。リスク背負える。勝てる...!

と、短い間だったけど、ポジティブなメッセージを彼女に伝え、最善のサポートをし、2人で勝ち取ったこのリザルト。

初日、ゲート練習がまともに出来なかった選手とは思えぬくらいのフルアタックを2日間。

惜しくも優勝は逃しましたが、両日ともに2本目はラップタイム。

これって凄いことだと思う。

やっぱり「言葉」ってすごい。

人を悲しませるのも、喜ばせるのも、同じ「言葉」なんだよね。そんな「言葉達」を扱える仕事をしていることを、今はすごく誇りに思う。


「言葉たち」...
いくら情熱を持っていて、情報を持っていて、インプットが多くても、アウトプット、つまり「伝えること」が下手な人はダメ。

対人間の場合、特に良くない。
どうしても選手に「頑張れよ」としか言えない。ごめん、どうしても偉そうに聞こえるんだけど、

「人には人にあった言葉たち」ってのがある。


自分が言いたいことと、

相手が聞きたいこと。

それって、当たり前のように同じではない。

自分が言いたいことばかり言って、うまくいく「恋愛」なんてないのと同じで、
(この場合、女性がなんて言われたいかを考えること)

コーチの目的ってのは、「選手」が成績を出すことだと思うんだけど、
(ここで金を稼ぐためとか言ってるようじゃ、まるで、スキーでしか食べていけない人みたいだから、それはなしね)


自分の中にある”感情”をそのまま ぶつけて選手が成績を出すとは限らないわけ。

だから、「言葉選び」ってのはすごく大切だと思う。これはコーチングに限らずね!

我々の目的が何か明確にして、それに人が関わるのであれば「伝える」ことを雑にしちゃ上手くいくものも上手くいかない。

すこし広告論を勉強したり、ライターしてるからって偉そうなんだけど、これは自分が経験して感じた「感情」だから、そういう意見もあるんだ。くらいのスタンスで良い。

今年の2月。胴上げまでしてもらって引退したのに、まさかの出会っちゃう中央大学スキー部。笑
「次 いつどこで会うか分かんないからねぇ〜!バイバーイ!」とか言って、涙の別れをしたのに!笑

久々に後輩たちに「一輝さん」って呼ばれて、なんか懐かしかった!!

僕には、その時代ごとに呼び方があって、
その時代ごとに友達が、その呼び方で呼んでくれるから、

あの頃の思い出が蘇りながら、自分が出来るので、”ニックネーム”の多い人生も気に入っています!

この旅を通して出会った人たちからは「kei」って呼ばれてるけど、
「かづき(小学生から)」「カズキヨ(中学から)」「キヨ(大学から)」好きに呼んでください!!

とゆーことで、ダイジェストまとめ!
につづく!!!